日本公衆衛生看護学会誌
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研究
東日本大震災により津波被害を受けた高齢者の避難所での体験
―震災直後から災害急性期に焦点をあてて―
安齋 由貴子桂 晶子坂東 志乃河原畑 尚美千葉 洋子二瓶 映美小野 幸子
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2018 年 7 巻 3 号 p. 134-142

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Abstract

目的:東日本大震災後の急性期における高齢者の避難所生活の体験について明らかにする.

方法:参加協力者9名に半構造化面接を行い,質的帰納的に分析した.

結果:高齢者は【寒さに耐える雑魚寝生活】【生きるための最低限の水と食べ物】と生命を維持するために最低限の生活を強いられ,【簡易トイレでの慣れない排泄】【日用品の不足による着の身着のままの生活】【不衛生を強いられる生活】という不衛生な環境で生活していた.さらに医療機関の被災や移動手段が断絶したことから【不十分な医療や介護による疾病の悪化】が生じていた.また,避難所での【生死を分けた被災者の人間模様の共感や忍従】を経験し,【「生」の強さの実感と人々が支え合う生活への感謝】と支援してくれた多くの人々に感謝していた.

考察:高齢者の避難所生活のために,地元住民や関係者,他機関からの支援者との効果的な支援体制を構築していく必要性が示唆された.

I. 緒言

平成23年3月11日の東日本大震災では,大規模地震,またそれに伴う大津波被害,原子力発電所損壊に伴う放射線被害など,未曾有の被害となり,多くの家屋の流失や住民の死をはじめ,ライフラインの途絶,住み慣れた居住地を離れざるを得ないなど,人々は基本的生活の喪失により避難所生活を強いられる状況が続いた.このような中で,健康障害を抱えた人々への支援の遅れ,避難所の劣悪な衛生状態による感染症の発症が散見された.中でも高齢者は,身動きが取れない避難所での生活によってADLの低下や慢性疾患の悪化などの健康上の問題が指摘された.これらの反省から,平成25年6月に災害対策基本法が改正され,8月には「避難所における良好な生活環境の確保に向けた取り組み指針」(内閣府,2013)が策定され,避難所での過酷な生活を改善するための取り組みが積極的に行われている.しかし,平成27年3月の「避難所の運営等に関する実態調査(市区町村アンケート調査)調査報告書」(内閣府,2015)によると,避難所の食料・飲料水等の備蓄をしていない,要配慮者への支援体制を整備していない自治体が約30%など,未対応の自治体があることが報告されている.平成28年4月14日に発生した熊本地震後においても,東日本大震災と同様の健康生活を脅かす避難所生活の実態が報道され,支援者からの報告もされている(沓沢,2016山﨑,2016).

被災地においては,被災者支援として多くの看護職が派遣され,様々な支援活動を行っているが,「どこで何をしたらいいかわからない」「どのような団体・組織がどのような支援活動をしているのか全体像が見えない」等々,支援のあり方には多くの課題が指摘されている(田上,2011石井,2011坂元,2013).甚大な被害を受けた被災地において被災者のニーズに対応した看護を実践するためには,災害後,避難所ではどのようなことが起こっているのかを理解していることが重要である.

「災害」「高齢者」「健康」をキーワードに医中誌Web版で検索すると約500以上の研究論文が検索されるが,災害の備えに対する研究や,災害公営住宅入居者の調査など復興期に焦点をあてた研究が多く,発災直後や災害急性期の高齢者の生活状況に焦点をあてた研究を見出すことができなかった.大規模災害後,避難所において被災者がどのような生活を強いられているのか,その実態を明らかにして示すことによって,支援にあたる看護職が災害時の状況を理解し,被災者のニーズに対応した看護活動を行っていくための一助になると考える.

そこで,本研究は,東日本大震災後の津波被害を受けた地域において,避難所で生活した高齢者の協力を得て,被災直後から災害急性期における高齢者の避難所での生活体験を明らかにし,避難所生活の実態に対応した看護支援について考察することを目的とした.

II. 研究方法

1. 研究協力者の選定とデータ収集方法

研究協力者は,東日本大震災後の津波被害を受けた地域の避難所で避難生活を経験した65歳以上の高齢者を対象とした.選定基準として面接による会話が可能な者とし,性別や基礎疾患等は問わないこととした.

まず,避難所で生活した対象者のその後の連絡先を把握している機関(市役所または福祉施設)に,文書と口頭で研究の説明をし,研究への協力を依頼した.協力機関には,研究者らが該当者に連絡を取って研究概要を説明すること,そのため研究者らに氏名・連絡先を伝えることについて本人の了解を得ることを依頼した.了解が得られた該当者に,研究者から連絡し研究協力の依頼をした.

データ収集は,半構造化面接により行い,本人の了解を得てICレコーダーに録音し,その逐語をデータとした.データ収集期間は平成24年12月~平成25年3月であり,面接者は,全員が被災地での支援経験を有している者であった.面接は面接対象者1名もしくは1組に対し,半構造化面接の経験がある研究者1名を含む計2名で行った.

データ収集内容は,基礎的情報として,年齢,性別,ADL,現病歴を,また,震災後,避難所に移動するまでの経過,避難所での日常生活について(食事,睡眠,排泄,清潔等),自らの体験を自由に話してもらった.本稿では,震災直後の避難所における約1か月間(外部からの支援や物資が届き始めた時期まで)の生活の実態のデータを分析対象にした.

2. 分析方法

質的帰納的研究デザインを用いて,避難所生活の体験に着目して分析を行った.まず,得られたデータから逐語録を作成し,語られた内容について,一意味一文として要約してコードを作成した.次いで,コードの意味内容の類似性により分類し,サブカテゴリー化,カテゴリー化と抽象度をあげて命名した.分析の経過と結果は,災害看護学の専門家の研究参加,質的研究の専門家との共同研究によりメンバーチェッキングを行い,Lincoln et al.(1985)の真実性(Trustworthiness)を評価する基準を参考に確認した.

3. 倫理的配慮

本研究は,宮城大学看護学部・看護学研究科倫理委員会の承認を得て実施した(承認番号2012024.2012年12月4日).研究協力者に対し,文書と口頭で研究の説明をして,研究協力への承諾が得られた際に,同意書への署名により同意を得た.なお,面接中に震災による被害や避難所生活の辛さなどを想起し,心身の反応が生じる可能性があるため,十分な観察を行いながら実施し,反応の状況によっては速やかに面接を中止すること,話したくないことは答えなくてもよいことを説明してから実施した.

III. 結果

1. 研究協力者の概要について

研究協力者は9名で,年齢は60歳代から90歳代,性別は男2名,女7名であった.うち6名3組は夫婦または親子であり,一緒に面接を行った(表1).

表1  研究協力者の概要
研究協力者 年齢 性別 ​避難生活時の身体状況 避難所での生活期間
A 70歳代 ​脳出血による片麻痺,車椅子使用 2か月
B(A氏の妻) 60歳代 ​腰痛 2か月
C 80歳代 ​杖歩行 1か月
D 70歳代 ​脳出血による片麻痺,車椅子使用 2か月
E(D氏の妻) 70歳代 ​閉塞性血栓血管炎 2か月
F 70歳代 ​脊椎狭窄症,杖歩行 3日間
G(F氏の母) 90歳代 ​杖歩行 3日間
H 70歳代 ​うつ病の既往歴あり 1か月
I 90歳代 ​骨粗鬆症 2日間

2. 東日本大震災後に避難所で生活した高齢者の体験

避難所で生活した高齢者の体験は,313コード,28サブカテゴリー,8カテゴリー抽出された(表2).以下に,カテゴリーは【 】,サブカテゴリーは〈 〉,コードは「 」,語りは斜字で示し,方言や前後の文脈から補足が必要な語りは( )で追記して示している.

表2  東日本大震災後に津波被害を受けた地域の避難所で生活した高齢者の体験
カテゴリー サブカテゴリー
寒さに耐える雑魚寝生活 多くの人が押し寄せ身動きできない生活
寝具もない雑魚寝状態
暖をとるものがなく寒さに耐える生活
仕切りがなくプライバシーがない環境
睡眠を妨げる騒然とした環境
生きるための最低限の水と食べ物 水も食べ物もない日々をしのぐ生活
わずかな冷たい水と食べ物を分け合う
食材をかき集めて調理したわずかな食事
生きるために食べた貧しい配給食
簡易トイレでの慣れない排泄 代用品で作ったトイレでの排泄
下水道が機能していないトイレでの排泄
日用品の不足による着の身着のままの生活 着の身着のままの生活
ちぐはぐでもあるもので間に合わせる衣類
手に入らない日用品
不衛生を強いられる生活 替えがない下着用のナプキンや紙おむつ
入浴できない不衛生な身体
不衛生なトイレ
風邪の蔓延
不十分な医療や介護による疾病の悪化 薬不足による治療の中断
多様な災害支援を受けながらの受診
避難生活や医療不足による疾病の悪化
生死を分けた被災者の人間模様の共感や忍従 家族捜しの切なさと家族と再会できた喜びの共感
避難所で目にする痛ましい光景からの絶望
あさましい行動への堪忍
「生」の強さの実感と人々が支え合う生活への感謝 劣悪な状況でも生き抜く生命力の実感
貧しい食事でもいただけることへの感謝
支え合って過ごした人々への感謝
専門職による支援への感謝

東日本大震災後,津波被害を受けた地域の避難所で生活した高齢者のストリーラインをカテゴリーで示すと,【寒さに耐える雑魚寝生活】【生きるための最低限の水と食べ物】という生命の危機にさらされながら,【簡易トイレでの慣れない排泄】【日用品の不足による着の身着のままの生活】【不衛生を強いられる生活】と,不衛生で,健康上の問題が発生しやすい環境の中で生活していた.また,高齢者は慢性疾患に罹患している人が多い中,医療機関の被災や移動手段が断絶したことから【不十分な医療や介護による疾病の悪化】が生じていた.さらに,避難所には多くの被災者が出入し家族の再会の喜びの一方ですべてを失った絶望感など【生死を分けた被災者の人間模様への共感や忍従】を体験していた.このような過酷な避難所生活に耐えて生き延びたこと,また多くの支援があったことについて【「生」の強さの実感と人々が支え合う生活への感謝】をしていた.

1) 【寒さに耐える雑魚寝生活】

高齢者は避難所で〈多くの人が押し寄せ身動きできない生活〉を経験し,〈寝具もない雑魚寝状態〉で,〈暖をとるものがなく寒さに耐える生活〉を強いられた.大勢の避難者と空間を共にして〈仕切りがなくプライバシーがない環境〉〈睡眠を妨げる騒然とした環境〉の中で生活していた.

(1)〈多くの人が押し寄せ身動きできない生活〉

「中学校に2000人が押し寄せた」「後から来た人は廊下で寝ていた」「身動きできず腰掛けで二晩過ごした」など,避難所には大勢の人が押し寄せて身動きすることも難しい生活を強いられていた.

我々教室さ入ったけども,あとから来た人たち廊下で寝てんだ.そんでトイレさ行くのにも大変だったのよ.廊下一杯だもの,こうやってよけて,すみません,すみませんってさ.(B)

(2)〈寝具もない雑魚寝状態〉

多数押し寄せた避難者に寝具はなく,「ジャンパーを着たまま寝た」「ブルーシートを敷いた」など,手に入るものを使って暖をとりながら,雑魚寝をしていた.

段ボール敷いて,そして段ボールかぶったの.―略― そして親父さは(父には),カーテンかけたの.(H) みんなざこ寝.(D)

(3)〈暖をとるものがなく寒さに耐える生活〉

津波被害によりライフラインが断絶し,雪がちらつく寒い中で,「ストーブもなかった」「寒くていられなかった」など,寒さに耐えながら過ごした.

靴脱いだだけでね,防寒着を着て,そして肌と肌合わせて寝ないと眠れないの.あの寒さっていったら,もう.(D)

(4)〈仕切りがなくプライバシーがない環境〉

すし詰め状態の中で寝るスペースを確保することも難しく,他者との仕切りもなく,プライベートな空間はなかった.

全然,何も(仕切られていない),何もないんだもんな.(A)

すし詰め,もうプライベートも何もないのよ.―略―私だけでなくてね,みんな.着替えするのが一番問題だったの.(D)

(5)〈睡眠を妨げる騒然とした環境〉

「ミルクがなく,子供が泣く」「夫は騒ぐのでみんなに迷惑をかけた」など,騒然とした環境の中で生活し,睡眠もままならなかったことを語っていた.

(夜の睡眠は)ええ,全然です.周りに赤ちゃんもいるし,赤ちゃん泣けばね,ほとんど眠ったなんて,うん.うとうとでしょうね.(B)

2) 【生きるための最低限の水と食べ物】

〈水も食べ物もない日々をしのぐ生活〉を強いられ,その中でも〈わずかな冷たい水と食べ物を分け合う〉〈食材をかき集めて調理したわずかな食事〉〈生きるために食べた貧しい配給食〉とわずかな水と食べ物を工夫・調達して分けあった.

(1)〈水も食べ物もない日々をしのぐ生活〉

着の身着のまま避難してきた人は,飲料水も食料もなく,「何か食べている人にくださいとは言えない」など,何も口にできない時間をじっと耐えていた.

食事が三日間なかった.(A)

水もない,何もないって.みんなで仕方ないからじっとしてね.(C)

(2)〈わずかな冷たい水と食べ物を分け合う〉

「暖かいものを飲みたかった」が,配給された冷たいわずかな水で喉の渇きをしのいでいた.また,「パン1個を分けて食べた」など,わずかな食料を大勢で分けて食べて凌いでいた.

ああいう時っていうのは,生きなくないから(生きなければならないから),その水,分け合って.(F)

3日目あたりですか,やっとね,―略―どこかの豆腐屋さんが,油揚げね,何枚かよこして,これ10人で分けなさいって.(C)

(3)〈食材をかき集めて調理したわずかな食事〉

「かき集めた米を炊いて小さな塩おにぎりを食べた」「おかゆにしてみんなで分けて食べた」など,避難者や近所の人,関係者たちが協力して食事を作っていた.

職員の人たちが,井戸水も煮沸して用意してくれたらしいのね.その辺から米もらってきたっていうか,集めてきてね,そしてその井戸水で洗って,炊いて食べたんだ.(F)

(4)〈生きるために食べた貧しい配給食〉

おにぎり,バナナ,菓子パンという単調な配給が続き,「生き延びるために食べた」,また,「次はいつ食べられるかわからないため,わずかな食べ物を取っておく人もいた」と語っていた.

やっぱりこういうものだけでは偏った食事でしょう,あともうね,見たくも食いたくもないけれどもね,生き延びるため.とにかくあの菓子パン(を食べた).(D)

3) 【簡易トイレでの慣れない排泄】

断水が続く中,多数の避難者が押し寄せた避難所では通常のトイレが使えず,〈代用品で作ったトイレでの排泄〉〈下水道が機能していないトイレでの排泄〉という不慣れな方法による排泄に苦慮していた.

(1)〈代用品で作ったトイレでの排泄〉

水が出ない上に,大勢の人が押し寄せたことにより,トイレが足りず,ダンボールとバケツでつくった簡易のトイレが置かれた.また排泄物が入った袋をためておくなど,慣れない簡易トイレでの排泄に苦慮した体験を語っていた.

2晩目にね,トイレさ腰掛けて今度転げて(転んで)しまったんです.バケツなんださね,(その上に)こう紙で段ボールの.―略―そして,ほら,袋さ落とすんだから,汚い話だけれど.(F)

(2)〈下水道が機能していないトイレでの排泄〉

プールの水を汲んで,トイレの排泄物を流す工夫をした避難所が多く,協力し合いながら水を汲み,汚れを最小限にとどめる工夫をしていた.

バケツでばっと流すとさ,そのまま引いていくんだっけな.そういうふうにはなっているんだっけね,あれ.汲んでくるのは,男の人たちの仕事だけれどもさ.(H)

4) 【日用品の不足による着の身着のままの生活】

津波のため何も持たずに避難した人は〈着の身着のままの生活〉を強いられ,わずかに届く支給品から〈ちぐはぐでもあるもので間に合わせる衣類〉を身に付けるしかなかった.他にもタオル等〈手に入らない日用品〉が多数あり,支援物資が届くのを待っていた.

(1)〈着の身着のままの生活〉

津波被害を受けて避難した人に着替えはなく,「ずっと同じものを着ていた」と物資が届くまで,何日も同じ衣服で過ごしていた.

着の身着のままだったんですよね.だって,どこから手に入るかわからないものね.(G)

(2)〈ちぐはぐでもあるもので間に合わせる衣類〉

普段はおしゃれを気にしていた人も,届くわずかな衣類で,サイズや組み合わせなどを配慮することができなかった.「靴はすぐ壊れた」「使い古しの衣類だった」など使い物にならない支給品もあった.

嫁さんのLLのジャンパー,あれよこされて.もうおしゃれも何もあったもんでない.(D)

(3)〈手に入らない日用品〉

「爪切りがなかった」「タオルが欲しかった」「毛布が欲しかった」と日用品がなく,その上「物資が届くまで1週間かかった」など,日用品が不足する状態で過ごした経験を語っていた.

段ボールももちろんないし,毛布はもちろんないし.避難所なのに指定されているのにどうしてそういうのないのかな,って.(B)

5) 【不衛生を強いられる生活】

多数の避難者が生活する避難所は水も物資もなく,〈替えがない下着用のナプキンや紙おむつ〉〈入浴できない不衛生な身体〉〈不衛生なトイレ〉と劣悪な衛生環境であり,〈風邪の蔓延〉など感染症が発生した.

(1)〈替えがない下着用のナプキンや紙おむつ〉

下着がないため,初めて紙おむつを着用したが,紙おむつの替えはなく,何日も同じ紙おむつを着用していた.

(紙おむつ)はいて,それも毎日取り替えられないね,ないから.(F)

(紙おむつ)1カ月はいてたの.(H)

(2)〈入浴できない不衛生な身体〉

「寒くて体も拭けなかった」「津波を浴びた髪をずっと洗えなかった」など,身体の清潔が保てなかったことを語っていた.また,自衛隊による簡易の風呂が準備されても,身体的に障害がある高齢者は入浴できなかった.

お風呂はね,全然私たちは入らなかったのね.―略―シャワーだけ浴びて,私だけね.この人(要介護状態の夫)はもう全然,もちろん駄目だし,ずっと入れませんでした.(B)

(3)〈不衛生なトイレ〉

「トイレには排泄物が積もっていた」「トイレは詰まっていた」など,トイレの不衛生状態が続いた経験を語っていた.

簡易トイレ,校舎内に一応置くんですけれどもね.よそからの人たちも来て使うのよ,ほら使えなくなってやっぱり,電気も水道も何もないから.汚れがすごいの.(D)

トイレはひどかった.トイレは皆どこでも詰まった.(H)

(4)〈風邪の蔓延〉

体育館など広い空間で大勢が集団生活を行っていることから,感染症が蔓延し,身体の疲労から治癒が長引いた状況を語っていた.

避難所に行ったときは全然風邪なんかひいてなかったんですよね.で,みんなゴホンゴホンって始まって.―略―熱が出て,なかなか治らなかった.(B)

6) 【不十分な医療や介護による疾病の悪化】

病院が被災し,医療品の支援物資の不足などから〈薬不足による治療の中断〉や,様々な機関から到着した医療チームから〈多様な災害支援を受けながらの受診〉を経験した.また,劣悪な避難生活と相まって〈避難生活や医療不足による疾病の悪化〉により,入院したり,寝たきり状態に陥っていた.

(1)〈薬不足による治療の中断〉

薬が不足して服薬を中断したり,「並んでわずかな薬をもらった」など,十分な治療が受けられなかったことについて語っていた.

最初は(薬は)もらえなかった.―略―血圧とか眠り薬とか,1粒.それ毎日もらえないんだもの.(H)

(2)〈多様な災害支援を受けながらの受診〉

病院も被災したために受診できず,またガソリンがないことから車で受診に行くこともできなかった.そのような中,他県からの支援医療チームにより治療が再開したが,見知らぬ医師で,会うたびに代わる医師への戸惑いを語っていた.また,状態が悪化すると自衛隊の車に乗せられて受診した経験を語っていた.

金沢だかあっちの方の先生だな,来たの.代わり,代わり.先生代わるのよ.(H)

それも自衛隊の.救急車じゃなくて自衛隊の車で(受診).―略―ガタガタ揺れて乗り心地はよくなかった.(A)

(3)〈避難生活や医療不足による疾病の悪化〉

劣悪な環境での避難生活の上に十分な医療を受けられないことから,「杖歩行から寝たきりになってしまった」「床に寝ていたので横になったまま起き上がれなかった」「血圧が高かった」など,身体状況が悪化したことを語っていた.

自分で(できていたが),その生活が一転したのよ,避難所へ行ってから.寝たきりなの.(D)

薬も何も飲まないんだもの.具合悪くなるっちゃ.体,本当ではなかったよ.(H)

7) 【生死を分けた被災者の人間模様の共感や忍従】

避難所で様々な人間模様を目の当たりにして〈家族捜しの切なさと家族と再会できた喜びの共感〉〈避難所で目にする痛ましい光景からの絶望〉に涙を流し,一方で〈あさましい行動への堪忍〉を経験していた.

(1)〈家族捜しの切なさと家族と再会できた喜びの共感〉

避難所には,行方が分からない家族を捜しに多くの人が出入りしていた.必死に家族を捜す姿や,家族と再会して抱き合って喜ぶ姿を目の当たりにして,共に涙を流した.

旦那は随分捜したんだって.やっぱり,随分捜したらしいよ.携帯も何も皆なくなっているし,―略―会った時抱き合って泣いてたよ(涙ぐむ).(D)

(2)〈避難所で目にする痛ましい光景からの絶望〉

学校の教員は子どもたちを連れて避難していたが,家族が迎えに来た子どももいれば親が亡くなった子どももいた.外では遺体が発見されたり,乳児のミルクがなく母親は過呼吸発作を起こすなど,悲惨な光景も目の当たりにしていた.そのような中で自分も生きていていいのか,将来の見通せない日々を痛感して,辛い気持ちになっていた.

重ねた布団にうずくまったまま,もう身動きしないの,返事もしないし,見向きもしないし.絶望的になっているのよ.―略―将来の見通しがつかないから,みんなね,明るい光が全然ないの.全部もう地の底に引かれていくようなね,心境で.体調も壊してるし.(D)

(3)〈あさましい行動への堪忍〉

配給の食事を他人の分まで取ったり,物が無くなったり,大きな声で怒鳴る人など,同じ空間に多様な被災者が生活していた.他者に注意を払いながら,我慢して共に過ごさなければならなかった.

汚い人間いるって,いるな.障害者さ先に配るやつまで自分たちこうやって持って行って.こっちさくるの何にもなくなって.(A)

良いジャンパーだから,私うんと捜したのよ.出てこなかった.(D)

8) 【「生」の強さの実感と人々が支え合う生活への感謝】

〈劣悪な状況でも生き抜く生命力の実感〉と過酷な避難生活を乗り切った生命力の強さを感じ,〈貧しい食事でもいただけることへの感謝〉〈支え合って過ごした人々への感謝〉〈専門職による支援への感謝〉と,多くの支援に感謝していた.

(1)〈劣悪な状況でも生き抜く生命力の実感〉

「無我夢中で過ごした」「口に入るものであればなんでも食べた」など,普段では考えられない過酷な状況の中でも生き抜いたこと,その生命力を実感していた.

でもね,本当,人間って三日も食べなくても生きていけるんだな,とみんなでお話ししたんですけどね.(B)

無我夢中だから,寒いとも何とも感じなかったね.そういう時はね.何もないもの,口に入るものあれば何でもいい.(G)

(2)〈貧しい食事でもいただけることへの感謝〉

食べ物がない中でわずかな食事を口に出来たことに感謝し,また「やかんで配られる温かいお茶がおいしかった」「おにぎりが美味しかった」など,普段何気なく食べている物を食べることができた時の感動について語っていた.

だって2000人もいらっしゃるんですもの.でも口に入れただけでも,うん,ありがたかったです.(B)

おにぎり頂いた時はほっとしました,本当にね.(C)

(3)〈支え合って過ごした人々への感謝〉

「近くの農家の人たちが炊き出しをしてくれた」「まわりの人たちが配慮してくれた」「中学生が手伝ってくれた」等,多くの人たちが支え合って過ごしたことに感謝をしていた.

隣の人がたまたまどこからもらってきたんだか,絨毯みたいの,こういうの剥がしたやつ持ってきたのよ.―略―自分の家に行ったらあるから,おらたちさ敷かいん(敷いてください)って,もらったのよ.(H)

中学生たちがプールから水を汲んできて,そしてバケツこう並べておいて下さいました.それもみんな本当に中学生なんですよ.(B)

(4)〈専門職による支援への感謝〉

自衛隊の活躍や介護職の専門性の高いケアに感謝し,また,多様な専門職が全国各地から支援に来てくれたことにも感謝していた.

やっと来てあそこで炊き出し始まって,ああやれやれ,と思ったときにね,もう熱が出て,―略―もう食欲も何ももちろんなくて,その時に自衛隊の方がね,持ってきて下さってね.廊下歩く,通るたんびに,旦那さんどうですか,旦那さんどうですか,ってね,声掛けて下さるんですよ.そして行かないでいると持ってきて部屋まで持ってきてくれるんで,本当に神様でした.(B)

北海道からも介護士さんたち来てね,―略―介護士さんたち自身が選んで,体型に合ったおしめとか,あと取り替えるズボンとか,靴下,あれありがたかった.(D)

IV. 考察

本研究から,東日本大震災後の津波被害を受けた地域の避難所で生活した高齢者の体験が明らかになった.この結果から避難所生活の実態に対応した看護支援について考察する.

1. 避難所生活の質の確保に向けた対応

寒い季節にもかかわらず,避難所では床に敷く物もなく,寝具もなく,プライバシーを保つこともできず,【寒さに耐える雑魚寝生活】を強いられた.さらに,【生きるための最低限の水と食べ物】と飲食物が手に入らない日々が続いた.「避難所なのに指定されているのにどうしてそういうのないのかな」と生活に必要な最低限のものも準備されていなかった避難所に対する疑問の声も聞かれた.このような東日本大震災の教訓から,緒言でも述べたように法制度が整備されている.しかし,平成27年3月の「避難所の運営等に関する実態調査(市区町村アンケート調査)調査報告書」(内閣府,2015)によると,避難所の食料・飲料水等の備蓄をしていない自治体が約30%など,まだ未対応の自治体があることが報告されている.本研究結果で示したように災害後の悲惨な避難所生活の経験を避難所の整備の必要性の根拠として,災害時の備えを充実させていく必要がある.

一方,大規模災害の際には公的な備蓄のみでは限界がある.また外部からの物資の輸送は交通網の遮断などから搬入が困難となる可能性も高い.平成28年4月14日に発生した熊本地震後においても,東日本大震災と同様の健康生活を脅かす避難所生活の実態が報道された.まずは,一人ひとりが,支援物資が届く数日までの備蓄を心がけておくことが必要である.また,多様な防災グッズも開発され,要支援者には個別支援計画を立案することも進められている.それぞれの家族構成や健康レベルに対応した平常時の活動,とりわけ,自然災害の多い我が国においては,被災時の備えを推進していくことが求められる.

さらに,本研究結果では,〈食材をかき集めて調理したわずかな食事〉など,地元の人たちが支え合って過ごしていた.それぞれの家庭には米などの備蓄している食料があり,互いに協力し合うことによって,飢えを最小限にとどめることが可能であることは,本研究からも明らかである.さらに,「近くの農家の人たちが炊き出しをしてくれた」など地域住民が協力しあって炊き出しをしたり,必要物品を提供したりして支え合う関係づくりも重要である.この東日本大震災の教訓から,ソーシャルキャピタルの醸成,災害に強いまちづくりなど地域住民のつながりを強調する必要性が指摘され推進されている.これが,災害時最も有効な活動であることは明らかである(相田,2013).ただし,災害時にこのような活動を求めても,日ごろからのつながりがないとできないことであり,各地域におけるまちづくりの推進が求められる.

2. 避難所生活によって悪化する健康状態への対応

足腰が不自由な高齢者は,ベッドがなく床に寝ていることから起き上がることが困難であり,「床に寝ていたので横になったまま起き上がれなかった」とADLが悪化した高齢者が後を絶たなかった.被災地の保健師も「高齢者は水も飲まず6日目には歩行困難になっていた」と述べている(沓沢,2016).熊本地震で災害支援を行った看護師からも,一度床に降りると車椅子に乗るのが大変だからと長時間車椅子で過ごす高齢者の実情を報告している(山﨑,2016).避難所生活は高齢者にとって,ADLの低下をきたし易い環境であり,その予防のためにはベッドが必需品である.また,椅子や洋式トイレも足腰の障害が多い高齢者には必需品となる.しかし,内閣府の調査では避難所簡易ベッドの備蓄があると回答したのは108自治体のみであった(内閣府,2015).避難所の環境や物品の整備が急がれる.

その他にも〈風邪の蔓延〉や【不十分な医療や介護による疾病の悪化】という結果が明らかになった.避難所では,慢性疾患をもち免疫力が低下している高齢者の疾病を悪化させないためには,避難者が押し寄せた時に,避難者の健康レベルに対応した場所の確保と物品の配置をスムーズに行う必要がある.高齢者の健康レベルによっては,一般の避難所で生活可能か,可能にするためには何が必要か,また健康レベルに応じた対応についての知識と判断も必要となる.そのためには,保健師など支援にあたる専門家や,避難所となっている施設の関係者が,避難所で受け入れ可能な避難者について把握し,周知しておく必要がある.また,東日本大震災では,福祉避難所を立ち上げて,一般避難所からの転居を勧めたが,福祉避難所での生活がイメージできないため移動に応じない高齢者も多かった(石井,2012).平常時から福祉避難所の情報を提供し,一般の避難所に避難してきた要介護高齢者等がスムーズに福祉避難所への移動が可能となるよう関係者も含めた周知を図っていく必要がある.

3. 看護職に求められる被災地での支援

避難所で生活する高齢者は,着替えがなく,入浴もできず,不衛生なトイレでの排泄など【不衛生を強いられる生活】を送っていた.また,【不十分な医療や介護による疾病の悪化】と,治療を受けることができず,健康状態が悪化していた.このような中で,被災地の保健師は感染症蔓延の予防や状態が悪化している人への対応に追われた.また被災地域には多くの看護職が訪れるが,大規模災害が起こるたびにこのような被災地での現状は繰り返されている.災害支援マニュアルなどが改定され,災害支援のあり方は整理されてきているが(例えば,日本公衆衛生協会,2013),上記のことからもマニュアルが作成されていても効果的な支援が行われるとは言い難い.被災地で何が起こっているのかを研究によって明示し,これらの結果をより多くの看護職に伝え,被災地のニーズに対応した効果的な支援を行うことができる看護職の育成が求められる.

また,〈支え合って過ごした人々への感謝〉と被災者や地域住民同士で支え合い,〈専門職による支援への感謝〉と被災地には全国から多様な専門家が支援に訪れる.効果的な被災地支援を行うためには,被災地域の看護職,特に行政保健師は,地域住民や自治体組織,医療機関などの関係機関との連携により,各避難所でのマンパワーを確保すること,つまりマネジメントを発揮する力が求められる.避難所にはまずは市町村保健師が巡回する機会が多いが,一人の保健師ができることは限られている.避難所やその近隣の人々のマンパワーを活かし,互いに支えあう仕組みを作ること,さらに専門家による支援体制を構築することが重要であり,そこに災害支援における看護職としての力量が問われる.より効果的な災害支援のために災害時のマネジメント力を育成していくことが求められる.

V. 結論

本研究では,東日本大震災後の津波被害を受けた地域の避難所で生活した高齢者に協力を得て,避難所生活の体験を明らかにした.その結果,生きるために必要な衣食住が不足し,劣悪な環境で十分な医療や介護が受けられず身体状況が悪化するなど,28サブカテゴリー,8カテゴリーが明らかになった.このような悲惨な避難所の生活の中で健康を保持するためには,生命を維持できる避難所の備蓄と運営の徹底と同時に,住民自ら災害時に備えること,さらにはソーシャルキャピタルの醸成により助け合うまちづくりを推進していく必要がある.また,看護職は,避難所における顕在的潜在的な健康課題のアセスメント力とその対応,そして,マネジメント力を発揮して様々な地方から訪れる支援者を統括してより効果的な支援体制を構築するために,平常時から看護職としての力量を高めていく必要があることが示唆された.

この研究は,平成24年度~平成26年度科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)基盤研究(C)課題番号24593210の助成を受けて実施した.

なお,本研究は3rd World Academy of Nursing Science(2013)で発表後に,研究協力者を追加し,再分析した.

本研究に開示すべきCOI状態はない.

文献
  • 相田潤,Kawachi I.,Subramanian S.V.,他(2013):第7章 災害とソーシャル・キャピタルと健康,Kawachi, I.,高尾総司,Subramnian, S.V.編,ソーシャルキャピタルと健康政策,257–300,日本評論社,東京.
  •  石井 美恵子(2011):現地コーディネーターとしての体験を通じ,実感した被災地のリアリティ,インターナショナルナーシングレビュー,34(5),51–52.
  • 石井美恵子(2012):第12章 高齢者対策,國井修編,災害時の公衆衛生,174–182,南山堂,東京.
  •  沓沢 はつ子(2016):地域看護・保健の視点から被災地の支援活動を振り返る,Nursing Business,10(3),68–69.
  • Lincoln Y.S., Guba E.G. (1985): Naturalistic Inquiry, 281–331, Sage Publications, CA.
  • 内閣府(2013):避難所における良好な生活環境の確保に向けた取組指針,http://www.bousai.go.jp/taisaku/hinanjo/h25/pdf/kankyoukakuho-honbun.pdf(検索日:2017年9月7日)
  • 内閣府(2015):避難所の運営等に関する実態調査(市区町村アンケート調査)調査報告書,http://www.bousai.go.jp/taisaku/hinanjo/pdf/hinanjo_kekkahoukoku_150331.pdf(検索日:2017年9月8日)
  • 内閣府(2016):避難所運営ガイドライン,http://www.bousai.go.jp/taisaku/hinanjo/pdf/1604hinanjo_guideline.pdf(検索日:2017年9月8日)
  • 日本公衆衛生協会,全国保健師長会(2013):大規模災害における保健師の活動マニュアル,平成24年度地域保健総合推進事業「東日本大震災における保健師活動の実態とその課題」を踏まえた改正版,http://www.nacphn.jp/02/pdf/saigai_H25_manual.pdf(検索日:2017年9月8日)
  •  坂元 昇(2013):大規模災害に備えた公衆衛生対策のあり方 大規模災害における広域(都道府県)支援体制 東日本大震災の自治体による保健医療福祉支援の実態と今後の巨大地震に備えた効率的・効果的支援のあり方について,保健医療科学,62(4),390–404.
  •  田上 豊資(2011):被災地支援で教えられた公衆衛生の原点,保健師ジャーナル,67(9),752–759.
  •  山﨑 達枝(2016):熊本地震からの学び 被災者支援を行う看護職に伝えたいこと,看護,68(15),670–672.
 
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