抄録
明治から昭和初期までの時代に、岩崎彌太郎から彌之助・久彌・小彌太に至る岩崎家4代が造った庭園のデザインは、大名庭園に連続性を有する庭園に始まり、コンドル洋館時代の庭園を経て、小川治兵衛の庭や聴禽荘のような「新・日本庭園」ともいうべき新しいタイプの日本庭園へと変遷していった。西洋文化と深い接点を有していた岩崎家4代であったが、コンドル設計の洋館を多く建てた時代にも、洋風庭園の受容は限定的なものに留まり、洋館の傍らにも和風庭園が造られ続けた。大正期以降の久彌・小彌太は、社交や他人の評価を意識したそれまでの庭から離れ、個人的な楽しみのための庭を求めるようになり、施主の個性や価値観が投影された「新・日本庭園」が選択されていった。明治期の西洋文化の流入に直面しながらも、日本庭園がその独自性を保持しつつ、明治末期の思想としての「個人主義」を反映した「新・日本庭園」へと再構築されていった、という明治から昭和初期までの日本の庭園文化の展開を、岩崎家4代の庭園に見ることができる。