抄録
本稿は,システム論的視座,とくに基礎情報学的視座からTurkleの多重自己論を検討している.しばしば指摘されるように,Turkleは,インターネット上の経験によって多重な自己が喚起されることを報告している.しかしながら,システム論的視角からみると,Turkleの議論は,インターネット空間における多重な自己の考察にとどまってはいない.複数の自己それぞれは,社会構成的拘束や人格史的拘束を受けており,一貫性ある表現が求められている.また,心理は,それ独自の内的メカニズムをもっており,多重な自己の受け入れかたもその内的メカニズムに拠っている.システム論的視角からみれば,Turkleの多重自己論は,これらの点をきちんと踏まえて立論されていた.しかしながら,Turkleの個人ウェブページにかんする議論には疑義を挟まなければならなかった.Turkleの個人ウェブページにかんする言明は,いくつかの条件が満たされた場合にのみ妥当する.