日本金属学会誌
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論文
中国「新」時代に制作されたと伝えられる貨幣『一刀』に用いられた金属工芸技法
桐野 文良大野 直志田口 智子
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2019 年 83 巻 3 号 p. 87-96

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Abstract

The metal craft production techniques for an ancient Chinese coin named Ittou in the Shin period of ancient China were studied from material science viewpoints. This cultural artefact was manufactured in the Shin period of ancient China. An infrared image shows the surface state and the materials absorbed on the surface. According to infrared images of the cultural artefact, roughness on the surface of this coin was created on cooling during mintage. UV-fluorescence images show luminescence at corrosion products and yellow soil. In X-ray transmission images, some voids in this coin were observed, indicating the metal craft production technique used during this period. The main element of this cultural artefact is Cu and other elements are Sn and Pb. X-ray diffraction patterns indicate the presence of Cu-Sn base intermetallic compounds. Ittou coins are made from bronze. The characters on the coins were formed using an inlay technique called zougan. Yellow soil adhered to the surface of the examined coin from where it was excavated. The material used to form the characters on the coin is 10 mass% Cu-Au alloy, and flaws were observed on the surface of the characters. The compositions of ancient Kan coins produced between the east Kan and west Kan periods were also analyzed. The composition of these ancient coins was the same as that of the coin from the Shin period of old China, indicating that the same metal craft production technique was used in both periods. These techniques were improved in this period, enabling many coins to be manufactured.

1. 緒言

大陸から我が国に伝わった金属工芸は日本独自の発展をとげ江戸時代後期に成熟期を迎える.工芸技法を用いて制作されたのが貨幣で,これには政府の威信もあり,高度な金属工芸技法が用いられている.特に,金属貨幣に着目して制作技法を調べることで当時の金属工芸技法の一端を知ることができる.わが国における貨幣の自然科学的および社会科学的な視点からの研究はAshidaの研究1)にはじまるとされる.これを踏まえて,これまでに著者らは金属学的な視点からわが国の文化財資料である貨幣の和同開珎2),文政一朱金3),小判4)を取り上げ,その制作技法や色揚げなどの金属工芸の彩色技法について調べた結果を報告してきた.また,豊臣秀吉が制作したと伝えられる貨幣型恩賞品(永楽通宝や天正通宝)5)および小判や銀判6)の内部応力の測定により金属工芸の制作技法を推定し,得られた結果を踏まえて実験的にその技法を復元した結果を報告した.これらの検討から,文化財資料の研究は我が国の金属工芸の発展の推移の一部を垣間見ることができる.

ところで,わが国の金属工芸の源流は大陸,すなわち中国にある7,8)とされる.金属工芸技法の適用の観点から古代中国における初期の貨幣制作を金属工芸の視点から歴史的にみる.中国で最初に制作された貨幣に用いられた材料は金属ではなく天然物の宝貝である.その後,時を経て金属貨幣の生産が始まるのは春秋戦国時代中期ごろで,用いられた材料は青銅である.形状は布銭(鋤などの農具)や刀銭,圓銭,蟻鼻銭をはじめ,魚や楽器を模したものなどに始まり,やがて円形の方孔銭へと移り変わっていく8-10).紀元前206年に成立した漢王朝(中国では西漢,日本では前漢とよばれ,都は西安である)における貨幣の製造をみると,建国直後の王朝は内乱の平定と匈奴との戦いが続き,王朝として貨幣を発行したのは紀元前118年の五銖銭からである.それまでは前王朝である秦の半両銭を引き継ぐとともに,民間での鋳造を認めるなどの形を取らざるをえなかった8,9).建国当時は半両銭が通用していたが,これがやがて5銖銭に改鋳されていく.その後,西暦9年に漢の実権を握った王莽により新王朝をたて漢は一時途絶える.王莽は精力的に貨幣を発行するとともに貨幣制度を見直している8-10).その後,西暦25年に漢(中国では東漢,日本では後漢とよばれ,都は洛陽である)が再興され,再び五銖銭が製造され流通するようになる.ここで,新の時代の14年間をみると,王莽は名目貨幣(貨幣重量と貨幣価値が不一致)として多種多様の貨幣を発行(王莽銭ともよばれる)している8-10).そのはじめが漢時代の五銖銭を廃止し同額面の小銭直一の制作(西暦9年)であり,これを貨泉(西暦14年)に改鋳している.この間に王莽は国内すべての金を国有化する経済政策を実行している.王莽の政策は名目貨幣ゆえに私鋳,盗鋳が多発したり,貨幣制度そのものが複雑化したりするなどの経済的な弊害を招くことになる8-10).このような経済的社会的な背景を踏まえ,王莽が精力的に発行した新の時代の貨幣を取り上げることはこの時代の金属工芸における制作技法(以下,金属工芸技法と記載する)を知る上で興味深い.

そこで,本研究では新王朝において王莽が精力的に制作した貨幣のうち金象嵌が用いられたと伝えられる『一刀』とよばれる貨幣を研究対象の文化財資料として取り上げる.この『一刀』は小泉直一の5000枚分の価値があるとされる最も高額な貨幣として制作された.先にも述べたように貨幣はその国の高い金属工芸技法が使われたとされ,その技法を調べることは意義深い.これにより,王莽の時代の鋳造技術をはじめとする漢王朝の金属工芸技法の一端を明らかにすることができる.得られた結果をこれまでに報告したわが国における貨幣の制作技法と比較することで金属工芸技法の歴史的な流れを知ることができる.本研究の目的は新の時代に制作された『一刀』を中心に,その前後の時代の漢王朝が制作した貨幣を文化財資料としてとりあげ,系統的に調べることにより貨幣の制作技法の変遷の特徴を金属工芸技法の視点から概観し,王莽の時代の鋳造を中心とする金属工芸技法の一端を明らかにすることである.

2. 研究方法

2.1 本研究で用いた文化財資料

本研究で文化財資料として取り上げる『一刀』(桐野所蔵)の外観像ならびに各所のサイズをまとめてFig. 1に示す.現存する『一刀』の多くは,刀の柄の部分にこの貨幣が附属した形状で,小泉直一換算で5000枚に相当する高額貨幣として用いられた8-10).本研究で用いる文化財資料の『一刀』は真中に方形の穴を有する円形の貨幣である.この文化財資料は直径が28.5 mmの円形で,中心に内側の長さが7.6 mmの角穴である.また,この資料には縁が資料の外側と方向穴の周囲に形成されている.表面及び断面の模式図で示す各所のサイズを測定した.外周部部分の周囲は表が1.2 mm高さ,裏が0.9 mm高さの縁が,また,各穴部分の周囲には0.8 mm高さの縁がそれぞれ形成されている.縁以外の平坦な部分の厚さは約1.1 mmである.一方の面に「一刀」という黄色の文字が中心の角穴を挟んで書かれている.この文字は金象嵌という金属工芸技法により制作されたと伝えられている.資料の両面ともに錆が生じ,文字が書かれていない面の周辺部分に黄土色の土状の物質が付着している.このことから,この資料は出土品と考えられる.制作地は中国で,制作年代は「新」の王莽の時代(西暦7年)と伝えられている8-10)

Fig. 1

Images of studied cultural properties of “Ittou” ancient old coin (owned by F. Kirino).

さらに,漢王朝の初めである西漢から,一刀が制作された新を経て,その後の東漢(後漢)の初めまでの同一地域で制作された12種類で14個の文化財資料の組成や鋳造技術を調べ,一刀と比較した.用いた文化財資料(いずれも桐野所蔵)の外観像をFig. 2に示す.表面の状態から,いずれの文化財資料ともに出土銭である.西漢の時代の資料の中で,半両銭各種は秦の時代から継続して制作された銭貨であり,漢王朝が自ら製造したのは小五銖銭以降の貨幣である.また,複数の同一種の文化財資料は組成などのバラツキを検討するためである.この中で,提灯半両は制作年代が不明で,布泉は文献に制作の記載がなく出土した層序から年代を推定する考古学的手法により決定された年代を用いた.これらの文化財資料と比較すると,『一刀』の文字が異種の材料で制作されているようにみえるのが特徴の一つである.

Fig. 2

Images of studied cultural properties of ancient Kan's coins (owned by F. Kirino).

2.2 実験方法

本研究では,①文化財資料の外観像の観察(紫外光や赤外光,可視光を用いた光学調査),②文化財資料の内部構造の観察,③文化財資料に用いられた材料の元素ならびにその組成,④材料の結晶構造,の4点について調べた.これらの結果を総合して文化財資料の金属工芸技法を検討した.

(1) 外観像の観察:外観像の観察は可視光像,紫外線蛍光像ならびに赤外線像を撮影し,得られた像を解析した.紫外線蛍光像の撮影は,暗室内でおこなった.波長が365 nmおよび254 nmの光を文化財資料に照射し,380 nm以下の波長の光を遮断するフィルター(Hmc-UV wp (株)ケンコー・トキナー製)を介してデジタルカメラ(Cyber-shot DSC-R960,SONY(株)製)で撮影した.露光時間は30 sである.この場合,カメラに入射してくる光は可視光で,この波長領域に蛍光を発する物質の存在を知ることができる.また,赤外線像は赤外線領域に感度を有するCCDを用いたカメラ(Cyber-shot DSC-R960,night shot mode,SONY(株)製)を使用し,640 nmより短い波長の光を遮断するフィルター(R-64 (株)ケンコー・トキナー製)を介して撮影した.赤外光源にはタングステンランプを用いた.赤外線は侵入深度が深いので,文化財資料表面の腐食層や汚れなどを介して文化財資料自身の表面の状態を見てとれるとともに,定性的ではあるが表面の凹凸の状態を知ることができる.

各部位の詳細は画像処理機能付デジタル顕微鏡ならびに光学顕微鏡,走査型電子顕微鏡(SEM,S-2460N,(株)日立製作所製)および低加速電圧高分解能走査型電子顕微鏡(FE-SEM,S-8010,(株)日立ハイテクノロジーズ製)により観察した.

(2) 材料の組成分析:走査型電子顕微鏡(S-2460N,(株)日立製作所製)に附属するエネルギー分散型X線分析計(EMAX,(株)堀場製作所製)により,用いられた文化財資料の元素ならびに組成を分析した.分析対象は文化財資料の地金部分と腐食層,文字部(象嵌部分),付着物などである.

(3) 分光反射率の測定:画像色彩計(ICA-2000,浅枝設計事務所製)に付属する分光ユニットを用いて,400~700 nmの波長範囲の分光反射率を測定した.分光反射率の標準は硫酸バリウムを100%とした.

(4) 結晶構造の解析:X線回折法により文化財資料の結晶構造を調べ,用いられた材料を同定した.あわせて表面の腐食層を調べた.そのために,X線回折装置(RINT-ULTIMAIIIおよびRINT-RAPID,(株)リガク製)を用いた.低角入射X線回折では管球がCu,加速電圧が40 kVで,フィラメント電流は50 mA,X線の入射角は0.5°で一定とした.また,微小部X線回折では管球がCuあるいはCr,加速電圧が40 kVでフィラメント電流が30 mA,X線のビーム径が50 µmである.

(5) X線透過像およびX線CT画像の撮影:文化財資料の内部構造を調べるために,X線透過像ならびにX線CT画像を撮影した.X線透過像はWをターゲットとする管球(GE製)にイメージングプレート(GE製)を組み合わせて撮影した.撮影条件は管電圧が150 kV,管電流が3 mAで照射時間が10 sである.また,X線CT像の撮影には3DマイクロX線CT(CT Lab (株)リガク製)装置を使用した.撮影条件は管電圧が90 kV,管電流が100 µAである.

3. 実験結果および考察

3.1 『一刀』の制作技法

3.1.1 光学調査

文化財資料の光学調査として,紫外線蛍光像および赤外線像を撮影した.得られた結果をFig. 3に示す.まず,Fig. 3(A)で示す紫外線蛍光像は,365 nmと254 nmの2種類の波長の紫外線を文化財資料に照射したときの可視光領域の発光をみる.波長が365 nmでは文字面及び裏面ともに資料に付着している土状物質から弱い蛍光がみられる.また,波長が254 nmの場合は,土状物質からの弱い蛍光に加えて,文字面の方孔の周囲を中心に強い蛍光がみられる.この部分を拡大した可視光像(A-5)と対比させると,この蛍光を発光している部分は腐食によって生じたと考えられる析出物が発光している.しかし,この発光は文字面のみで,腐食が文字面より著しい裏面での発光は見られない.このことは生成している腐食生成物が異なっていることを示唆している.

Fig. 3

UV-fluorescence images and infrared images of “Ittou” ancient old coin.

次に,文化財資料の赤外線像をFig. 3(B)に示す.ここで,可視光を遮る物質が資料表面に層状に存在していると表面の状態を知ることは困難である.赤外線はこの層を透過するので,文化財資料の表面状態を観察することができる.Fig. 3(B-1)は『一刀』の文字面,同図(B-2)は文字面の背面の赤外線像である.文字面と背面を比較すると,文字面の方がその背面より表面が平坦であることがわかる.貨幣は鋳造により製造していることから,背面の凹凸はその形状から腐食により生成したものではなく,貨幣の制作時に生成したと考えられる.これは貨幣の制作当時の鋳型の制作技術や鋳造技術などの金属工芸技法の水準の一部を示している.この点はFig. 1で示した可視光像からは凹凸の形状は明確に読み取ることはできない.また,可視光像で見られた腐食層と考えられる緑色の生成物および背面の黄色の物質の一部は赤外線像では観察されない.このように,赤外線像の撮影により表面の凹凸などの状態も強調されるので,制作時の表面状態の推定や腐食状況などを知ることができる.

3.1.2 構成元素および組成

文化財資料の構成元素および組成を走査型電子顕微鏡に付属するエネルギー分散型X線分析計(SEM-EDS,EMAX (株)堀場製作所製)により調べた.場所を変えて5箇所をSEM-EDS法により測定し,得られた結果を平均した.Table 1は文字面の左右の金属部分の組成値である.これによると,この貨幣の主成分はCu,これに5~6 mass%のSnとPbを含む青銅である.微量元素としてAsおよびAgが検出される.これらの元素はCu鉱石に含まれる不純物と推定される.また,Si,Mg,Alは資料に付着している土壌の成分であり,この文化財資料が出土品であることを示している.また,SとClは金属の腐食生成物を形成していると推定される.ここで,Feは文化財資料の地金成分か,土壌成分に由来するかはこの結果からは断定できない.地金成分であるとすると,鋳型成分の混入か原料由来などの原因が考えられる.

Table 1

Composition of metal area on “Ittou” ancient coin.

3.1.3 X線回折像

文化財資料の結晶構造を低角入射X線回折法(入射角度:0.5°)により調べた.文化財資料の表裏の回折プロファイルをFig. 4に示す.Fig. 4(A)が文字面,同(B)が背面である.Fig. 4(A)で示す文字面は文字の『一刀』にかからない部分のプロファイルである.Table 1で示す元素情報をもとにFig. 4(A)で示すプロファイルのピークを同定した.それによると,Fig. 4(A)の文字面はCu5.6SnおよびCu6.26Sn5などのCu-Sn系の金属間化合物が検出され,この他にFe2O3およびCu2Oなどの酸化物が検出される.また,Fig. 4(B)の裏面はピーク強度が表面より強くなるとともに,ピーク強度比など配向性などに違いはみられるが,検出される金属間化合物や酸化物などに違いは見られない.Fig. 1で示すようにこの資料の厚さは1.1 mmであるが,ピーク強度やその比が変化するのは凝固の過程で厚さ方向に結晶成長していることを反映しているのかもしれない.そうであれば,冷却速度も結晶がある程度成長できる速度であることが考えられる.あるいは文字等を制作するときに熱処理した可能性などもある.

Fig. 4

X-ray diffraction patterns of “Ittou” ancient old coin.

3.1.4 X線透過像

文化財資料の内部構造を調べるためにX線透過像を撮影した.得られた像をFig. 5に示す.まず,図中に矢印で示した像コントラストが暗いのはX線がほかの部分より透過しやすいことを示している.この部分は鋳造時に生成した鬆(す)であると考えられる.矢印は代表位置で,この文化財資料のほぼ全面にわたり大小様々なサイズの鬆の生成がみられる.また,図中に○で囲った部分も弱いが像コントラストがみられる.これはFig. 3(B)で示す赤外線像と対比させると,文化財資料の表面に緩やかな凹凸が生成していることに対応している.これは厚さが不均一であることを示し,当時の鋳造技術が十分に発達していないことを示唆している.この点については,異なる時代であるが既報の日本の和同開珎(青銅銭)や貨幣型恩賞品である『永楽通宝』(銀製)における結果2,5)と同様で,鋳造技法が用いられた初期の特徴である.

Fig. 5

X-ray transmittance image of “Ittou” ancient old coin.

次に,『一刀』の中の文字部に着目する.まず,文字部の形状をみると,『刀』の字の曲線部分が滑らかに描かれていない.さらに,『一』の字の部分も直線あるいは曲線になっていない.これが制作当時の彫金の技術水準を示している.また,文字部分は像コントラストが最も明るいことから地金部分よりもX線が透過しにくい材料が用いられていることを示している.文字部分については,次節でさらに詳しく検討する.

3.2 文字部の制作技法

3.2.1 光学顕微鏡観察

文化財資料の「一刀」の文字部分を光学顕微鏡で観察し,その代表的な2か所の像をFig. 6に示す.Fig. 6で示すように文字部分の表面は全面に多くの傷がみられる.傷の下から地金は観察されないことから,この文字部は箔のような薄い材料を地金に貼ったのではなく,箔よりは厚い形状の材料が貼られているか嵌め込まれて(象嵌されている)ようにみえる.また,地金と文字部の境界を見ると,隙間なく密着している.文字部の表面にも土壌成分とみられる付着物が散在している.

Fig. 6

Optical microscope image of letter area on Ittou ancient old coin.

3.2.2 構成元素および組成

この資料の「一刀」の文字部分に用いられた材料をSEM-EDSにより調べた.得られた結果をTable 2に示す.文字の部分はAuとCuとの合金が主成分である.Auが80 mass%以上含む合金であるので,Fig. 5で示すX線透過像においてX線が透過しにくいこととも一致する.また,Si,Al,Mg,Kは先の光学顕微鏡観察で観察された土壌成分と考えられる.比較のために,土壌が付着した部分の分析例をTable 3に示す.これは埋蔵文化財であることを示している.この他のAsはCuの不純物,Clは環境中より侵入したCuの腐食生成物に起因すると推定される.

Table 2

Composition letter area on “Ittou” ancient coin.

Table 3 Composition of brown sand on “Ittou” ancient coin.

3.2.3 X線回折像

文化財資料の文字部のX線回折像を測定し,得られた結果をFig. 7に示す.この図は,文字の部分を中心にその周囲および厚さ方向(X線の侵入深さ)も含む領域の回折像である.Fig. 5で示したCu-Sn系の金属間化合物ならびに金属酸化物を除くと,Au-Cu系の金属間化合物の単独の回折ピークが得られる.AuとCuは平衡状態図的には規則格子変態(固相変態)を有する全率固溶型11)に属する.合金の冷却時あるいは制作時に何らかの熱処理がなされた可能性がある.

Fig. 7

X-ray diffraction patterns of the letter area on “Ittou” ancient old coin.

3.2.4 文字部の分光反射率

文化財資料の文字部分の分光反射率を測定した.得られた結果をFig. 8に示す.比較のために,ここでは純Auおよび純Cuの分光反射率をあわせて示す.比較資料の純Cuは590 nmに,そして,純Auは520 nmに吸収端がそれぞれ観測される.この他に,純Cuは弱いが酸化物に起因する吸収端も観測される.これに対して,文化財資料の文字部の分光反射率は540 nm付近に吸収端が観測され,純Cuと純Auの間である.Au-Cu系は合金平衡状態図的には規則格子変態を有する全率固溶型11)に属するので,AuとCuは任意の濃度で均一に混合している.上述のX線回折プロファイルからAuとCuは金属間化合物を形成しており,その化合物の分光反射率は不明である.ここでは,AuとCuの混合と考え,Table 2で示すAuとCuの濃度比(4:1)を考慮すると,Au-Cu系分光反射率は純Cuのスペクトルと純Auのスペクトルとの濃度比に対応した加算で求めることができる.それによると,吸収端は540 nm付近となり文化財資料の測定値と一致する.

Fig. 8

UV visible reflective spectrum for the letter area on “Ittou” ancient old coin.

3.2.5 文字部のAu合金像の厚さの推定

(1) SEM-EDS法:SEM-EDSにおいて,加速電圧を増加させて測定していくと電子線の侵入深さが増し,Au合金の厚さ方向の情報が得られる.得られた結果をFig. 9に示す.この図から,加速電圧が高くなるとともに,Au濃度が僅かに増大する.これは加速電圧が高くなるとともに,電子線の侵入深度が増し表面に存在する土壌成分などの影響が小さくなったことに起因すると考えられる.そして,加速電圧が22 kV以上ではAu濃度はほぼ一定になる.今回のSEM-EDS測定で用いた最大加速電圧は25 kVで,このAu合金の電子線の侵入深さをモンテカルロ法による計算機シミュレーションで推定すると約0.5 µmである.この深さ以上には電子線は侵入できない.この結果から,文字部を形成するAu-Cu層は少なくとも0.5 µm以上となるが,Fig. 5で示すX線透過像の像コントラストやFig. 6で示す光学顕微鏡観察結果と比較すると,この厚さとは一致しない.これよりAu合金層が厚いと,この手法での厚さ測定の限界となる.そこで,X線CT像撮影によりさらに詳細に内部構造等を調べた.

Fig. 9

Relationship between accretion voltage and composition.

(2) X線CT像撮影:文字部のAu合金の厚さや加工状態などの文化財資料内部の構造を調べるために,X線CT像を撮影し,得られた像を解析した結果をFig. 10に示す.Fig. 10(A)は文化財資料に文字面に垂直方向の像で,撮影した装置や条件は異なるがFig. 5と同じ像である.この資料をFig. 10(A)で示す『一』および『刀』の文字に垂直方向に切る面と『一』の文字に平行方向に切る面の2つの方向から断面構造を調べた.まず,Fig. 10(B)で示すように,文字部は板厚ぎりぎりの深さ(約1 mm程度)まで,矩形に加工されていることがわかる.上述のSEM-EDS手法により得られた結果より著しく厚くなっており,この結果と矛盾しない.この貨幣は鋳造で溝を制作するのではなく彫金の技法により1枚ごとに手作りで制作されたと考えられる.さらに,Fig. 10(C)で示すように,『一』の文字と平行方向に切った面をみるとやはり矩形に加工されている.この形状はFig. 10(B)と同様である.このように,X線CT像により加工の状態をみると,矩形でかつ板厚(1.1 mm)ぎりぎりまで加工されており,高い金属工芸技法が用いられていることを示している.このような彫金技法による加工の具体的な手法については不明であり,この点を明らかにするために今後の発掘調査などの進展が望まれる.

Fig. 10

X-ray CT images of “Ittou” ancient old coin.

3.3 制作技法の時代的比較

『一刀』の制作年代に隣接する年代{新より前の西漢(前漢)と後の東漢(後漢)と同じ王朝の流れを有する}に制作された主な青銅貨と本報告の新時代に制作された文化財資料の組成および内部構造を比較する.用いた文化財資料は,Fig. 2で示すように一刀を中心にその前後の年に首長は異なるが同じ土地で制作された貨幣である.このうち制作された時代は,Fig. 2の(A)~(E)が西漢,(F)~(K)が新,そして,(L)が東漢である.内部構造はX線透過像から,内部に鋳造鬆等の存在を調べることにより制作当時の鋳造技術をみていく.これにより,西漢から新を経て東漢に至り制作された貨幣を通して制作当時の製造技術の一端を調べることができる.本来,このような検討には多数の資料を用いて組成などの平均値を求めるべきである.しかし,これらが文化財資料であることから複数の資料を調べることが困難であるため,今回は単数の資料の調査にとどめ,このような手法による検討の意義を探ることとした.

3.3.1 組成による比較

一刀の制作年代と前後する年代および同一地域で制作された青銅貨の組成と比較する.上述のように,ここでは比較する資料が文化財資料であり,用いることができる資料数に限りがあるので,着眼点を提案するとともに,変化の傾向をみるのにとどめる.Fig. 2で示す研究に用いた文化財資料はすべて出土銭である.資料の組成を求めるのにあたり,Feについて5%以下のFeを含む貨幣は土壌(主に黄土)起因か,貨幣の構成成分に起因するかは区別できないので,分析値をそのまま示す.そこで,Feを除いて土壌に起因する元素(Si,Mg,Ca,Pなど)や保存環境に起因する元素(ClとS)は除外し,Cu,Sn,Pb,Feを中心に文化財資料の組成を求めた.得られた結果を制作年代とともにTable 4に示す.まず,Pb濃度に注目すると,多くの文化財資料は概ね数パーセントから十数パーセントの範囲である.Pbは溶湯の流れを制御するなどの作用があるので鋳造においては青銅に添加されることが多い12,13).また,現代の金属材料の視点からみてもPb青銅として用いられているが,このときのPbは5~20 mass%程度含むとされる14).今回調べた文化財資料の多くはこの範囲にある.資料の中で,西漢5銖銭の一つはPbが約73 mass%であり,この他に,30 mass%を超える文化財資料が2つある.このPb濃度が高い資料は,Cu-Pb系の溶湯を型に流し込むと表面にCuとは非固溶のPbが析出したためか,あるいは,貨幣の質を落としてPb銭として作られたことなどが考えられる.また,このPb濃度が高い資料からSnが検出されないのは,Snを含んでいないか,あるいは表面のPbによりX線が遮蔽されて検出できないのかもしれない.

Table 4

Composition of metal ancient coins.

Snに着目すると,Snを含まない資料から,数mass%から十数mass%含む資料までさまざまで,Sn濃度の分布範囲は広い.西漢時代に製造された8銖半両は30 mass%を超えるSnを含む.これらの資料はSn濃度が高いか,あるいは溶湯の凝固時にSnの逆偏析により表面に高濃度のSn層が生成した可能性が考えられる.既報2)の出土資料の和同開珎における組成分析において,土中での腐食によりSnが優先的に溶出し地金のSn濃度より低下していることと同様のことが考えられる.

次に,Feについて検討する.上述のように,Feが検出されるのは,①文化財資料起因,②資料に付着している黄土の2つの起源が考えられる.Fe濃度は1 mass%未満から20 mass%程度まで広く分布している.用いた文化財資料はすべて埋蔵文化財であるが,②の土壌起因とするとFe濃度の変動は少ないと考えられる.ここで,制作年代とFe濃度との関係についてみると,西漢(あるいは前漢)の時代の文化財資料は1 mass%未満から20 mass%程度まで大きな変動がみられる.これに対して,王莽の新の時代に制作された文化財資料のFe濃度は1.1~6.1 mass%程度で変化が西漢の時代に比べると少ない.さらに,東漢になると資料数は少ないがFe濃度は低くなる.Feの組成をみる範囲では1 mass%未満の値もみられることから土壌起因のFeは僅かで,文化財資料起因が大半であるのかもしれない.これはCuの原料である銅鉱石に由来すると考えられ,これは制作当時の銅の精錬技術水準を示している.この観点から組成をみると,新から東漢の時代には製錬技術が向上してくるが,不純物として1 mass%程度のFeが含まれる.

最後に,文化財資料の主成分組成の時代的な変遷について概観し,一刀の組成上の位置付けを検討する.西漢の時代の文化財資料のうち半両銭をみると種類や同一資料内でも組成の変動が大きく,かつ,一定の傾向はみられない.特に,西漢の建国当初の貨幣は地域の平定に努めた結果,西漢の前の時代である秦からの引き継ぎで製造したと伝えられ,西漢の技術は使われていないと考えられている.ここで,銖はCu濃度に比例した単位である15).その後の西漢が発行した五銖はPbの変動が大きいが,その後に発行された小五銖の組成は比較的揃っている.しかし,五銖と小五銖の組成は異なる.王莽の新の時代に制作された文化財資料の組成は,Cuが80~90 mass%,Snが5~7 mass%程度,Pbが貨布を除いて4~8 mass%程度と変化が少ない.西漢の時代の資料と比べると,ややCu濃度が高い傾向にある.この中で,一刀はSnとPbの濃度が高い方に分類される.Pbは新の時代の後半に向けて高くなる傾向がみられ,Cu不足を反映しているのかもしれない.また,Feは1~6 mass%程度と西漢の時代に比べて濃度は低く,その範囲も狭い傾向がみられる.この他に,一刀からは微量元素としてAgとAsが1 mass%程度検出される.他の資料をみると西漢時代の四銖半両から微量のAgが検出されただけである.これらの元素は銅鉱石の不純物と考えられ,製錬技術が十分に発達していないことを示している.最後に,東漢において制作された資料は2つであり,西漢や新の時代のような組成的な特徴は議論できないが,CuやSnの濃度は西漢の六銖半両銭や提灯半両銭に近い.また,PbやFeの濃度はこれらに近く,Pb濃度が高くFe濃度は低い.

3.3.2 内部構造の比較

本研究で用いた文化財資料は鋳造により制作されていることが知られている.その場合,鋳型からの転写性と鋳造鬆の生成が金属工芸技法的な視点となる.転写性については資料が埋蔵文化財であることから腐食による劣化と区別が困難であるので,本報告では鋳造鬆の生成に着目することとした.そのために,X線透過像を撮影し,その内部構造を調べた結果をFig. 11に示す.Fig. 11で示す像は,(A)~(D)が西漢時代に制作された資料,(E)~(H)が新,そして,(G)が東漢時代である.まず,西漢時代に制作された資料についてみていく.Fig. 11(A)で示す5銖半両銭には全面に多くの鋳造鬆が観察される.同(B)の4銖半両銭のうち右側の文化財資料の上部に亀裂がみられ,下部には鋳造鬆が存在している.左側の資料では亀裂も鬆もみられない.さらに,同(C)の小5銖は小型の貨幣ではあるが,3枚ともに鬆が生成している.同(D)の6銖は左側の文字の部分に鬆が生成していることがわかる.以上の検討から,西漢時代の資料の大半に鋳造鬆が生じている.新の時代および東漢の資料をみると,いずれの資料ともに鋳造鬆が生成している.

Fig. 11

X-ray transmittance images of ancient Kan's coins. (150 kV, 3 mA, 10 s)

青銅成分以外の構成元素のうち鋳造において融点の低下により溶湯の流れを制御し転写性などに関係することが知られているPbとSnに着目する.Pbは含有濃度により,①10%を超す濃度である資料,②数%から10 mass%未満の資料,そして,③1 mass%以下の資料の3つのグループに大別される.現代の鉛青銅では5~20 mass%のPbを含有している14).西漢5銖の1つと新の貨銭の1つが該当しないが,概ねこの範囲に入っている.詳細にみていくと,6銖および8銖半両銭ならびに提灯半両は①に,4銖半両および5銖は②に,そして,小5銖は③に分類される.新の時代は貨泉の2枚と貨布が①に属し,その他の資料は②に属する.東漢の資料は少ないがいずれも①に属する.③のPb濃度における溶湯の流れに及ぼす影響の詳細については不明であるが,Pb濃度に依存せず鋳造鬆が生成していることがわかる.Snについては,西漢の8銖を除くと,検出限界以下の文化財資料から10 mass%程度の資料まで分布している.この濃度範囲では溶湯の流れは2 mass%付近が極小になることが知られている16).この点を考慮しても溶湯の流れに影響がみられることは少ないと推定され,鬆の生成に資料の組成の関与は考え難い.

以上のことから,PbやSn濃度に依存して溶湯の流れの影響による鋳造鬆の生成は特に考えにくいと言える.さらに,文化財資料の組成および内部構造の両面からの検討によると,西漢が制作した文化財資料から新の時代以降の時代では貨幣の製造技術が安定する傾向が見られる.このことから,今後,さらに多くの文化財資料について同様の観点から検討していき,より詳細な流れを調べていくことが可能である.

4. まとめ

中国,新の時代に制作されたと伝えられる貨幣である『一刀』を文化財資料として取り上げ,材料学的視点から金属工芸技法を調べ,以下の結果を得た.

(1) 赤外線像から資料表面には鋳造時に生成したとみられる凹凸が存在する.X線透過像から資料中に鋳造鬆がみられる.制作当時の鋳造技術の一端を示している.

(2) 資料の組成はCu,Sn,Pbを主成分とし,X線回折からCu-Sn系金属間化合物が検出される青銅である.表面には黄土が付着しており,また,SEM-EDS分析からSi,Al,Feが検出され,出土品であることを示している.

(3) 『一刀』の文字は10 mass%Cu-Au合金でつくられており,表面には多くの傷がみられる.X線CT像から,この文字は資料の板厚ぎりぎりまで彫金技法を用いて加工した後に,この合金を嵌め込む象嵌の技法が用いられている.

(4) 『一刀』が制作された時代より前の西漢および新,そして東漢の文化財資料の組成をCu,Sn,Pb,Feを中心に調べたところ,西漢が制作した資料より新以降の資料の組成が安定する傾向がみられる.また,時代が下るにつれてFeの含有量が低下し,製(精)錬技術が向上する傾向が見られた.しかし,資料中には制作年代にかかわらず鋳造鬆がみられ,それは資料のSnやPbの組成に依存していない.

本研究を進めるのにあたり,X線透過像撮影にご協力いただいた東京藝術大学木島隆康教授に感謝いたします.また,(株)リガクの澤野成民氏ならびに山田鮎太氏には文化財資料のX線CT像を撮影していただいた.ここに記して深謝する.

文献
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  • 4)  F. Kirino, I. Iino, S. Tabuchi and M. Kitada: Bul. the Faculty Fine Arts, Tokyo Univ. the Arts 53(2015) pp. 5-22.
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  • 14)  The Japan Institute of Metals and Materials: Chuuzougyouko (in Japanese), (Maruzen, Tokyo, 1999) p. 253.
  • 15)  K. Koizumi: Rekishi-nonakano-tani, (Sougoukagakushuppan, Tokyo, 1974) p. 254.
  • 16)  The Japan Institute of Metals and Materials: Chuuzougyouko (in Japanese), (Maruzen, Tokyo, 1999) pp. 247-252.
 
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