Journal of Computer Chemistry, Japan
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Contribution in Memoriam
Mr. Norio Senda, my admirer
Reiko USUI
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2022 Volume 21 Issue 3 Pages A12-A17

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Abstract

筆者が30年来憧れている千田範夫さんが亡くなってしまわれた.とても悲しく,寂しい.

私が千田さんに憧れていることはご本人にもお伝えしているし,今までも方々で公言しているが,いま一度改めてお伝えするとともに,私が事務局を務めているCAMMフォーラムに千田さんがかつて寄稿された原稿をご紹介して,千田さんのご功績とお人柄を残したい.

Translated Abstract

Business Research Institute/ Computer aided Materials and Molecular design Forum Norio Senda, whom the author has admired for 30 years, has passed away. It is very sad and lonely.

I have told Mr. Senda of my admiration for him, and I have also publicly stated this in many places in the past, but I would like to reiterate my admiration for Mr. Senda and leave his achievements and personality behind by introducing a manuscript he once contributed to the CAMM Forum, for which I serve as the secretariat.

CAMMフォーラム(Computer aided Materials and Molecular design Forum=コンピュータによる材料開発・物質設計を考える会)は1987年創立,現在第35期が進行中である.千田さんには1988年の第2期から出光興産の研究員としてご参加いただき,途中3年ほどの休会期間を挟んで復活,出光興産定年退職後は個人事務所のテンキューブから,じきにクロスアビリティに籍を移され,クロスアビリティの正式参加は若手メンバーに変更になっても要所要所で準レギュラーとしてご参加いただいていた.

2021年5月が千田さん最後のCAMMフォーラムご参加なのだが,オンライン開催ゆえカメラオフで参加され,ご存知のようにあまり口数の多くない千田さんと言葉を交わすことなく例会は終わってしまった.まさかあれが最後になろうとは.

私にとって千田さんは長年の『憧(あこが)れの人』であった.本稿執筆にあたって,私が「千田さんの飲み仲間だから」という推薦理由が上がったと仄聞している.CAMMフォーラムでの年2回の合宿や毎月開催している懇親会はもとより他団体の年会なども含めれば数えきれないぐらい宴席をご一緒しているが,実は『ふたりで』飲みに行ったことはない.あれは7~8年前だろうか,一度だけ,とあるシンポジウムに私も参加者として赴き,なりゆきで千田さんとはじめて『ふたりで』昼食をご一緒したのだが,嬉しいのに緊張し過ぎて何も話せなかった.

なので,コロナ禍になった時に千田さんからオンライン飲み会のお誘いをいただいた時の喜びは忘れられない.Zoomなどオンラインコミュニケーションのノウハウ習得が急務の時期で実践の場を求めていた時のご連絡でもあったからだが,千田さん主催の会に千田さんから直々に誘っていただいたことにものすごく感動していた.そのオンライン飲み会は5~6人のこじんまりしたもので参加者は私もすでに存じ上げている方々ばかりではあったが,とても居心地の良いおとなの空間だった.千田さんは最初と最後にいつものように少しだけ挨拶をされて,あとはみんなの話を聞きながらにビールを静かに飲んでおられた.私が主催ならああいう雰囲気にはならないと感服したものである.

「仕事も遊びも」の文武両道.できたばかりの出光興産社長賞をWinmostarで定年直前にかっさらい,テニスは地元のサークルの代表も務められ,ご家族をとても大切にされ(ある時期の千田さんの個人ホームページにはお嬢さん達のお習字作品が出ていたように記憶している.若いCAMMメンバーの子育ての悩みに言葉を選びながら真摯な口調でアドバイスしておられたこともあった),ビールをこよなく愛され(長岡で開催された日本コンピュータ化学会の年会は日本酒に特化した懇親会だったが千田さんは我慢できなくてご自分で缶ビールを持ち込まれていたり,CAMMの合宿でもたいそうおいしそうに朝食時に缶ビールを召し上がっておられたこと,などなど)…小泉今日子の映画にエキストラ参加された体験を楽しそうに話しておられたお姿も忘れられない.そういえばCAMMの月例会の帰りに千田さんと一緒にクロスアビリティ・古賀さん私邸に伺ったこともあったなあ…思い出は尽きない.この思い出をもっと増やしたかった.千田さんへの憧れも尽きない.私は千田さんの不在がまだ信じられない.

以前,弊会ではCAMM NEWSという機関誌を出していたが,その中の「人に歴史あり,CAMMにこの人あり」というコーナーに3回(2007年~2008年,ちょうど出光興産を卒業される前後)にわたって掲載した千田さんの原稿を今一度ここでご紹介し,私の中の千田さんの思い出を永遠にしたい.お人柄と同じく自信と含羞が絶妙なバランスの文体で,千田さん特有の品の良さを感じることができます.

「一般社団法人 企業研究会 CAMMの許可を得て転載」

「人に歴史あり,CAMMにこの人あり」

-Winmostar開発秘話(1)-

出光興産中研 千田範夫

1. 学生時代

私は学生時代から電子計算機(コンピュータ)を使っていますが,同年代ではめずらしいほうだと思います.特に,工業化学科のようなところでは,コンピュータを使えるのは数人しかいませんでした.きっかけは,研究室の先生が自分ではプログラミングしないのに,学生にやらせることが好きな先生だったためです.その頃(1945年頃)の金沢大学には,コンピュータは理学部にしかありませんでしたので,工学部のあった小立野から15円の路面電車賃を節約して歩いて行きました.兼六園を通り抜けて(その頃は入園無料でした),金沢大学の正門である石川門を通って,理学部のある金沢城内に入って行くのは気分がいいものでした.今は,大学は角間キャンパスに移って,城内は「利家と松」の観光地になっています.

コンピュータはNEAC2230だったと思います.大きなラックに基盤が見え隠れしているものすごい機械が一部屋を占領していました.入力は紙テープですので,テレタイプ端末でプログラムやデータを作成しました.できた紙テープを受付に置いて順番待ちになりますが,空いている時はすぐにコンピュータにかけられます.見ていると,ちょっと恐そうなお姉さんが紙テープをリーダーにセットしています.ボタンを操作すると紙テープが読み込まれていきますが,紙テープが引っかかって止まることがあります.そのような時に,お姉さんがリーダーの横をバンバン叩くと,不思議なことに紙テープの読込みは再度始まります.この光景がトラウマとなって,今でもパソコンの調子が悪いとその辺を叩く癖があります.あまりお勧めしませんが,動かなくなった古いパソコンにショックを与えて動かして,ゴッドハンドの千田と呼ばれたこともあります.計算結果の出力も紙テープで吐き出されますので,入力で使ったのと同じテレタイプ端末に紙テープをセットして打ち出します.これも順番待ちがあるので,待ち時間の間にテープを眺めていると,人間紙テープリーダーの技が身につくようになります.こんなことをしていても,一日で計算できるのは,2,3バッチでした.

工学部にFACOM230が導入されて,理学部に行く必要がなくなり,入力が紙カード,出力がラインプリンタになっても,シングルタスクのバッチ処理では,それほど効率は上がりませんでした.計算していた内容は,今の電卓で間に合いそうなものでしたが,その頃は電卓がありませんでした.計算尺のアナログは肌に合わず,醜悪で騒音のうるさいタイガーの手回し計算機は珠算一級の私は我慢できず,かといって大学の研究室ではソロバンは似合いません.というわけでコンピュータなのですが,計算依頼してから結果が戻るまでの時間が長く,おかげで暇を持て余して,ピンポンやテニスはうまくなりました.

修論のテーマは,高分子溶液の拡散曲線から拡散係数分布,さらに分子量分布を求める方法の妥当性を実験で検証することでした.当時はGPCはありませんでした.拡散曲線から拡散係数の分布を求めるには,片対数方眼紙を使って図的に分割するという研究室伝統の解法がありました.しかし,このような怪しい方法は我慢できなかったので,乱数を用いたデコンボリューション法を編み出して,理論合成曲線を分割できることを示しました.ポリマーを合成したり分別したりする実験は4年生にやらせておいて,私はデコンボリューションのプログラムをのんびりと完成させました.この頃はFORTRANを使っていましたので,主にDelphiで書く今でもFORTRANが最も得意です.

2.出光入社

出光に入ってからも,自分はコンピュータが使えないくせに人に使わせることが好きな上司に恵まれて,いろんなコンピュータをいじくりました.最初の頃は,IBMの計算センターと電話回線に音響カプラーで繋いで使うTSS-BASICで,GPC測定結果から分子量分布等を計算してプロットさせたりしていました.計算料金は,接続時間とCPU時間の両方でカウントされました.一台しかないので順番待ちをすることがありますが,前に使っている人の計算の様子を見ていると,妙に計算時間がかかっているようです.「無限ループの恐れがあるので止めたほうがいい」と忠告したのですが,「そんなはずはない!」と言われて,その自信を羨ましく思いました.後で聞いた話では,やはり無限ループだったようで,「計算できなかったのに10万円の請求が来た(泣)」そうです.この頃のトラウマで,パソコンで文書作成中にちょっと席をはずす時でも,保存・終了する貧乏性が残っています.

3. 計算化学とCAMM

計算化学を知ったのは,システム担当をしていた時です.汎用中型計算機IBM4381の面倒を見ていた時に,頼まれてMM2(77)やMOPAC3のコンパイルをしました.FORTRANの微妙な仕様の違いに悩まされましたが,なんとか動くようにしました.CAMMに参加するようになったのもその頃で,第2期からでした.その頃はGUIにいいものがなく,某社のANCHORやMDSSを使ってみましたが,気に入らないので自分でMODSTARというGUIをつくりました.IBM4381で動くもので,分子表示部分は今でも日本コンピュータ化学会に登録されている,別府先生のNAMOD(旧JCPE,No.056) を組込みました.社内電算システムの名称がSTARだったので,名前はMODSTARにしました.1行編集のZ- Matrixエディタでしたが,結構重宝されていました.図はMODSTARのNAMOD表示です.

 

 

それからいろいろあったのですが,省略してWinmostarの開発の頃に飛びます.その頃は,システム担当から分析担当に戻り(表面分析),計算化学から離れて,CAMMも脱会していました.

「人に歴史あり,CAMMにこの人あり」

-Winmostar開発秘話(2)-

テンキューブ研究所(元出光興産中研) 千田範夫

1. ウィルスからWinmostar

1990年代初頭は,まだ分子作画・モデリングソフトにいいものがなく,NEC-PC9801を用いた様々なフリーソフトが公開されていて,私もお世話になったことがあります.その頃ならわかりますが,今のようにパソコン上で動く高性能な分子モデリングソフトが入手できる時代に,わざわざ苦労して自作するようなことは,自分でも全く考えていませんでした.

思いがけないきっかけは,2001年6月某日,会社でのことです.同僚(女性)のU山さんが私のところへ来て,友人のI上さん(女性)の自宅パソコンがウィルスに犯されたらしいので,相談に乗ってほしいという話でした.I上さんにパソコンの状況を詳しく聞くと,明らかにウィルスに感染していることがわかりました.

まず,トレンドマイクロのページからダウンロードしたツールで駆除し,一件落着と思われましたが,これで解決していたら,Winmostarの誕生はなかったかもしれません. ところが,たちの悪いウィルスは完全には駆除できず,翌日には活動再開するということが続きました.これを放っておいて感染後1カ月も経過すると,BIOSやハードディスクが破壊される恐れがあるようです.仕方ないので,OSを再インストールすることで,ようやくウィルスを消滅することができました.その際に,再インストールに必要なリカバリー用のCDを調べた中に何故かVisualBasic(VB)という開発言語のCDを発見しました.このVBの機能を調べたところ,RS232C通信のサンプルプログラムを見つけ,試験機→RS232Cデータ受信→依頼試験管理DBを行うラボラトリオートメーションシステム(LAS)の構築のヒントを得ました.こうして開発がスタートしたLASで,多くの分析試験機器からの自動データ収集に成功しました.

VBを使ってみると,メニューやボタンを使うWindowsのGUIソフトが簡単に作成できることに魅了されてLAS開発ではもの足りなくなり,分子表示ソフトを趣味で作り始めることにしました.I上さんのパソコンは完璧に復旧して,ついでに手持ちのメモリーを増設したりしたので非常に感謝されましたが,私にとってI上さんはWinmostar開発のきっかけを与えてくれた女神のような存在です.

Winmostarの表示は,今では3D機能もありますが,標準の表示は2Dです.最初は3Dプログラムの書き方がわからなかったので,まずVBのCircle文とLine文で分子を表示してみました.ディスプレイ上の棒球モデルでは,奥から手前の順序で描くZバッファ法で陰面消去ができます.棒と球が接するところは本当は半楕円にするべきところを半円にしていますが,図のように,ほとんど違和感はありません.最初は半楕円にしないといけないものと思い込んでいましたが,VBでは勝手に太線の先を丸くしてくれるので,それを見ていたら,それで問題ないことに気づきました.立体感を表すために,球では3回,棒では2回の重ね描きをすると,3Dに近い棒球モデルになります.これに,回転機能,置換基追加機能,MOPACの起動等をサポートすると,ちょっと使えそうなものになったので,趣味のホームページで公開してみました.ソフトの名前は,前に社内システムで作ったMODSTARにWinをつけて→Winmodstar:語呂が悪いので→Winmostarにしました.これで,自分でも憧れだったフリーソフト作家になることができました.

 

 

2. port:3016

公開はしましたが,たいしたプログラムではないし,自分で使う仕事はないし,他人が使うこともあまり想定してはいませんでした.そこに現れたのが,謎のs2k氏が運営するport:3016というサイトです.そこではWinmostarが「使いやすい」ソフトだと紹介されています.見ず知らずの他人の言うことなので,これで大きい自信とやる気が出て,そのうちシェアウエアにして小遣い銭稼ぎも悪くないかと考えました.

s2k氏というのは,ページをよく見ていくとわかったのですが,C大4年生の佐々木君という学生さんでした.Winmostarの改良を続けて分子軌道表示もできるようになった頃に佐々木君のページを見ると,「フリーで分子軌道表示もできるとはすごい!作者はシェアウエアを目指しているのではないか?貧乏学生としては,それだけは勘弁してほしい.」などと書いてありました.大学4年生ごときに腹の中を見透かされたようで,癪にさわるので,当分シェアウエアにするのはやめました.考えてみると,出光のような会社にいて趣味とはいえ変なアルバイトで副収入を得るのはまずい,ということもありました.その代わりに考えたのが,学会に参加することでした.趣味の仕事を会社の経費で学会発表するというのは微妙なところですが,いい会社(上司)だったと思います.

3. 未踏ソフトと吉田先生

2002年7月の日本コンピュータ化学会春季年会で,広島大学の故吉田弘先生との出会いがありました.お互いに,MoldaとWinmostarの作者ということでネット上では知り合いでした.懇親会の席上で,Moldaで採択された情報処理推進機構(IPA)の未踏ソフトプロジェクトへの協力を,吉田さんから要請されました.大学の先生からの依頼であれば,会社にも話しやすいのでやってみることにしましたが,マニュアル作成は嫌いなので,佐々木君にやってもらうことを提案して受け入れられました.佐々木君にもまだ会ったことは無かったのですが.吉田さんのテーマは,Winmostarと同じくVBで書いてあったMoldaのコードをJavaで3D化し,主にバイオ機能を追加することでした.私の担当したところは座標変換やMOPAC計算の部分で,今までFortranやVBで書いてきたところをJavaで書くことになりました.2002年秋の日本コンピュータ化学会では55歳で学会発表デビューし,その後CAMMに復帰して,会社ではEPMA装置の担当をしながらも,なんとなく計算化学にも関わることになりました.

「人に歴史あり,CAMMにこの人あり」

-Winmostar開発秘話(3)-

テンキューブ研究所 千田範夫

1. Fortran,VisualBasic,Java,Delphi

FortranとBasicで育った私にとってVisualBasic(VB)は,いわゆるイベントドリブン(マウスやキーが押されたら何かが始まる)のWindowsプログラミングの世界へ導いてくれる画期的な開発環境でしたが,いろいろ問題点が多い言語です.2002年の未踏の吉田プロジェクトは,MoldaをJavaで開発することでしたので,私もWinmostarの機能の一部をJavaで書きました.その後は全面的にJavaに転向することも考えられましたが,Javaは嫌いになったので,結局はDelphiに転向することにしました.

Javaが嫌いになった理由は,Forrtanのソースコードを一文ずつ機械的に書き直しができなかったためです.

第一に,Javaにはgoto文がありません.ダイクストラの構造化プログラミングの理論によると,goto文は有害であるということも私は知っていますし,goto文を使わないプログラムも書けます.しかし,他人の書いたgoto文の入り混じった古いFortranのソースコードをgoto文なしに書き直すのは,コードを読んで処理内容を把握する必要があるために困難を極めます.VBやDelphiの場合は,何も考えずに一文ずつ機械的に書き直しすれば,Fortranの枯れたコードが甦ります.

第二に,サブルーチンの引数がFortranでは参照渡しのみですが,Javaでは値渡しのみです.VBやDelphi等では参照渡しと値渡しのどちらでも選択可能ですので書き直しは簡単ですが,Javaでは参照渡しができないので機械的に書き直すことはできません.

結局Javaは,他の言語で当り前にしていることができないという重大な欠点があります.Javaは,理想に燃えた若造が現実の問題を知らずに,オブジェクト指向という不必要な思考に囚われて仕様を作ってしまった欠陥言語です.たぶん.

2. 経験と人生と魂を込めて

2002年の未踏は,アルバイトプログラマーとしてJavaで書きましたが,これでJavaは嫌いになったので,2003年はWinmostarを全面的にDelphiで書き直しました.これによってVBのDLL地獄から開放され,インストーラ不要でコピーするだけ,USBメモリーからでも動かせるという本物のフリーソフトの形になりました.

Delphiに書き直している時に,たまたま観ていたのが「マンハッタンラブストーリー」というテレビドラマです.子供が好きなので,家でテレビドラマは良く映っていても,あまり真剣に観ることは無かったのですが,これにハマってしまいました.ドラマを2回以上観ることなど考えられないことだったのですが,これはDVDで50回以上観たのでセリフも憶えています.最近ハマった「のだめカンタービレ」でも,まだ2回くらいです.「マンハッタンラブストーリー」の主役は,トキオの松岡演ずる風変わりな喫茶店の店長で,普段は無口なのに,店の常連さんに「経験と人生と魂を込めて」と言ってお節介を焼くのですが,それがことごとく裏目に出るという変な爆笑ドラマです(宮藤官九郎脚本).その店長の言葉をもらって,私の名刺には「経験と人生と魂を込めて」と印刷されています.Winmostarの開発は趣味で楽しんでいますので,「経験」はともかく,「人生」とか「魂」を込めて,というのは大嘘です.このドラマで助演女優賞をとったのが,「赤羽ちゃん」を演じた小泉今日子です.アイドルではない小泉今日子の才能に気づいた後の,私のパソコンのデスクトップと携帯の待ち受け画像は赤羽ちゃんになっています.赤羽ちゃんはタクシーの運転手で,その先輩が「イボリー」こと井堀さん(尾美としのり)です.赤羽ちゃんとイボリーのからみは爆笑場面が多かったので,CAMMで井堀さん(注:企業研究会職員,CAMM初代担当事務局)の顔を見ると,イボリーの思い出し笑いをしているのは,私だけの秘密です.

3. 未踏ソフトとスーパークリエータ

Delphiへの書き換えに成功して自信が出たので,今度は未踏ソフトに自分で応募することにしました.応募するには,まず採択してくれそうなプロジェクトマネージャ(PM)を,約10人の中から選ばないといけません.採択は合議制ではなく,PM個人の独断と偏見によって決まります.PM(任期2年)は大体が情報系の専門家で,自分の得意な分野を公募対象分野にしていますので,化学系ソフトが対象分野に入っている場合はほとんどありません.2004年はたまたま,情報から芸術,科学なんでもOKの伊知地PMという変わった人がいて,高倍率にもかかわらず採択してもらえただけでなく,天才プログラマー/スーパークリエータという称号も頂くことができました.

未踏に参加して一番良かったのは,飲み会が多かったことです.今でも,現開発者のキックオフや報告会には,懇親会があれば参加しています.未踏の開発者は若い情報系の人が多く,プログラマーとしては私の何倍も優秀ですが,他の分野をあまり知らないので,もったいない人が多いと思います.ダブルメジャーの重要性を痛感します.

4. Tencube/WM

2007年4月に定年退職後はテンキューブという個人事業を立ち上げました.Winmostarでは商標が取れなかったので(編集注:現在は文字とロゴそれぞれで商標が取得済み),千田=1000=103 =テンキューブ(Tencube)にしました.商標登録は,インターネットの「自分でできる!」サイトを参考にして,全部自分でやりましたが,出願から登録まで8ヶ月半,17万円の費用(2分類)がかかりました.

12月に商標登録できたのと,1月末のテンキューブの預金残高が2万円以下になったので,慌てて3月にTencube/WMの名前で商用版を出しました.

5. 開発環境

以前は深夜コーディングが多かったのですが,今はなるべく昼間に仕事するようにしています.

開発環境は写真のように前と変わりありませんが,昼間はなかなか調子がでません.

まだまだやり残したことは多いので,昼間でも調子がでるようにビールで勢いをつけることもあります.<完>

 

 

 
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