人文地理
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琉球列島における村落の構造的性格
仲松 弥秀
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1964 年 16 巻 2 号 p. 113-138

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抄録

1) 琉球列島内の村落の大多数は,発生以来たいした攪乱を受けることなく存続してきているようである。したがって,この地域の村落を究明することによって,古代日本民族の村落のあり方がうかがわれるのではないかと思う。
2) 家の配置を見ると,旧家群が村落の背面に位置し,分家群がその前面左右に展開していて,あたかも旧家群が分家群を見守るがごとき態様をなしているのが通例である。
とくに,祖先神を伴なう村落創始家は一段と最上位の位置に立地している。
3) ノロ家の位置を見ると,発生当時は必ずしも上位の位置を占めてはいない。それが村落移動の機会をつかまえて,村落創始家と同等,ときにはそれ以上の上位に位置するようになってきた。これはノロの権力が他の旧家よりも祭祀上上位になったことを現わしていると見ることができる。
4) 家屋の位置について,上位,下位の地位が村落内にあることが知られる。そして旧家,とくに村落創始家と後世ノロ家がこれに加わって,これら両家が最上位の位置に配置され,分家は下位の位置に配置されなければならない。この地位思想・家屋配置思想は村落内の神事と固く結ばれて発生しているようである。すなわち神事管掌家を核として村落共同体が成立していることが知られるであろう。
5) 琉球各村落には“お嶽”と称されている最高聖杜がある。これは太古その村落の祖先の共同墓地であったものが聖所化したものと筆者は考えている。このお嶽を拝する者は,たとえ血縁は異なっていても,お互いに“同一お嶽の子”という思想によって結ばれるようになる。このような思想によって結ばれている集団とその村落が“マキ”ではなかろうか。
6) “同一お嶽の子”思想は,やがて,お嶽を管理し,祖先神を伴なっている村落創始家とノロ家を村落の最上位の位置に配置し,次に神事に関係する他の旧家を次位に配置するようになった。すなわち祭祀することによって維持されていく祭政一致の村落社会が成立したのである。
7) 沖縄本島には現在マキ名を残している村落が相当数存在する。その分布は首里・那覇から遠隔で交通的にも不便な地域と離島であり,この分布によって消失過程を知ることができるとともに,まだ古代マキ社会をうかがうことのできる地域の存在を知ることができる。
8) 現琉球列島村落は,単一マキから発展したのもあるとは思うが,そのほとんどは複合マキから発展したもののようである。沖縄本島付近の村落にはお嶽・殿が数ヶ所あるのが多く,八重山においては数ハカで1村落が,また奄美大島にはグンギンを2以上もつ村落が多いことで,そのことが知られる。
9) 複合マキから成立している村落においては,各マキ集団の居住地域が明らかな村落もあるが,多くの場合は混在しているようである。しかし,その場合においても殿と旧家の配置によって,旧マキ地域が見当づけられるものが多い。
10) 沖縄戦後の移動村落における家屋配置は,旧家・分家の差別がなく,各家思い思いに宅地を選定し,あるいはクジ引で宅地配当が行なわれ,そこには上・下位の地位思想も全く見出せない状態になっている。
このことは,たとえ村落背後に旧家が配置されている村落においても,すなわち外見上古代的態様を呈している村落においても,その内部社会構造が瓦解しているということを表現していると見ることができる。ただし,このような村落社会の近代化も場所によって異なることは当然であって,奄美大島と八重山にはなお相当古代性がふくまれている村落が比較的多い。

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