2024 年 21 巻 1 号 p. 42-71
市場原理による新自由主義や株主資本主義のもとで、世界経済は成長し、サプライチェーンは世界中に拡大した。しかし、相次ぐ企業不祥事やリーマンショック(金融危機)により、企業に対する不信感、社会格差、人権問題が顕在化し、さらに生物多様性の損失、地球温暖化など、企業や社会の持続可能性に対する懐疑が広がった。その対応策として、多くの企業が、CSR、CSV、ESG、SDGsを取り入れ、社会・環境課題の解決に取り組んできた。こうした流れの中で、多くの企業でパーパスが制定され、注目を集めるようになった。本稿では、パーパス論、経営理念論、組織文化論の先行研究をレビューし、パーパスを、持続可能性問題に直面し経営パラダイムの変革を迫られた企業が、経営理念を補完するために導入する概念として捉え「持続可能性を目指す企業の存在意義」と定義した。また、企業がパーパスの意味を実現するためには、内外の環境認識に基づき、価値観やパラダイム、行動規範と連動させ共有・実践し、組織文化として確立する必要があると捉えた。
さらに、パーパス経営やパーパス駆動のマーケティングが提唱されつつも、その規範的モデルが未構築の現状を踏まえ、近年、堀越(2022)、三浦(2022)らがグローバル展開のために開発した「文化のマーケティング」、「カルチャー・コンピタンス・マーケティング戦略(CCM戦略)」の分析枠組みを、パーパス駆動のマーケティング活動の分析に適用し、事業と環境・社会課題の解決に取り組む企業「パタゴニア」の事例研究をおこなった。研究の成果として、「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」というパーパスを掲げる「パタゴニア」のマーケティング戦略の成功要因を解明し、CCM戦略の分析枠組みの適用が有効であることを確認し、新たな研究の示唆を得た。本稿によって、パーパス駆動のマーケティング活動に関する規範的モデルの確立に向けた研究課題を明らかにすることができた。
Milton Friedmanによる市場原理に基づく新自由主義や株主資本主義により、世界経済は成長し、国際分業が進み、その結果サプライチェーンは世界中に張り巡らされた。しかし、21世紀に入り、エンロン事件(2001年)、ワールドコム事件(2002年)、フォルクスワーゲン事件(2015年)などの金融不祥事、リーマンショック(2008年)といった金融危機が相次ぎ、その結果、企業に対する不信感、社会格差、人権問題、海洋汚染、生物多様性の損失、地球温暖化など企業や社会のサステナビリティ(以下、持続可能性)に対する懐疑が広がった。上記の社会・経済の動向に対して、政府、経済界、アカデミアは、TBL(Elkington, 1994年)1) 、CSRの本格化(2003年)、CSV(Porter&Kramer, 2011年)、ESG投資の本格化(2012年)、SDGs(2015年)を提唱し、「社会・環境課題の解決」を積極的に進めた。こうした流れの中で、近年多くの企業が導入し、経済人や研究者が注目しているのが企業パーパス(purpose)である。
パーパスは、一般に目的、意図、用途などを意味するが、「企業パーパス」においては「自社の存在理由」として理解されている。倉持(2022)、広田(2022)、青嶋(2021)、伊吹・古西(2018)によると、パーパスが注目される理由として以下の7つがあげられる。
持続可能性・ESG経営の進展とともに、SONY、花王、味の素、富士通など多くの有力企業が、パーパスを導入している。パーパス・ブランディングのコンサルタントSMO社の調査(SMO,2024)によると、2024年には東証プライム上場企業1650社中236社(14.3%)がパーパスを導入しており、今後も拡大する傾向にあるという。以下ではパーパス導入の代表事例として、SONYのパーパスを取り上げる。
2019年1月、SONYはパーパスを以下のように定義した。
SONYは、上から与えられるミッションよりも自らの存在意義を示すパーパスを重視し、企業価値として過去に定めた「感動」を継承しつつ、パーパスをまとめた。このパーパスはシンプルで覚えやすく、従業員の8割以上が評価しているという(日経XTREND, 2022年)。時代背景を反映し、価値観には「多様性」「高潔さと誠実さ」「持続可能性」が含まれ、経営の方向性として「人に近づく」が入っているのが特徴である。SONYのパーパスに見られるように、パーパス自体も重要であるが、それ単体ではなく、価値観、ドメイン、経営の方向性などが一体となって企業に浸透することが重要と考える。
本稿では、パーパス論、経営理念論、組織文化論、文化のマーケティング論の先行研究を考察し、その要点と相互の関係を明らかにする。続いて近年開発された「文化のマーケティング」および「カルチャー・コンピタンス・マーケティング戦略(CCM戦略)」の理論に基づき、環境・社会課題の解決と事業活動を同時に進めるパタゴニアの事例研究を行う。パーパス経営やパーパス駆動のマーケティングが提唱されているが、その規範的モデルはまだ構築されていない。企業のパーパスによって駆動されるマーケティング活動を、CCM戦略の枠組みによる事例研究を行いその有効性を確認し、パーパス駆動のマーケティングに関する規範モデル構築のために、その研究課題の示唆を得たい。
近年、パーパス研究が盛んになった背景には、以下の5つの端緒がある。
(1)オックスフォード大学サイード・ビジネススクール(Saïd Business School)のColin Mayer(以下、Mayer)が主導する「企業の未来:研究・教育プログラム」が、『ビジネスの声』(British Academy, 2017)と『21世紀に向けたビジネス改革:企業の未来のための枠組み』(British Academy, 2018)を発表し、現在の経済・社会課題の解決のために、「企業パーパスの再定義」、「信頼の構築」、「倫理的文化の埋め込み」の3原則による企業経営の新しい枠組みを提唱したこと。
(2)BlackRock(世界最大の投資運用機関、運用資産残高9.42兆ドル・約1,385兆円)のCEO Larry Fink(以下、Fink)が、2019年1月、経営者に宛てた書簡「Profit and Purpose」の中で「パーパスは、単なるキャッチコピーやマーケティングのキャンペーンではなく、その企業がなぜ存在するのか、日々、ステークホルダーに対する価値を創造するために何を行っているのかを意味する。パーパスは、単に利益を追求することではなく、それを達成するための活力である」(Fink, 2019)と述べ、利益に先立つ企業パーパスの重要性を提唱したこと。
(3)米国の大企業181社のCEOが参加する組織、ビジネス・ラウンドテーブル(BRT)が、2019年8月、企業パーパス宣言(Statement of the Purpose of a Corporation)を発表し、株主至上主義からステークホルダー主義に移行し、パーパスに基づく経営を提言したこと(日経, 2019年8月20日)。
(4)世界経済フォーラム会長のKlaus Schwab(以下、Schwab)が、2019年12月「ダボス・マニフェスト2020:第4次産業革命における企業の普遍的パーパス」(Schwab, 2019)を発表し、企業パーパスは「企業の全てのステークホルダーを、共有化され持続する価値創造に関与させることであり、そうした価値創造の過程で、企業は株主だけではなく全てのステークホルダー:従業員、顧客、取引先、地域社会および社会全体に奉仕すべき」と提唱したこと。
(5)経済産業省が、2020年9月に発表した「人材版伊藤レポート2.0」2) で、パーパス(企業の存在理由)の明確化を求めたこと(経済産業省, 2022年)。
以下では、パーパス研究の歴史を確認する。パーパスに関する議論は最近始まったものではなく、1990年代に遡ることができる。最初にパーパスを提唱したのは、「ビジョナリーカンパニー:時代を超える生存の法則」の著者である経営思想家のCollinsら(Collins & Porras, 1994)である。40年前、フリードマン・ドクトリンの全盛期に利益よりもパーパスの重要性を提唱したことは画期的な研究(日経ビジネス, 2021)であったが、調査された18社の優良企業の事例として受け止められ、Collinsらが提唱したパーパスが普及することはなかった。
リーマンショックの経験と止まらぬ地球温暖化から資本主義の問題に危機感を覚えたオックスフォード大学のMayerらは2010年代の後半に「企業の未来:研究・教育プログラム」を開始した。このプログラムは2017年から4年間にわたり実施され、以下の6つの報告書を発表している。
Mayerらは『21世紀のビジネス改革:企業の未来のための枠組み』(2018年)の中で、「企業パーパスを、利益を生み出すことではなく、人間と地球の諸問題に収益的な解決策を生み出すこととし、利益は企業のパーパスではなく、その結果として生まれるもの」と捉え、「フリードマン流の新自由主義的な考え方が、多くの問題を引き起こしており、企業に対する一面的な見方が社会・環境問題、政治的な分断の原因であり、企業と社会との再構築が必要」と主張している。さらにMayerらは、学者、実務家、政策立案者らと実施した調査研究『パーパスに基づく企業のための原則』(2019年)の成果として、パーパスを実現するための8つの原則3) 発表している。Mayerらの6つの報告書は、マクロ経済政策の視点から企業パーパスを論じている。
また、Mayerらはオックスフォード大学において「パーパス・イニシアチブを起動するプログラム(The Enacting Purpose Initiative:EPI)」を主催し、以下の2つの報告書をまとめている。
先の6つの報告書がマクロ経済政策の視点からのパーパスに関する提言であったのに対し、この2つは「企業が実際にパーパスを導入する際に活用できるガイダンス」となっている。Mayerらは、『EPI・報告書1』(2020年)で、パーパスを実践し、戦略に反映させ、様々なステークホルダーに価値を提供する手法を提示している。また、Mayerらは、経営思想家Simon Sinekの「ゴールデン・サークル論」4) を基に、役員会が決定すべき4つの責任項目(図1参照)を示している。
4つの責任項目において、パーパスは「企業が存在する理由、社会的意義」を示し、バリューズ(価値)は「企業をどのように運営するかを示す価値観で、組織文化を形成する基盤」となり、ミッションは「企業がどのような事業を行っているか」を示し戦略と結びつき、ビジョンは「企業が達成を目指す未来の姿」を示している。企業がパーパスを定める際に、役員会がこの4つの責任項目を検討するのは、非常に重要かつ実践的である。
またMayerら(2020)は、パーパスを実現するSCOREフレームワーク(図2参照)を示し、役員会が問うべき5つの質問を提示している。
SCOREフレームは、以下の設問によってより良いパーパスを構築するための基準を提示している。
Mayerらの最終報告書『パーパスのある企業の方針と実践』(2021年)は、新自由主義、地球環境、社会問題に対する深い反省から、「パーパスを企業の中心に置き、その説明責任を果たし実践することで、企業活動を変革し、種々の課題を解決する新しい資本主義の構想」についてまとめている(図3参照)。
続いて、Hendersonら(2015)、Henderson(2020)、桜井(2021)、潜道(2022)、村山(2022)、中西(2023)のパーパス研究について確認する。
Hendersonらは「社会志向のパーパスによって環境に適応している企業は、従業員の評価と同一性を高め、利益を増加させている」(Henderson&Van den Steen, 2015年)と報告し、さらにHendersonは「従業員の間に仲間意識を育み、家族的な雰囲気を醸成するためにパーパスを用いている企業の場合、収益への影響は認められないが、従業員1人ひとりがなぜこの仕事に取組むのかという意義を示し、組織のミッションと合致させるためにパーパスを用いている企業は、競合をしのぐ収益をあげている」(Henderson, 2020年)としている。パーパスと収益性に関する研究は、まだその相関関係を示すに留まっており、今後のさらなる研究の深化が待たれる。
桜井(2021)は、24のパーパス研究を分析し、「企業パーパス論:株主第一主義を批判し、利益の追求が企業のパーパスではないという主張に基づく立論」と、「組織パーパス論:組織成員を統合し、対外的とくに顧客に向けたブランディングやマーケティングの手段としてパーパスの役割を重視する立論」に分類し、パーパスの意義と限界について論じている。桜井のパーパス分類は新たな示唆を提供しているが、企業パーパスの実態を分析するには、「企業パーパス論」と「組織パーパス論」双方の視点が必要となる。今後は双方の立論を統合する分析枠組みの提示が期待される。
潜道(2022)は、内外の13のパーパス研究を「捉え方と論点」により整理し(表1参照)、パーパスを巡る課題を、社会的価値、ユーザー志向、業務志向、従業員エンゲージメントのベクトルで整理し、一つのエコシステムとして把握している。潜道が整理した定義を概括すると、パーパスには統一的な定義はないものの、「志、指針、目標、こうありたい、北極星」といった「方向性を示す」ものと、「存在理由・意義」を示すものに大別できる。
村山(2022)はパーパスを「組織の存在理由」と捉え「経営理念の一部」としている。また、パーパス研究が隆盛になった背景を、①コンサルティング・ファーム:マッキンゼーによる戦略概念としての使用、②オックスフォード大学のMayerらの活動、③BlackRockのCEO Finkの提唱の3点をあげている。さらに村山は、パーパス導入の背景には、企業の利潤最大化を否定し、経済性と社会性の一致を求める共通善(common good)の思想があるとしている。
中西(2023)は、パーパスを「企業の存在意義」と定義し、企業の持続可能性に関する3つの対応レベル(認識・戦略・目的)があるとしている。
さらに中西(2023)は、パーパスに関する先行研究を5つに分類し(図4参照)、社会システム・アプローチの例としてHenderson(2020)、名和(2021)を、ファイナンシャル・アプローチの例としてSerafeim&Gartenberg(2016)を、ガバナンス・アプローチの例としてEccles et.al(2021)5) を、学習・アプローチの例としてQuinn&Thanker(2018)を、ブランディング・アプローチの例として佐宗(2021)、Sidibe(2020)を挙げている。
Mayerらの研究は、新たな資本主義を再構築するためのパーパス論と、企業が実際にパーパスを導入する際に有効な実践的なガイドラインを提示している。Hendersonら(2015)、Henderson(2020)の研究は、パーパスの導入と企業の収益性の関係を論じ、桜井(2021)、潜道(2022)、中西(2023)の研究は、パーパスに一定の定義がないために多様な研究を分類し、パーパス論の実態を解明しようとするものであった。村山(2022)は、パーパスを経営理念の一部と捉えているが、本稿では、持続可能性問題に直面し、経営パラダイムの変革を迫られた企業が、経営理念を補完するものとして導入した概念として捉えたい6) 。パーパスの定義を中西(2023)の研究に基づき「持続可能性を目指す企業の存在意義」とする。現代の企業は、持続可能性の観点を持った「自社の存在理由」を明確にし、内外のステークホルダーを巻き込み、オープンイノベーションを起こす必要がある。
次に、パーパス論との関連で経営理念論と組織文化論の先行研究について、主要な論点を考察する。まず、経営理念論の先行研究から始める。
村山(2022)は、経営理念の代表的な定義として以下の8つ(表2参照)を提示し、自己の定義を「創業者の精神を基盤とし、組織全体で共有すべき価値観や信念」としている。
村山の定義を含めた9種類の定義に含まれる項目を挙げると、「創業の精神、目的、指導原理、信条、原点、原動力、最高水準、価値観、信念、行動規範」など多岐にわたり、経営理念も研究者の観点によって異なり、統一的な定義がないことが分かる。
以下ではさらに時代を遡り過去の経営理念研究のレビューをおこなう。鳥羽・浅野(1984)は、経営理念を以下の3つに分類している。
北居・出口(1997)は、鳥羽・浅野(1984)の分類を基に調査を行い、「企業規模が大きいほど、方針型の割合が高くなり、規範型の割合が低くなる」という結果を示し、「近年の傾向として、経営理念によって指導される者は、経営者から従業員に拡大し、公表・広報されることでステークホルダーまでその範囲に入っている」と報告している。さらに、北居・松田(2004)は、経営理念の機能を下記のように分類している(図5参照)。
廣川・芳賀(2015)は、北居・松田(2004)の経営理念の機能分類に従い、各機能を以下のように説明している。
パーパス論との関係を検討するために、本研究においては、高尾・王(2012)の経営理念の定義「組織体として公表している、成文化された価値観や信念」を採用し、北井・松田(2004)に基づき、内部統合機能や外部適応機能を持つものと理解したい。続いて、パーパス論との関連で組織文化論の先行研究について考察する。
Schein(1990)は、組織文化を「共有された暗黙の仮定のパターンである。暗黙の仮定とは、外部に適応したり、内部を調整したりといった問題を解決する際に学習した方法である。それらは組織によって承認され、新しいメンバーが組織に加わった際には、問題に気づき、考え、感じるための正しい方法として彼らに伝えられる」と定義し、組織文化の構造を上記(図6参照)のように示している。
Schein(1990)は、企業文化の特徴として「文化は非常に安定的で、変革が困難なものである」、「文化の重要な部分は本来目に見えない」、「文化は多様化した段階を結び付ける仮定のパターンである」、「全ての環境において普遍的に最良で正しい文化など存在しない」と述べている。Schein(1990)が提示した分析枠組み(レベル1とレベル2の相互作用)は、「組織が尊重する価値」とその結果として現れる「組織内の行動パターン」の分析に有効と考える。
Kotter & Heskett (1992)は、これまでの組織文化研究を、①「強力な組織文化」、②「戦略に合致した組織文化」、③「環境に適応する組織文化」の3つに類型化し、「環境に適応する組織文化」の優位性を実証研究によって明らかにしている。「環境に適応する組織文化」が優位に立つ理由は、「トップマネジメントが外部で企業を支援するステークホルダーとそのニーズに関心を寄せ、競争状況における変化を素早くキャッチできる」ためと述べている。小原(2007)は、Kotter & Heskett (1992)の研究を、1990年代において「ステークホルダー・マネジメントを意図している」と評価した。Kotter & Heskett (1992)の研究は、企業環境における顧客、株主、従業員、取引先などステークホルダーの存在を重視する組織文化を確立している企業が、長期的に好業績をあげるという理論を提示した。
葛西(2001)は、組織文化を「組織成員に共有された価値観や行動規範」と捉え、組織文化は、内部統合機能と、外部環境への適応機能を持つとした。また、田尾ら(2005)は、組織文化を「組織(企業)のメンバーが共有するものの考え方、ものの見方、感じ方」とし、組織の価値観、パラダイム、行動規範(図7参照)からなるとしている。
田尾らは、組織の価値観は「組織にとって、何が善であり、何が正しいか、何がより大切か」、パラダイムは「企業を取り巻く環境についての世界観と認識・思考のルール」、行動規範は「価値観とパラダイムが要請する正しいと考えられるルール」としている。
本稿では、田尾ら(2005)の定義に倣い、組織文化を「組織のメンバーが共有する価値観、パラダイム、行動規範」と捉え、Kotter & Heskett (1992)の研究に基づき、顧客、株主、従業員、取引先などステークホルダーの存在を重視する「環境に適応的な組織文化」の重要性を確認した。加えて、組織文化の把握には、Schein(1990)の分析枠組みが有効と考える。前章と本章において、パーパス論、経営理念論、組織文化論に関する先行研究を考察した。パーパスは、従来の経営理念、すなわち「公表されている、成文化された価値観や信念」を、今日の持続可能性課題に対応するために、新たな視点「WHY」で補完したものであり、その定義を「持続可能性を目指す企業の存在意義」とした。
また、パーパスは一般に短文で表現されるため、その意味を補強するには、その下位に位置付けられるバリュー(価値)などと連動させる必要がある。
「パーパス」が駆動する意味を実現するためには、企業は内外の環境認識に基づき、「価値観」「パラダイム」「行動規範」として共有・実践し、時間をかけて「組織文化」として確立する必要がある。さらに、その意味をステークホルダー(株主・従業員・顧客など)に向けて発信し、共有することも重要である。
現代の企業は、自己の利益追求に留まらず、社会的存在として、ステークホルダーに加えて社会や地球環境の持続可能性に貢献することを、パーパスで宣言し、実践することが求められている。河西(2010)は、従来のCarrollのピラミッドに「持続的経営責任」を加えた「新たなCSRピラミッド」を提唱している。持続可能性は新たな社会的責任であり、この「新たなCSRピラミッド」(図8参照)は、現代企業が持つべき認識枠組みと考えられる。
以下では、マーケティング研究における文化概念について考察を行う。
マーケティング研究の嚆矢とされるShaw(1915)は、経営者の課題が生産問題から市場流通問題へと移行していると述べ、米国の消費市場の規模(人口1億人)、地理的分布、購買力の階層、欲求の多様化に注目している。欲求を多様化させる要因として「環境、教育、社会習慣、個人的習慣、そして心身両面におけるあらゆる差異」を挙げ、「文化」の存在を指摘しているが、その分析対象にはしていない。また、「4P概念」によってマーケティング・マネジメント論の基礎を築いたMcCarthy(1960)も、統制不可能な環境要因として文化・社会的環境を言及するに留まっている。
1963年のAmerican Marketing Association(以下、AMA)の冬季大会では、「ライフスタイルの影響と市場行動」がテーマとなり、初めて文化要因(ライフスタイル)が注目されるようになった。同大会では、ライフスタイル研究をリードするLazer、Levy、Mooreの3人が発表を行った。Lazer(1963)は、「ライフスタイルとは集合体の特有の生活様式であり、社会全体もしくは特定のセグメントの特徴的な生活様式を指す。それは、ある文化や集団の生活様式を他の文化や集団の生活様式から識別する特有の要素や性質に関係している」と定義した。Levy(1963)は「ライフスタイルと製品シンボリズムの関連性」について論じ、Moore(1963)は製品開発の視点からライフスタイル研究の重要性を提示し、「家族のライフスタイル」について論じた。
こうした米国の研究動向を受けて、日本においても「マーケティングとライフスタイル研究」(村田, 1972)、「ライフスタイル研究の構図」(村田, 1977)、「消費者ライフスタイルの理論」(井関, 1978)、「ライフスタイル全書」(村田他, 1979)と続々とライフスタイル研究が展開された。ライフスタイル研究が進展した理由として、仁平(2005)は①市場細分化の新たな基準としての採用、②消費者行動分析の新たな視点、③「生活の質」志向の社会の出現、④「豊かな社会」の到来による新たなライフスタイルの出現(自己充足・脱物質志向)を挙げている。
McCracken(1988)は文化と消費の関係を論じ、文化を「世界を解釈し、構築する理念と活動」と定義した。また、「消費はあらゆる点で文化的配慮によって形成され、促進され、拘束されている。消費財をつくりだす設計・生産システムはまったく文化事業である」と述べ、マーケティングの本質を文化事業と捉えている。さらにMcCracken(1988)は「ディドロ統一体」および「ディドロ効果」7) の概念を示し、ライフスタイルにより消費者が一定の消費傾向を示すことを理論的に説明している。
石井(1993)は、McCracken(1988)の「ディドロ効果」論に基づき、消費行為が持つ意味を、①「文化的意味の可視化」、②「個々人のアイデンティティの確保」、③「モノによる自らの再定義」とした。石井は、また消費者はそれぞれ首尾一貫したルール(つまり、ライフスタイル)によって自身を構成するとしている。石井は、こうした消費者にコミュニケーションを図る際には、「物語の形態」によって意味を伝え「対話をする」ことが重要と主張した。さらに青木(2008)は「文化は、モノを売るという行為の基底となるものであり、マーケティングという近代主義の深層となるものである」、「商品がヒットし、売れるためには、文化の中で解釈され、意味のあるもの、価値のあるものとして受容されなければならない」として、カルチュラル・マーケティング8) を唱え、文化シンボルの創造(つまり、ブランドの物語化)とそのマネジメントが重要であるとしている。
マーケティング・マネジメント論を体系化し、50年にわたりその内容をアップデートしてきたKotlerは、経営者が自社のDNAであるミッション、ビジョン、価値観を考慮する必要があるとし、特にビジョンについては「企業の存在理由」として永続する表現であるべきと主張した(Kotler et.al, 2010)。Kotlerは「ビジョン」という言葉を用いているが、その中でパーパスの重要性を主張している。さらに、Kotlerはマーケティング3.0を「文化課題を企業のビジネスモデルの中心に据えるマーケティング」と定義し、「企業のミッション・ビジョン・価値に組み込まれた意味をマーケティングすること」としている。
Kotlerは、2013年にインドのJRE大学:注5での講演で、「4Pにパーパスを加えて5Pとし、企業は製品・サービスの提供だけでなく、顧客との信頼関係を築きブランドの成功を導くためには、パーパスをマーケティング戦略の中心に据えるべき」と主張した(Kotler,2013a, Kotler,2013b, Kotler2016)。さらにKotlerは2018年にノースウエスタン大学の公式ブロクで、「マーケティングはより高いパーパスを持ち、顧客を中心にしつつ、過剰消費や環境破壊を助長しない持続可能なマーケテンィグを目指し、個人の自由を制約せずに行動変容を促し、消費の抑制も働きかけるべき」と主張した(Kotler,2018)。
過去のマーケティングにおける文化概念は、その重要性が指摘されていたものの、「ライフスタイル研究」や「ディドロ効果」を除いて理論モデルの提示がなかった。Kotlerはマーケティング3.0以降、「企業の存在意義」であるパーパスに主導される「意味のマーケティング」や「持続可能性のマーケティング」を提唱し、新たなマーケティング理論の必要性を述べている。以下ではKotlerが提唱した新たなマーケティング理論を構築する端緒として、グローバル展開のために考案された「文化のマーケティング」に関する近年の研究を考察する。
堀越(2022)は、文化の系譜的研究とWeberの価値-行為-制度研究に基づき、文化とマーケティングに関する分析枠組みを構築し、「文化付与のマーケティング理論」と「文化のマーケティング理論」の2つを提示している。堀越は、「文化付与のマーケティング」、「文化のマーケティング」を、文化的価値を利用して需要創造を図る行為と捉え、機能的価値と情緒的価値を調和して使用価値を高める新たなマーケティング・ミックスの課題と位置付けている。堀越は、それぞれのマーケティングには3種類の戦略があるとしているが、本稿では、パーパスと関連する「文化のマーケティング」について注目する。
堀越が提示した「文化のマーケティング」の3類型は以下の通りである。
企業がパーパスを定め、パーパスの込められた意味や価値をステークホルダーに伝えていく行為は、堀越が提唱する「文化のマーケティング」の(3)文化的差別化浸透戦略に相当すると考える。
続いて、堀越と共同研究をおこなった三浦の研究について考察する。三浦(2020)は、文化は「生活全般にわたる価値と象徴のシステム」であり、「価値-行為-制度」(図9参照)によって構成されるとしている。
また三浦は、マーケティングによる文化変容(図10、表3参照)には、①同化型文化変容、②統合型文化変容、③イノベーション型文化変容があるとしている。
三浦(2020)は、現代マーケティングを「価値を創造、伝達、提供する行為」(Kotler&Keller, 2006)と捉え、前述の文化形成・文化変容モデルに基づき「カルチャー・コンピタンス・マーケティング戦略(以下CCM戦略)」を体系化した。
三浦は、カルチャー・コンピタンスを「企業の文化的競争力であり、企業の持つ文化資源を模倣困難性により創造し、進出先の市場の文化にマッチング(調整)させる能力」と定義し、CCM戦略を以下の諸研究から構築している。
(1)コア・コンピタンス理論との関連カルチャー・コンピタンスは、Prahaladら(1990)が提唱した「コア・コンピタンス(企業の中核的競争力)」(Prahalad&Hamel, 1990)を基礎としている。コア・コンピタンスは、企業が他社に対して競争優位を得るための中心的な資源や能力をさすが、同概念は技術的資源に重きを置いている。それに対し、三浦のカルチャー・コンピタンスは、文化的資源に重点を置き、その資源が持つ象徴的価値や模倣困難性が、競争力の源泉になるとしている。
(2)文化資源の模倣困難性カルチャー・コンピタンスの中心には、文化的資源の模倣困難性が置かれている。三浦は、Baney(1991, 2002)の資源ベース理論(Resource-Based View, RBV)に基づき、以下の4つを「文化資源を模倣困難にする要因」としてあげている。
カルチャー・コンピタンスには、進出先市場において文化資源を適応させる「調整能力」が含まれている。これは、市場ごとに異なる文化的背景や価値観に対して、企業の文化資源をどのように調整・適応させるかということであり、以下の2つの方法がある。
このような文化資源の調整は、グローバル・マーケティングの「標準化」と「現地化」の戦略にも関連しており、企業が文化を競争優位の要素としていかに活用するかが焦点となる。
続いて三浦は、CCM戦略が活用する文化資源には、以下の3つがあるとしている。
三浦は、製品コンセプトは管理可能だが、企業ブランド(企業文化)の構築には時間がかかるとし、COO(原産国イメージ)は管理不可能に近いと述べている。さらに、三浦は文化資源に関する戦略(表4参照)を以下のように分類している。
三浦は「価値の伝達・拡散」とは、企業が創造した価値をターゲット消費者に伝達して受容してもらうことであり、「制度の構築」とは、単なる受容(トライアル購買)ではなく、リピート購買によって習慣化(制度)することとしている。
堀越(2022)が構築した「文化のマーケティング」、三浦(2022)が構築した「CCM戦略)」は、Kotlerがマーケティング3.0で主張した「意味のマーケティング」を国際マーケティングの文脈で理論化したものである。企業がパーパスに組み込んだ意味をステークホルダーに向けて発信するマーケティングは、「文化のマーケティング」や「CCM戦略」を適用することで、分析が可能と考える。
現代社会は、化石燃料の大量消費を基盤とする経済モデルの限界に直面し、持続可能性を志向する脱炭素社会への転換が求められている(図11参照)。近年提唱されている「人新世(アントロポセン)」9) や「グレート・アクセラレーション」10) は、人類の活動が地球環境に甚大な影響を及ぼし、これまでの成長至上主義からの脱却が急務であることを示している。こうした時代背景の中で、企業は社会や環境に責任を持ち、持続可能性に基づく新たな価値創造を模索する役割を期待されている。そして、この転換を支える鍵となるのが「パーパス」である。パーパスは、企業の「存在意義」であるとともに、社会・環境の課題解決と企業の長期的成長を両立するための基軸であり、企業活動の中核に位置付けられるものである。
脱炭素社会を実現し、より倫理的な消費文化を築くためには、企業が持続可能性を意識したパーパスを選定し、その意味や価値をステークホルダーに発信し、共有することが重要となる。以下では、パーパスを駆動起点として持続可能性・環境問題に挑む米国「パタゴニア」のマーケティング活動を、CCM戦略の枠組みで事例研究をおこなう。
5.1 パタゴニアの会社概要「パタゴニア」は、米国カリフォルニア州ベンチュラに本社を置く、アウトドア・アパレルを扱う非上場企業である。創業者のYvon Chouinard(以下Chouinard)は、1964年に登山用品の制作から事業を開始し、1973年に登山服を手掛ける際に衣料品事業のブランド名として「パタゴニア」を採用した。Chouinardは、環境問題への取り組みをブランドの核心に据え、他のアパレル企業とは異なる「企業文化」を築き上げた。パタゴニアの2021年の売上高は10億2320万ドル(約1574.9億円)、従業員は2300人で、世界中に店舗を展開している。2012年には「公認Bコーポレーション」11) に認定されている。
Chouinardはピトン製造から事業を始めたが、やがてピトンが山塊にダメージを与えていることに気づき、事業の70%を構成していたピトン製造から撤退し、チョック製造に切り替えた。この決断が、その後60年にわたって事業を進める基準となった。Chouinardは「当社における意思決定は、すべて環境危機という文脈で行う。害悪をもたらさぬようできるかぎり努力すること。可能な場合には必ず、問題を減じる行動を選ぶ。改善は果てしなく続けるものであり、自らの活動について評価や再評価を繰り返さなければならない」(Chouinard, 2017)と決意を述べている。パタゴニアは1993年に、世界で初めてリサイクルペットボトルを使用したフリースを発売し、さらに農薬を使用したコットン栽培による環境へのダメージを考慮し、1996年にはすべてのコットン製品の原料を有機栽培によるオーガニック・コットンに変更した。その後も、パタゴニアはサプライチェーンの透明性を確保し、労働者の社会正義を追求し、可能な限りリサイクル素材、フェアトレード素材、オーガニック素材を使用して耐久性のある製品を作り続けている。
パタゴニアがこのように環境負荷の少ない素材に切り替える努力を続けるのは、ファッション産業が環境汚染問題を引き起こしているためである。ファッション産業が生み出すCO2は世界全体の10%に相当し、水の消費量は全産業の第2位であり、水質汚染の大きな原因にもなっている(図12参照)。
以下の表(表5参照)は、Schein(1990)の組織文化の構造枠組みを基に、Chouinardの著書『新版・社員をサーフィンに行かせよう』(2017)に記載された「8つの価値理念」と、それに対応する「人工物・創造物・行動パターン」を整理したものである。この表により、パタゴニアの理念や価値に基づいて形成された同社の企業文化を象徴する物やコトを知ることができる。
さらに、Chouinardは理念の守り方について次のように述べている。「我々の理念は規則ではなく指針だ。進め方の基本となるものであり、理念は石のように変わらないが、その適用方法は状況次第で変わる。具体的なやり方は変わっていくかもしれないが、会社の価値観やカルチャー、理念はいつまでも変わらない。 (中略) パタゴニアでは、この理念を社員一人ひとりに伝えるようにしている。だから、全員、選ぶべき道がわかっており、上司の指示を待つことなく、自分で判断することができる」(Chouinard, 2017)
5.3 「文化のマーケティング・CCM戦略」によるパタゴニアの事業分析「文化のマーケティング」は、異文化を持つ他国に進出する際に適切なマーケティング戦略を明らかにすることを目的としている。この観点からすると、パタゴニアは海外進出に際して服のサイズなどの調整をおこなうが、それ以外の対応はしていない。パタゴニアは環境主義を掲げ、その理念に基づいて製品開発をおこなっている。このアプローチは、堀越(2020)が提唱する「文化的差別化浸透戦略(新たな意味の付与を通して根気よく浸透させる戦略)」や、三浦(2020)の「イノベーション型文化変容」と一致するものと考えられる。
5.3.1 文化資源の創造 a)デザイナーの役割ファッション産業においてデザイナーは文化資源の創造における中核的な存在である。しかし、パタゴニアのデザイナーの役割はそれとは異なる。同社のデザイナーは環境への配慮を最優先し、品質を第一に考え、流行を追うことなく、製品の理念(コンセプト)に基づいてデザインをおこなっている。
b)原産国(COO)のイメージ米国は、大量生産・大量消費・大量廃棄のライフスタイルを生み出した国である。原産国(COO)が米国であることは、環境志向の面でマイナスイメージがある。政府(民主党)は環境配慮や持続可能性に対する政策を推進しているが、野党(共和党)は反発しており、環境政策に関する国論は二分されている。一方、米国には世界最大のアウトドア市場があり、パタゴニアはその中で「米国の環境配慮の良心」と認識されている。原産国(COO)のイメージは管理不能であるが、世界最大のアウトドア市場で、高品質・高価格で事業を継続してきたパタゴニア(図13参照)は、その環境アクティビズムによって原産国(COO)のマイナスイメージを超越していると考えられる。
パタゴニアは2019年にミッションを「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」に変更し、さらに4つのコアバリューを定めている:①「最高の製品をつくる」、②「不必要な害を与えない」、③「ビジネスで自然を守る」、④「習慣にとらわれない」。変更前のミッション(1991年版)は「最高の商品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そして、ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する」であった。1991年版には「How」=「どのようにして私たちは環境危機への対策を実行していくか」が表現されていたが、2019年版には「Why」=「なぜ私たちは存在するのか」のみが書かれており、「パーパス」が表現されている。
d)製品コンセプト「最高の製品をつくる」がコアバリューの一つである。「最高」であるかを決めるのは顧客の判断だが、パタゴニアでは、最高の製品をつくるために、19の確認項目を設けている。確認項目は、①機能性、②多機能性、③耐久性、④修理可能性、⑤体へのフィット性、⑥デザインのシンプル性、⑦製品ラインナップのシンプル性、⑧革新性(発明)、⑨世界に通用するか、⑩手入れ・洗濯の簡便さ、⑪付加価値の有無、⑫本物性、⑬美しさ、⑭流行は追わない、⑮コア顧客をイメージしているか、⑯不必要な悪影響の確認、⑰オーガニック・コットンの使用、⑱他の素材の吟味、⑲染料の吟味に渡っている(Chouinard, 2017)。
5.3.2 文化資源の調整(価値の伝達・拡散) a) 寄付行為・アクティビズムパタゴニアは「自然を守るためにビジネスを活用する」というミッションのもと、「1%フォー・ザ・プラネット」という団体を通して多くの環境保護NGOを支援し、ブランド・アクティビズムを唱え、環境・社会にポジティブ・インパクトを与える触媒になろうとしている。さらに、Chouinardは「パタゴニアの株主は地球である」と述べ、2022年9月に「The Patagonia Purpose Trust」に2%、「The Holdfast Collective」に98%の株式を譲渡し、配当金によって自然や生物多様性を保護し、環境危機と戦うために使うと宣言した(パタゴニア日本支社, 2022)。
b)顧客へのコミュニケーション「Don’t Buy This Jacket: このジャケットは買わないで」キャンペーン(2011年)の展開により、パタゴニアは消費者が購入について深く考え、衝動買いをせず、割高でも長持ちする高品質の製品を買うべきだというメッセージを伝えている。さらに「Buy Less, Demand More: より少なく買い、より多くを求める」キャンペーン(2020年)では、従来の常識に挑戦し、より意識的な消費行動を提唱している。また「Patagonia Unfashionable Weeks: パタゴニアお洒落じゃない週間」キャンペーン(2023年)は、流行を追わず製品の品質に顧客の注目を集めるために行っている。パタゴニアのこうしたキャンペーンは、持続可能性やエシカル消費を志向する消費者の共感を得て、同社と顧客の絆を深めている。
c)顧客のコミュニケーション(集合知戦略)パタゴニアはSNSプラットフォームを活用し、顧客をブランドアンバサダーとして位置づけ、本格的なストーリーテリングを通じて、同社の価値観を体現する個人の情報を発信・共有している。さらに顧客が「#MyPatagonia」を使用して情報を発信することで、ネット上に賛同するファンのコミュニティを形成し、環境問題への関心を喚起し、持続可能なライフスタイルへの参加を促進している。
5.3.3 文化資源の調整(制度の構築) a) バリューチェーンの構築パタゴニアのコアバリューである「不必要な害を与えない」および「慣習にとらわれない」という理念は、同社の調達、製造、マーケティングに至るすべての企業活動において、「自然環境を守る」というパラダイムを形成している。パタゴニアは、価格やコストを下げるために環境を犠牲にすることはない。また、「フットプリントクロニクル」を通じて、サプライヤーの協力を得ながら、企業情報、原料、製造工程、労働者の労働環境に関する情報を開示しており、その情報開示の透明性と誠実さが、ブランドへの信頼の基盤となっている。
b) 店舗活用パタゴニアは、店舗を単に製品を販売する場所としてだけでなく、持続可能なライフスタイルを提唱し、ブランドの価値を体験できる場所・拠点と位置づけている。同社の店舗では、製品販売だけに止まらず、地域コミュニティとのつながりを強化し、環境意識を高めるための活動が積極的に行われている。気候変動や環境問題に関心を持つ学生や若者を対象にした「クライメイト・アクティビズム・スクール」を開催し、彼らが環境問題に取り組むための知識やスキルを身につける場を提供している。このような取り組みにより、パタゴニアの店舗は環境保護活動を推進し、顧客と共に持続可能な未来を築くための拠点となっている。
c) サーキュラー戦略衣料品の環境負荷は、製品製造時が最も大きく全体の90%を占めている。環境負荷を減らすためには「不必要に新しい製品を生み出さず、すでに生み出された製品を長く大切に使い続けること」が必要となる。そのためにパタゴニアは、新製品のみに依存するのを止め、すでに作られて眠っている中古製品を循環させ、ビジネスモデルを直線型から循環型に変革している(図14参照)。パタゴニアは、修理して長く着る(リペア)、必要な人に手渡す(リユース)、製品寿命の終わりで責任をとる(リサイクル)を提唱している。パタゴニアは日本で年間2万件の修理をおこない、「新品よりもずっといい:It’s Better than New」というキャッチコピーで、リユースを促す「Worn Wear」プログラムを展開している。
パタゴニアは、2011年11月25日のブラックフライデーに「Don’t Buy This Jacket(このジャケットを買わないでください)」という大胆な広告(写真1参照)を新聞に掲載した。この広告の狙いは、クリスマス商戦における過度な消費を抑制し、消費者に対して、より慎重で持続可能な購買行動を促すことにあった。同社は、このキャンペーンを通じて、消費者に「必要なものだけを購入し、製品のライフサイクルを最大限に延ばそう」というメッセージを伝えている。さらに、パタゴニアは別のブラックフライデーに、その期間の売上のすべてを環境保護NGOに寄付するという取り組みを行い、消費者の意識に働きかけた。こうして、同社はブランドとしての信頼性を強化し、消費者との深いつながりを築いている。
パタゴニアは、ウォルマート・ストアーズと共同で、世界的なアパレル企業に招待状を送り、2010年にニューヨークで開催された「21世紀アパレル・リーダーシップ・コンソーシアム」に参加を呼びかけた。この呼びかけにより、「サステナブル・アパレル連合」が結成され、アディダス、バーバリー、ギャップ、H&M、リーバイス、ニューバランス、ナイキ、ノードストローム、プーマ、帝人、東レなど、82社が参加するようになった(Chouinard, 2017)。現在、この連合に加盟するメンバーは、世界で購入される衣類とフットウェアの1/3を提供しており、業界全体に大きな影響を与えている。
さらに、メンバーが共有するERPシステムにはHiggインデックス12) が導入されており、参加企業はこれを活用して持続可能性の改善策を見つけ、透明性と信頼性を向上させている(パタゴニア, 2023)。パタゴニアは、持続可能性への取り組みを自社内に留めるのではなく、世界のファッション企業が共に改善に取り組めるように、プラットフォーム化(集合知化)を進めた。世界最大の小売業者であるウォルマート・ストアーズが、持続可能性課題を相談する最初のパートナーにパタゴニアを選んだことからも、パタゴニアの「パーパスによって駆動されるマーケティング戦略」への高評価がうかがえる。
パタゴニアのCCM戦略の全体像は下記(表6参照)にまとめている。
三浦が提唱したCCM戦略において、「価値の伝達・拡散」は、企業が創造した価値をターゲット消費者に伝達・受容してもらうこととし、「制度の構築」はリピート購買による習慣化としていた。パタゴニアの事例研究では解釈を拡大し、「価値の伝達・拡散」では寄付行為・影響行為を含め、「制度の構築」ではバリューチェーンの構築、ビジネスモデルの変革、業界団体の設立なども取り上げた。
本稿では、パーパス論、経営理念論、組織文化論に関する先行研究を考察し、パーパスを「持続可能性を目指す企業の存在意義」と定義した。パーパスは、従来の経営理念を「Why」の視点で補完したものであり、短文で表現されるため、下位に位置付けられるバリュー(価値観)と連動することで意味が補強され、明確になる。パーパスが市場で評価されると「企業ブランド」となり、従業員に支持され定着すると「企業文化」になる。三浦(2020)のCCM戦略は、企業ブランド、製品コンセプト、COO(原産国イメージ)をコアにした価値創造戦略と価値調整戦略によって構成されている。
「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」というパーパスを掲げたパタゴニアの事業活動を、CCM戦略の枠組みを用いて分析した。その結果、パタゴニアの卓越した事業活動は、以下の要素に基づいていることが明らかになった。①デザイナーが果たす独自の役割、②パーパスによって築かれる企業ブランド。③独自の製品コンセプト、④原産国(COO)イメージを超えたブランド認知。これらを中核にした「4つの価値の伝達・拡散戦略」および「4つの制度の構築戦略」が、パタゴニアの成功に寄与していると考えられる。
パタゴニアの事例研究を通じて、企業パーパスが主導する文化のマーケティングを分析する際に、CCM戦略の枠組みが有効であることが示された。本稿は、三浦(2020)が構築したCCM戦略の枠組みをそのまま事例研究に適用している。マーケティング研究においては、「企業の社会的責任を考慮したソサイエタル・マーケティング」や「人々の行動変容を目指すソーシャル・マーケティング」など、多くの先行研究が存在する。パーパス駆動のマーケティング活動に関する規範的モデルを確立するためには、同分野の研究成果を検討し、関連性や整合性を考察する必要がある。
また、パタゴニアは持続可能性を追求する企業・ブランドとして独自の地位を築いており、ある意味で孤高のレベルに達していると言っても過言ではない。同社は米国の非上場企業であるため、入手できる情報が限られていた。今後の事例研究では、三浦らのCCM戦略の枠組みを批判的に修正・補強した上で、パーパス駆動のマーケティングを展開する日本企業を対象にして実施したい。