1999 年 63 巻 5 号 p. 419-422
1920年代の大阪市において,「無宿者」は失業という社会構造に起因すると認識されつつも, 治安対策そして社会的弊害流布の原因という観点から問題視され,「無宿者」の調査分析や収容保護事業方針においては, 労働意志の有無という労働規律からの監視・疑念が常に向けられていた。当時の公園との関わりから言えば, 警察による公園からの「無宿者」排除という施策では対応しきれず, また, 公園内の「無宿者」が完全に排除されていたわけではなく, 好むとこのまざるとに関わらず, 公園が社会的「緊急避難」場所として機能していたことがわかる。ただし, 同じように野宿していても, 行政及び専門家によって労働意欲があるとみなされる者だけが公園内での野宿を公に認められ, それ以外の人は排除されるという側面も一方では有していた。