情報管理
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視点
情報メディアの変容 電子書籍
倉田 敬子
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2012 年 55 巻 1 号 p. 58-61

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1. はじめに

人が他人に何か情報を伝えようとする際には,必ず何らかの手段を使う。最も古くから使われてきたのは直接に対面して行う会話であり,その後図書,雑誌という印刷物が普及し,そしてラジオやテレビ,さらにインターネット上の電子ジャーナル,ブログ,Twitterなどが出現した。これらさまざまな手段,情報源をここでは「情報メディア」と呼ぶ。

社会や時代によって主として利用する情報メディアが変化することは,社会のあり方にも大きな影響を与えてきた。情報メディアを歴史的な変遷から見るなら,大きくは(1)声,(2)印刷物,(3)電気・電子メディアという3段階に分けられるとされている。ここ300年以上の間,情報や知識を伝達してきたのは印刷物という物理的属性を持つ情報メディアであった。それに対して,20世紀の後半にラジオやテレビといった新しいメディアが登場し,20世紀末にはインターネットを基盤とする電子メディアが普及してきた。現代社会は,印刷物から電子メディアへの大きな変化の時代といえる。

もちろん,その時代で使われる情報メディアは1種類と決まっているわけではなく,新しい情報メディアが古いメディアを完全に駆逐することもない。私たちは,人と会って会話もするし,手紙も書くし,本を読み,テレビを見て,Twitterもする。現代社会は,これまでにない多様な情報メディアを使い分けている時代といえる。

2. 情報メディアを考える観点

情報メディアの特徴を把握するに当たって,以下の3つの観点(属性)から考えてみたい。

  1. (1)   物理的な属性
  2. (2)   社会的な「場」としての機能
  3. (3)   情報の伝え方,形式や構造,ジャンル

物理的な属性とは,情報メディアが技術的にどのような手段によって,情報を伝達しているかという観点である。印刷物は紙に印刷された「物」として流通していくし,テレビは電波によって空間的距離を超えて伝えられる。情報メディアはそれが持つ物理的,もしくは技術的制約や特徴を超えることはできない。その意味では,情報メディアの基盤として情報伝達のあり方に大きな影響を及ぼす。

しかし,情報メディアはそのような物理的な属性,技術的な観点からだけでは把握しきれない。それは同じ印刷物であっても,図書,雑誌,新聞など多様な情報メディアが存在することからも明らかである。どのような集団(コミュニティ)がどのような目的,意図でコミュニケーションを行うのか,それを社会の中でいかに実現させていくのか,その社会的システムとしての特徴が情報メディアの2番目の観点である。情報メディアはその意味で,社会におけるコミュニケーションを行うための「場」を提供しているともいえる。

最後に,特定の物理的・技術的属性と,特定の社会的機能を持つ情報メディアにおいてなされるコミュニケーションは,その情報伝達の形式や構造においても特有の型,スタイルを持つ。一般的には,印刷物という属性をもつ情報メディアは,文字テキストを中心に情報を伝達するし,テレビは映像と音声を中心とする。さらに,文字と映像といった根本的な表現形式の違いだけでなく,情報メディアの社会的な機能や使われる文脈によって,それに適した情報伝達のスタイルや形式がとられている。

特定の社会状況における特定の情報メディアは,これら3つの観点が相互に関連した形で,その特徴を形成していく。その中でも物理的な属性は,情報メディアを考える基盤であり,この属性の変化は情報メディアそのものの大きな変化となる。

今回は,印刷物から電子メディアへの変化の事例として,本と「電子書籍」を取り上げて考えてみたい。

3. 印刷メディアとしての本

本をどう定義するかはさまざまな立場がある。ただ,多くの人がいま「本」として認識しているものは,紙という素材に,文字テキストが印刷されており,冊子体に製本されているものであろう。ここでは,この(1)紙,(2)文字の印刷,(3)冊子体という3条件を持つものを「本」と考える。

この本という情報メディアの物理的特性の第一は,「物にする」ということである。目に見えて,手に取れる紙の塊であることが,本という情報メディアの基盤となる特性である。手に取れるからこそ,「ページをめくる手触り,感触」,「本の香り」が好きとか,「本の厚みでどこまで読んだかがわかる」といった主張が出てくる。また中を読んでいないのに本を買って並べただけの「積読」という行為が広く行われているのも,物を入手することでその知識を自分が入手できるような錯覚をもたらすからであろう。本とはその内容である情報だけではない,物としての側面を持っている。

図書は一定のまとまりがあることが普通と見なされる。どの程度の量のまとまりであれば1冊の図書として適切と考えるかは,その時代の社会や技術的な要請によって異なるが,それは同じ印刷物であっても,雑誌とも新聞とも異なるあるまとまりを必要とする。

そこには物としての制約というレベルもある。つまり,数ページしかないものをいちいち製本して流通させるのは非効率という考えがあるだろうし,逆にあまりに量的に多ければ1冊の図書として製本するのに支障をきたす。広辞苑の第6版は厚さ8cmを超えないように紙を薄くしたといわれている。より厚い本を製本できる機械を作製すればもっと厚い本を作ることは可能だが,実際問題としては読むのにも流通させるのにも困難を伴う。現在では,ほとんどの本が携帯できる大きさや重さであることが必要と見なされている。

第二の特性は,固定化である。紙に印刷して,製本するという,時間も労力もコストもかかる作業を経て作成された本は,そう簡単に修正することはできない。だから逆に,そう簡単に修正されない内容のものだけが図書になった,本とはある種の体系化されたもの,完成されたものという認識が社会にあったと考えられる。

これは技術的な属性だけでなく,出版(編集,印刷,流通を含めて)がその社会でどう位置づけられるかに依存する。例えば,どのような種類の図書が出版されるのか,著者や読者層はどのような人々でどの程度の規模があるのかということが,出版という社会システムの具現化に影響する。ひいてはそのことが,出版とはどういうものであるかという社会における認識や位置づけを決定することになる。

「出版」とは,一般的には少数の著者と多数の読者とを区分するシステムである。少数の著者が書いたものを,出版社が大量に複製して多数の読者に流通させるという一方向の情報の流れとなる。「出版」が国王の認可が必要な時代もあったし,政府等の厳しい統制管理下にある社会もあるが,現代の多くの社会においては,費用をかけるだけの価値のあるものが選ばれて出版されている。

出版という形の情報の発信は,基本的にはコストがかかるものである。現代では,個人がワープロで作成しプリンターで打ち出して表紙をつけると,特にフォントや紙を選び手作業で製本すれば,大量に安価に印刷されたものより立派な体裁のものを作成することはできる。しかしそれは当然のことながら「出版」ではない。出版と言えるためには,社会の大多数が入手できる状況がなければならず,大量の印刷とその流通(物理的な運搬だけでなく書店での販売等も含む)に参加できるものは限定される。ただし出版の場合,個人で編集,営業,経営まですべて行う個人出版社から,グローバルに多様な出版物を刊行し情報サービスまで展開する国際的な企業まで,多様なレベルが存在する。

第三に,本という情報メディアが,情報の伝達形式にどのような特性をもたらすかを考える。20世紀には多様な情報が印刷物で流通したが,必ずしも伝えたい情報の特性と印刷物という物の特性が適合していなかったと思える事例は多数ある。例えば項目,数字,記号をリストにして列挙するのは印刷物になって可能になったことで,口頭では伝えきれない形式である。しかし,そのリストが何百ページにもわたるような,例えば電話帳などの場合,印刷物として流通させることにどれだけの意味があったかは疑問である。職業別に電話番号を一覧することで新しいお店や専門家を知ることはできたかも知れないが,あれだけの嵩のある物を繰って電話番号を調べる労力は大変なもので,よく利用されていたとは言いがたい。

つまり,本とは基本的には,最初から最後まで読み通す形を前提とした,一定のまとまりのある議論や主張を伝達するのに適した情報メディアである。電話番号に限らず,特定の情報だけを探して利用するためのディレクトリ類や書誌は,印刷物として流通させるのに向いているとはいえない。この場合の一定量のまとまりとは,決して大量の情報という意味ではない。むしろ,「出版」というフィルターを通ったある種選択された情報を伝達するのが本という情報メディアであり,そこで伝達される情報は手にとって全体が把握できる,一覧性が担保されるものである。

4. 電子書籍とは

「2010年は電子書籍元年」というフレーズは,新聞や雑誌,インターネットでも随分目にした。しかし,この電子書籍とは何を指しているのであろうか。多くの場合,それは印刷メディアとしてすでに出版されているページを電子的に流通させること,もしくはそのページをコンピューターや端末の画面で,読めるようにすることを指しているように見える。

自分で文字の大きさや段組みなどを変更したり,元のページ付けと関係なく端末画面に合わせて表示することができるのは,確かに電子書籍ならではの特性である。しかし,タブレット端末でPDFファイルを読んでいる場合もあるし,むしろその方を好む人もいる。PDFという印刷物に適したレイアウトのテキストをわざわざ電子メディアで読むことが「電子書籍」なのだろうか。

逆に,画像や音声を取り込んだ「新しい書籍」というものもある。読む度に結末が変わる絵本やサスペンス小説もある。しかし,そうなるとそれはゲームと何が違うのだろうか。

広くインターネットに代表される電子メディアの物理的な属性の特徴を確認するならば,第一には桁違いの情報量ではないのだろうか。インターネットによって実現されたのは,世界中の誰一人としてその総体を,把握することはもちろん推定することすら困難を極めるほどの大量の情報の発信,流通,利用である。

さらに,電子メディアは「物」としての実体を持たない。コンピューターで処理された,まさにデジタルな情報として流通する。電子メディアの桁違いの大量の情報流通は,物としての実体がないからこそ可能になったともいえる。そして固定化もしない。インターネット上の電子メディアは基本的に常時更新しつづけるものであって,その更新も含めた総体を完全に保存することはできない。

本はまさにこれら電子メディアと真逆の特性を生かした情報メディアである。情報が固定化され,物としてのまとまりという特性を生かして,読みやすいページレイアウトや一覧性という情報の構成の仕方や伝達スタイルを形成してきた。「電子書籍」とは概念上は,その成熟した形式と新たに出現した電子メディアの融合体となるはずであるが,情報メディアの特性からは両者はまさに水と油である。

5. おわりに

現在の「電子書籍」は本という伝統的な成熟したメディアをそのままに,流通だけ電子的メディアを介して行おうとしている状況と考えられる。これまでも新しいメディアは常に古いメディアの模倣から始まり,やがて新しいメディアならではの特性を展開するようになった。写本から印刷本への移行の時も,印刷本に適した活字,余白,区切り記号など独自の特性が普及するには100年以上の時間が必要であった。電子書籍が,印刷本を超えた電子メディアに最も適切な情報の伝え方を,全面的に展開するにもまだ時間が必要と考えられる。さらに,まったく新しい電子メディアならではの情報の伝達方式がどうなるのかに関しては,電子書籍だけでなく,多様な情報メディアの電子化の状況を見ていく必要があるであろう。

執筆者略歴

倉田 敬子(くらた けいこ)

1987年慶應義塾大学文学研究科図書館・情報学専攻博士課程単位取得退学。

1988年慶應義塾大学文学部図書館・情報学科助手,1993年慶應義塾大学文学部助教授。1994年から英国ランカスター大学訪問研究員。2001年より慶應義塾大学文学部人文社会学科図書館・情報学専攻教授。

 
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