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文明としての科学技術を今考えるために
土屋 俊
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2013 年 55 巻 10 号 p. 782-784

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科学技術情報流通と研究の現場

科学・学術研究,技術開発における情報の流通を考えるときに,科学研究,技術開発そのものをどう考えるかが重要なのは当然である。哲学分野の研究者として,個人的にはむしろ,そちらの「そのもの」の方を気にすべき勉強をしてきたが,たまたま21世紀にかかるころに大学の図書館長となり,情報の流通に関係することになった。おまけに,その年1998年は,まさに日本の大学が電子ジャーナルを買い始めようとするタイミングであり,今,十数年を経て,学術情報の流通は20世紀の範型から革命的変貌を遂げたといえる。

たしかに,電子ジャーナルが当然となり,図書館が雑誌を受け入れることが少なくなった。大学の図書館間協力による複写提供の数がほぼ半減し,科学技術振興機構(JST)の文献複写提供も取扱件数がやはり半分以下になり,国立情報学研究所のWebcatが店仕舞いをしてCiNii Booksと衣替えするようになった。このような表面の変化は否定することができないほど顕著なものである。しかしそもそも,このような科学技術「情報流通」の様態の変化は,人類の営為としての科学・学術研究,技術開発に影響を与えたのであろうか。

このように非常に表面の変化が激しいときこそ,さらに視野を広げて,そもそも科学と技術が人間とその社会にとってどのような役割をもつものであるかを考えることが必要であろう。その役割が変化しているにせよ,また根底においては不変であるにせよ,この問題は,科学技術学術情報の流通に関係する者にとっては不可避である。たしかに2011年3月の東日本大震災および原子力発電所事故によって,科学や技術の社会的位置づけが議論されるようになったが,近代的な意味での科学や技術なしには生活することが不可能になった先進国社会において,この議論を一過性のものにしてしまうことは避けなければならない。

そのような観点から(もしかすると見聞の範囲が偏っているゆえの判官贔屓かもしれないが),1人の著者と1つのシリーズとを紹介したい。その著者とは,19世紀から20世紀にかなりの著書を刊行しながら,かならずしも20世紀において影響力のある思想家とはいえなかった米国の経済学者であるソースティン・ヴェブレン(Thorstein Veblen)である。1つのシリーズとは,中山茂・後藤邦夫・吉岡斉編『[通史]日本の科学技術』(全5巻+別巻)学陽書房(1999~)である。

科学技術の文明論

ソースティン・ヴェブレンの著書としては,現在翻訳の入手が容易な『有閑階級の理論』(The Theory of Leisure Class, 1899)をあげておきたい。かなり昔から岩波文庫版の翻訳があり現在でも継続的に入手可能であるが,1998年にはちくま学芸文庫から高哲男氏の新訳が刊行され,圧倒的に読み易くなった。この本は,「制度の進化に関する経済学的研究」という副題をもつことからもわかるように経済学の古典としては知られているが,その最終章は,「金銭的な文化(pecuniary culture)の表現としての高等教育(higher learning)」と題され,経済学的考察の最後に文明における大学と学問の位置づけが論じられている。この意味で,学問論,大学論の著作であるともいえる。もちろん結論は,この章の標題からもわかるように,当時のアメリカの大学の姿と行動とを資本主義(といってももちろん,まだ大量生産,大衆消費の時代以前ではあるが)の精神,すなわち,擬古主義と浪費,あるいはヴェブレン独特の用語では衒示的・顕示的消費によって特徴づけられる有閑階級の文化によって説明しつつ,同時に,その精神を身につけたビジネスマンが大学の経営者となっている複雑な状況を描写するものとなっている。

『有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究』ソースティン・ヴェブレン著,高哲男訳 筑摩書房(ちくま学芸文庫),1998年,1,365円(税込)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480084163/

ヴェブレンはさらに20年後に,The Higher Learning in America: A Memorandum on the Conduct of Universities by Business Men『アメリカにおける高等学術:ビジネスマンによる大学運営に関する覚書』(残念ながら,ヴェブレンの主著のうちこれだけはいまだ翻訳がない)を,自身の恵まれなかった大学教師生活の恨みを込めて刊行している。また,『職人技本能と産業技術の発展』(ミネルヴァ書房,1997年)(The Instincts of Workmanship and the State of the Industrial Arts,1914)は,産業技術の文明論的な位置づけを「職人技本能」を鍵として理解することを試みている。さらに,論文「近代文明における科学の地位」(The Place of Science in Modern Civilization,1919)は多くの基本論文集に収録される科学史,科学論の基本文献のひとつとなっている。これらの著書,論文を読むと,この19世紀から20世紀初頭にかけて当時のアメリカ資本主義の文明への批判的視点が,なぜか現在でも十分に意味を持って理解できることに感慨を覚える。まさに今われわれが直面している科学技術,高等教育を巡る議論の糧としたい。

本当は,ここで,ヴェブレンから極めつきの引用を紹介するのが,このような文献案内の作法であるが,それはほとんど不可能である。彼はノルウェー人移民社会に第2世代として生まれ,ノルウェー語を母語として育ち,おそらく本格的な英語への接触はカレッジにおいてであったとみられる。語彙のレベルが安定せず,かつ,1文が長く,ともかく晦渋であり,簡潔でインパクトのある表現はほとんどない。『有閑階級の理論』には高校生のときに岩波文庫版で出会ったが,『アメリカの高等学術』を学部学生のとき読書会で読んだときは著者を恨むほどであった。新訳はその意味でも大変に貴重である。

20世紀後半の日本の科学技術

しかし,日本の今の科学と技術を考えようとするときに,ヴェブレンを読むだけでは不十分である(もちろん,哲学者である筆者にとってはそれでも十分なのだが)。では何を着手点としたらよいであろうか。

日本の戦後の科学技術情報の流通は,20世紀の間,基本的には,海外の科学技術,学術動向を効率的に取り入れるための方法を考え,実現するという形で展開してきたといってよい。昭和30年代以降,大学,学術コミュニティーにおいては,資料を分担収集して(といっても実際にはかなりの重複があったが)図書館間の協力で情報共有を図るという手法をとってきた。また,産業界からの情報需要については,JSTの前身のひとつである日本科学技術情報センター(JICST)が(「科学技術文献速報」からJDreamIIに至る)資料収集,索引抄録サービス,複写物送付サービスを提供することによって対応してきたが,21世紀以降の情報流通の電子化のなかで,この枠組みが崩れつつあるという理解が一般的になっている(まだこの枠組みの中で考えていたら蒙昧である)。しかし,これは,いわば「提供者」あるいは実際には「仲介者」側からの見方である。大学,企業,研究所の現場で仕事をする学者,研究者,技術者がこの仕組みを活用して情報を利用していたかどうかということは検証されていないといってよい。

『[通史]日本の科学技術 通巻セット』中山茂,後藤邦夫,吉岡斉編 学陽書房,1999年,194,250円(税込)
http://www.gakuyo.co.jp/book/index.php?id=49015

あえて苦言を呈するならば,図書館関係者,文献情報提供関係者には,例えば先進諸国における(日本の実態とはかけ離れた理想を追うだけで)日本の現状に踏み込み分析する姿勢が足りなかったのではないだろうか。その意味でも,中山茂他編『[通史]日本の科学技術』は,戦後の日本の政府の政策,大学の実態,企業における技術開発において何が起きていたかを知るための必読書である。同シリーズは1985年から10年以上をかけた共同研究の成果であり,簡単にまとめることは不可能であるので,ここでは,その存在に注意を喚起し,どの章でもよいので,まず目を通すことを勧めることにとどめておく。この[通史]の精神と編集方針を文字通り継承するものとして,1995年以降の展開を扱う『[新通史]日本の科学技術』(吉岡斉編,原書房)が2011年に刊行されたことを付言しておきたい。

執筆者略歴

土屋 俊(つちや しゅん)

1952年生まれ。1975年東京大学教養学部卒。現在,大学評価・学位授与機構教授。1980年同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会奨励研究員を経て,1982年以来,千葉大学文学部助教授,教授として2011年まで,言語哲学,形式意味論,科学技術史,論理学,論理学史,心の哲学,認知科学,音声対話,文書処理,情報倫理,図書館情報学を中心に教育研究に従事し,あわせて,総合情報処理センター長,図書館長等として大学の情報インフラの整備に関与。主な著書として,『デジタル社会の迷いと希望』(くろしお出版,2011),『インターネット・学術・図書館』(くろしお出版,近刊)ほか。

 
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