生活大学研究
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選択された号の論文の6件中1~6を表示しています
  • 南澤学園町(分譲期)の地域形成とその特徴
    玄田 悠大, 村上 民
    2024 年 9 巻 1 号 p. 1-15
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/06/24
    ジャーナル オープンアクセス
    南澤学園町の分譲地開発に関し、その告知、広告、購入者、実際の住宅地の様子などの情報源はこれまで主に『婦人之友』で紹介された記事に限定されていたが、このたび婦人之友社所蔵の実際の土地分譲に関わる一次資料を調査することができた。資料は合計9点で、婦人之友社等学園町分譲地売主側が作成した手紙(写し)類の綴り6点と人名簿、人名別台帳(区画図含む)、そして分譲地のパンフレットで構成されている。手紙類の綴りは主に分譲地の第3、4期の土地に関する記載で、南澤学園町の購入検討者、購入者、居住者に関するやり取り等で占められている。また、それ以外の資料からは、土地購入に関わった人達の地理的分布や分譲地売買の全体像、分譲地に関する理念や状況が垣間見える。 これら資料より、南澤学園町のより具体的な造成及び分譲の様子が判明した。南澤学園町は、駅と学園との関係性や教育を意識し、4期にわたって造成・販売された。その事務手続きは婦人之友社学園町経営部が行い、羽仁吉一の責任の下、羽仁賢良も協力して行われた。土地代等の支払い手続きは、最初に申込証拠金を払った上で、数年に渡る分割払いを可とした。各区画内に分譲前からある松等立木の数に応じて立木代を徴収しており、立木の風景が町の特色であるという認識が当初から発現した。また、学園町居住者は少なくとも1932(昭和7)年時点では学園小学校への入学が認められる旨が示されており、学園町と自由学園との直接的な強い結びつきがあった。1927(昭和2)年より始まった第3期分譲頃から少しずつ住宅と住民が増え始め、1930(昭和5)年には南澤学園町住宅組合や『婦人之友』愛読者による団体「友の会」も活動。並行して自由学園校舎も設計した遠藤新設計住宅が建ち始め、地域の景観構成要素の一つになっていった。1937(昭和12)、1938(昭和13)年頃には、住民が交代で町の委員を担い、規定等もない状況で、羽仁夫妻の理念を共有した住民による、その理念を体現させた町がある程度実現したと世に示した。このように、南澤学園町は、ただ土地を分譲する一般的な住宅地ではなく、共同体としての地域形成を多方面から行った特殊性を有しており、本資料は、その地域形成の過程を理解するための端緒といえる。
  • 戦時下の自由学園の農業教育から (2)
    大塚 ちか子, 下野 明子, 松田 こずえ
    2024 年 9 巻 1 号 p. 16-25
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/06/24
    ジャーナル オープンアクセス
    自由学園南沢キャンパスでの農業教育が、「空き地農業」として男子部の産業を中心に、女子部、小学部を含む自由学園全体で行われるようになった昭和16(1941)年の状況について、「戦時下の自由学園の農業教育(2)」として紹介する。昭和16年4月から男子部は創設7年目となり、1年生から7年生まで7学年が揃った最初の年であった。この5月には那須野が原に農場が設置され、男子部生徒による開墾が始まった。 昭和6(1931) 年満州事変、昭和12(1937)年の盧溝橋事件、日中戦争、と戦時下の物資・食糧供給は次第に厳しさを増した。その中で昭和15(1940)年秋まで、生徒の自主性を生かして12部門に分かれてすすめられていた産業の中の畜産・農芸を、男子部全体で進めていく方向に、創立者の指導による改革が行われた。さらに、翌昭和16(1941) 年から「空き地農業」として自由学園構内を開墾し食糧増産を行うことになった。自由学園農業教育の食糧増産への切り替えは、年初に東京帝国大学田無農場長の佐々木喬博士を招いて相談と計画作成が行われ、その後も佐々木博士は、開墾、那須農場開場に伴う南沢キャンパスの作目変更、秋の夏作のまとめの折々に来校し、生徒一同を指導された。その内容を、『学園新聞』、および『自由学園の歴史II』から紹介する。創立以来、自然誌教育(Nature study)を受けてきた自由学園生徒に、この時期に専門家による指導が行われたことが、その後の農業教育・食糧増産に大きな影響があったと考えられる。さらに同年末には、自由学園教育20年報告会が行われ、会期中の12月8日に太平洋戦争が勃発し、男子部7年生は12月28日に繰上げ卒業となった。
  • 『婦人之友』記事を中心に
    山岡 正子, 秋田 香
    2024 年 9 巻 1 号 p. 26-50
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/06/24
    ジャーナル オープンアクセス
    日本と中国が戦争状態にある中、羽仁吉一、羽仁もと子夫妻は中国北京で自由学園北京生活学校を開校した。国と国とはこの状態であっても、歴史的に永い文化交流を持つ日本人と中国人が互いに理解し親愛の情を持つことを、羽仁夫妻は願った。自由学園と月刊誌『婦人之友』を通して、国内、中国、また世界の教育事情、社会事情に関する意見を聴き、羽仁夫妻がこの教育事業を着想し、開校に至る経緯を見ていく。この、中国での教育事業に対して批判、危惧、誤解もある中で、国内、中国双方から、社会的、思想的支援者があった。また『婦人之友』読者から実際的、経済的応援があった。多くの支援を得た羽仁夫妻のビジョンは夫妻が激しい議論を経て、その底にあった共通の祈りによって共有したものであった。
  • The 17th World Gymnaestrada 参加報告
    早野 曜子
    2024 年 9 巻 1 号 p. 51-67
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/06/24
    ジャーナル オープンアクセス
    2023年7月30日-8月5日までオランダのアムテルダムで開催されたThe 17th World Gymnaestrada(以下世界体操祭)に最高学部生有志23名とデンマーク体操TA1名がチームを作り参加した。2019年の前回大会参加から4年の間には、2020年1月末から新型コロナウィルス感染症が世界中に拡散し、ほぼ3年間日本は海外渡航を始め、外出制限などが実施された。オンラインでの体育実技などを経て2022年から対面授業が再開し、2023年5月8日からは国外からの渡航者制限が解除され徐々に移動を伴う国際交流が再開し始めた。世界体操祭参加に向けた練習や大会中の様子、参加前の意識と大会終了時の振り返りを通し学生たちが体操を通して学んだこと、大会を通しての国際理解についてまとめた。
  • 奈良 忠寿
    2024 年 9 巻 1 号 p. 68-70
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/06/24
    ジャーナル オープンアクセス
    2022年度最高学部4年課程卒業研究は17人が15のテーマに取り組んだ(個人研究14・共同研究1)。2年課程卒業勉強は3人がひとつのテーマに取り組んだ。成果はそれぞれ論文にまとめられ、2023 年2 月18 日(土)に自由学園創立60 周年記念講堂で開催された報告会で発表された。
  • 神 明久
    2024 年 9 巻 1 号 p. 71-73
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/06/24
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿では,2023 年2 月24日(金)に開催された2022年度生活経営研究実習報告会での発表内容をもとに,各実習の活動内容をまとめる.
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