生活大学研究
Online ISSN : 2189-6933
ISSN-L : 2189-6933
自由学園草創期(1921‒1932年)の美術教育
羽仁もと子・吉一と山本鼎の協働を中心に
村上 民
著者情報
ジャーナル フリー

2015 年 1 巻 1 号 p. 26-44

詳細
抄録

自由学園創立者である羽仁もと子、吉一は、創立初年の1921年から、当時自由画提唱者として、 また農民美術運動の推進者と注目されていた洋画家、山本鼎を美術科主任として招聘した。山本鼎 は、病に倒れる直前の1942年秋頃までの20年間、つまり彼の後半生を通じて自由学園の美術教育 に携わり、また羽仁夫妻の教育事業に深く関与した。本稿は、自由学園草創期から10年間の学園美 術の展開、そして自由学園工芸研究所設立にいたる過程を、羽仁もと子・吉一と山本鼎の協働の側 面から論じる。羽仁夫妻は、自由を基調とした教育をめざし、教育と社会改造を深く結び付けよう とする志向を持っていたが、山本の自由学園での教育実践は、それまでの山本の自由画運動や農民 美術運動を統合させた形で学園美術を方向づけ、自由学園教育が持っていた社会への拡張性を具体 的に推し進めた。山本鼎はまた、自由学園卒業生による自由学園工芸研究所の設立(1932年)にも 関わった。工芸研究所の設立は、生徒たちの、山本鼎からの自立過程でもあった。

著者関連情報
© 2015 自由学園最高学部
前の記事 次の記事
feedback
Top