抄録
本稿は、金剛乗がインド密教史にパラダイムシフトをもたらした問題を論じる。インド密教全体と金剛乗の関係は重層的に交錯している。筆者はこれまでに築かれた先学の研究に準拠してインド密教史を寸写し、インド仏教において金剛乗の範疇を別立する理由を論じる。次に、金剛乗を信解する阿闍梨たちが行った教判に触れ、インド密教史における時代区分に関する分析概念を提起する。この論述の過程で、我々にとって、厳密な定義は困難であるとしてもそのイメージは共有されていると考えてよい「密教」に相当する用語をインドの文献に探る。最後に、金剛乗と仏教タントリズムの概念上での同異を明らかにする。