抄録
近代京都画壇で重要な位置を占めた日本画家・橋本関雪は、大正から昭和前期にかけて、本邸・白沙村荘 (京都市) をはじめ、別荘・蟹紅鱈白荘 (明石市)、走井居 (大津市)、冬花庵 (宝塚市) などの屋敷を構え、それぞれに庭園を築造した。関雪は「庭園を作り、家を築くも一つの創作」「庭を造ることも、画を描くことも一如不二」と述べており、建築・作庭が彼の人生に於ける一つの目的ともいえるほどであった。彼の作庭デザインには、部分的に歴史的教養主義と中国の文人趣味に対する傾倒を看取できるが、縮景や象徴の手法を用いず実物大の要素で構成される庭景を造り上げる手法は、基本的には近代の写実的風景庭園の系譜にのるものであった。