文化人類学
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トルコにおけるアレヴィーの人々の社会変化 : 宗教的権威と社会範疇に関する人類学的考察
若松 大樹
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2011 年 76 巻 2 号 p. 146-170

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抄録

本稿では、トルコ共和国のアレヴィーと呼ばれる集団の社会変化に関する一考察として、これまでの先行研究においてアレヴィー社会の「スンニー化」と呼ばれてきた現象に関して、批判的検討を行う。本稿では、西部アナトリア・キュタフヤ県のアレヴィー村落におけるデデ権威と、それに関連するオジャクと呼ばれる帰属概念を事例として取り上げる。オスマン朝時代、スンナ派イスラームが国教とされ、この教義とは異なるイスラーム的伝統を持つアレヴィーの人々は、中央政府から「異端派」としてレッテルをはられるだけでなく、ムスリムとすらみなされず、宗教実践や教義を理由にしばしば迫害を受けてきた。ところが、世俗主義と政教分離を国是として1923年に成立したトルコ共和国においては、人々はいかなる宗教によっても差別されないとの憲法上の規定があるため、アレヴィーの人々はトルコ共和国の国是を肯定し、多数派であるスンナ派の人々からの差別をある程度免れてきた。しかしながら、1990年代以降、スンナ派中心のイスラーム主義運動の高揚に伴い、この国是が揺らぎ始め、さらに農村部から都市部への移民の増加によって、アレヴィーとスンナ派の人々の直接的な接点が増え始めた状況において、アレヴィーの人々は再びスンナ派の人々から侮蔑的な偏見を被ることとなり、アレヴィーの人々の多くは、自分たちのアイデンティティをムスリムとして再定義し、多数派であるスンナ派の人々に対して、アレヴィー・ムスリムとしてのアイデンティティを主張する必要に迫られてきた。このような主張の中には、アレヴィーの人々がトルコ的イスラームの真髄を体現するものであり、スンナ派よりもむしろイスラームの本来の教えを実践しているという主張さえある。こうした現象は、これまでの先行研究においてアレヴィー集団の「スンニー化」としてとらえられてきた。しかしながらこうした見方は、アレヴィーの人々の主張を正確に反映しているとは言い切れない。本稿では、第1にアレヴィーの「スンニー化」をめぐる先行研究が、儀礼実践の変化という側面にのみ注目してスンニー化と述べていることを明らかにする(第II章)。第2に、西部アナトリア・キュタフヤ県のアレヴィー集落を事例として取り上げ、そこでの聞き取り調査や儀礼観察の結果、彼/彼女らが自らをアレヴィーとして自己規定する根拠として、オジャクという帰属概念が重要な役割を果たしていることを明らかにする(第III章)。第3に、デデと呼ばれる宗教権威や人々が「固有のアレヴィー性」を主張する際に影響を与えているのが、スンナ派系のイスラーム主義運動やアレヴィー系知識人の作り出した言説にあることを示し(第IV章)、これまで研究者の側が無意識であれ、そうした言説に左右されている可能性があることを指摘して、これまでの先行研究において「スンニー化」として記述されてきた現象が、実は儀礼実践の変化など、可視的な変化のみに着目して安易に論じていることを解明する。したがってこうした分析軸は、フィールドに暮らす人々の自己規定を必ずしも反映するものではなく、「スンニー化」の語を、とりわけ本稿で扱うアレヴィー社会の社会変化に適応することは不適切である。人類学者が社会変化を扱う場合は、社会変化の可視的な部分だけでなく、人々の自己規定など、複数の要素から深く検討して記述する必要があることを、本稿で提起する。

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2011 日本文化人類学会
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