文化人類学
Online ISSN : 2424-0516
Print ISSN : 1349-0648
ISSN-L : 1349-0648
ラパトリエとピエ・ノワール
<アルジェリアのフランス人>の仏本国への「帰還」
足立 綾
著者情報
ジャーナル フリー

2016 年 80 巻 4 号 p. 569-591

詳細
抄録

本稿は、仏領であったアルジェリアから「帰還した」あるいは「帰還したとされた」フランス人たちが、自身の「帰還」をどう捉えてきたのかということについて、「ラパトリエ」という呼称に関する語りと「ピエ・ノワール」という呼称の名乗りの現象から考察するものである。アルジェリアは1830年から1962年の132年間にわたって仏統治下に置かれ、1962年時点では100万人弱の仏市民を抱えていた。ただしその内には、フランス以外の欧州諸国からの移民の子孫が多く含まれ、彼らもしくは彼らの先祖は、同化政策をとった仏領アルジェリアで仏市民となった人々であった。 アルジェリア独立戦争が凄惨を極める中、多くのアルジェリアのフランス人たちが本国に逃れたが、それは事実上の亡命とも言えるものであった。また彼らの多くは仏領アルジェリアで生まれ育ち、自身が本国の地をその時に初めて踏んだのみならず、その先祖も本国出身ではないという事情を抱えていた。しかし、彼らは、フランスの外地から内地へ「帰ってきた人々」つまり「帰還者=ラパトリエ」とされて、本国社会への速やかな統合が目指された。この「ラパトリエ」という語はしかし、当事者たちから拒まれ、そして消極的な使用にとどまってきたものでもある。それに対し、名指しにおける蔑称であった「ピエ・ノワール」は、当事者から自称として用いられて新たな意味付けがなされ、その下に「コミュニティ」が意識されるような呼称となった。ただし、この「コミュニティ」の代弁者とも言える団体の活動に目を向けると、それは、フランスの歴史や社会への帰属を目指すものとも捉えられる。従って本稿では、この「ピエ・ノワール」を名乗る実践を、不可視化を脱しつつ、本国社会への真の「帰還」を図る「異化」行為と捉え、彼らの「帰還」は未だその過程にあると考える。

著者関連情報
2016 日本文化人類学会
前の記事 次の記事
feedback
Top