本論の目的は、私自身が調査地の映像実践に巻き込まれながら、徳宏タイ族の人びとから学んだ現地の映像ナラティブと、そのプロセスで私自身が得た感覚的経験を考察し、いかにして人類学的映像ナラティブを実現したのかを明らかにすることである。近年、映像制作機器の小型化と低廉化によって、映像制作は身近なものとなり、人類学者が赴く調査地でも様々な映像実践が見られるようになった。本稿の調査地のように、これまで被写体であった人びとが、自分たちの文化的実践を映像に記録し、自主制作した記念映像をローカル市場において流通させ、鑑賞するようになった社会もある。本論では、私が現地の映像実践に参与して得た感覚的経験について民族誌的記述をおこなう。それとともに人類学者が現地の映像文化を身をもって学び、そのなかで培われる感覚や獲得される気づきを人類学研究に還元する、という相互の感覚や映像の表現方法を交渉させていくプロセスを、映像人類学の一つの方法論として提示し、今後の民族誌的調査と研究における映像の活用に寄与したい。