日本金属学会誌
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特集「巨大ひずみ加工で創出した超機能ナノ材料」
強ひずみ加工法により作製した超微細結晶粒材料の高耐食性化の一要因:ステンレス鋼の場合
宮本 博之
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2025 年 89 巻 1 号 p. 32-41

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Abstract

Studies have shown that the corrosion resistance of stainless steels in passive environments is enhanced by grain refinement into the order of submicron or nanoscale via various methods, including severe plastic deformation (SPD). This beneficial effect has been attributed to the enhanced protective nature of the passive film due to a greater Cr enrichment in the film. Two independent mechanisms for the greater Cr enrichment in passive films have been proposed: enhanced selective dissolution of Fe and faster Cr diffusion. Both mechanisms originate from high density grain boundaries. However, recent studies have used high-resolution scanning transmission or in-situ atomic force microscopy to visualize the near atomic-scale passivation process and suggest that the increased protectiveness of passive films caused by the Cr enrichment is limited to a zone in the vicinity of grain boundaries. This finding suggests that both these mechanisms, facilitated by grain refinement, might be capable of the homogeneous passive film formation over the entire surface if the grain size is extremely small (<100 nm), which most classical SPD methods, represented here by equal channel angular pressing, cannot achieve. Therefore, for the formation of a uniform and homogeneous passive film inside all the grains, the role of factors other than that of grain size might be involved. A fresh review of the literature on the corrosion behavior of ultrafine grained (UFG) stainless steels with grain size smaller than 1 μm and nanocrystalline ones smaller than 100 nm, generated by classical SPD, surface SPD, and other physical methods, was undertaken in light of the uniformity of the passive film. The possible role of high internal stress and residual dislocations, which are common constituents of UFG materials obtained by SPD, on the formation of the protective passive film was discussed.

Mater. Trans. 64(2023)1419-1428に掲載.Fig.5のキャプションを修正.

1.緒言

金属材料の構造部材の製造には,圧延,鍛造,プレス成形などの塑性変形が伴うことが多い.そのため腐食特性に及ぼす塑性変形の影響は重要な研究対象となっている[1-7].塑性変形は,転位,粒界,空孔,双晶などの様々な格子欠陥を発生させる.熱力学的原理によれば格子欠陥として蓄積された内部エネルギーは,アノード反応の平衡電位を低下させて電気化学的な溶解反応の駆動力を高める.しかし,これらの内部エネルギーの変化が腐食に与える影響は,析出物や偏析など化学組成の不均一性と比較すると,それほど大きくない[7].そのため,金属材料,特に純金属や単相材料では腐食特性に及ぼす変形組織の影響はあまり注目されていなかった.

バルク状のナノ結晶金属または超微細粒金属を製造するための新しいプロセスであるECAP(Equal-channel angular pressing)[8],HPT(High-pressure torsion)[9],およびARB(Accumulative roll bonding)[10]に代表される強ひずみ加工(Severe plastic deformation: SPD)の出現により,腐食に対する塑性変形の影響が再び関心の高い研究対象になっている.SPD法の歴史と現在の研究動向については,優れた総説論文を参照されたい[11].SPD法により与えられる塑性ひずみの大きさは,従来プロセスのそれよりも著しく大きく,相当塑性ひずみ換算で約4程度から20-30以上まで幅広い[12-14].高いひずみ領域では,ひずみの増加とともに転位密度,粒界方位差,結晶粒径,粒界構造などの組織因子が段階的に変化していく.流動応力や蓄積エネルギーは初めは急激に増加してやがて一定値に近づき,超微細粒組織が完成していることが示される[15].純銅[15,16]および純鉄[17,18]では,超微細粒組織が得られるまでに転位密度が最大で約1015 m-2まで増加した後に減少する.最終的な結晶粒径は,室温でECAPされた純銅の場合0.4 μmに[19,20],100 KでHPT加工された場合では80 nmまで減少することが報告されている[21].ひずみの増加とともに転位密度がピークに達した後に再び結晶粒内の転位は減少するが,超微細粒組織の完成度に応じて一定量の残留転位は残ると推察される.このように転位が残留した超微細粒組織は加工組織としての性格も併せもち,これが腐食挙動に影響を及ぼす可能性がある.実際,SPD法によって作製された材料の腐食挙動が加工前から大きく変化することを示す研究が増えている(例えば,参考文献[22-24]).不働態皮膜が形成する腐食環境での耐食性はSPD法による微細化により多くの材料において向上することが報告されている[22,23].著者の知る限り,ステンレス鋼の耐食性は,ほとんど例外なく超微細粒組織の形成によって向上することが報告されている.超微細粒組織を有するステンレス鋼の耐食性が高くなる原因として,主に不働態皮膜中のCr濃縮度が高くなり,不働態皮膜の保護性が向上したためと考えられている[24].不働態皮膜中のCr濃縮のメカニズムとして高密度粒界に起因する速いCrの拡散性と,Feの選択的溶解の促進が提案されている[24].

強ひずみ加工で形成された結晶粒界は非平衡状態にあり,Extrinsicな粒界転位による余分な粒界エネルギーがあると考えられる[25,26].非平衡粒界に関する詳細な議論についてはNazarovによる最近の総説を参照されたい[27].非平衡粒界は,材料の耐食性を向上させる一因となる可能性がある[28-31].さらに,SPD後に結晶粒径を変化させない程度の短時間の熱処理によっても腐食挙動が変化することが報告されている[32-38].高ひずみ域でのひずみの増加に伴う腐食挙動の継続的な変化や,その後の短時間の熱処理による変則的な腐食挙動の変化は非平衡粒界と残留転位に起因すると考えられる.同じ材料,同じ環境下にもかかわらず,SPDが腐食挙動に及ぼす影響が文献により異なった結果となっているが,このような差異は超微細粒組織の完成度の違いに起因している可能性がある.

近年,高角度暗視野走査透過電子顕微鏡(HAADF-STEM)[37]やin-situ原子間力顕微鏡(in-situ AFM)[40]などの高分解能観察技術を用いた不動態化過程のナノスケール観察が報告されている.SMRT(Surface mechanical roll treatment)で形成した結晶粒径が40 nmのナノ結晶組織を有する316L鋼の表面をHAADF-STEMで観察した結果では,不動態皮膜中のCrの濃縮された領域が局所的で,粒界近傍50 nm幅の領域に限定される[39].Mauriceらは伝導率の測定が可能な原子間力顕微鏡を用いてSUS316鋼の不働態化前後の表面を観察した結果,不働態皮膜中の粒界と粒内で導電性に最大2桁の差があることを示し,その理由を不均一なCr分布が原因であると考察している[40].これらの新しい知見は,Feの選択的溶解またはCr粒界拡散のいずれであってもCr濃縮に対する粒界の影響はその近傍に限定されており,結晶粒径が数十nmレベルよりも微細にならなければ表面全体に均一に形成しないことを示唆している.先述のように結晶粒径が50 nmのナノ結晶組織はECAPなどの従来のBulk-SPD法では得られない.孔食のような局部腐食の耐食性を高めるためには均一かつ均質な不働態皮膜の形成が必要であり,この理由から多くの研究で報告されている耐孔食性向上の要因は粒径以外に求めるべきである.ここではECAPやARBなどの従来型のBulk-SPD,SMRTやショットピーニングなどのSurface-SPD,その他の物理的手法により生成された超微細結晶粒のステンレス鋼の腐食挙動に関する文献を比較し,粒径およびその他の因子が不働態皮膜の均一性に及ぼす影響について検討した.内部応力と残留転位が保護不働態皮膜の形成に及ぼす可能性について議論した.

2. 種々のプロセスによるステンレス鋼の結晶粒径

Fig.1は,粒界と三重線の合計の体積分率を粒径の関数として示したものである[41].ECAPやARBのようなBulk-SPDは,サブマイクロメートルサイズまでの微細化が可能であり,HPTはさらに数十ナノメートルまで微細化できる.ほとんどのSPD材料では,粒界が占める体積分率は数%と小さく,このレベルでの微細化が不働態形成および耐食性の向上に単独で寄与するとは考えにくい.Bulk-SPDに続いて,Surface Mechanical Attrition Treatment(SMAT)[42],Ultrasonic Peening(UP)[43],Ultrasonic Surface nanocrystal modification(USNM)[44],SMRT[39]などの表面に対するSPD技術が登場している.Surface-SPDは最表面層の結晶粒径を10 nmのオーダーまで小さくするもので,Bulk-SPDと比べてもさらに短時間で一層の微細化が可能である.これらSurface-SPDの特徴としては従来のショットピーニングと比較して表面粗さの変化が小さいことが挙げられる.409SS[42],304SS[44],321SS[43],および316LSS[39]では,Surface-SPDにより耐食性の向上が報告されている.それでも微小な亀裂や残留圧縮応力などの表面状態が,耐食性に対するナノ結晶化の効果を相殺している可能性がある.一方,マグネトロンスパッタリングなどの物理的気相成長法(PVD)では,上記の表面欠陥の影響がなく,ターゲット材料で選択した市販のステンレス鋼と同じ化学組成でナノ結晶粒のステンレス鋼を合成することができる[45-52].そのため,ナノ結晶粒と通常粒のステンレス鋼の耐食性を直接比較することが可能であり,前者の耐食性が後者より優れていることが報告されている[46-49].

Fig. 1 Relation between volume fraction of grain boundary and triple junction [41]. (adapted with permission from Ref. [41])

3. SPDで形成する超微細粒組織と内部応力

変形組織は初期段階の転位セル組織から,変形誘起粒界が高密度に存在し,粒内に転位がほとんど存在しない完全な超微細粒組織へと段階的に発展する.超微細粒組織の形成のメカニズムについては他の文献を参照されたい[53-55].本論文では,単相材料を前提として,転位活動を介して加工組織から完全な超微細粒組織への遷移過程における粒内残留転位の役割に焦点を当てる.Fig.2は,16パスまでのECAPによるアームコ鉄の組織変化を示してる[18].4パスまでは,セル壁の形成に伴って転位が急速に蓄積し,その直径はひずみとともに減少する(Fig.2(a)).この段階では,低角粒界(LAGB)の割合が圧倒的に高い(Fig.2(b)).2-8パスの間に,高角粒界(HAGB)/LAGBが増加し,転位をLAGBに統合することによって,その割合が急速に増加する.TEM観察では,8パス後に結晶粒/セルサイズは飽和するように見えるが,電子後方散乱回折(EBSD)を用いた詳細な分析によると,HAGB/LAGBの割合はまだ成長過程にある(Fig.2(b)).8パス後の超微細粒組織の持続的変化は,Fig.3に示す引張特性とひずみ硬化率でより明らかである.変化は小さいが安定したひずみ硬化と方位変化が16パスまで続いている.このわずかであるが持続的なひずみ硬化は,セル壁とセル内部の硬化のバランスに起因しており,いわゆるステージIIIの後に現れると考えられている.この硬化段階はステージIVと呼ばれている[56].ひずみ硬化率がさらに減少して0になると,UFG構造は完成したように見える.ひずみ硬化率の2回目の減少段階はステージVとよばれ,超微細粒組織の形成は飽和したと考えられる.言い換えれば,完全飽和後の理想的な,あるいは成熟した超微細粒組織の形成には,ECAPでは16パス以上が必要である.完全または理想的な超微細粒組織を達成するために必要な最小塑性ひずみは,使用する材料[57],変形経路[58,59],温度[60],および圧力によって異なることが報告されている[61].しかし,ECAPを使用した多くの研究では,技術的な理由から最大でも8パスまでしか加工されていない.そのため,ステンレス鋼の超微細粒組織はまだ未成熟で,結晶粒径が等しく見えても,その非平衡粒界の構造,粒内の残留転位,およびその応力場が異なっている可能性が高い.

Fig. 2 Micro and substructural evolution of ARMCO iron with an increase in ECAP passes [17]. (reproduced with permission) (online color)
Fig. 3 (a) Tensile properties, (b) strain hardening rate and mean misorientation evolution for various ECAP passes [18]. (reproduced with permission) (online color)

前述の理由から,多数のパス回数を要するECAPやその他のBulk-SPDで加工されたUFG材料は,非平衡粒界や残留転位に起因する高い内部応力/ひずみ場を有している[62].内部ひずみ場はTEMで観察されるコントラストから粒界付近で高くなっていると考えられる.例えば,TEMで観察された厚さ方向消滅輪郭の広がりを基に計算された内部ひずみは,粒径0.2 μmの純銅の粒界近傍で3×10-3に達することが報告されている[62,63].熱力学的には,静水圧成分は平衡電位を変化させることで腐食速度に影響を与える可能性があるが[64],このレベルの内部ひずみの影響は0.01 mVのオーダーであり無視できるほど小さい.ステンレス鋼のような固溶体合金では,ひずみ場に対する溶質原子と溶媒原子の応答が異なるため,内部応力の影響が複雑になるであろう.例えば,残留転位の存在下では,溶質原子とこれらとの間の弾性相互作用エネルギーが溶質原子の選択的溶解を促進する可能性がある.腐食挙動への影響については後述する.

4. 超微細粒ステンレス鋼の耐孔食性

ステンレス鋼における不働態皮膜の保護能は,結晶構造,欠陥密度,化学組成,均一性などによって決定される.Fig.4は,ステンレス鋼の母材上に形成された不働態皮膜の保護能と構造パラメータとの階層的関係を示している.特にステンレス鋼の孔食に対する不働態皮膜の保護能は,3.5%NaCl水溶液中での動的分極曲線を用いて実験的に評価した.分極曲線で得られるいくつかのパラメータのうち,不動態皮膜の保護性の指標として,不動態保持電流密度ipassと孔食電位Ebが主に採用されている.前者は不働態皮膜の平均的な保護性を反映するのに対し,後者は局所的な欠陥や第2相介在物の存在に敏感である.不働態皮膜の保護性は,イオン/点欠陥輸送[65,66]などの半導体的性質,溶液への溶解に対する化学的安定性によって影響を受ける[67].これらの特性は,結晶構造,皮膜の緻密性,構造的または化学的不均一性に関連している.Fe-Cr合金は中性から酸性溶液中では,Cr含有量が約12%を超えると不動態が発現する[68].Fe-Cr合金の不動態化には不働態皮膜中のCr濃縮が伴っており[69],不働態化の機構としてこれまでFeの選択的溶解とCr原子の安定な酸化物の生成に基づいて説明されてきた[70].したがって,不働態皮膜の構造は,母相の化学組成,転位密度,結晶粒径,内部応力などの母材組織に影響される.本研究では,これらの構造パラメータのうち,結晶粒径に加えて加工組織としての性格の原因となる残留転位密度と内部応力に着目した.

Fig. 4 Hierarchal steps leading to protective ability of passive films from corrosive environment and microstructure of base metals. (online color)

Fig.5は,ナノ結晶組織の材料の孔食電位(Eb ')と同一組成の粗粒材の孔食電位(Eb)の差と,様々な方法で得られたナノ結晶の粒径との相関を示している.Bulk-SPDとPVDは微細結晶粒化により0.8 V程度高くなり著しく耐食性が向上した.Surface-SPDはPVDと同程度の粒径まで小さくすることができるが,耐食性に対する効果は小さい.これは,おそらく多くのSurface-SPDの原理上避けられない 照射物からのコンタミや表面欠陥の生成によるものであろう.DCスパッタリングやマグネトロンスパッタリングなどのPVDは,Arガスで満たされたチャンバー内で処理されているため,腐食試験に先立ってコンタミ除去のための表面処理は施されていないにもかかわらず良好な耐食性を示している[45,50].Surface-SPDについてはSMAT[42]およびUP[43]では真空チャンバー内で処理し,SMRT[39]やUSNM[44]は大気中で行っている.そのため腐食試験前に表面を機械的に研磨し,汚染や酸化膜を除去して加工中の酸化の影響を排除しているが,最表面の微細粒組織が研磨によりどの程度変化したかが不明である.Fig.5において,黒プロットはX線光電子分光法(XPS)またはグロー放電発光分光法によって不動態化後の不動態皮膜におけるCr濃縮が確認されたことを示し,白プロットはCr濃縮が観察または確認されなかったことを示す.ECAP法で作製した超微細粒組織をもつUFG Fe-8%Cr合金,Fe-10%Cr合金,Fe-12%Cr合金,Fe-20%Cr合金は粗粒(CG)材よりも高い孔食電位を示し,Fig.6に示すように不働態皮膜中のCrの濃縮が確認されている[28,29].したがって,高い孔食電位は非平衡粒界によるCrの濃化と不働態被膜の安定化に起因する可能性がある.さらに,SPD後の熱処理による耐食性の部分的な低下は,非平衡粒界構造の回復によるものである[28].超微細粒組織がもつ保護性の高い不働態皮膜は,皮膜中のCr濃縮度が高いためと考えられる.この結果は,高密度粒界におけるFeの優先的溶解[71,72]またはCrの高速拡散に起因している[43].トレーサー法により,SMATによって加工されたナノ結晶Feの粒界におけるCr拡散は,粗粒組織のFeのそれよりも4-5倍速いことが報告されている[73].このナノ結晶FeにおけるCrの超高速拡散は,非平衡粒界に起因していると考えられる[73].

Fig. 5 Relation between grain size of UFG/NC stainless steels obtained via various methods versus the difference in pitting potentials of UFG/NC (Eb’) and coarse-grained materials. Eb data have been sourced from Refs. [50,45,93,28,30,94,95,96,39,42,44,36,97]. Closed dots indicate that Cr enrichment in the passive film was confirmed by XPS et al.
Fig. 6 Cr/(Fe+Cr) ratio determined by glow discharge optical emission spectroscopy as a function of sputtering time for (a) CG and (b) UFG Fe-8, -10, -12%Cr alloys [30]. (reproduced with permission) (online color)

ECAP加工前の粗粒材とECAP加工後の超微細粒Fe-12%Cr合金は,3.5%NaCl水溶液中の分極試験で不動態域を示した.孔食電位は,超微細粒Fe-12%Cr合金の方が粗粒材よりも高い[29].興味深いことにECAP加工後の超微細粒Fe-8%Cr合金とFe-10%Cr合金はアノード分極試験において電流値がほぼ一定値を保つ不働態域を示した.これまで自己不動態化するための臨界Cr含有量は11%であると言われており[74],NaCl溶液中で一定の不働態形成により保護性を示したことは注目すべきである.後述するように,非平衡粒界と残留転位に起因する内部応力場が,超微細粒組織の不働態皮膜の保護能の向上と不働態形成に必要なCr含有量の下限値を低下させている可能性がある.SMATで加工したナノ結晶409SS(10.5%Cr)でも,NaCl溶液中で不動態域を示している(Fig.7)[42].Fig.7に示すように,未処理の試料では,電位をアノード側に印加すると電流が瞬時に増加したが,2 mm径の鋼球で15-45min処理した試料では,自発的な不動態化を示した.最も耐孔食性が高かったのは30min処理した試料で,それより処理時間が長くなると耐食性は低下した.なお,先述のように超微細粒組織では不働態皮膜中のCr濃縮度が高いことが,耐食性向上の主な理由として挙げられている.しかし,Fig.6に示したPVD材料ではXPSなどの表面分析では,必ずしも不働態皮膜中のCrの高濃度化は確認されていない.例えば,Panらは,マグネトロンスパッタリングによるナノ結晶304SSの耐食性向上は,Cr濃縮度の向上によるものであると主張している.しかし,ナノ結晶および粗粒材料の不働態皮膜中のCr含有量の差は,耐食性の向上と比較すると本質的に無視できるものであった[45].

Fig. 7 Potentiodynamic polarization curves of 409SS in 0.6 M NaCl solution for untreated and after SMAT using 2 mm balls for various duration times [42]. (reproduced with permission) (online color)

粗粒304SS(CC),粒径100 nmの超微細粒304SS(BN),粒径50 nmの超微細粒304SS(NC)の動的分極曲線の比較をFig.8に示す[46].BN304SSは強圧延で作製され,NCはマグネトロンスパッタリングで作製された.BN304SSおよびNC 304SSはともにCC 304SSよりも高い孔食電位を示したが,NC 304SSの不動態領域の電流密度はBN材よりも高かった.不働態領域の電流密度が高いにもかかわらず,NC 304SSの孔食電位が高いことは,不働態皮膜の化学的および構造的均一性が高い一方で,NC 304SSの保護性は他の材料よりも低いことを示している.先に述べたように,不働態皮膜中のCr濃縮は,PVD法で合成されたNC材料では認められていない.比較的高い不動態保持電流と広い不動態領域は,PVD[51,52]と電解析出(ED)により合成されたナノ結晶材料の特徴であり[75,76],不働態皮膜の均一性に起因していると考えられる.

Fig. 8 Potentiodynamic polarization curves of coarse-grained (CC) 304SS, UFG(BN) 304SS, and NC thin films in 0.05 mol dm-3 H2SO4+0.2 mol dm-3 NaCl solution. The respective grain sizes are 100 μm, 100 nm, and less than 50 nm [46]. (reproduced with permission) (online color)

このことからECAPや他のBulk-SPDによる耐食性の向上は,超微細粒組織に起因するものではない可能性がある.なぜなら,粒径はサブマイクロメートルのオーダーとかなり大きく,非平衡粒界が及ぼす応力場よりもかなり大きいからである.粒界におけるCrの高速拡散は,粒界近傍での局所的なCr濃縮を引き起こすかもしれないが,粒内部に対するこの効果は疑問視されるべきである.Fig.9は,HAADF-STEMで得られたSMRT処理したNC 316SSの上面のZコントラスト像と粒界を横切る局所的なCr濃度分布である[39].Cr濃縮領域は粒界を横切る約50 nmに限られ,粒界から離れた領域は濃化されていない.濃化領域よりも大きな粒径の場合,結晶粒内部はCrが濃化されていないことを示している.このことは,耐孔食性を考えるときに重要である.なぜなら,孔食は不働態皮膜の弱い部位や析出物などの欠陥部分で発生するからである.つまり,粒径を50 nm以下に微細化することによって,均質な保護膜形成が形成すると考えられる.

Fig. 9 (a) HAADF-STEM image of the top surface of nanocrystalline 316L processed by surface mechanical rolling treatment and (b) Cr profiles across 2 different GBs as marked in (a) [39]. (reproduced with permission) (online color)

5. 選択的溶解におけるUFGの内部応力の役割

孔食性などの局部腐食に対する耐食性を向上させるためには,均一な不動態皮膜の形成が必要である.ECAPで加工された超微細粒材の粒径は約0.2 μmである.したがって,粒界に沿ったCrの拡散や選択的溶解に起因するCr濃縮のみの効果は考えにくい.そこで残留転位の存在とその内部応力が,均一な保護膜の形成に重要な役割を果たす可能性がある.Navai[77],NavaiとDebbouz[78],Vignalらは[79],弾性応力場が腐食挙動に及ぼす影響について検討し,残留圧縮応力によって不働態皮膜のCr/Fe比が増加することを報告している[79].Sahalらは,応力場が純金属の溶解速度の活性化エネルギーに及ぼす影響を,以下の式で表した[5].

  
$$ \Delta Q_a=\Delta Q_o - (1-\beta)F\mu-\sigma_m V $$ (1)

ここで∆$ Q_a $は溶解の活性化エネルギー,∆$Q_o $は平衡時の溶解の活性化エネルギー,Fはファラデー定数,βは対称因子,μは電位降下,σmは内部応力の静水圧成分,Vは原子体積である.したがって,アノード電流は次式で与えられる.

  
$$ i = A \ exp \left\{ - \frac{\Delta Q_o -(1-\beta) F\mu - \sigma_m V}{kT} \right\} = i_o exp \left\{ \frac{\sigma_m V}{kT} \right\} $$ (2a)

  
$$ i_o = A \ exp \left\{ - \frac{\Delta Q_o -(1-\beta) F\mu}{kT} \right\} $$ (2b)

ここでAは定数,kTはそれぞれボルツマン定数と温度である.純金属では,σmとして絶対値を用いる.つまり,引張と圧縮が溶解の速度論に同じ影響を与えると仮定している[5].

Fe-Cr固溶体系では,溶質Crと格子欠陥による応力場の間に相互作用エネルギーが生じ,Cr原子とFe原子の溶解速度に異なる影響を与える.溶質原子と応力場との間には,弾性相互作用(溶質とマトリックス間の原子サイズの不一致),弾性率相互作用(溶質とマトリックス間のせん断弾性率の不一致),電気的相互作用(原子あたりの価電子の変化),化学的相互作用(積層欠陥エネルギーの変化)など,様々なタイプの相互作用が生じる[81].Fleischerによると後者の2つの相互作用の影響は大きくない.したがって,ここでは最初の2つの相互作用の影響のみを考慮する.弾性相互作用エネルギーと弾性率相互作用エネルギーは,溶質Crの局所電位の変化を介してとCr原子とFe原子の相対的な溶解速度に影響する.原子サイズの不一致による弾性的相互作用エネルギーはwS = −3VCr εs σm ,ここで,εs = (rCrrFe )/rFe ≂ 0.008,であり,rCrrFeはそれぞれ溶質原子であるCrと溶媒原子Feの原子半径である.wsの値は引張応力場では負になり,逆にσmが1000 MPaになるとその値は10-3 eVになる.これは非平衡粒界に近い10-3オーダーのひずみによる相互作用エネルギーに相当する[62,63].負のwsをもつ自由表面近傍の溶質Cr原子は,表面からの反発力を受け,Feの選択的溶解が促進されるはずである.wsを考慮すると,FeとCr原子の溶解の活性化エネルギーは次のようになる.

  
$$ \Delta Q_{a,Fe} = \Delta Q_{o,Fe} - (1-\beta) F\mu $$ (3a)

  
$$ \Delta Q_{a,Cr} = \Delta Q_{o,Cr} - (1-\beta) F\mu - 3 V_{Cr} \varepsilon_s \sigma_m $$ (3b)

$ Q_{o,Fe} $と∆$ Q_{a,Cr} $が文献で得られなかったため,それぞれ純FeとFe-12%Crの空孔形成の活性化エネルギーである1.72 eVと1.82 eVを採用した[80].2つの元素の溶解の電流比iFe /iCrが選択的溶解の尺度であると仮定すると,FeとCrの溶解に対応するアノード電流は次のようになる.

  
$$ i_{Fe} = Ax_{Fe} \ exp \left\{ - \frac{\Delta Q_{o,Fe} -(1-\beta) F\mu}{kT} \right\} $$ (4a)

  
$$ i_{Cr} = Ax_{Cr} \ exp \left\{ - \frac{\Delta Q_{o,Cr} -(1-\beta) F\mu - 3V_{Cr} \varepsilon_s \sigma_m}{kT} \right\} $$ (4b)

式(2)の(1-βμFがFeとCrで等しいと仮定し,β=0.5,さらに内部応力場を一様と考える,

  
$$ \frac{i_{Fe}}{i_{Cr}} = \left( \frac{x_{Fe}}{x_{Cr}} \right) \left( \frac{i_{o,Fe}}{i_{o,Fe}} \right) exp \left\{ \frac{3V_{Cr} \varepsilon_s \sigma_m}{kT} \right\} $$ (5)

xFexCrは,それぞれFeとCrの原子分率である.iFe /iCrは,σm= 0の場合は413,引張応力σm =1000 MPaの場合は434倍である(xCr = 0.12).非平衡粒界に起因する等方的な内部応力は圧縮成分と引張成分の領域が混在する複雑な分布である.しかし,いずれの場合も,FeとCrの原子半径がかなり近い(3VCr εs σmは10-4 eVのオーダーとなり,1.72 eVと1.82 eVよりかなり小さい)ため,1000 MPaの一様な内部応力分布を仮定しても,iFe /iCrに本質的に影響しないと考えられる.

弾性率のミスフィットの相互作用エネルギーは,wg = (GCr -GFeγ2VCrとして計算される.ここで,GCrおよびGFeは,それぞれCr (=115 GPa)およびFe (=82 GPa)の剛性率であり,γはせん断ひずみである.非平衡粒界近傍の推定値としてγ = 0.001を仮定すると[27],wgは10-4 eVのオーダーと推定される.この値はwsに近く,原子サイズのミスフィットの影響と同様に,iFe /iCrへの影響は無視できるほど小さい.以上,等方弾性体を仮定した場合の原子サイズ,剛性率の差異による影響は微小であると言わざるをえない.なお,弾性率のミスフィットはGCrGFeよりも高いため,wgは正になり,溶質Cr原子は選択的に溶解して不働態皮膜の保護能力を低下させることになる.

次に弾性定数の異方性効果を考慮すると,弾性率の違いによる相互作用エネルギーは以下となる.wg= 1/2εij εkl VCr (C'ijkl -Cijkl ),i,j,k,l = 1, 2, 3.ここでεijεkl はひずみ成分,C'ijkjCijklは溶質と溶媒の弾性定数である.ここで,前式の一般的な4変数の弾性定数の表記から2変数の表記方法に変換して表すと,Ciiii=C11Ciijj=C12Cijij=C44i,j=1,2,3 (ij)の関係となる.ここで,C11C12C44は立方晶系材料の場合で直交対称性を仮定した場合の3つの弾性定数である.したがって,相互作用エネルギーは次式で表される.

  
\begin{align*} w_g = \ &V_{Cr} \Biggl[\ \frac{1}{2} (\varepsilon^{2}_{1} + \varepsilon^{2}_{2} + \varepsilon^{2}_{3} )(C'_{11} - C_{11}) \\ &+ (\varepsilon_{1} \varepsilon_{2} + \varepsilon_{2} \varepsilon_{3} + \varepsilon_{3} \varepsilon_{1})(C'_{12} - C_{12}) \\ &+ \frac{1}{2} (\varepsilon^{2}_{12} + \varepsilon^{2}_{23} + \varepsilon^{2}_{31}) (C'_{44} - C_{44}) \Biggr] \end{align*}(6)

ここで,Crの弾性率をC'11 = 3.50, C'12 = 0.68,C'44 = 1.01 MPa,Feの弾性率をC11 = 2.33,C12 = 1.35,C44 = 1.17 MPaとする.圧縮/引張の等方応力状態(ε1ε2ε3 = 10-3ε12 = ε23 = ε13 = 0)を単純に仮定すると,wg =-1.3×10-6 eVが得られる.FeとCrの弾性異方性の方向性が異なるため,溶質Cr原子による弾性率ミスフィットの相互作用エネルギーは,等方弾性体を仮定した場合とは逆の負になる.

残留転位が存在する場合,溶質原子と転位間の相互作用エネルギーが生じる.立方晶金属では,置換溶質原子と転位間のサイズミスフィットの弾性相互作用エネルギーは刃状転位で強く,静水圧応力成分が小さいらせん転位では無視できるほど小さい[81].これまで,固溶体強化の観点から転位と溶質の相互作用エネルギーが研究されてきた.bcc金属では降伏強度がらせん転位の移動度によって支配されるため,相互作用エネルギーは主にらせん転位により決定される.電気化学的な溶解においては,刃状転位とらせん転位の両方による相互作用力が溶質原子と溶媒原子の相対的な溶解速度に影響すると考えられ,2つの転位の相互作用エネルギーの相対値が反映される.刃状転位と溶質Cr原子間のサイズミスフィットの相互作用エネルギーは次式で与えられる.

  
$$ w_s = \left\{ \frac{(1 + v)VG\varepsilon_s}{\pi (1-v)} \right\} \frac{b \ sin\theta}{r} $$ (7)

ここでεs=0.008,rは転位コアからの距離,bはBurgersベクトル,Gは剛性率である.相互作用エネルギーは,Fe中のCrのような大きな溶質原子が刃状転位の上部に位置する場合には正となり,端転位の下では負となる.そして,溶質Crがr=b/2, θ=-π/2に位置するとき,wsは負の最大値(-0.06 eV)となる.

溶質原子とらせん転位との相互作用エネルギーは,bcc金属では複雑であり,らせん転位のもつせん断応力場のため,刃状転位よりも強いと推察される[81,82].bcc金属では,fcc金属と比較して,より厳密な弾性率相互作用エネルギーの見積もりが必要である[82].溶質Cr原子とらせん転位コア間の原子サイズ不一致による弾性相互エネルギーと弾性相互作用エネルギーの和は次式で与えられる[82].

  
$$ w_G = 0.122(1.52 \varepsilon_a + {\varepsilon_{\mu}}' )\ \mathrm{eV} $$ (8)

  
$$ {\varepsilon_{\mu}}' = \frac{\varepsilon_\mu + 4.3\varepsilon_a}{1-1/2(\varepsilon_\mu + 4.3\varepsilon_a)} $$ (9)

ここでεa=(1/adadcaは格子定数,cは溶質濃度である.εμ=(1/GdGdc.bcc 2元系合金では,溶質原子と溶媒原子の結合特性に応じて,wGは正または負のどちらかになる.例えば,らせん転位のコアにおける最大エネルギーは,Fe-Mo系で-0.084 eV,Fe-V系で-0.038 eV,Fe-Al系で+0.048 eVである[83].つまり,Fe中のMo原子とV原子はらせん転位のコア近傍で安定化するのに対し,Al原子はらせん転位からの反発力を受ける.Fe-Cr系のデータは文献にないため,原子シミュレーションを用いて計算したらせん転位コアとCr原子の結合エネルギーを用いた[84].このエネルギーはwG = -0.07eVと見積もられ,刃状転位のそれ(-0.06eV)よりもわずかに大きい.刃状転位と同様に,らせん転位のコア近傍に位置する溶質Cr原子は負の相互作用エネルギーをもつ.アノード溶解では,wGに相当する活性化エネルギーの増加分が発生する.すべてのCr原子がらせん転位コア近傍で安定化すると仮定し,式(3)-式(5)と同じ手順を考慮すると,iFe /iCr = 2.2×104が得られる.この値は,らせん転位が残留していない場合(iFe /iCr = 4.5×102)よりも102以上高い.なお,すべてのCr原子が転位コアで安定化していると仮定しているため,過大評価されている点に留意する必要がある.完全な超微細粒組織の形成の段階では,結晶粒内の転位密度は1015 -1016 1/m2に達する[85].Fe-Cr系におけるCrとらせん転位の相互作用の原子論的シミュレーションに基づくと,Cr濃度は相互作用力によってらせん転位コアから3 nmの領域内で平均濃度よりも高くなる[86].残留転位密度が10151/m2に達すると仮定すると,転位の距離を一定として$ l = 1/\sqrt{\rho} = 5 \, \mathrm{nm} $とすると,ほぼ20%のCr原子が相互作用エネルギーの影響を受けている.したがって,残留転位の存在が結晶粒内部のFeの選択的溶解や不動態化挙動に及ぼす影響は無視できないと考えられる.しかし,より厳密な評価のためには,溶質であるCrの相互作用エネルギーや残留転位パターンと腐食挙動の関係について,より詳細な情報が必要である.

Cr含有量が非常に低い(10 mass%未満)アモルファスFe基合金は,塩化物を多く含む電解液中で極めて高い耐食性を示すことがよく知られている[87-92].Crを含むFe基アモルファス合金において,非常に安定した不働態皮膜が迅速に形成・成長することがその理由であり,合金表面の反応性が向上するためであると考えられている[88].アモルファス合金の表面は,結晶性合金よりも準安定かつ均質であるため,Crの濃縮に伴うFe元素の急速な選択的溶解が起こり,均一な保護不働態皮膜の形成が可能になる[88].Cr含有量が10%以下のステンレス鋼でのSPDによるUFG/NCの不動態化促進のメカニズムはまだ不明であるが,アモルファス合金の考え方を拡張すると,内部応力をもつ密接な間隔の欠陥の存在下での急速な選択的溶解により,アモルファス合金で起こるような非常に低いCr含有量での不動態化が可能になる可能性がある.

6. 結論

粗粒材と比較してSPDや他の方法で製造された超微細粒ステンレス鋼のもつ高い耐食性は,高密度粒界に起因する高い反応性から生じる保護性の高い不働態皮膜の形成により説明されてきた.対照的に,Cr含有アモルファスFe合金の高い耐食性は,粒界のない反応性の高い均質な表面に起因している.これがFeの選択的溶解とそれに伴うCrの濃縮を促進すると考えられている.これらの2つの極端なケースは,粒界の存在に関係なく,均一な選択溶解が起こり得ることを示唆している.本研究では,Feの一様な選択溶解を促進する残留転位の効果について議論した.単純な推定と仮説により,1015 -1016 m-2オーダーの高密度残留転位が,応力場を通じてFeとCrの溶解バランスに影響を与え,局所的なCr濃縮と不働態皮膜の保護能力を高める可能性があることを示した.しかし,残留転位の応力場が不働態皮膜の保護能を支配する腐食速度論に及ぼす影響について十分に議論するためには,残留転位のより詳細な構成と,溶質原子とらせん転位間の相互作用エネルギーの厳密な計算が必要である.

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