生活大学研究
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幼児生活団の教育構想にみる英米ナースリースクールの影響
1930年代の羽仁説子の幼児生活への関心を手がかりに
菅原 然子
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2017 年 3 巻 1 号 p. 20-42

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抄録

幼児生活団は、これまで幼稚園史及び保育史で歴史的位置づけがほとんどなされてこなかった。そのため、その教育内容の、他の教育形態との関係性が論じられることがなかった。本論文では、主に創設当初の教育内容について、英国発祥のナースリースクールとの比較を通してその影響を明らかにすることを目的とする。1921年に自由学園を創立した羽仁もと子は、1939年、長女説子と共に、未就学児対象の幼児教育組織、幼児生活団を創設した。生活団は、前年に開催した、幼児の心身の健康的発達に着目した「幼児生活展覧会」における発表内容を、具現化するための実験施設としての要素を持っていた。当時、生活団は幼稚園でも保育所でもない運営形態をとっていたため、その教育内容や運営形態における、他施設との関係もわかっていない。しかし、1930年代の説子の幼児への関心をたどっていくと、ナースリースクールへの言及が見られる。1911年に英国で、マクミラン姉妹によって創設されたナースリースクールは、第一次大戦中、母親も労働市場へ参入していく過程で、家に残された子どもたちの生活環境を保障する措置として生まれた。子どもの心身の健康を第一に考え、よい生活習慣を身に付けることで、子ども自身が自分で健康を獲得できることを目指し、生活そのものを教育内容としたが、その教育的効果の高さに注目が集まった。後に米国にも伝わり、主に大学付属の研究・実験的施設として発展、宣教師によって日本にも紹介された。説子は1930年、雑誌『婦人之友』誌上でカナダのナースリースクールを紹介したのを始め、1936 年には、自由学園卒業生をカナダ、アメリカのナースリースクール視察に派遣。他にもいくつか、説子と、このスクールとの関係性が見られる。説子自身は生活団設立の際に、ナースリースクールを参考にしたとは明示していない。しかし、実際に生活団とナースリースクールの教育内容を比較すると、影響を受けている部分と、そうではない部分が見られた。

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© 2017 自由学園最高学部
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