本論の目的は、現代京都最大の祭礼である祇園祭に際して流通する「ちまき」という魔除けとそれにより構築される社会関係について、Graeberが論じたフェティッシュによる社会的創造論を批判的に捉えなおすとともに、モノ研究としてその流通を論じるべくKopytoffによるモノの位相に関する論考を参照しつつ考察することにある。Graeberの論じた社会的創造性、つまりフェティッシュへの合意により創造される社会関係の考察において、Graeberは社会関係の創造とフェティッシュの流通の関係を指摘しつつも、実際にどのような交換と流通が行われていたのかを考察の対象にしていなかった。結果としてそこではフェティッシュへの合意のみを基盤とした平板な社会が描かれていた。しかし実際の交換と流通の現場でフェティッシュというモノがいかに動いているかをみていくことで、より重層的な社会関係の理解が可能になる。本論はモノ研究の見地からこの点を論じるために、Kopytoffによるモノの位相論を参照する。Kopytoffはモノの位相として「商品(commodity)」と「特異(singular)」の2つを想定したが、これを再検討し分析に用いることで、京都においてちまきがいかに流通していくのかを解明し、そして人類学において流通するモノに着目することの意義を考察する。