2019 Volume 3 Article ID: 2019-004
卒前医療者教育ではProblem-Based Learning(PBL)等の学習者のアクティブ・ラーニングを促す教育手法が広く導入されてきた.これまでは,その教育効果を測定するために量的研究が多くなされてきたが,そこでの学生の学習経験や学びを深めていく過程を探索した質的研究は十分に実施されていないのが現状である.質的研究の目的は,現場や当事者内で実際に「何が」「どのように」「なぜ」起こっているのかを深く理解することにあり,その研究の視座は対象となる事象のプロセスにある.つまり,学習プロセスの検証において,学習者や教育者の個々の気持ちや認識,信条,価値観に加えて,学習者間や学習者-教育者間の動的で相互作用的な関係性を捉えることが重要になる.本稿では,教育現場の参与観察やインタビュー調査によって得たデータを分析した質的研究の紹介を通して,質的研究が目指すものやそれによって見えてくるものを考察していく.
教育のプロセスやアウトカムを包括的に検証する際には,その文脈における個々人の経験,認識,信条,態度,文化的価値観,関係性など,数値では表しきれない事例(ストーリー)を厚く記述する必要がある.近年,医療者教育の分野においても,このような学習・教育の「質」を対象とする質的研究手法に対する関心は高まっているといえる.しかしながら,実際には,心理測定尺度や行動観察,パフォーマンス評価などによって得られる「客観的」な数値データのみで教育実践を議論し,解析結果の一般化,教育の正当化に重点を置く医療教育研究は依然として多い.
その背景には,研究者の研究に対する認識論的立ち位置が大きく関わる1).具体的には,量的研究では,研究対象となる現実は確固たるものであり,研究者はその対象と距離を置き,客観性・中立性を保つことを重視する立場をとる.これは,自然科学の研究には馴染みのある科学探求に対する態度であり,科学的手法を用いて演繹的に仮説を検証するアプローチである.一方,質的研究の立場では,研究対象となる現実は,人々やモノなどの社会的関係や相互行為により成立し,人々がそれをどう意味づけるかによって変化するものであると考える.例えば,大谷2) が例示するように,インタビュー調査では,面接者と回答者の相互行為により研究対象となる経験や認識を言語化していくため,両者のインタビューに対する意味づけや社会的関係性によって話される内容(データ)は意図的・無意識的に変わることを認めなければならない.つまり,質的研究では,研究対象者の現実の解釈を研究者が解釈する必要があり,主観的な見方を通して,ありのままを厚く記述することが重要となる.
質的教育研究の目的は,研究対象となる教育の文脈における学習者(または教育者)の経験やその経験に対する解釈を探索することにある.経験に対する学習者自身の意味づけや認識の解明は,その教育介入が成功(または失敗)に至るまでの複雑なプロセスを理解することにつながる.また,アウトカムに至るまでのプロセスを探索することで,学習者が実際に教育場面でどのような経験から何を感じ,そこからどのような意義を見出したのかを学習者本人の視点から明らかにすることができる.その知見は,具体的な教育改善や学習者の深い学習アプローチを促す仕掛け作りにおいて有用な情報となりうる.本稿では,主体的・対話的学習における学びを捉えようとした質的研究の紹介を通して,どのようなことが見えてくるかを論じる.
本稿では,筆者の先行研究における質的データや結果を一部抜粋,概観しながら,質的研究の本質を考察していく3–5).その主体的・対話的学習場面における学習者の経験を探索した質的研究の概要は表1に示す.各々,学習者の視点から,1授業(3時間)における会話パターンとそこでの学び,10週間のコースを通しての意識変化,3年間のカリキュラムを通しての意識の変容過程の解明を目的に実施されたものである.また,以下の研究は,岐阜大学医学部および昭和大学倫理審査委員会の承認を受けている.
研究1 | 研究2 | 研究3 | |
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目 的 | 多職種グループの議論における会話パターンと,そこでの学習者の学びの認識の検証 | 研究室配属での研究体験が学習観や研究に対する認識に与える影響の検証 | チーム医療教育での専門職連携者としての意識形成やスキル習得の過程の追跡調査 |
期 間 | 3時間(授業) | 10週間(コース) | 4年間(カリキュラム) (研究実施は3年間) |
対 象 | 多職種グループ:8名 | 医学生(3年次):14名 | 作業療法学生:1名 |
データ | ・討議場面のビデオ録画 ・フォーカスグループ |
・参与観察 ・インタビュー (各参加者コース前半と後半で2回ずつ) |
・討議場面のビデオ録画 ・インタビュー (各学年での学部連携教育の後に実施) ・ポートフォリオ (各PBL後に提出される学びの振り返りを収集) |
分 析 | 教室談話分析 | 主題分析 | 主題分析 |
岐阜大学医学教育開発研究センターは,東海地区の医療系教育機関と協働し,医学,歯学及び歯科衛生,薬学,看護,作業療法,理学療法の学生が共に学ぶ2日間の多職種連携教育セミナーを企画した.この研究では,レヴィー小体型認知症の患者に対する治療とケアを題材にしたシナリオを用いた多職種グループ討議の中で,学生がどのように参加し,そこで何を学んだと認識したのかを学習者の視点からのデータをもとに検証したものである.1グループ(計8名)の討議の録画とその後のフォーカスグループによるデータ収集を行ない,教室談話分析に従って会話パターンの分析を行なった.その結果,多職種間の討議におけるインタラクションとして,「協働」と「対立」の2つのパターンがあることが明らかになった.「協働」の事例として,口腔ケアの議論の中で看護学生と歯科衛生士学生間でどのようにブラッシングやブローイング訓練を協働して実施するかを話し合う場面があった.セミナー後に実施したフォーカスグループでは,その議論を通じて多職種協働がどのようなものかを具体的に理解することができたという歯科衛生士学生の振り返りがあった.一方,「対立」の事例としては,退院後の在宅での歩行やリハビリに関する議論が挙げられる.その中で,理学療法学生と作業療法学生は退院後に患者の積極的な杖歩行や家事を推進する一方で,医学生は安全確保のために在宅では動作を制限し,デイケアなどの場でリハビリを実施するという意見を有した.その討議場面の会話の詳細は表2に示す.
M: | ちょっといいですかね.杖歩行の目指すところってどういうところなのかなっていうのが,屋内で杖を使って,かなりリスク高いですよね.家の中で介助をされる方っていうのは,旦那さんと娘さんなんですけども,すごい支えがしっかりされている方ではないので,例えばデイケアとかサービスに行ったときに,どなたかしっかりとした方についてもらって杖歩行の練習をするっていうのはいいかなって思うんですけど,屋内で,ご自身でされるっていうのは,かなりリスクが高くなるかなと.で,例えば転倒なんかされたときに,おそらく年齢的なものもあるし,骨折のリスクもかなり高くなるので,家の中で動き回るっていったら変ですけども,うーん,ちょっとこわいかなって思うんですよ.家の中では安定した,ポータブルトイレを置いて動作っていうのは確実に必要なんですけども,家の中での杖歩行の必要性というか |
PT: | そうですね.そこらへんのところが,しっかりしてないんですけども,ただ,この方が家事に戻られる感じが強いので,家事は旦那さんはやらないっていうか,メインは娘さんになると思うんですけども,その補助とかで動いたりとかはするかんじというか.家族に迷惑をかけたくないと言われてるので,手伝いたいような傾向はみられるんですね.なので |
M: | 車いすを導入するっていうのは厳しいですかね |
OT: | 幅が,横幅が狭いと使えないので,間取りがないのでなんともいえないですけど |
M: | なんか,ちょっと怖い感じが,家の中でね.手すりっていう話にはなると思うんですけど,ゆくゆくは.としても現段階でそこまで進めるっていうのは,ちょっと怖いかなっていう |
OT: | 進行性っていうことなので,ここから悪くなっていくっていうことも考えられるので,やっぱり手すりをつけれるんであればつけておいた方がいいかなと思うので,屋内では手すりを使ってもらったほうが杖よりは安定はするかなとは思うんですけど,転倒があるので移動距離を小さく狭めようとすると,意欲とか活動性の低下も見られてくるので,危ないから動かないでほしいっていうのは,ちょっとQOL的な面でも,できるかぎりは動いてもらった方が |
M: | もちろんデイケアとか安全が確保できるところでっていうのがほしいっていうか,こけられると本当に怖い,その後が,またADL下がってくる可能性があるので |
PT: | それに対しては,家庭の方の生活空間の導線の指導とか,無理な距離というか,それを見定めながら,短い距離に対しての杖歩行.そういうところも加味して.バランスのことがやっぱり重要だと,さっきも言ったんですけども,意欲の低下がみられるので,さっきの「動かないでください」みたいなニュアンスの指導になっちゃうと結果的にまだ4ある筋力がさらに低下していく可能性があって,バランスに加えて筋力で,今度は立位も座位もってなりかねないので.安全…まあ,杖でも四点杖とか,なるべく底面の広いものとか,二本杖というか,両方にT字杖とか,難しくなれば歩行車っていうふうに考えるんですけども,手押し車みたいな.そういうところも見定めながら.歩行による筋持久力,筋力の維持っていうところにアプローチしたいなっていうのはPTと,あとOTの. |
M: | ひとまず,そうですね.病院内でリハビリをしていただいて,家に帰るときに状況をみてできるだけ安全な方法で動いていただくという方向で.そのときまでに再度評価ということで対応していきましょうか. |
インタビューデータから,この「対立」の議論を通して,三者三様の学びがあったことがわかる.以下の抜粋にあるように,医学生は,様々な視点から患者の問題を議論できるように,またグループの意見が偏らないようにするため,議論を統括する役割に徹していた.つまり,多職種チーム内での医師としての役割を見出し,リーダーシップをとる必要のある機会と捉えていた.
一気に,家の話まで進んでしまってたんで,そこまでを今の段階で評価することってできない.たぶん彼らは最大限の目標での話をしていると思うんですよ.細かく,その都度,評価していって,安全性は確保しながらやっていきたいという思いが僕にはあったので…この場面においてドクターのできることは,そんなに多くはないのかなって,だからまとめ役なのかなって考えて…一つ凝り固まった方向にいっちゃうのは止めないといけないなっていうのもありましたし,あと,むしろ話が及んでないところには,もうちょっと話し合ってもらいたいなって(医学生)
また,作業療法学生は,この経験を通して,多職種グループでの合意形成の難しさを実感し,チーム医療の在り方や作業療法士としての責任を考える機会になったことを認識した.抜粋を以下に示す.
ドクターは転倒が危ないから,できるだけその転倒リスクを下げたい.だから,杖歩行ちょっと危ないんじゃないかとか,活動の範囲をちょっと狭めたらというような話もあって,でも,OTの立場からは,動かないことで意欲も下がるし,本人さんのQOLも下がるしというところを,こう理解してもらいながら,でもやっぱり転倒予防というのは大事なところなので,そこをどういうふうに考えていかなきゃいけないかを,こっちの考えも理解してもらって,でも,さらにそれを改善するにはどうしていったらいいかというところを考えていくのはすごく難しいなというのを思いました.(作業療法学生)
一方,理学療法学生は,医学生の意見により,自分自身の考えを違った視点から振り返る機会にできたと述べ,包括的な患者ケアを実践するためには,多職種との意見共有が重要であることを実感している.以下に抜粋を示す.
杖歩行というところで本当にそれが必要なの?というのが,えーっと,ドクターのほうからあって,またそこで自分の考えを,つくり直してという作業ができるのは,たぶん多職種からの疑問点が出てこないと,自分はもうそれでいっちゃうと思うので,よりよい方向に患者さんのためになるようなことができ,できやすいのかなという印象を持ちました.(理学療法学生)
この研究では,医学生が10週間の研究室配属での自身の研究体験をどのように捉え,その認識が学習意識にどのように影響したのかを学習者の視点からのデータをもとに調査したものである.医学教育学に配属された3年次の医学生(計14名)に対してコース前半の2週目と最終週の計2回,彼らの学習観や研究に対する認識,実際の研究体験の振り返りに関する半構造化インタビューを実施した.表3にあるように,研究に対する認識に関して,研究室配属の前半では,学生は「実験」「仮説検証」「発見」など科学的研究の内容やアウトカムの観点から研究を捉える傾向にあったが,研究への参画を通して,その認識は「探求心」「協働プロセス」「知識構築プロセス」など研究プロセスに向けた視点へと変化していった.また,研究活動を学習活動と関連づけられる学生もいた.具体的なインタビューデータを表3に示す.
コース前半(第2週) | |
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科学的研究の手法や内容に着目(content-oriented perceptions) | |
研究とは… | インタビューコメント(例) |
新たな試み,発見 | ・今まで誰もしらなかったことを調べていって,ほりさげていってっていうイメージ |
身近な活動ではない | ・研究って言われても親しみがなくて,全然やったことがないから,仰々しいようなものっていうイメージで,あまり身近なものではないですよねえ |
実験 | ・一日中こもって顕微鏡やらスポイトやらで,検査にかけて,なんか小っちゃいもの見て.こもってるってイメージなんで,いやですね |
仮説検証 | ・誰も知らないことを,まだわからない状況で,こんなふうになるだろうっていう仮説を立ててそれを実証していくこと |
データ収集 | ・発見するために実験を繰り返すみたいな.証明するために,証拠を集めること |
↓ |
コース後半(第10週) | |
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学習プロセスとして認識(process-oriented perceptions) | |
研究とは… | インタビューコメント(例) |
探求しつづけること | ・好奇心に裏打ちされて動いているうちに,何か真理に近づいていける可能性がでてくるっていう感じですかね.好奇心が原動力で何かがわかるきっかけ |
協働プロセス | ・研究メンバーでこう,新しい,自分たちでやり方をつかんでいって,成功に導くというか,成功させようとすること自体,ははは.なんていうんですかね.問題解決を目指して一人一人が貢献して,円滑に進むようにすること自体 |
知識構築プロセス | ・膨大なデータは,実は一本の線でつながって,説明できるような気がしたので,その事象をデータから理解していくことかな |
学習活動そのもの | ・研究っていうのはほぼ学習と同じかんじですかね.自分の関心があることを追求していくことだから,研究はほぼ一緒って思えて,学習の延長線上にあるものだと思います |
このような認識の変化が起きた学生は,研究室配属中の活動で深い学びのアプローチや高次な思考過程をとるようになったことが観察された.例えば,下記の最終週に実施したインタビューのデータでは,主体的学習態度やエビデンスの統合,探求心,多角的分析,協働と役割・責任など深い学習アプローチに関わる言葉がみられる.
最初は,普通の授業みたいにこなすだけって考えていたんですが,まあ,なんか,積極的に参加する感じが面白かったし,自分の役割を認識して,その役割に徹することの大切さを学びました.チームプレイっていうか.あと,アンケートとって,インタビューとって,「なんでこうなったんですかね」「これ面白いっすよね」「ここにこんな傾向ありますよ」みたいなことに気づいて,もうなんか,面白かったです.男女っていうよりも,そもそも人間とはみたいな.だから,根底にあるものは,ずっと一本の線でつながって説明できるような気がしたので,全部が散らばった事象じゃなくて,面白かったです.(2014年研究室配属第10週)
以上から,卒前医学教育において,研究体験の機会を与えることは研究プロセスに対する深い理解だけでなく医学生涯教育に必要な深い学習アプローチを促す可能性が示された.
研究3:チーム医療教育カリキュラムでの学習経験5)この研究は,6(4)年一貫の段階的・系統的な専門職連携教育カリキュラムを通して学生のチーム医療に対する認識や医療人としての意識形成過程を経時的・縦断的に調査したものである.研究対象となった作業療法学科の学生の1年次,2年次,3年次学部連携PBLでの討議場面のビデオ撮影と各PBL後にその学習経験に関するインタビュー調査を実施し,学習者の視点からどのような学習経験をして,その教育からどのような意義を見出したのかを明らかにした.認識された学びとして「コミュニケーション」「自己主導型学習能力」「チーム医療の重要性」「専門職としての意識」「多職種の役割の認識」の5つの概念カテゴリーを抽出した.表4は,3年間での5つの学びの獲得過程を示している.初年次PBLは,「コミュニケーション」や「自己主導型学習能力」の基盤作りの場として認識され,そこでの経験が,学年が進むにつれグループ内の専門知識の共有・獲得に応用されている.また,初年次後半から3年次にかけ「チーム医療の重要性」と「多職種の役割」は「気づき」から「理解」へと深まり,「専門職としての意識」は「芽生え」から「深化」へと変わっていった.
1年次 | 2年次 | 3年次 | |
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主体的学習態度・意欲 | 受動から主体的態度 | 専門領域への学習意欲 | 多職種の知識獲得の重要性の認識 |
コミュニケーション | 自分の意見を言う | 知っていることを伝えたい | 専門知識をわかりやすく伝え,チームにどう貢献するか |
患者中心・チーム医療の重要性 | 重要だろうな | お互いの「専門」を出し合い理解することの重要性 | 専門性の共有・連携を通して質の高い医療を提供するべき |
多職種の役割の理解の重要性 | 気づき | 実感 | |
専門職としてのアイデンティティ | 責任感の芽生え | 責任感とチームへの貢献 | |
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コミュニケーションスキルの涵養過程に関するインタビューデータを下記に例示する.学生は,「とにかく自分の意見を言う」という発言数に意識が向けられていた初年次と比べて,3年次ではどのようにしたらわかりやすく専門知識を多職種に伝えられるのかという発言の質に意識が向けられたことがわかる.
【 1年次:まずは自分の意見を言う】
自分の意見をきちんと言うっていうことが大切.…もっと自分の考えを言ってかないとだめだなって思いました.(1年次前期)
きらいですよ,このPBLは.ずーっと何もしゃべんないで…でも,ためになるとは思います.自分の意見言わなきゃって(1年次後期)
【 2年次:知っている専門知識を伝える】
手のレントゲンをみたときに,みんなが知らない用語,難しい用語とかをちょっとは言えたんで,みんなも納得してくれたんで,そこはよくできたと思います.
【 3年次:専門知識をわかりやすく説明する】
わかりやすく説明しようっていう意識は,結構あって….専門用語とかは言わないとか,関節の名前も,第一関節とか第二関節とかって言ったほうが,わかりやすいのかなと思って,そこは心がけていました.
以上より,3年間の学習を通して,コミュニケーションという観点からでも,個人の学習行動の意識からチームへの貢献に変化していったことがわかる.
質的研究は,結果の予測や効果の測定ではなく,オープン・エンドな問いで,研究対象となる事象のありのままを詳細に記述することが大きな目的となる.では,具体的に質的研究を通して何が分かるだろうか.質的研究の特徴や利点は,多くの文献2,6–8) ですでに示されているが,今回提示した研究と関連づけながらいくつか考えてみる.
第一に,文脈における当事者の経験やその経験に対する意味づけを提示することができる.研究者が,事象が起こるフィールドであれ対象者の内的世界であれ「現場」に入ることで,その文脈の中で実際に何が起こっているのか,そこにいる人々が何を感じ,何を学んだと認識したのかを探索することが可能になる.例えば,研究1の学生間の意見の「対立」の場面は一見ネガティブな事象にも見えるが,その経験を通して各々の学生が異なる学びを得たという認識を持ち,個々の意味づけを示すことができた.これは,心理測定や効果測定に関する尺度を使った量的研究のみでは明らかにすることは難しいといえる.
第二に,複雑な状況におけるプロセスの中で,外見的に観察可能な行動ではなく,学習者の内面的現実の変化(プロセス)を描くことができる.例えば,研究2は研究室配属コースの前半と後半の同一学習者の研究に対する認識を比較することで学習者本人の内面的変化を考察することができた.妥当性の検証が十分になされた尺度が存在しない領域においては,プレテストとポストテストを用いた量的研究の実施は難しいため,帰納的に認識の変化を記述することが有効である.これは研究3の学生の専門職としての意識形成の縦断的研究も該当する.また,質的研究では,なぜその認識変化が起きたのか,その変化がどのような影響を学習にもたらしたのか,など実際の研究体験と結びつけながら掘り下げて分析していくことも可能となる.
第三に,既知の研究的知見が十分でない新しい事象を探索することができる.研究3にある体系的,系統的に設計された多職種連携教育プログラムは,多くの機関では確立されておらず実践例の少ない文脈と考えられる.そのため,そのような教育での学生の長期的な学習経験を調査した先行研究は多くはないだろう.研究3は,1名の学生を対象にした小規模の予備研究ではあるが,3年間の経験を追跡調査することによって,グループワークの録画資料やインタビューデータ,ポートフォリオの記述内容など,詳細で膨大な質的データを収集することができた.このデータの質的分析を進めることで,学習者の視点から新しい事象における経験や学習過程を深く理解することが可能となる.
質的研究では,特定の文脈における特定の対象者に焦点を当てるため,概して小規模な研究となる.そのため,「だから何?」「それで結局効果があるといえるのか?」など研究結果の一般化に関する批判や疑問が多くあがる.留意すべきことは,量的研究と質的研究とは,認識論的立ち位置や研究アプローチが異なるため,質的研究を量的研究の判断基準で評価することはできないということである.つまり,質的研究では結果の一般化をそもそも目的とはしていないため外的妥当性を研究の評価基準とすることはあまり意味がないといっていい.量的研究における外的妥当性に相当する質的研究の判断基準は,その研究結果が他の類似する状況に当てはまるか,応用できるかという判断を読み手に委ねる移転性(transferability)であると言われている.研究結果を読み手の他の状況に援用可能にするためには,当事者視点からの十分なデータと解釈を提示する「厚い記述」や理論的枠組みの活用が重要となる1,9).
以上から,研究をデザインする上で,質的研究で目指すものが何なのか,それによりみえてくるものが何なのかを理解することが,研究課題における「質」を解明するために必要なことだといえる.
今回は,個々の研究を詳細に紹介することはできなかったが,本稿を通して質的研究のエッセンスを感じることができたら幸いである.ここで注意しておきたいことは,量的研究と質的研究とはどちらが優れているのかという議論になってはいけないということだ.それよりも両者がどのような視座やアプローチにより「現実」を解明しようとしているのかを理解することが重要である.また,量的研究同様に,質的研究の実施にも十分な科学的手続きをとる必要があることは見落とされがちである.質的研究を考えるうえで,データ収集方法や分析手続きの理解も必要になるが,それらの各論については次の機会としたい.
発表内容に関連し,開示すべき利益相反はない.