2020 年 18 巻 p. 1-10
ドイツ・リートを芸術の高みへと導いた一人、フーゴー・ヴォルフ Hugo Wolf(1860-1903)のこれまでの研究は、評伝や特定の 作品に関する楽曲分析、作曲上の特徴的書法が中心で、日本におけるヴォルフの受容や普及については、学術的な説明がなされてこなかった。
本論は、東京音楽学校におけるヴォルフの歌曲の演奏歴やその当時の受容状態、さらに 1963(昭和 38)年に発足した日本フーゴー・ヴォルフ協会の第 1 回例会(演奏会)での取り組みについて検証し、日本でヴォルフの作品がどのように受容されてきたのかを考察したものである。
ヴォルフの歌曲が東京音楽学校の演奏会で初めて演奏されたのは、1913(大正 2)年のことだが、それから約半世紀の間は、同一曲 が複数回演奏された程度に留まり、畑中良輔や川村英司らの証言から、その当時、ヴォルフの普及にはほど遠い状況だったことが判った。その後、国際フーゴー・ヴォルフ協会やオーストリア国立図書館等の内外の多くの支援により、日本フーゴー・ヴォルフ協会が発足し、第 1 回例会ではかつてないほどの意欲的なプログラムが組まれたことにより、様々な作品が紹介され、日本フーゴー・ヴォルフ協会の誕生によって本格的なヴォルフの普及が始まった。