2021 年 28 巻 5 号 p. 59-63
慢性痛は痛みだけでなく睡眠障害や日常生活活動度の低下,抑うつや不安などを伴うことで,総合的に生活の質(quality of life:QOL)を低下させる.したがって,痛み医療では痛みの改善だけでなく,随伴するさまざまなQOL低下の要因を改善させることを目標としている.実際に,学際的痛み医療では運動療法や心理療法を組み合わせることで多面的な効果を期待できることが報告されている1).それにもかかわらず,世界的に臨床現場において痛みの多面的な側面を一つの質問票で包括的に評価する方法は確立されておらず,診察時にそれぞれの要素について質問票や理学的身体評価により個別に評価された内容を,医療者が総合的に判断している場合がほとんどである.そのような現状を踏まえ,Shirley Ryan AbilityLab(米国シカゴ)のペイン・マネジメント・センターに所属するDr. Gagnonは,睡眠や活動度,心理状態や痛みへの対処能力など,痛み医療における多面的な治療効果を包括的に評価できる患者心象変化の多面的評価尺度(Multidimensional Evaluation Scale for Patient Impression Change:MPIC)を開発した2).
MPICはDr. Farrarらが開発した1項目のthe Patient Global Impression of Change(PGIC)3)に,痛み医療の評価に関わる7項目(痛み,気分,睡眠,身体機能,痛みへの対処能力,急な痛みの悪化をコントロールする能力,および薬の効き目)を追加した8項目からなる質問票である.それぞれの項目について,「1.かなりよくなった」から「7.かなり悪くなった」までの7段階で評価される.英語版MPICは信頼性を検討するためのクロンバックのα係数が0.89と高く2),このことから目的とする特性(疼痛患者の心象変化)を測定するための一貫した質問項目群から構成されていることがわかる.本邦の痛み医療においても簡便で使いやすい評価法となることが期待できるため,日本語版を作成する意義が高いと判断した.そこで,著者らは本研究に着手し,言語的妥当性がある患者心象変化の多面的評価尺度の日本語版(MPIC-Japanese version:MPIC-J)を開発した.
MPICの日本語翻訳にあたって,英語版原作者のDr. Gagnonに翻訳許可を得た.言語的妥当性のあるMPIC日本語版の作成にあたって,尺度の翻訳版作成の際に標準的に使用されるISPOR(International Society for Pharmacoeconomics and Outcomes Research)タスクフォースによる尺度翻訳に関する指針(ガイドライン)に準拠した手順で実施した(表1)4,5).
概念同等性の確認 1.英語版原作管理者からの翻訳許可 2.順翻訳(英語→日本語) 3.訳語の調整 4.逆翻訳(日本語→英語) 5.英語版原作者による逆翻訳レビュー 6.訳語の調和 |
日本語暫定版の完成 |
文章表現の適切性の確認 7.非がん性疼痛患者を対象としたパイロット調査 8.パイロット調査後のレビューと最終調整 |
言語的妥当性が担保された日本語版の完成 |
まず,概念同等性を確認し,日本語暫定版を作成した.その暫定版を用いてパイロット調査を行い,日本語版を完成させた.
日本語を母国語とする2名の翻訳者(日本語を母国語とし,疼痛の臨床および研究経験のある医師1名,理学療法士1名)が,原作版をお互いの訳がわからない条件下でそれぞれ順翻訳した(手順2).2名の翻訳者とは別の1名(日本語を母国語とし,疼痛の臨床および研究経験のある医師)がそれぞれの翻訳案を検討し,一つの案にまとめた後,上記2名による協議を経て,順翻訳した日本語を調整した(手順3).
調整済みの順翻訳は,日本文化に精通し,日本語と英語を含む多言語話者により逆翻訳された(手順4).得られた逆翻訳は英語版原作者であるDr. Gagnonによりレビューされた(手順5).Dr. Gagnonによるレビュー内容を受け,上記順翻訳の調整をした3名で説明文の作成意図や文化背景の違いを考慮し,原作版と調和のとれた日本語訳を確定した(手順6).こうして,概念同等性が確認された日本語暫定版が完成した.
2. 疼痛患者を対象としたパイロット調査(表1:手順7)日本語暫定版の文章表現の適切性や患者にとっての設問への回答しやすさを検討するため,個別面談方式によるパイロット調査を,2020年7月から8月に医療法人曉会田辺整形外科(大阪府天王寺区)で実施した.本パイロット調査は順天堂大学医学部研究等倫理委員会での承認を得て実施した(承認日:2020年4月23日,承認番号:順大医学倫第2020029号).実施にあたっては,個人情報は一切収集しないなど,調査協力者のプライバシーには十分配慮した.
パイロット調査は外来通院患者のうち,日本語を母国語とし,体のどこかに痛みを有する5名の患者(女性4名,男性1名,平均55.2歳)を対象に実施した.対象者には事前に調査目的についての十分な説明を行い,書面による調査協力についての同意が得られた後に,日本語暫定版への回答と回答終了後のインタビューを求めた.また,患者の回答時間がパイロット調査の実施者によってストップウォッチを用いて計測された.調査実施の説明,同意書の取得,自記式質問票の配布およびインタビューは医療法人曉会田辺整形外科に勤務する,過去に同様のパイロット調査経験のある理学療法士1名が実施した.
回答終了後,患者に対して,文章表現の適切性や患者にとっての設問への回答しやすさに関するインタビューを実施した.インタビューの内容は言語的妥当性のある日本語版尺度を開発した先行研究6)を参考に,以下の内容について参加者に意見を求めた.
① 質問票全般の印象(全体的にわかりやすいか,回答に要する時間は適当か,質問数は適当か,またこの質問票に回答してもよいと思うか)と文章のわかりやすさ(説明文および質問項目に関して)
② 説明文(説明文はわかりやすいか)
③ 質問項目(質問文は簡単に理解できたか,質問内容はどのような意味だと理解したか,質問内容は回答しづらいか)
④ 選択肢(選択肢はわかりやすく,質問に対応しているか)
3. パイロット調査後のレビューと翻訳終了(表1:手順8)パイロット調査の結果について,上記の手順1~6に携わった日本語を母国語とする3名がレビューとともに暫定日本語版に対する微修正を実施した(手順8).以上の手続きをもって,言語的妥当性のある日本語版MPICを完成させた.
原作版MPICとそれに対応する日本語版MPICの訳を表2に示した.
英語版 | 日本語版 | |
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タイトル | The multi-dimensional evaluation scale for patient impression change |
患者心象変化の多面的評価尺度 |
説明文 | Since the start of my treatment... | 治療をはじめてから…… |
質問1 | my overall status is | わたしの状態は全体的に |
質問2 | my overall pain is | わたしの痛みは全体的に |
質問3 | my overall sleep is | わたしの睡眠は全体的に |
質問4 | my overall mood is | わたしの気分は全体的に |
質問5 | my overall physical functioning is | わたしの身体機能は全体的に |
質問6 | my overall ability to cope with my pain is | わたしが痛みに対処する能力は全体的に |
質問7 | my overall ability to manage pain flare-ups is | 急に痛みが強くなることをコントロールする能力は全体的に |
質問8 | the overall effectiveness of my medication is | わたしが使っている薬の効き目は全体的に |
選択肢1 | Very much Improved | かなりよくなった |
選択肢2 | Much Improved | よくなった |
選択肢3 | Minimally Improved | 少しよくなった |
選択肢4 | No Change | かわらなかった |
選択肢5 | Minimally Worse | 少し悪くなった |
選択肢6 | Much Worse | 悪くなった |
選択肢7 | Very Much Worse | かなり悪くなった |
まず,“my”を訳出するかどうか,訳出する場合はどう訳すかで,翻訳者のなかで意見が別れた.議論の結果,原作版に忠実な翻訳をする方針となり,“my”は全質問を通じて「わたし(の)」で統一することとした.ただし,質問7に関しては“my”を訳出すると不自然な日本語になるため,訳出しなかった.同様に,“overall”に関しても「全般的に」や「全体として」などと翻訳することが提案されたが,最終的に,「全体的に」で統一した.
次に,質問6と質問7のニュアンスの違いを日本語で表現することの難しさが議論となった.質問6の“cope with”も質問7の“manage”も「対処する」と訳すことができるが,それでは質問6と質問7の違いが不明確で,回答者を戸惑わせる可能性が高いと議論された.“cope with”も“manage”も「対処する」と訳した場合,手順4の逆翻訳では質問6でも質問7でも“cope with”」が使われる結果となり,手順5の原作者レビューにおいて,質問7における“manage”は“cope with”とは意味が異なるという指摘を受けた.そこで,原作者に“manage”の日本語訳が定まらないことを伝え,それ以外の表現で質問7を提示するよう依頼した.その結果,質問7の「my overall ability to manage pain flare-ups is」は「my overall ability to control extreme increase of pain」と換言できることが提案された.そこで,後者の表現に準じて質問7を「急に痛みが強くなることをコントロールする能力は全体的に」と翻訳することに決定した.その日本語訳に対する逆翻訳では,“control”」が使われ,原作者レビューで原作版との概念同等性が承認された.
選択肢については,1–かなりよくなった,2–よくなった,3–少しよくなった,4–かわらなかった,5–すこし悪くなった,6–悪くなった,7–かなり悪くなった,とした.
2. パイロット調査と調査終了後のレビュー痛みのある患者5名に実施したパイロット調査の結果,回答に要した時間は平均74.8秒(最短52秒から最長118秒)で,5名全員が回答に要した時間および質問数は「適当であった」と回答した.また,同じく全員が「質問内容の意味が理解できた」「選択肢はわかりやすく,質問に対応していた」と回答した.「全体的なわかりやすさ」については,5名中4名が「はい」と回答し,1名が「どちらでもない」と回答した.同様に,「質問文が簡単に理解できるかどうか」に関しても,4名が「はい」と回答し,1名が「どちらでもない」と回答した.また,5名中4名は「説明文はわかりやすかった」,「またこの質問票に答えてもよいと思う」および「質問内容は回答しづらくなかった」と回答したのに対し,残り1名はそれらについて「どちらでもない」と回答した.以上のパイロット調査の結果に基づいたレビューを実施し,とくに暫定日本語版から内容の変更は不要と結論づけた.
一方で,MPIC-Jに関する自由記述の項目では,2名の被験者が質問7「痛みが強くなることをコントロールする能力」の理解に悩んだことを記述した.回答者が悩んだ理由について,そもそも痛みを自分でコントロールしようという概念が回答者にない場合が考えられ,その場合に回答に苦慮したのではないかとレビューにおいて議論された.また,その議論のなかで,痛みをコントロールしなかった場合は,その能力も変化しなかったと考えられるため,その場合は「4.かわらなかった」を選ぶように誘導すべきだと提案があった.そこで,原作者のDr. Gagnonに承諾を得て,「痛みをコントロールしなかった場合は『4.かわらなかった』を選んでください」という注釈を加えることとした.
このようにして,言語的妥当性のある日本語翻訳版MPIC(MPIC-J)が完成した.
日本において,多面的な痛み医療の効果を包括的に評価できる質問票の有益性を考慮し,患者心象変化の多面的評価尺度(MPIC)の言語的妥当性のある日本語翻訳版を作成した.まず,言語的に妥当な尺度の翻訳版を作成する際に標準的に使用される国際的なガイドラインに準拠し,原作者と設問意図等の確認を取り合いながら,多国語話者の参画も得た文化的な調整を通して,質の高い翻訳を完成させた.続いて,疼痛患者を対象としたパイロット調査を通じて実際に質問票に回答する日本の患者にとって,回答しやすい言語表現かどうかの確認を行った.
Dr. Gagnonらによる原作版MPIC開発の基盤となったPGICは,「全体的な状態の改善度」を問う質問1問だけの質問票であり,痛みの多面的な側面を評価するには不十分であった.それに対し,MPICでは学際的痛み医療で治療目標となる7つの要素(痛み,気分,睡眠,身体機能,痛みへの対処能力,急な痛みの悪化をコントロールする能力,および薬の効き目)が追加されており,単独の質問票で多面的な評価ができるように構成されている.一方で,MPICは学際的痛み医療以外の一般的な痛み医療を評価することも可能である.例えば,投薬や神経ブロックなどの治療評価に用いられた場合は,痛みの項目では著しい改善がみられたとしても,痛みへの対処能力や急な痛みの悪化をコントロールする能力には変化がない可能性が考えられる.また,運動療法の評価にMPICを利用した場合は,痛みの改善自体は大きくなかったとしても,身体機能や気分の改善を十分に評価できると期待できる.このように,MPICは包括的な評価手段により各種の痛み医療の効果の違いを評価できる可能性がある.回答に必要な時間も2分以内と短く,慢性痛の長い経過のなかで,患者に大きな負担を与えずに複数回にわたって評価することが可能である.
MPICは8項目それぞれについて疼痛患者自身の心象の変化を問う質問票であり,治療前の評価を省略していたとしても,評価時点での治療効果を簡単に定量できるという利点がある.MPIC開発者のDr. GagnonらはMPICの各項目と関連がある質問票として,Numerical Rating Scale,Perceived Disability Index,Pain Anxiety Symptoms Scale,Center for Epidemiologic Studies Depression Scale,Chronic Pain Acceptance Questionnaire,Coping Strategies Questionnaireを使用し,痛みの強さ,身体活動の障害度,不安,抑うつ,痛みの受容度,対処能力を治療前と治療後の2時点で調査した.それらの学際的痛み医療の効果とMPICを用いて評価した治療後の時点での心象変化とを比較したところ,MPICのすべての項目で,対応する個別の質問表による評価したときの変化とスコアが有意に相関していた2).つまり,治療前に評価を欠いていたとしても,治療中あるいは治療後の時点でMPICを用いて評価することによって,その時点での治療による状態の変化(治療効果)を一つの質問票で包括的に推定できた.
MPICおよび日本語版のMPIC-Jは,学術目的で無償利用することができるが,著作権は作成者に付随し,利用にあたっては適切な引用文献を表記しなければならない.今後,MPIC-Jに関しては原作版同様,十分な数の被験者を募集して計量的な妥当性および信頼性について検証する必要があり,筆者らはその準備を進行中である.
患者心象変化の多面的評価尺度(MPIC)の言語的妥当性のある日本語翻訳版(MPIC-J)を作成した.本尺度を活用し,日本における学際的痛み医療がますます発展することを期待している.
MPICの日本語翻訳版作成にご協力をいただきました,Dr. Christine M. Gagnonに深謝いたします.また,パイロット調査の実施にご協力いただいた順天堂大学医学部麻酔科学・ペインクリニック講座の井関雅子先生,医療法人曉会田辺整形外科クリニック田辺曉人理事長,および研究協力をしてくださった患者の皆さまにも御礼を申し上げます.