抄録
歯科治療の主な目的が咀嚼機能の回復であることから,咀嚼機能を評価するために咬合力,咀嚼能力,咀嚼筋筋活動,咀嚼運動などを調べる多くの試みがなされてきている.これらの中で,咀嚼運動は,脳幹のパターンジェネレータによって基本的な咀嚼リズムが形成され,また上位中枢における運動制御系によって調節されるが,同時に歯根膜,咀嚼筋,顎関節などの感覚受容器からのフィードバック信号によっても調節されるリズミカルな運動である1).健常者は,規則的で安定した咀嚼運動のリズムと経路を呈すること,不正咬合者は,不規則で不安定な咀嚼運動のリズムと経路を呈することが報告されている2〜6).これらのことから,咬合の不正が咀嚼運動リズムに影響を及ぼしていることが予想される.
そこで,本研究では,咬合干渉が咀嚼運動リズムに及ぼす影響を明らかにするため,健常者に軟化したガムを咀嚼させた時の切歯点の運動をMKG(Mandibular Kinesiograph K-5)を用いて実験的咬合干渉(犬歯と第一大臼歯へ100μm)付与前後で記録後,咀嚼運動リズム(開口相時間,閉口相時間,咬合相時間,サイクルタイムの平均時間)と咀嚼運動リズムの安定性(開口相時間,閉口相時間,咬合相時間,サイクルタイムの変動係数)について,干渉前,犬歯への干渉付与後,第一大臼歯への干渉付与後の3群間で比較した.その結果,咀嚼運動リズムを表す各指標の平均時間は,干渉付与前に比べて干渉付与後にわずかに大きくなる傾向を示し,犬歯への干渉付与後のサイクルタイム,第一大臼歯への干渉付与後の開口相時間とサイクルタイムにおいて干渉付与前後間に有意差が認められた.咀嚼運動リズムの安定性を表す各指標の変動係数は,干渉付与前に比べて干渉付与後に大きくなる傾向を示し,犬歯への干渉付与後の開口相時間サイクルタイム,第一大臼歯への干渉付与後の開口相時間,閉口相時間,サイクルタイムにおいて干渉付与前後間に有意差が認められた.
健常者の咀嚼運動は,規則的で安定し,代表的な経路のパターンがある7)ことが報告されている.また不正咬合者や顎機能異常者の咀嚼運動は,不規則で不安定である2〜6)こと,歯科治療により異常な経路のパターンが減少8)したり,代表パターンに回復する9, 10)こと,運動量や速度が増大する9, 11)こと,サイクルタイムが短縮する12, 13)ことなどが報告されている.第一大臼歯あるいは第二大臼歯に単一のクラウンを装着した時の咀嚼運動を調べたWatamotoら14)は,クラウンの装着により,咀嚼運動が滑らかになり,サイクルタイムが有意に短縮したと報告している.また,全部床義歯装着者の治療前後の運動リズムを調べたKuramochiら15)は,治療後にサイクルタイムが短縮したと報告している.これらの報告は,運動経路だけでなく,運動リズムにも咬合が関与していることを示しているものと考えられる.本研究の結果では,運動リズムと運動リズムの安定性を表す各指標値は,干渉付与前に比べて干渉付与後に大きくなる傾向を示し,いくつかの指標において干渉付与前後間に有意差が認められた.これらのことから,咀嚼時の運動リズムは咬合によって変化すること,咬合干渉があると咀嚼運動リズムが緩徐化し,不安定になると考えてよいように思われる.さらに,犬歯と第一大臼歯への干渉付与の影響をみてみると,犬歯への干渉付与では3指標(サイクルタイムの平均時間,開口相時間とサイクルタイムの変動係数)において干渉付与前との間に有意差が認められたのに対し,第一大臼歯への干渉付与では5指標(開口相時間とサイクルタイムの平均時間,開口相時間,閉口相時間,サイクルタイムの変動係数)において干渉付与前との間に有意差が認められた.これは,咀嚼時に最も重要な役割を果たす第一大臼歯への干渉が咀嚼運動に強く影響を及ぼすことを示唆しているものと考えられる.
これらのことから,咬合干渉の付与により,咀嚼運動リズムが緩徐化し,不安定になることが示唆された.
注:本文中の文献番号は,英論文中の文献番号と一致する.