文化人類学
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エヴァンズ=プリチャードとリーンハートの考え方 : ナイロートの宗教研究における(<特集>人文学としての人類学の再創造に向けて)
出口 顯
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2015 年 80 巻 2 号 p. 221-241

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抄録

本稿ではヌアーとディンカの宗教研究におけるエヴァンズ=プリチャード(E-P)とリーンハートの思想の意義を、近年のアニミズム的存在論にも言及しながら検討する。まずシベリアのチュクチの供犠において生け贅の代用について論じるウィレスレヴの議論とE-Pによるヌアーの供犠における代用の解釈を比較する。代用を可能にする類似性が物質と物質のあいだにみられ、観念は物質の一形態であると説くウィレスレヴに対して、代用において類似しているのは観念と観念であると説くE-Pは、観念と物質の非連続性を強調する。ついで、人間から遠くかけ離れていながらも人間の生活に直接介入し体験される神の存在を理解するために、インゴルドによるメッシュワークという考え方を応用する。人間は神が張り巡らし神の一部でもあるメッシュワーク上にあり、人がメッシュワークに絡み取られる経験の相に応じて、現れる神の姿は異なる。そしてこの神と人々の経験の結びつきをさらに論じたのがリーンハートである。「力」(神性や神霊)がディンカの経験のイメージであるとリーンハートが言うとき、イメージとは視覚的印象ではなく、連続した生の経験を一定の配置のもとで人々に把握させ、経験への対処を定めさせるものである。「カ」が過去の出来事の保管庫であるなら記憶は「力」という外部から人間に到来するものであり、人の心は「力」の介入を俟ってはじめて成立する。リーンハートのこの思想は「機械の中の幽霊ドグマ」で有名な哲学者ライルの影響を受けているが、彼らと照らし合わせるとき、ヴィヴェイロス・デ・カストロやデッコラのアニミズム論は、彼らが批判しているはずの心身二元論という「機械の中の幽霊ドグマ」を乗り越えていないことがわかる。E-Pも心身二元論とは異なる立場にいたが、Nuer Religionは神観念をめぐるシニフィアンとシニフィエの安直な連結を解体する試みとして読まれるべきである。

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2015 日本文化人類学会
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