抄録
1. 目的マツ材線虫病は日本最大の森林病害の1つであり、病原体であるマツノザイセンチュウが同定されて以来様々な角度から研究が進められてきた。本病に感染したマツ類樹木はテルペン類等の特徴的な揮発性物質を放出することが知られている。室内実験の結果から、これらの物質が同病を媒介するマツノマダラカミキリに対して誘引活性を有することや、マツ類樹体内で病徴進展に関与する可能性が指摘されてきた。しかしながら、実際のマツ材線虫病被害林分内におけるこれら揮発性物質の発生の実態についてはこれまでに報告例が少なく、その捕集・分析及び評価方法も確立されていない。本研究では、数年前よりマツ材線虫病による枯損被害が発生しているクロマツ林分で調査を行い、林分内で捕集した揮発性物質の質的及び量的評価を行った。2. 調査方法2001年5月、鳥取大学乾燥地研究センター内のクロマツ林分において樹脂分泌調査を行い、その結果から成木11個体(樹脂分泌異常木6個体・正常木5個体)を選抜して調査対象木とした。揮発性物質の吸着剤を充填したガラス製チューブをミニポンプに装着したものを各調査個体の樹幹に取り付け、流速50 ml/minで2時間にわたり気体を捕集した。このサンプルをGC-MSで分析し、捕集気体中に含まれる物質を評価した。気体捕集は毎月1回2001年5月から同年10月まで計6回行った。また、2001年11月と2002年5月には調査対象木の生理状態を判断するため樹脂分泌調査を行った。なお、2001年5月、11月の樹脂調査結果より各調査個体を健全木(いずれの調査時にも正常な樹脂分泌が認められた個体)、異常木(5月には正常だったが11月には樹脂を分泌していなかった個体)、枯死木(5月の調査時に既に樹脂分泌が認められなかった個体)の3つにグループ分けして考察した。 3. 結果及び考察本調査の結果から、これまでにもマツ類からの放出が報告されているα-pinene、β-pinene、camphene等のモノテルペンやjunipene等のセスキテルペンに加えてphenolやbenzaldehyde等の存在が認められ、実際の松枯れ被害林分内にあるクロマツ個体からも病徴の有無に関わらずテルペン類をはじめとする多様な揮発性物質が放出されていることが確認された。そのうち、phenolやbenzaldehydeのように調査期間中に枯死した個体を含め全個体で同一の変動傾向を示したものもあったが、それらの放出量は高温、乾燥等の環境ストレスが大きくなる夏季には枯死木で最も多く、以下異常木、健全木の順に少なくなっていた。これはマツ樹体表面のマツノマダラカミキリによる後食痕及び産卵痕からの樹体内揮発性物質の漏出によるものと考えられる。一方、各個体より放出されていたテルペン類の種類数及び個々の放出量が同病発病個体では顕著に多くなっていることも確認された。テルペン類物質の中には枯死木のみで放出されているものや、全個体で放出されてはいても枯死木からの放出量が極めて多いものが多数検出された。各調査クロマツ個体に注目すると、調査期間中のある時期に複数のテルペン類物質に関して顕著な放出量のピークを示した1個体は調査終了時に枯死していた。また、それよりも1ヶ月遅れて同様のピークを示した個体は調査終了時、すなわち2001年11月末には樹脂を正常に分泌していたが翌年5月には既に発病していた。この時期はマツ材線虫病の感染シーズン前であり、同個体は前年に感染していながら外部病徴を示さなかったいわゆる年越し枯れ個体であったことが推測される。以上の結果から、樹体表面からの揮発性物質の放出様式によってマツ材線虫病に感染したマツ類個体を従来の樹脂分泌調査よりも早い段階で特定することが可能であり、この手法がマツ枯れ防除の観点から有効な診断法となり得ることを提言する。