社会が災害科学に期待することは将来の自然災害の防止や軽減であり,そのためには自然災害を予測する必要があるが,種々の制約により予測が困難な場合が多いので,災害科学の社会貢献は不定性が高くなる.それを念頭に置かずに「踏み越え」が行われると科学者が刑事責任まで問われることがあり,イタリアのラクイラ地震裁判はその最近の例であるので,資料収集や聞き取り調査,判決理由書の分析等を行い,そこでの災害科学の不定性と科学者の責任を検討した.その結果,裁判の対象となったラクイラ地震の人的被害は,災害科学の不定性を踏まえない市民保護庁副長官の安易な「安全宣言」が主な原因という結論を得た.また,この「安全宣言」のみを報じた報道機関にも重大な責任がある.副長官以外の被告にも会合での発言が災害科学のコミュニケーションとして不用意であるという問題点が存在したが,地震までに発言が住民に伝わることはなかったから,この問題点は道義的責任に留まる.