抄録
本稿では,海外帰国子女のアイデンティティと使用言語の関係を論じた吉田氏の発表,ネパールにおける識字教育と母語についての松浦氏の発表,在日外国人家族に生まれた障害児の言語習得を論じた上野氏の発表についてコメントしながら,多言語生活がもたらすバイリンガル言語摩擦や文化摩擦など,世界のグローバル化にともなうさまざまな問題について考えてみたい.多言語が併在する環境は,我々のボーダーレス感覚をあおり,方言や病気,障害,死など,日常感覚の境界を越えた向こう側のものごとをいっそう浮彫にさせる.それは,言語生活に内在する人間学的意味,つまり,ことばによる意味価値の構築や交信,とりわけ,ことばによる支配と深く絡むのではないだろうか.多言語生活をよりよく生き抜くためには,我々が自分とは異なるものたちとの折合いだけでなく,自分自身との折合いをつけることが肝要なのである.