Journal of Computer Chemistry, Japan
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Foreword
"That's Impossible!" — The Starting Point of Research?
Tomokazu YASUIKE
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2024 Volume 23 Issue 2 Pages A15-A16

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ここのところ機械学習の勢いは留まるところを知らない.私のような保守的な者であっても,コーディングの相談相手はいまやネット検索ではなく専らChatGPTとなった.機械学習のお陰で機械翻訳の結果は数年前に比べて段違いに自然になり,DeepLの世話になることも多い.使えば使うだけどんどん阿呆になっていく気もするが,可処分時間が減る一方の日常において大いに助けられていることは間違いない.

このように補助具としてではなく,研究者たるもの素早くこの新しい技術をキャッチアップし,計算化学のプロトコル自体をブーストする方向で使うべきである.基底状態のポテンシャルを与える力場には,すでにPreferred Potentialという成功例 [1]がある.分子構造に対応するグラフを記述子とするGraph Neural Networkを用いることで,非局所的な効果を考慮し,安定構造以外での学習も広範に行うことで,汎化性能が高く化学反応の記述も可能な優れたパフォーマンスを示すという.DFTでも扱うのが難しい大きな系の反応シミュレーションではもはや代替物がないと言ってもいいだろう.

基底状態でこれだけの成功を収めたのだから,次は励起状態をと考えるのは自然なことである.筆者の個人的興味も長らく光と物質の相互作用にあり,様々な系の光学応答が一瞬で計算できたとしたら研究してみたい系は山ほどある.しかしそんなことが本当に可能だろうか.ひとくちに励起状態と言っても,原子価型もあればRydberg型もあり,それらが何番目の励起状態として出てくるかは分子種やその構造に依存し,さらには分子構造に強く依存した形でそれらの励起状態は互いに相互作用する.高エネルギー領域で考慮しなくてはならない連続状態との相互作用のことを忘れたとしても,個々の励起状態は余りにも多様ではないだろうか.

翻って考えてみるに,基底状態のポテンシャルを与える汎用力場を構成することができたのは,基底状態はかなり無個性だったからではなかろうか.炭素原子にはsp, sp2, sp3という三種の"局所的な状態"があり,このことによって炭素化合物は凄まじいバラエティを持つが,バラエティの根源は組み合わせ爆発であり,局所的にみればたかだか三種類の状態しかない.このように考えると,任意の励起状態を与える力場を作ることはほぼ無理であるように思われてくる.

少し目標を下げて次善の策について考えてみよう.私に思いつくことができたのは,比較的大きな系の励起状態計算を念頭に置き,TDDFT計算を実行する際の計算コストの高いところを機械学習に置きかえるという(安直な)プランである.まず,①分子構造から機械学習によって分子軌道を与える.次に,②分子軌道から機械学習によってTDDFT計算に必要な応答行列の行列要素を与える.そして最後に,③機械学習によって応答行列の対角化を行う.まさに塩鉄論にある「言うは易く行うは難し」の典型であるが,妄想は自由である.

一人ブレインストーミングを終えたところで文献にもあたってみよう.いざ調べてみると,機械学習の励起状態への応用を謳う論文はすでにかなりの数にのぼる.しかし実際に行われているのは手堅いものが多く,低い計算レベルの結果から高い計算レベルの結果を推定するというような試みであったりする.検索ワードがこなれてきたところで上記の妄想に近いものとしてE. Cignoniらの論文 [2]に行き着いた.彼らは機械学習によって分子構造から最小基底の有効Kohn-Sham演算子を求め,対角化によって分子軌道を得ている.なるほど強束縛近似のセンスで言えば,分子構造から直接分子軌道を得るより有効一体ハミルトニアンを得る方がよっぽど簡単だ.そして励起状態計算にはGrimmeのsTDA法を用いている.この方法では半経験的手法の手続きを援用して行列要素の評価を行い,得られた行列の対角化によって励起状態を得ることができる.上記妄想の①は彼らによって完成されていると言えそうだが,②に相当するところでsTDA法に代わる方法を探ってみてもいいかも知れない.より大規模な系を想定すれば③の行列の対角化自体の機械学習についても考えてみたいが,さすがに妄想が過ぎるだろうか.

ところで何故私がこのような雑文を書き散らかしているかと言うと,元々は雑談のなかで「分子の励起状態は機械学習で扱えるほど甘くないのではないか」という意見を表明したことによる.しかし,上記のように段階を追って次善の策を考え,文献にあたってみた今では「そんなに甘くはないが手がないわけでもなさそうだ」という形に意見が変わった.雑談相手の某先生が寄稿を勧めてくださったのは,もうちょっと落ち着いて考えてみてはどうかということだったのだろう.もしかすると「そんなの無理だよ」は,研究テーマを考えるよいきっかけなのかも知れない.なぜ無理だと思うのか,本当に無理なのか,次善の策はないのか.皆さんも「そんなの無理だよ」と言っている人に出会ったら,ちょっと突いてみると楽しいかもしれない.

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