2025 年 2 巻 1 号 p. 21-32
心理療法の治療要因は,クライエント要因,セラピスト要因,技法要因,関係要因,治療外要因,希望・期待・プラシーボ要因等に分類されて考えられてきた。この中でもクライエント要因は,しばしば心理療法の効果を左右する上で最も重要な要因であるとされながらも,それに見合う注目を受けてこなかった。本論文は,クライエント要因が,理論上も実践上も軽視されている現状の認識を共有し,その背景事情を考察する。その後,多様な治療要因についてのこれまでの研究知見を概観した上で,心理療法統合においてクライエント要因がどのように扱われてきたかを検討する。最後に,クライエント要因に注目した心理療法統合について論じる。
Summary Therapeutic factors in psychotherapy have been categorized into client factors, therapist factors, technique factors, relational factors, extra-therapeutic factors, and hope-expectation-placebo factors. Among these, client factors have often been considered the most important factors in determining the effectiveness of psychotherapy, but have not received the attention they deserve. This paper shares an recognition about how client factors are neglected in both theory and practice in the current situation, and then discusses the background circumstances of that. It then reviews previous research findings on various treatment factors and confirms that common factors have a greater impact on treatment effectiveness than technique factors. Based on the above, it examines how client factors have been treated in psychotherapy integration and discuss psychotherapy integration focusing on client factors.
単一学派の実践をしているセラピストであれ,統合的な立場で心理療法を実践しているのセラピストであれ,セラピストに「あなたはクライエントの力を大事にしていますか」と問えば,それにノーと答える人はまずいないだろう。「クライエントの力」こそ,心理療法を推進する最も重要で基本的な力であるという認識は,多くの心理支援者が共有する認識であろう。しかしながら,この認識は本当に現代の心理療法の現場において生きたものとなっているであろうか? この認識はただのありがたいお題目になってはいないだろうか? そういう認識を一応掲げておく「お約束」として位置づけられ,形骸化してしまってはいないだろうか?
これから見ていくように,実際には,多くのセラピーの現場で,クライエントの力は周辺化され続けてきた。クライエントの力が周辺化される傾向は,この数十年の間に,医療モデルが強まる中で,一層拡大してきた面さえある。
周知のように,心理療法統合は,セラピーの実践において,一つの学派だけに依拠せず,多様な学派の理論や技法を活用して,幅広く多様なクライエントにとってより効果的な実践を模索する心理療法へのアプローチである。それは,セラピーの側にクライエントを適合させるだけではなく,クライエントの側に適合するようにセラピーをデザインしていこうとする姿勢を特徴としている。その意味で,心理療法統合は,基本的にはクライエントに柔軟に寄り添う考え方であると言えるだろう。しかし,それでもなお,この後,詳しく見ていくように,心理療法統合の探究においてさえ,セラピーを進める上で,クライエントの力がどれくらい注目されてきたのかということに関しては,重要な疑問もある。
本論文では,これまでになされてきたさまざまな研究を紐解きながら,クライエントの力について,そして特に心理療法統合におけるクライエントの力について考えてみたい。
心理療法統合は,効果的な心理療法の実践を考える上で極めて重要なものでありながら,日本においては,今なおかなりマイナーな領域のままに留まっている。もちろん,私が心理療法統合という考え方を知り,興味を持つようになった約30年前と比べれば,間違いなくその知名度は上がっている。しかし現在においてもなお,たいていの心理支援者は,せいぜい「心理療法統合」や「統合的アプローチ」という名前を知っているという程度の知識しか持ち合わせておらず,その詳しい中身についてはよく知らないというのが実情であろう。
心理療法は,今なお,統合的に学ばれるよりも,学派的に学ばれている。心理療法を学ぶ環境は,今なお,学派の教えを中心としたものである。そして各学派は,現在もなお,覇権争いを繰り広げている。
各学派は互いに争い合ってはいるが,皮肉なことに,学派的な心理療法を重視するという点では一致している。その意味で,各学派は,学派中心主義というメインストリームを集合的に構成していると言えるだろう。もちろん,心理療法統合は,こうしたメインストリームに対するアンチテーゼであり,こうした学派中心の心理療法に挑戦するものである。
(2)学派中心の心理療法の考え方の特徴と問題点学派中心の心理療法の訓練では,学派の心理療法を学ぶことによって治療効果を上げられるようになるという前提で訓練がなされる。学派に固有の理論・技法の習得が重視されており,それらをマスターすれば治療効果が上げられると考えられている。そこでは,心理療法の治療効果は学派の専門性にこそ宿っていると考えられる傾向が強い。
もちろん,こうした考え方は必ずしも間違いではなく,学派の心理療法を学ぶことで治療効果が上げられるという面は確かにあるだろう。しかし,こうした考え方には問題となる副作用もある。
学派中心の心理療法実践の問題点には,色々なものがある。1つには,どの学派の心理療法も,オールマイティではないということが挙げられる。1つの心理療法だけで,あらゆるクライエントに効果的に対応できるわけではないということである。学派中心の心理療法実践の問題点として,しばしば第一に挙げられるのは,その点であろう。
しかしここでは他の問題点に注目したい。学派中心の心理療法においては,学派の専門知が重視される。その専門知は,学術的権威によって支えられている。その学術的権威の頂点には,欧米の創始者が据えられる。心理療法の創始者の中には,欧米文化圏以外の人もいるが,主要な学派の創始者の多くが欧米文化圏の人であることも事実である。そこには,欧米の創始者を頂点とした学術的権威のヒエラルキーがあるわけである(Figure 1)。

そのヒエラルキーにおいては,欧米の創始者の下に,日本の大学教員,現場の有資格のセラピスト,非専門家の支援者,クライエントという順に学術的権威が序列化されている。この権威ある知のヒエラルキーにおいて,クライエントやその関係者の知は最下層に置かれている。
このような知のヒエラルキーがあからさまに語られることは滅多にない。にもかかわらず,心理支援に携わっている者であれば,誰もがこの知のヒエラルキーを身にしみて知っているのではないかと思う。
冒頭でも述べたように,どのような立場のセラピストであれ,つまり単一学派による実践をしているセラピストであれ,統合的な立場で実践しているセラピストであれ,セラピストに「あなたはクライエントを尊重していますか?」と尋ねれば,誰もが尊重していると答えるであろう。「いいえ,私はクライエントの気持ちや思いは大事だと思っていません」などと言う人はいない。しかし現実の心理療法の実践においては,クライエントの知は,しばしば残酷なまでに後回しにされている。
ここで簡単な事例のエピソードを2つ挙げよう。英語で書かれた書籍で目にした事例であるが,決して海の向こうの珍しいお話というわけではないだろう。私たちの日々の現場でも,あちこちで似たようなエピソードがみられるのではないだろうか。
あるセラピストがパニック障害のクライエントを担当し,行動療法を行った。クライエントは改善せず,なぜこんな症状に苦しめられるようになったのかが知りたいと繰り返し訴えた。セラピストは,過去を振り返って理由を探索する作業は,セラピーの課題からの逃避であると考え,この訴えに応じなかった。そのうちにクライエントは来なくなった。(Duncan et al., 1992)
このセラピストは,クライエントのセラピーに対する繰り返しの要望にまともに取り合わなかった。それでもなお,おそらくこのセラピストに,「あなたはクライエントを尊重していますか」と問えば,「もちろん」と答えるだろう。しかし,このようなセラピーの実践において,現実には,クライエントの力は活用されず,むしろ斥けられている。このようなセラピーの実践においては「クライエントはただ黙っておとなしくセラピストの専門的な考えに基づいたセラピーを受けていればいい」というふうに,事実上,みなされている。
もう一つ,事例のエピソードを見てみよう。
あるセラピストが,対人関係と不眠を訴えるクライエントを担当し,心理力動的なセラピーを行った。セラピストは,最小限にしか話さずに傾聴することが,クライエントに対する尊重を伝えると信じて傾聴した。クライエントはセラピストが何も言わないことに繰り返し不満を述べた。セラピストはそれを尊重されることへの不安の表れとして解釈した。クライエントはこの解釈にさらに不満を募らせた。セラピストはスーパーヴィジョンを受けて,スタイルをより対話的に変更した。クライエントはそこから順調に改善した。(Duncan et al., 1992)
このセラピストも,クライエントの知を自分の専門的な知よりも劣ったものとみなして斥けている。そしてこのセラピストのいやらしいところは,クライエントの意見は聞かなかったのに,スーパーヴァイザーの意見には従ったというところである。スーパーヴァイザーは,権威ある学術的な知のヒエラルキーにおいて,上位に位置しているからであろう。悲しいことに,多くのセラピストが,クライエントの顔色を見ずに,スーパーヴァイザーの顔色を見て,セラピーを行っている。こうした実践をするセラピストも,「あなたはクライエントの意向を尊重していますか?」と問われれば,おそらく「もちろん」と答えるのであろう。
どの学派のセラピストに関しても,学派中心の実践においては,自学派の考え方についての専門知を優先させ,クライエントの知を軽視するような実践に陥っていることがしばしば見られる。そしてそのことはセラピストには自覚されていない。来談者中心療法のように,クライエントを中心に考えることを前面に打ち出して掲げている学派のセラピストであったとしても,学派中心主義的な実践であれば,クライエントの知を斥けることはよくある。たとえば,クライエントが「先生はただ聞いているばっかりで,何も言ってくれないですね,私はアドバイスをして欲しいんです」と言ってきた場合でも,「ああ,あなたはアドバイスが欲しいお気持ちなんですね,なるほど」などと言って,その訴えを真剣に取り上げないことはよくあるように思われる。そういうセラピストは,「私は来談者中心療法を専門的に学んできたんだ,私がアドバイスしないのは,専門家としてアドバイスしないのがいいと知っているからなんだ,なのに,このクライエントは何もわかってないな」というように考えているのであろう。
(3)医療モデルの普及:さらなるクライエントの地位低下クライエントの知を低く見るこうした傾向は,ここ数十年,医療モデルの勢力が増したことによって,一層強まった。現代のメンタルヘルスにおいては,医療モデルがメインストリームの考え方となっている。医療モデルでは,専門家が,診断に基づき,ランダム化比較試験によってエビデンスが示されたセラピーを選択することが基本的に重視されている。そこでクライエントがするのは,説明を聞いて同意の意思を示すこと,そしてただ専門家が与えるセラピーを受けることだけである。
つまり,そこでの物語は,白馬に乗った騎士(セラピスト)が,特別な力を宿した伝説の剣(専門的なセラピー技法)で,哀れなお姫様(クライエント)に取り憑いたドラゴン(病理)を倒して,お姫様を救い出す物語なのである(Duncan et al., 2004)。
このモデルでは,クライエントは単にセラピーの受動的な対象とみなされている。クライエントの知,クライエントの力は,セラピーを進める力として最初からまったく当てにされていないのである。
(4)統合的心理療法は?さて,ここまで,学派中心の心理療法が陥りがちなさまざまな問題点を指摘してきた。学術的専門性の権威を背景とした知のヒエラルキーの問題,クライエントの知が軽視される問題,クライエントを受け身的な位置に置く問題などである。
ところでこれらは学派中心の心理療法に限られた問題なのだろうか? 果たして統合的心理療法は,これらの問題点を免れていると言えるのであろうか? この問いについて考えてみよう。
統合的な心理療法は,確かに学派中心ではない。しかしなお,医療モデルでなされることはありうるし,専門家中心主義的になされることもありうる。専門家の専門知を,クライエントの知よりも優れたものとみなす前提に立った実践となることもありうる。
クライエントに合わせて柔軟に技法を選択したり組み合わせたりするという,統合的な心理療法のスピリットは,確かにクライエントの力をより認める方向に歩み寄っている面はあるかもしれない。しかし,使っているセラピーが2つ以上になっただけで,学派中心主義的で専門家中心主義的なマインドセットでなされているかもしれない。
統合的心理療法においてもなお,白馬に乗った騎士(セラピスト)が,複数の剣をそれぞれの剣の特徴に応じて使い分けながら(複数の学派のセラピーを使い分けながら),哀れなお姫様(クライエント)に取り憑いたドラゴン(病理)を倒して,お姫様を救出する物語となっているかもしれない。そうであれば,この物語の主なストーリーラインは,先に示した医療モデルにおける学派中心の心理療法実践の物語と同じである。ただ,騎士が使う剣が複数に増え,剣の使い方が変わっただけである。
ところで,騎士がドラゴンを倒してお姫様を救出するという,中世を舞台にした,このたとえ話には,ジェンダー的な問題が重ねられていることに,ここで注意を喚起しておきたい。この物語では,男性は強く能動的なものとされ,女性は弱く受動的なものとされている。しかし,近代社会は,女性は弱く受動的であるという,このようなジェンダーの見方の間違いに気づき,女性の力を見出してきた。男性とは異なったところがあるかもしれないが,女性は決して受動的で弱い存在というわけではなく,能動的で,創造的で,力強い存在であり,男性と対等な存在だという見方がもたらされてきた。
それと同じことが,クライエントについても言えるのではないかというのが,このたとえ話の重要なポイントである。クライエントはただ弱く受動的な存在だとする見方に疑義を呈し,クライエントは実は能動的に創造的に自己治療を模索している存在であり,セラピーが提供する多様な要素の中から自分にフィットする治療的な要素を抽出して活用しているのだという見方への移行が必要なのではないか,ということである。
つまり,セラピーにおいて,実際にはドラゴンと戦っているのはお姫様の方なのかもしれないということである。専門家中心主義的なセラピストは,ドラゴンに注目して,どんな剣を使えば自分がドラゴンを倒せるかということを考えがちである。しかしセラピストはまずお姫様がドラゴンとどのように関わっているのかに注目する必要があるだろう。セラピーの物語は,騎士ではなく,ドラゴンに手を焼きながら関わっているお姫様の方を主役として構成されるべきものではないだろうか。
もう少し詳しくこのことを見ていこう。
(5)心理療法における治療的な力の源は?ここで,心理療法における,そして心理療法統合における,クライエント要因を考えるために,心理療法において働きうる治療的な力にはどんな種類のものがありうるかを整理しておきたい。
まず挙げられるのがクライエントの力である。クライエントが変化を求め,よりよく生きようと願う力である。セラピーを活用する力である。セラピーが提供する有用な要素と,有害な要素とをより分けて,有害な要素を受け流し,有用な要素を活用する力である。セラピストに注文をつける力である。セラピーで提示されたものを,鵜呑みにせずに,自分なりに考えて,自分に合うように調節しながら取り入れる力である。勇気をもって自分の心を見つめ,不安や恥や罪悪感を感じても,それに負けることなく,感じていることをありのままに感じようとする力である。セラピーの時間以外の時間にセラピーで得たものを試してみる力である。セラピーとセラピー以外の助けをうまく統合する力である。場合によってはセラピーに見切りをつける力である。
次にセラピストの力である。さまざまなセラピーを学んで創造的に運用する力である。セラピーの専門知を使いこなす力である。専門知以外にも,クライエントを助けたいという情熱,クライエントに希望を喚起する力,激しい感情にさらされても圧倒されてしまわずに抱えていられる力,自分の感情を制御する力,セラピー以前の人間としての信頼性,常識,世間知などが挙げられる。
そして,セラピーの力である。これは学派の心理療法の力である。セラピーの力は,最終的には個々のセラピストを通して実現されるものではあるが,セラピストの個人的な力によらず,セラピー自体が持つ力のことを指している。理論的な視点,関わりの技法などの力である。
さらに,治療関係の力もある。面接室の中にはセラピストとクライエントの2人がいるわけだが,有効なセラピーにおいて生じることは,単にセラピストの力とクライエントの力の足し算ではなく,それを超えるものがある。
セラピーに対するクライエントの期待や希望,そしてプラシーボの力も重要である。しばしばクライエントは,セラピーを申し込んでから初回面接までの間,つまり実質的にセラピーが始まる前,セラピストと出会う前,セラピストとの関係が生じる前に,すでに改善し始める。この改善をもたらすものは,セラピー要因でも,セラピスト要因でも,治療関係要因でもない。その改善をもたらすものは,期待・希望・プラシーボ要因と呼ばれる。
治療外要因(extratherapeutic factors)とは,セラピーの面接室の外に広がるクライエントの生活において働いているさまざまな力である。AsayとLambert(1999)によるセラピーにおける治療要因の考察では,クライエント要因と治療外要因はひと括りで捉えられ,「クライエント変数とセラピー外の出来事」とされている。And,そのような括りで捉えられた上で,さまざまな治療要因の中でも最も影響力が大きいものとされている。本稿は,クライエント要因に注目し,それを単独で取り上げて考察することとしているため,クライエント変数から概念的に切り分けて,クライエントを取り巻く環境的な諸力を,治療外要因とした。ソーシャル・サポートはその典型である。
最後に,文化・社会・制度・組織の力を挙げておく。セラピーは,これらの社会的な力によって支えられており,これらがなければ,セラピーは効果を発揮することができない。科学への信頼,学術への信頼,国家資格への信頼,スクールカウンセラーなど国の制度への信頼。こうしたものがセラピーが効果を発揮する上で,大きな後ろ盾となっている。これらの力は,セラピーの効果の一部に組み込まれている。
もちろん,心理療法の実践において,これら全てが作用していることは明らかである。どのような立場の心理療法理論家でも,どれか一つだけが重要で,他のものは全て無意味だというような極端な主張をする人はいないだろう。あくまでバランスの問題なのである。しかし,現在の心理療法の様々な考え方の中には,どの要因を重視するかという点で,かなりの意見の違いがある。
先に述べてきたように,学術的専門性を重視する立場では,学術的権威のある専門知の力,専門知に基づく関わりこそが,最も重要な治療要因だと考えられがちである。そこでまず,専門的なセラピー技法が持つ治療的な力について見ていこう。
専門的な技法に他の要因よりも大きな,主要な治療力があるのだろうか? そう考えている理論家やセラピストは多いだろう。この考えが正しいのかどうかは,どのように検証されるのであろうか? もしこの考えが正しいなら,次のようなことが認められるものと想定される。
この後見ていくように,これまでの研究は,これらすべての命題を否定している。
(1)学派間の治療効果の違いは小さいセラピー学派によって,治療効果に違いが見られるかどうかについての研究を見てみよう。
これまでの研究では,技法要因の効果(セラピー間の効果の違い)は,医療モデルで通常期待されているよりは小さいということが分かっている。そして,特定の学派のセラピーの優位性は見出されていない(Wampold & Imel, 2015; Laska et al, 2014; 三田村・谷, 2022)。
もちろん,これは,セラピー技法は重要ではないとか,すべてのセラピー技法がすべてのクライエントに同じように働くという意味ではない。
(2)技法要因の効果は比較的小さい次に,技法要因は他の要因よりも効果を大きく左右するかどうかについて調べた研究を見てみよう。
Cuijpersら(2012)によるメタアナリシスでは,セラピーの治療効果を最も大きく左右するのは共通要因(非特異的要因)であることが示されている(Figure 2)。共通要因というのは,主にクライエントとセラピストとの治療関係,つまり関係要因を指している。ただし,そこにはセラピスト要因やクライエント要因も複雑に関係していることには注意が必要である。これに対して,学派に固有の技法要因が治療効果に寄与する程度は,他の要因よりもむしろ小さいのである。

WampoldとImel(2015)による研究のまとめでも,同様のことが示されている(Figure 3)。彼らは,学派を超えて共通する治療要因,つまり共通要因と,学派に固有の技法要因,つまり特異的要因,それぞれの効果量を調べた。共通要因としては,目標の合意,共感,治療同盟,肯定的関心,承認などが挙げられている。特異的要因には,学派の違い,特定の学派の技法コンピテンスなどが挙げられている。彼らのまとめにおいても,共通要因の方が,特異的要因よりも,治療効果に寄与する程度が大きいことが示されている。

時代とともに新しくより進化した学派が出てくるにつれ,セラピーの効果は上がってきたのかを調べた研究を見てみよう。学派に固有の専門的な技法が治療要因として最も重要であるならば,学派の発展や変遷によって,治療効果は変化するものと考えられる。
過去1世紀以上にわたって,新しい心理療法が次々と誕生し,魅力と効果をアピールしてきた。しかし,心理療法の効果研究にメタアナリシスが導入された1960年代から現在までの半世紀あまりの間,心理療法の全体的な効果はまったく向上していない(Duncan et al., 2004; Prochaska et al., 2020; Wampold & Imel, 2015; Miller et al., 2020)。
1960年代といえば,携帯電話も,スマートフォンも,インターネットもなかった時代である。その頃から現代まで,科学技術は大きく変化した。身体医療では,1960年代には治療できなかった多くの病気が,今では治療できるようになっている。色々な分野で,この半世紀ほどの間に大きな進歩があった。しかし心理療法の効果はまったく変わっていない。
新しい心理療法は,本当に新しいのだろうか? それとも,新しいパッケージ・デザインの昔ながらの心理療法なのだろうか? この問いは真剣に問われる価値があるものである。
(4)セラピストの技法コンピテンスを高めれば有効性は高まるのか?次に,専門的な訓練を十分に受けたセラピストの方が,そうではないセラピストよりも効果を上げるのかを調べた研究を見てみよう。
Bransonら(2015)の研究では,CBTの技法コンピテンスを高めるために,臨床家が300時間以上の訓練,スーパーヴィジョン,実践を含むインテンシヴなコースに参加した。コースの間,CBTを実施できるコンピテンスが定期的に測定され,有意に改善されたことが確認された。しかしそれらの臨床家の臨床実践の治療効果は改善されなかったのである。
(5)専門知はどれほど重要なのか?そもそも,専門知はどれくらい重要なのだろうか?
一つ,面白い研究を見つけたので参考までに紹介しておこう。
Farhallら(2022)の研究では,心に苦悩を抱えた人が相談する4種類の相談先について,利用者に,相談の全体的な有効性と満足度を尋ねた。4種類の相談先というのは,まず一つ目が,占い師や霊能者,サイキックヒーラーなどの民俗セクターの相談である。二つ目がカウンセラーや心理療法家の心理専門職である。そして三つ目が,精神科医である。最後に四つ目として,友達や家族などのインフォーマルな相談先である。
この4つのグループに関して,相談の全体的な有効性,そして満足度を尋ねたところ,いずれの問いについても,占い師や霊能者に相談した人の評定が最も高く,他の3つのグループとの間に有意な差が見出された。そして,残りの3つのグループの間には有意な差はなかった。
当然のことながら,この研究一つから,専門知が無意味だという結論を導くことはできない。しかしなお,私たちはこの研究が示唆するものを真剣に考える必要があると思う。
次に,セラピスト要因を見てみよう。個々のセラピストによる治療効果の違いは,どこからくるのだろうか? これまでの研究では以下のようなことが明らかにされている。
このような研究結果に戸惑う方もいるかもしれない。当惑することではあるが,専門的な知識,スキル,訓練,臨床経験は,個々のセラピストの治療効果の違いを説明するものではない。
しかしながら,セラピスト間の治療効果の個人差は非常に大きい。セラピー間の治療効果の違いよりずっと大きいのである。たとえばOkiishiら(2003)の研究では,治療成績が上位10%のセラピストと下位10%のセラピストの治療成績の違いが示されている(Table1)。
| 治療結果 | 上位10%の セラピスト | 下位10%の セラピスト |
|---|---|---|
| 回復 | 22.4 | 10.61 |
| 改善 | 21.54 | 17.37 |
| 変化なし | 50.86 | 61.46 |
| 悪化 | 5.2 | 10.56 |
上位10%のセラピストは,下位10%のセラピストの倍の患者に回復をもたらしている。また下位10%のセラピストは,上位10%のセラピストの倍の患者を悪化させている。これらのセラピストの依拠している学派や,訓練,経験のレベルによる治療成績の違いは認められていない。つまり,治療成績の違いは学派,訓練,経験のレベル以外のセラピスト要因によるものと考えられるのである。
ここで,これまで見てきたエビデンスを確認しておこう。
これらの知見を踏まえるとき,セラピストの治療能力の個人差はどこからくると考えられるだろうか? セラピストの治療能力の個人差は大きいものであるから,この問いは重要である。
この違いは,学派的心理療法の訓練の程度にも,資格の有無にも,学歴にも,経験年数に由来しないことが分かっている。
一つの有力な答えは,治療関係である。しかし,治療関係を考える時にも,私たちはこれまで関係の中のセラピスト側を中心に考えてきたと言えるだろう。セラピストがクライエントに共感する,セラピストがクライエントを尊重する,セラピストが自己一致するなど,治療関係は主に治療的な関係を提供するセラピストの能力という面から考えられてきた。これと関連して,Andersonら(2016)は,促進的な対人スキルが高いセラピストは,実際に高い治療効果を上げることを示した。促進的な対人スキルとは,言語の流暢性,感情表現,説得力,温かさ/肯定的な関心,希望,共感,同盟の絆に関する能力,同盟の亀裂を修復する反応性の8項目から成る一群のスキルである。
しかし治療関係には,セラピストとクライエントが含まれている。治療関係を考えるのであれば,そこでセラピストが果たす役割だけでなく,クライエントが果たす役割も考える必要がある。つまり,治療関係においてクライエントが能動的に果たしている役割についても考える必要がある。さらに言えば,治療関係を離れて,クライエント自らに内在する治療的な力についても考えないといけない。
クライエント要因は,これまでずっと心理療法において最も注目されずにきた要因である。ある意味,心理療法の専門家が考えることを避けてきた要因とさえ言えるかもしれない。
それでは,いよいよクライエント要因について見てみよう。クライエント要因を考えるに当たって,大事になるのが自助本についての研究である。
(1)自助本の治療効果
治療関係を離れたクライエントの力を示す重要な領域は自助本の研究に見出される。クライエントは,自助本を読んで,自学自習で,自分の問題に取り組む。共通要因の研究で非常に有名なJerome Frankは,自助本について,以下のように述べている。
自助本は,その程度はさまざまながら,さまざまな心理療法に共通する治療要素のいくつかを提供するものである。すなわち自助本は,希望を喚起し,治療手続きの概念的枠組みを提示し,新しい情報を提供し,学習したことを実践するよう指示を与える。(Frank & Frank, 1991)
つまりFrankらによれば,自助本も心理療法の立派な1ジャンルだと考えられる。
不安障害やうつなどの症状を持つクライエントを対象として,コンピューター・プログラムや自助本などによる自助的な介入の効果を調べる研究が数多くなされてきた。そして多くの研究が,自助的な介入にも,セラピストによる通常のセラピーとほぼ変わらない効果があることを示している。人間のセラピストによるセラピーの方が効果があるという研究や,自助的なプログラムに加えて人間のセラピストによるサポートがある方がより効果が上がるという研究もあるものの,概してその違いは大きなものではない(Jacobs et al., 2001; Newman et al., 2003; Gregory et al., 2004; Hirai & Clum, 2006; Mencho-la et al., 2007;Andrews et al., 2015)。
クライエントの自助教材の最も基本的なものは自助本であるが,近年の情報通信技術の発展により,自助教材はどんどん進化している。その最も新しいものは,AIによるチャット相談である。生成AIのチャットGPTが大きな話題になったことは記憶に新しい。以来,大規模言語モデルとか,ニューラルネットワークとかいう言葉が,毎日のようにメディアを飛び交うようになった。AIによるチャット相談は,必ずしも生成AIを用いているとは限らないが,いずれにせよ,大きな発展を遂げている。現在,日本語圏ではまださほど大規模なサービスは登場していないが,英語圏ではWoebotやWysaなど,AIによるチャット相談のサービスが大きく普及しつある。
臨床試験で,Wysaは慢性疼痛とそれに伴う抑うつや不安の管理に有効であり,対面での心理カウンセリングに匹敵することが明らかにされた。そしてWysaは米国食品医薬品局(FDA)から「画期的デバイス」指定を受けている。
このように,書籍やコンピューターやスマートフォンなどによる心理療法に,人間のセラピストに匹敵するような効果があるならば,有効なセラピーには,セラピストという人間も,治療関係も必ずしも必要ないということになる。論理情動行動療法の創始者として有名なAlbert Ellisは,オンラインセラピーについての本の序文に次のように書いている。
クライエントとよく関わるために,良質の共感,サポート,受容を示さないといけない,そして対面して会わないといけないというのは心理療法における大きな神話である。ナンセンスだ!(Ellis, 2005)
これはオンラインセラピーについての本の序文の文章なので,面接室でセラピストとクライエントとが対面して会う必要はないということを述べたものであって,セラピストという人間も治療関係も不要だとまで言っているわけではないだろう。しかし,Ellisのこの言葉から,「セラピーにはセラピストという人間も治療関係も必須ではない」という主張までは,ほんのわずかの距離であるように思われる。
実際,さまざまなセラピー学派の中でも,自助教材の開発に最も積極的なのは,認知行動療法である。その意味では,認知行動療法は,クライエントの力に関して,両極端の考え方が共存しているとも言える。つまり,認知行動療法には,医療モデルを支持する傾向が強い。そこではクライエントはセラピストによる専門的なセラピーの対象であって,受動的な位置に置かれている。他方では,認知行動療法は,自助教材を積極的に開発して提供することにより,クライエントが自ら能動的にセラピーに取り組み,人間のセラピストに頼らず,一人で問題を改善するのを助けている。いずれにせよ,認知行動療法では技法の力が非常に重視されている。技法を使いこなすのをセラピストだと考えると,クライエントは受動的な立場に置かれ,技法を使うのをクライエント自身だと考えると,クライエントは非常に能動的・積極的な立場に置かれる。
話を戻すと,自助本やコンピューター・プログラムなどの自助教材の研究が示しているのは,心理療法において,クライエントの力は実に大きいということである。苦悩を抱えた個人は,しばしば自助グループ,自助本,プラシーボ効果,友達などのインフォーマルな支援(ソーシャル・サポート),環境変化などによって,専門家の専門的な援助なしに回復する。
これまでの多様な研究は,クライエントの関与こそ,セラピーが効果をもたらすかどうかを左右する最も重要な要因であることを支持している(Bohart & Tallman, 1999)。Cooper(2008)もまた,心理療法やカウンセリングに関わるさまざまな研究をレビューして,「セラピーにおけるクライエントの動機づけや関与の高さはセラピーの結果と密接に関連している」と述べている。
こうしたことを踏まえて,BohartとTallman(1999)は,「能動的なヒーラーとしてのクライエントモデル(client-as-an-active-healer-model)」を提唱している。彼らの考えは以下のように要約される。
さて,ここまで,心理療法におけるクライエントの力,クライエント要因について見てきた。そこで見えてきたのは,これまで心理療法においてクライエント要因が周辺化されがちであったということであり,またクライエント要因に注目した研究ではクライエント要因は実に大きな影響力を持っているということが示されてきたということである。それでは最後に,心理療法統合において,クライエントの力がどのように考えられてきたかを見てみよう。
(1)心理療法統合の歴史それに先立って,心理療法統合の歴史を大きく振り返ってみよう(Figure 4)。

心理療法の歴史を大きく振り返ると,その初期においてすでに,統合的な考え方が認められる。しかし心理療法のメインストリームは学派を中心として発展し,長い間,統合的な考え方が積極的に発展させられることはなかった。1970年代頃から統合的な考え方が徐々に注目されるようになり,さまざまな議論が活発になされるようになってきた。
20世紀における心理療法統合の探究では,技法折衷,理論統合,共通要因の3つのアプローチが中心であった。20世紀の終わり頃に,同化的統合の考え方が登場し,21世紀に入って,多元論の考え方が登場した。
これらの5つの統合へのアプローチのそれぞれについて,ここで説明することは控える。詳しく知りたい人は他の文献を参照してほしい(たとえば,杉原,2009;杉原・福島,2020)。
これら5つのアプローチのうち,最初の3つ,技法折衷,理論統合,共通要因のアプローチは,福島(2020)の言葉を借りれば,「大きな統合」であると言える。そこでは普遍的な原理・原則が探究されている。これに対して,より最近になって登場した2つのアプローチ,同化的統合と多元論は,「小さな統合」である。同化的統合は,セラピスト個人の職業的発達における個人的な統合の物語を想定している。多元論では,特定のセラピストと特定のクライエントのユニークな関係の中で,両者が交渉して多様なセラピーのリソースを活用することが想定されている。いずれも,心理療法実践のあり方をめぐって普遍的な原理・原則を問うものではなく,あくまでも個人や2者関係における個別の物語に焦点を置いている。
そしてこれら5つの統合へのアプローチを,セラピスト目線によるものか,クライエント目線によるものかという観点で見てみると,20世紀に登場した4つの統合へのアプローチは,セラピスト目線の統合を論じており,21世紀に登場した多元論だけが,クライエント目線の統合を論じている。
このように,心理療法統合の歴史を振り返ってみても,クライエントの力にはっきりと注目した統合が議論されるようになったのは,ごく最近のことなのである。
付け加えると,村瀬(2001)の心理療法統合も,クライエント側の視点に立った統合だと言える。また,Prochaskaらの多理論統合モデルは,変化のステージをベースとしており,クライエントの動機づけを非常に重視した統合である。
(2)クライエント主導の統合
最後に,クライエントの力を活用する,クライエントのセラピーへの能動的な取り組みを活用する,そういう統合について考えてみたい。
心理療法の統合は,クライエントに柔軟にセラピーを適合させるアプローチである。とはいえ,同じ統合でも,その適合が,セラピストが主導でなされるのか,クライエントが主導でなされるのかを検討することが重要である。ここれまでに本稿で見てきた知見を踏まえると,結果的に同じ技法選択になったとしても,セラピストが主導した場合と,クライエントが主導した場合とでは,効果が異なるのではないかと考えられる。
クライエント主導による統合のためには,以下のような考え方が大事になってくるものと考えられる(Dun-can et al., 1992; Duncan et al., 2004; Valla & Prescott, 2019)。
冒頭において,日本の心理療法においては,学派を中心とする考え方が圧倒的なメインストリームとなっているということを述べた。学派を中心に心理療法を考える人たちに心理療法の世界の運営を任せていると,ここで紹介してきたような知見は常に後回しにされ,十分に注目されることはない。学派の心理療法を推進する先生方は,学派を支えるエビデンスを生み出すことに忙しすぎるからである。
しかし,学派の心理療法を支えるエビデンスよりも,今日,ここで紹介してきたような種類のエビデンスの方が,心理療法をどのように考え,実践していくかにとって,ずっと重要なのではないかと私は考えている。
心理療法の効果をさほど大きく左右しない要因について,膨大な資金と労力をかけて活発に研究がなされる一方で,心理療法の効果を大きく左右する要因については,何十年も前から一貫した知見が積み重ねられているにもかかわらず,あまり注目されないのは,一体どうしたわけなのだろうかと,私は常々疑問に思っている。
本学会は,特定の学派の利益にとらわれない視点に立って,真にクライエントにとって有用な心理療法の実践について議論できる,現在の日本の心理療法界においては,大変,貴重な場であると思う。今後,日本において,このような視点がもっと広がることを希望している。