抄録
近年、超多型で共有性の遺伝マーカーであるマイクロサテライトマーカーを用い、植物集団における遺伝子流動の研究がおこなわれている。コナラ属では、マイクロサテライトマーカーを用いた父性解析により、風媒による長距離の花粉流動(Dow and Ashley 1998)、負の指数関数的な交配距離と交配頻度の関係(Streiff et al. 1999)等が既に明らかになっている。しかしこれらのコナラ属の研究は主に落葉のコナラ亜属におけるものが多く、またその調査林分では対象樹種が優占していた。しかし本研究の対象樹種であるウラジロガシは常緑のアカガシ亜属であり、調査地の老齢照葉樹林では他の優占樹種と比べ密度も低い。その為、花粉流動もそれらの研究と比べ異なることが予想される。本研究は、マイクロサテライトマーカーを用いた父性解析により老齢照葉樹林におけるウラジロガシの花粉流動を明らかにし、さらに花粉親の父性繁殖成功度に影響する要因を明らかにすることを目的とする。調査地は長崎県対馬下島の龍良山(558.5 m)のふもとに位置し、そこでは約100 haの照葉樹林が原生状態を保っている。1990年に龍良山の北向きの斜面に設置された200 m×200 mの4 haプロットを本研究の調査地とした。このプロットにおいてウラジロガシの成木(胸高直径(DBH)≧5 cm)は、林冠構成樹種ではあるが他のスダジイ、イスノキ、サカキ、ヤブツバキ等の優占樹種と比べ密度は低く、かつランダム分布していた。1999年10月と2000年5月に4 haプロット内に生存していた全成木45個体の新葉を採取し、また1999年10月に4本の成木の樹冠下において223個の種子を採取した。DNA抽出はCTAB法(Murray and Tompson 1980)を改変しておこなった。 河原(2000)らにより開発されたプライマー2組(CT15, CT33)、Steinkellner et al.(1997)により開発されたプライマー3組(QpZAG16, QpZAG36, QpZAG119)、Dow & Ashley(1996)により開発されたプライマー1組(MSQ4)を用いて成木と種子の遺伝子型を決定した。得られた種子と種子親、その他の成木の遺伝子型を基に父性解析を行ない、各種子の花粉親を推定した。この結果から、プロット外からの花粉流動の割合を推定し、プロット内における花粉散布様式を明らかにした。またプロット内で起きた交配を解析することで、種子親に対する花粉親の空間分布、血縁度、花粉親のサイズが父性繁殖成功度に与える影響を明らかにした 父性解析の結果、見えない遺伝子流動を考慮すると、花粉による遺伝子流動のうち58 %がプロット外からの花粉によるものであった。またプロット内における交配距離の平均は57.4 m、最大で123.1 mであった。これらの結果から他のコナラ亜属における結果(Dow and Ashley 1998; Streiff et al. 1999)と同様に、老齢照葉樹林におけるウラジロガシにおいても高頻度の長距離花粉散布が効果的に起きていると考えられた。 プロット内で起きた63 回の交配(自殖の1回は除く)を解析した結果、交配距離はランダムな種子親と成木との距離より有意に小さく(Mann-Whitney検定 P<0.001)、交配距離と交配頻度の間には有意な負の相関があった(Spearman’s r = -0.471 P<0.05)。これらのことから種子親からの距離が近いほど父性繁殖成功度が大きいことが明らかになった。また全成木内における種子親からの近さ順位と交配頻度の間には相関がなく、種子親から最も近い成木の交配頻度が最も高いわけではなかったが、花粉親内における種子親からの近さの順位と交配頻度の間には有意な負の相関があり(Spearman’s r = -0.865 P<0.05)、種子親から最も近い花粉親の交配頻度が最も高かった。これらの原因として成木における開花の有無、開花期のずれ、または自然選択により種子親から近い位置の成木が花粉親として貢献できていないことが考えられた。交配血縁度(交配した種子親と花粉親の間の血縁度)はランダムな種子親と成木の血縁度より有意に大きかったが(Mann-Whitney検定 P<0.01)、交配血縁度と交配頻度の間には有意な相関はなかった。これらの結果は成木の遺伝構造が影響していると考えられる。成木の個体間の距離と血縁度の間には有意な負の相関があり(Mantel検定 P<0.05)、その為、種子親から近い成木は、種子親との血縁度が高い。また上で述べたように種子親から近い成木は交配頻度も高い。その結果、種子親と血縁的に近い成木の交配頻度が高くなったと考えられる。全成木と花粉親のDBHに有意な差はなく、また花粉親のDBHと交配頻度の間には有意な相関はなかった。少なくともプロット内のDBH5cm以上のウラジロガシにおいて父性繁殖成功度におけるDBHの影響は小さいと考えられる。