南九州大学園芸学部
1987 年 51 巻 5 号 p. 7-12
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美濃池川の霞間ケ谷桜林は, 江戸時代後期, 農民による入会山の管理の過程で生まれた桜林である。その名所化には, 当時の名勝遊覧の趣味の高まりに呼応した, 村役人の宣伝活動があった。名所化は農民の生産手段である入会山に, 都市住民のレクリエーションの場というあらたな意味をつけ加える行為である。農民と都市住民, それぞれの霞問ケ谷に対する態度, 及び宣伝活動を行った村役人の名所化にあたっての役割を考察する
造園學雑誌
ランドスケープ研究(オンライン論文集)
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