抄録
1.はじめに
 本稿は、あるベトナム人元技能実習生のライフストーリーを分析し、彼女がどのように技能実習を経験し、その経験を自らの人生の中でどのように意味づけているのかを明らかにする。
 現在、日本では不足する働き手を外国人によって補っており、外国人技能実習制度(以下、技能実習制度)もその動きの中に位置づけることができる。もともと技能実習制度は、日本の技能や技術・知識などを技能実習生が学ぶことにより、当該開発途上地域の経済発展を担う人づくりを支援することを目的としている[法務省・厚生労働省2017]。2022年6月時点における在留資格「技能実習」の取得者は327,689名おり[出入国在留管理庁2022]、これは永住者に次ぐ多さである。しかし、これほど多くの技能実習生が日本で生活しているにもかかわらず、彼ら彼女らは日本社会からは不可視の存在となっている。筆者自身、地域のボランティア主体の日本語教室で初めて技能実習生に出会うまで、その存在を知らなかった(あるいは意識していなかった)。様々な工場や農場、建設現場などで大半の時間を過ごす彼ら彼女らは、確かにそこにいるが、その暮らしぶりや内的世界が意識されることは少ない。しかしその空間は、「偏見、誤解、差別、そして理解、歓喜もある日常の空間であり、絶え間ない大小の異文化摩擦の続く、生々しい空間」[塩入2021:25]である。搾取される低賃金労働者として描かれることの多い彼ら彼女らは、どのように技能実習を経験し、それをどのように意味づけているのだろうか。本稿はこのような疑問に端を発する。