日本金属学会誌
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論文
Gaイオン照射したSUS304鋼の構造相変態
鶴田 華子清水 一行村上 武鎌田 康寛渡邉 英雄
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2021 年 85 巻 6 号 p. 239-246

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Abstract

The plan-view and cross-sectional microstructures of SUS304 steel irradiated by gallium focused-ion beam were investigated using electron backscatter diffraction and energy dispersive X-ray spectroscopy. Structural phase transformation and gallium implantation were confirmed in the region of irradiated austenite grains. The amount of bcc phase and gallium concentration increased with increasing irradiation dose, which suggests that gallium implantation plays an important role as a ferrite stabilizer and also the source of stress effect. Crystallographic orientation relationships between bcc phase and austenite matrix were analyzed by considering the angular deviation between closed-packed planes and closed-packed directions. Differences in transformation behaviors between (001) and (111) austenite grains were discussed from the view-points of fcc-bcc interface structures.

1. 緒言

集束イオンビーム(Focused Ion Beam: FIB)装置は,ガリウム(Ga)などの高エネルギーイオンを細いビーム状に絞り,材料に照射して走査することで,様々な材料をナノスケールで加工できる装置である.特定の局所領域から小片をサンプリングできるため,透過電子顕微鏡や3次元アトムプローブで特定箇所の組織観察を行う際,試料作製で欠かせない装置となっている1,2.しかし,加工時の照射影響で意図しない組織変化が生じて問題になる場合がある.例えば,シリコンを30 kVのGaビームで加工すると,表層20-30 nmの領域で非晶質化が生じる3.また,エネルギー差の小さい安定相と準安定相を持つ材料では,照射による相変態が生じる可能性がある.これらの組織変化のメカニズムの理解は,適切な試料作製や組織観察結果の正しい解釈につながるため重要である.

本研究で対象とするオーステナイト系ステンレス鋼(Austenitic Stainless Steel: ASS)は耐食性に優れた材料で,様々な機器構造物で広く使われている4.その性質を調べる上で,結晶粒界や析出物などの局所領域の組織観察が不可欠である.代表的なASSであるSUS304鋼について考えると,そのオーステナイト(fcc)相は室温で準安定状態であるため,FIB加工の際に安定相に変態する可能性があり注意が必要である.実際,幾つかのグループがGa照射によるbcc相への変態を報告している5-8

Kniplingらは,304鋼を含む3種類のステンレス鋼のGa照射による組織変化を比較し,それらの変態挙動をオーステナイト相の安定度の違いから説明している.さらに,同一合金では最密面の(111)fccに照射した場合,変態量が多いことを報告している5.一方,Basaらはスーパー二相ステンレス鋼のオーステナイト相では,(111)fccより(001)fccの照射で変態量が多いと報告している6.この現象について,(001)fccではイオンが深くまで注入されGa濃度が上がること,Gaが化学的にbcc相を安定化することの2点から説明している.これらの2つの報告はいずれも照射領域の上面の組織観察に基づく考察である.BabuらはGa照射した316L鋼の断面観察を行い,Gaの化学的効果だけでなく応力効果の可能性も指摘している7

以上が先行研究の主な内容になるが,報告数が限られている上,照射面による変態挙動の違いについて異なる見解が見られる.また母相と変態相の結晶方位関係に関しては,いずれもマルテンサイト変態で一般的に見られる方位関係が生じると言及されているが,方位解析の詳しい報告はない.断面観察に関してはオーステナイト安定度の高い316L鋼を使った高照射量の研究報告しかない.それらを念頭に置き,本研究では一般的なASSのSUS304鋼を対象として取り上げ,(001)fccと(111)fccの2つの結晶面にGaイオンを垂直に照射し,照射領域の上面の組織観察と組成分析を実施して変態挙動を調べた.その結果をもとに,母相と変態相の結晶方位関係を詳しく解析したので報告する.さらに断面の組成分析の結果と合わせて,照射面による変態挙動の違いも考慮した相変態のメカニズムについて考察したので報告する.

2. 実験方法

2.1 試料作製

本研究では試料としてSUS304鋼(㈱ニラコ製)を用いた.Table 1に組成を示す.板材からワイヤ放電加工機を用いて5 × 5 × 2 mm3の試料を切り出し,真空電気炉で標準的な溶体化処理(1050℃で1 h保持後,水急冷)を行った.磁化測定を行ったところ,強磁性のbcc相を0.03%含むことを確認した.照射で生じるbcc相との区別を容易にするため,初期組織をfcc単相に近づけることを目的として追加熱処理(900℃で1 h保持後,水急冷)をしたところ,bcc相は0.01%未満にできた.その試料を機械研磨して鏡面を得た後に,酢酸と過塩素酸の混合液(9 : 1)を用いて電解研磨を行い,表面加工層を除去して照射用の試料とした.

Table 1 Chemical compositions (mass%) of the specimens used in this study.

2.2 Gaイオン照射

Gaイオンの照射には,FIB装置(㈱日立ハイテク製,MI-4050)を用いた.加速電圧を30 kVとし,20 × 20 µm2の領域の800 × 800点にビームを照射し掃引した.照射条件をTable 2にまとめた.ビーム電流値と照射時間を組み合わせ,照射量を0.8~8.0 × 1016 ions/cm2の7条件で設定した.1掃引あたりのビーム滞留時間(dwell time)は1 µs,照射に用いたビームのアパーチャ径はNo. 1-4では36 nm,No. 5-7では80 nmとした.本研究では変態挙動の結晶方位依存性を調べるため,(001)fccと(111)fccの結晶面に対して垂直方向から照射した.各結晶面で7箇所ずつ照射したが,その際,互いの照射の影響を防ぐため約20 µmの間隔で照射領域を離した.

Table 2 Irradiation conditions used in this study.

侵入したGaの深さ方向分布をモンテカルロ法に基づくSRIM(Stopping and Range of Ions in Matter)コード9を用いて推定した.この計算は結晶方位による違いを区別できないが平均的な分布を知ることができるため,照射効果の検討の際に有用である.加速電圧30 kVのGaイオンをFe-18Cr-8Ni合金に照射した場合のSRIM計算の結果をFig. 1に示す.Gaの深さ分布は10 nm付近にピークを持ち,30 nm程度まで広がる結果が得られた.

Fig. 1

Ga distribution profile calculated by SRIM code.

2.3 表面組織観察と組成分析

表面組織観察として,電界放出型走査型電子顕微鏡(Field Emission Scanning Electron Microscope: FE-SEM,日本電子㈱製 JSM7001F)による観察と電子線後方散乱回折(Electron Back Scattered Diffraction Pattern: EBSD)法による結晶構造解析を実施した.後者はFE-SEMに装着したEBSD検出器(Oxford Instruments社製 Nordlys Nano)を用いて測定し,解析にはAztecおよびHKL Channel5(ともにOxford Instruments社製)を用いた.EBSD測定では,試料を70°傾斜させ,加速電圧を15 kV,ステップサイズを1 µmとして観察を行った.さらに,FE-SEMに装着したエネルギー分散型X線分析(Energy Dispersive X-ray Spectrometry: EDS)装置(Oxford Instruments社製 INCA x-act)を用いて組成分析を行った.FE-SEMの加速電圧を15 kVとし,各照射領域内で3か所ずつ点分析して平均し,Ga濃度を求めた.本研究での分析領域の深さ方向の広がりを,モンテカルロソフト(CASINO)を用いて計算したところ,0.7 µm程度と見積もられた10

2.4 断面観察試料の作製と組成分析

断面観察試料は前述のFIB装置を用いてマイクロサンプリング法で作製した.加工時の高強度イオンビームによる損傷を防ぐため,通常,加工前に白金(Pt)などの保護膜で観察箇所を覆う.Pt保護膜を作製する場合,試料表面にC9H16Ptガスを付着させ,局所的にGa照射して不揮発性のPtのみを堆積させる.弱いビームであるがこの工程でも照射を行うため,表層が損傷を受ける可能性がある.さらにPt膜内にGaが取り込まれるため,試料の表層付近のGa分布を詳しく調べる際には解析の妨げとなる.これらを回避するため,本研究では,20 × 20 µm2の領域をGa照射した後,オスミウム(Os)コーター(Filgen社製 OPC40)を用いて,試料全面を厚さ約100 nmのOs膜で覆った.その後に照射・未照射領域を半分ずつ含む領域(10 × 3 µm2)を選びPt膜で覆った.その部分から深さ方向が10 µmの大きさの小片を切り出してMo製グリッドに固定した後,観察部の厚さを3 µmから約140 nmまで薄くした.サンプリングの工程では最大で27 nAの電流値のビームを使った.

以上の方法で作製した試料に対し,球面収差補正機能付き走査型透過電子顕微鏡(Cs-corrected Scanning Transmission Electron Microscope: Cs-STEM,日本電子㈱製 JEM-ARM200F)とそれに備え付けたEDSを用いて,Gaマッピングと線分析を行った.STEM-EDS測定では,加速電圧を200 kV,線分析のステップサイズを約5-14 nmとした.さらに前述のSEM-EBSD装置内に試料を検出器と逆の方向に20°傾斜させて設置し,加速電圧を30 kV,ステップサイズを50 nmとして透過型のEBSD法11で組織評価を実施した.

3. 実験結果

3.1 照射領域表面の組織観察

照射面の上面からSEM-EBSD観察した結果を示す.Fig. 2(a)とFig. 2(b)は,それぞれ(001)fccと(111)fccの結晶粒を含む領域の観察結果で,SEM像,相マップ,Z方向およびX方向から見たときの逆極点図(Inverse Pole Figure: IPF)を示している.ここでZ方向は試料表面に垂直方向(Gaイオンの入射方向)である.SEM像内に示した1-7の数字はTable 2の照射条件のそれと対応している.以下では,隣接粒の照射部と,表面傷の部分(Fig. 2(b) 相マップの黒色部)を除外し,(001)fccと(111)fcc粒の照射部のみ解析を行った.

Fig. 2

SEM and EBSD observation on irradiated SUS304 steels including (001)fcc and (111)fcc grains. The number in SEM images corresponds to that of irradiation condition in Table 2.

Fig. 2の相マップより,いずれの照射面でも最小照射量(0.8 × 1016 ions/cm2)ではfcc相のままであることがわかる.照射量が増えるとbcc相が形成してその面積が増え,最大照射量(8.0 × 1016 ions/cm2)では全域がbcc相になっている.IPFマップより,いずれの照射面でも母相と変態相の間に一定の結晶方位関係があることがわかる.例えばZ方向では(001)fcc照射面には(001)bccが,(111)fcc照射面には(101)bccがほぼ平行となっている.結晶方位関係の詳しい解析は後ほど報告する.

相マップから照射面積に対するbcc相の面積比を求めて変態量と考え,照射量との関係をFig. 3にまとめた.変態量は照射量の増加とともに増え,3.3 × 1016 ions/cm2の照射量でほぼすべての領域がbcc相に変態している.2つの照射面の結果を比較すると,同一照射量での変態量は,実験結果のばらつきを考慮すると同程度と考えられる.

Fig. 3

Dose dependence of the amount of bcc phase in irradiated SUS304 steels.

3.2 照射領域表面の組成分析

Fig. 4にSEM-EDS分析より求めた照射領域のGa濃度(深さ方向の平均値)と照射量の関係を示す.いずれの照射面でも,照射量の増加とともにGa濃度が増加している.2つの照射面の結果を比較すると,同一照射量でのGa濃度は(111)fcc照射の方が低い.このGa濃度の傾向はBasaらの二相ステンレス鋼の照射実験の報告6と一致する.(001)fccではチャネリング効果12によりGaが深くまで侵入するが,最密面の(111)fccでは浅く表面付近にGaが偏在する.Gaイオンの照射は,Gaの注入と同時に表面付近の原子の弾き出しを起こす.(111)fccでは偏在したGaが弾き出されて残存Gaが減少し,Ga濃度が低くなった可能性が考えられる.一方,変態量については(111)fccは低Ga濃度であるにも関わらず(001)fccと同等であった(Fig. 3).この現象は,変態量がGa濃度の多寡だけで説明できないことを示唆している.

Fig. 4

Dose dependence of Ga concentration in irradiated SUS304 steels.

3.3 照射領域断面の組成分析

Fig. 2で観察した試料とは別に作製した,照射量が8.0 × 1016 ions/cm2の(001)fcc照射試料の断面観察の結果を示す.Fig. 5(a)はSTEMの明視野像で,Fig. 5(b)はSTEM-EDS分析によるGa濃度マップである.Fig. 5(a)の上部はPtとOsの保護膜,下部はSUS304鋼である.後者にはコントラストの異なる2つの領域(上から領域1と2)が見られる.領域1の幅は約150 nmで,照射領域のOs膜直下に沿って帯状に広がっていた.Fig. 5(b)よりGaはPt保護膜内に均一に分布しており,SUS304鋼内では表面付近に局在していることがわかる.

Fig. 5

STEM-EDS observation of cross-section in the surface region of irradiated (001)fcc. (a) Bright-field image and (b) element map of Ga-L.

Fig. 6に断面試料の透過EBSD法による広域観察の結果を示す.参考のため,切り出し前の上面のEBSD観察結果を右側につけた.Fig. 6(a)-Fig. 6(e)は,それぞれバンドコントラストマップ,相マップ,IPF-Z,IPF-X,IPF-Yマップである.断面試料のマップの中央点線から左右の領域は,照射および未照射領域の直下の組織を示している.Fig. 6(a)左上の矢印の箇所に帯状組織(Fig. 5(a)の領域1に対応)が見られ,照射領域のOs膜直下に広がっている.一方,未照射領域のOs膜直下には見られない.Fig. 6(b)左の相マップより帯状組織はbcc相であることがわかる.また,Fig. 6(c)-Fig. 6(e)の左右のIPFマップを比較すると,帯状組織の結晶方位は切り出し前の上面のEBSD観察で得た方位と一致している.従って,この帯状組織が上側からの照射で生じた変態相と推察される.他方,予想外の結果であったが,帯状組織の下方や未照射領域のほとんどがbcc相と同定された(Fig. 6(b)左).それらは帯状組織と同じ方位の粒と異なる方位の粒が混在していることが確認できる(Fig. 6(c)-Fig. 6(e)左).

Fig. 6

Transmission EBSD observation of the cross-section and standard EBSD observation of the surface side in irradiated and non-irradiated (001)fcc regions. (a) Band contrast, (b) phase map, (c)-(e) IPF-Z, X, Y maps.

これらの組織は以下のように生じたと考えられる.まず上面のGa照射で,20 × 20 µm2の照射領域直下の約150 nmまでの領域がbcc相に変態し,その後の断面観察用の試料の切り出し時に,高強度ビーム加工の影響で他の領域が変態した可能性がある.これは今回用いた試料のオーステナイト安定度が低く,非常に変態しやすいことに関係すると考えられる.そのことを踏まえて加工時のGaイオンビーム電流値の調整や低加速Arイオンミリングとの併用などを行ったが解決できなかった.この点は今後の課題であるが,ここでは帯状組織が上面の照射時の変態相に対応し,後ほど触れるが組成分析結果に与える加工の影響は少ないと考えて検討を進めた.

次にFig. 5(b)のSTEM-EDS観察の結果を踏まえて深さ方向の線分析を行った.Fig. 7(a)は主要5元素の広域の濃度分布で,Fig. 7(b)は表面近傍の詳しいGa分布である.ここではOs濃度が50 mass%の位置をSUS304鋼の表面と考えて整理した.Ga濃度は深さ9 nmで最大14.8 mass%となり,80 nm付近では1 mass%まで減少し,130 nm以上では約0.6 mass%で一定となった.検出誤差を考慮すると,深い領域でGaはほとんど存在しないと言え,断面観察試料の作製時のGa注入の影響は小さいと考えられる.

Fig. 7

STEM-EDS profiles of cross section in the surface region of irradiated SUS304. (a) Distribution of five elements and (b) Ga.

本研究で確認したGa濃度のピーク位置は,SRIM計算の結果(Fig. 1)および30 kVで照射した316L鋼の報告7と概ね一致している.一方,変態相の幅(約150 nm)は316L鋼で報告されている幅(30-120 nm)より厚く,オーステナイト安定度の違いに起因すると考えられる.

4. 考察

これまでの結果をもとに,母相と変態相の結晶方位関係,バリアントの形成,Ga照射による相変態のメカニズムについて順に考察する.

4.1 母相と変態相の結晶方位関係

これまでのGa照射したステンレス鋼の研究では母相と変態相の方位関係として,Kurdjumov-Sachs(K-S)の関係5,8,K-SもしくはNishiyama-Wassermann(N-W)の関係6,7が生じたことが報告されているが,解析の詳細は示されていない.ここではFig. 2のEBSD観察で得たオイラー角を用いて,最密面と最密方向の角度差(Δθ)に着目した詳しい解析結果を報告する.

Table 3にfcc-bccのマルテンサイト変態の代表的な母相-変態相の結晶方位関係をまとめた13.これらの関係は,それぞれの結晶格子の最密面(Close-Packed Plane: CPP)と最密方向(Close-Packed Direction: CPD)の角度差で整理できる.Fig. 8にfccとbcc格子のCPPとCPDの模式図と幾何的関係を示す.Fig. 8(a)はbccおよびfcc格子の最密面と最密方向の模式図で,以下では2つの結晶格子の最密面と最密方向の角度差(ΔθCPPΔθCPD)に注目する.Fig. 8(b)とFig. 8(c)は最密面が平行(ΔθCPP = 0)の場合の例で,Fig. 8(b)がK-S,Fig. 8(c)がN-Wの関係の模式図である.Fig. 8(b)は<110>fcc//<111>bccの関係で最密方向が平行(ΔθCPD = 0)であるのに対し,Fig. 8(c)は<211>fcc//<110>bccで最密方向が5.3°ずれている(ΔθCPD = 5.3).Fig. 9Table 3に示した各方位関係のΔθCPPΔθCPDをまとめた.このΔθCPP-ΔθCPDプロットを用いることで変態前後の代表的な結晶方位関係が表現できる14

Table 3 Typical orientation relationships (ORs) of martensite (fcc-bcc) transformation.
Fig. 8

Schematic illustrations of close-packed plane (CPP) and close-packed direction (CPD). (a) fcc and bcc lattices, (b) K-S and (c) N-W relationships.

Fig. 9

ΔθCPP-ΔθCPD map of various orientation relationships.

ここでの解析では,照射量が8.0 × 1016 ions/cm2の(001)fccと(111)fcc照射の領域(Fig. 2のNo. 7)のデータを用いた.fcc相の方位は照射領域周辺の同一粒のオイラー角の平均値を用いた.それとbcc相の各測定点のオイラー角を比較して角度差ΔθCPPΔθCPDを算出して,頻度の最大値を1に規格化した.Fig. 10(a),Fig. 10(b)にそれぞれ(001)fcc照射と(111)fcc照射の解析結果を示す.(001)fcc照射ではN-Wの関係の近傍に分布しているのに対し,(111)fcc照射ではN-WからK-Sの関係の間に広がっている.このように角度差(ΔθCPPΔθCPD)を用いた解析により,単一の方位関係でなく分布を持ち,その分布が照射面により異なることがわかった.2つの照射面で方位関係の分布に違いが生じる原因は明らかではないが,4.3節で触れる剪断変形に関わる{111}fcc面の照射方向に対する角度の違いが関係している可能性がある.

Fig. 10

Distribution of orientation relationships in ΔθCPP-ΔθCPD map. (a) (001)fcc and (b) (111)fcc grains. Irradiation dose is 8.0 × 1016 ions/cm2.

4.2 バリアントの解析

Fig. 2に示したEBSD観察で,照射量6.6 × 1016 ions/cm2の領域の方位情報を使い,bcc相のバリアント解析を行った.Fig. 11(a),Fig. 11(b)は,それぞれ(001)fcc,(111)fcc照射のbcc相の{100}bccを{100}fcc標準投影図にプロットした極点図で,Fig. 11(c)はN-Wの関係の極点図である.Table 4にN-Wの関係で生じる12種類のバリアントの方位関係を示す15Fig. 11(c)の数字はTable 4のバリアント番号と対応している.Fig. 10で示したように本研究で観察されたbcc相の結晶方位関係には分布があったが,議論を簡単にするため,ここでは実験結果と近いN-Wの関係を使い検討を進める.Fig. 11(a),Fig. 11(b)とFig. 11(c)を比較すると,(001)fcc照射ではV6,V9,V12の3種類,(111)fcc照射ではV1-V3の3種類のバリアントが生じていることがわかる.ここで前者のバリアントは向きの異なる3つの最密面に属しているが,後者のバリアントは照射面に垂直な1つの最密面に属している(Table 4).このように照射方向で異なるバリアントが形成することを確認した.

Fig. 11

{100}bcc pole figures displaying experimental and theoretical variant orientations. (a) (001)fcc and (b) (111)fcc grains in Fig. 2. Irradiation dose is 6.6 × 1016 ions/cm2. (c) N-W variant orientations. The numbers indicate the variants in Table 4.

Table 4 Twelve crystallographic variants for the N-W orientation relationships.

4.3 相変態のメカニズム

Fig. 3およびFig. 4から,照射量の増加により,変態量とGa濃度の両者が増加することがわかった.このことは照射による相変態にGa注入による濃度増加が関係することを示している.一方で,同一照射量の(001)fccと(111)fcc照射の結果を比較すると,前者は後者よりも高Ga濃度であるにも関わらず,変態量に有意な違いは認められなかった.それらを考慮に入れて相変態のメカニズムを考える.

Ga注入の影響として,まず化学的効果が挙げられる.304L鋼にGaを3 mass%以上添加した合金ではbcc相の形成が促進されるという報告がある16.これらからGaは鉄系合金のbcc相を安定化する性質を持つと推察される.この効果が相変態を促進した可能性が考えられるが,断面観察よりGaの高濃度領域(Fig. 7より3 mass%以上の領域の厚さは約45 nm)より,変態相は深い領域(Fig. 5より厚さは約150 nm)まで広がっていたことから,他の要因も考える必要がある.

その候補として応力効果が挙げられる.オーステナイト系ステンレス鋼は応力負荷により容易に相変態することが知られている4.本研究の断面EDS測定で確認したGa濃度は最大で約15 mass%であった(Fig. 7).ここで304L鋼にGaを約12 mass%添加した合金ではfcc相の格子定数が約1%増加することが報告されている16.従って,Gaの高濃度領域では1%以上の格子定数の増加の効果が見込まれる.それによる応力効果が高濃度領域の外側まで影響を及ぼし,相変態が深い領域まで進んだ可能性が考えられる.同様の現象は他の照射実験でも報告されている.木下らはSUS301鋼に化学的に不活性なArイオンを照射した際に生じる相変態の要因について,応力効果の観点から考察を行っている17

本研究で確認された照射量の増加に対する変態量とGa濃度の増加傾向(Fig. 3Fig. 4)は,上述の化学的効果と応力効果の2つで概ね説明できる.しかし,(001)fccと(111)fccの照射面による変態挙動の違い,すなわち,(111)fcc照射では低Ga濃度であるにも関わらず(001)fcc照射と同等の変態量であった点が説明できない.その要因の1つを,ここでは照射方向とfcc-bcc界面の観点から考察する.変態相が形成する際には,{111}fccに沿って剪断変形が生じると考えられる.{111}fccには等価な4面があるが,(001)fcc照射では4面すべてが照射面に対して54.7°傾斜しているのに対し,(111)fcc照射では1面が照射面に平行となる.それらの最密面がbcc相の形成と実際に関係していることは前節のバリアント解析で示した通りである.照射領域の全体が変態した際の照射面に平行に広がるfcc-bcc界面を考えると,(001)fcc照射では{111}fccが傾いているため複雑な界面構造になるが,(111)fcc照射では(111)fcc//(101)bccの格子の整合性が比較的良い界面が広がる.このため,(111)fcc照射では相変態に伴う界面エネルギーの増加が(001)fcc照射と比べて抑えられ,低Ga濃度でも変態量が増えた可能性がある.

相変態のメカニズムの詳細をさらに理解するためには,核生成と成長の各段階での界面構造と変態挙動の把握,変態に伴うひずみの発生を考慮に入れた検討が,今後の研究で必要になる.

5. 結言

SUS304オーステナイト系ステンレス鋼に対して,系統的に照射量を変えて(001)fccと(111)fccにGaイオンを照射して組織観察と組成分析を行った結果,以下の知見が得られた.

(1) 照射領域でbcc相への変態が確認され,照射量の増加に伴い変態量とGa濃度はともに増加した.同一照射量の場合,Ga濃度は(111)fcc照射の方が低かったが,変態量は(001)fccと(111)fcc照射で有意な差はなかった.

(2) 母相と変態相の結晶方位関係を,最密面および最密方向の角度差から整理した.(001)fcc照射ではN-W関係の近くに,(111)fcc照射ではN-WからK-S関係の間に分布していた.また,照射面により異なるバリアントが形成することを見出した.

(3) (001)fcc照射したSUS304鋼の表面直下に,変態相と考えられる帯状組織を確認した.その変態相はGaの高濃度領域より広範囲に広がっていた.

(4) Ga照射による相変態のメカニズムについて,Gaの注入による化学的効果と応力効果から説明した.さらに照射面による変態挙動の違いの一因をfcc-bcc界面構造の観点から説明した.

本研究のFIB照射実験および薄片試料作製の実施にあたり,お世話になりました岩手大学電子顕微鏡室の佐々木邦明氏に謝意を表します.本研究の一部はJSPS科学研究費基盤研究 B[18H01909]により行われています.また九州大学応用力学研究所の共同利用研究の助成を受けています.

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