博覧会は一つの都市的虚構ということができ, 博覧会の開催されたそれぞれの時代は, 建築物や工作物のデザインばかりでなく会場計画全体に敏感に反映されるものと考えることができる。本稿では, 明治期の急速な近代化の中で国家が主導的に進めた内国勧業博覧会の会場計画における空間デザインの面に着目し, わが国の近代化のなかでの外部空間デザイン思想の一つの様相を探ることを試みた。その中で近代の知覚の変革を啓蒙しようとする近代西欧的空間と博覧会の祝祭性を演出する伝統的空間とがともに計画者によって意識的に設定されていたこと等が明らかになった。