2011 年 19 巻 1 号 p. 89-100
本稿では、文化政治期において、総督府機関紙であった『京城日報』が、その政治的立場から「内鮮融和」政策の一環としてスポーツ大会を開催し、また紙面でも統治者側の視点から大会を報じていた点について検討する。
『京城日報』は野球・庭球を中心とした全国大会を継続的に主催し、その大会には多数の朝鮮人選手が参加していた。さらに紙面では、試合に関連する記事はもちろん、その他関連イベントや祝広告が掲載され、朝鮮スポーツ界における大会の重要性が強調された。
また『京城日報』は、定期的に日本チームとの招聘試合も主催していた。主に6 大学野球のチームが招聘されたが、試合を報じる記事では、日本チームの技術・能力の高さが称えられ、朝鮮チームの「憧れ」「手本」として位置づけられていた。
このようにメディアの送り手として、『京城日報』が「内鮮融和」を推進する統治者側の立場からスポーツ大会を開催し、また紙面でも統治者側の視点から大会や試合について語っていたことが本稿では明らかになった。