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Vol. 55 (2012) No. 11 P 802-809

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http://doi.org/10.1241/johokanri.55.802

 
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Web文書と電子書籍 製本機能としてのspine情報

著者抄録

“本”を“本”たらしめている根幹は,紙葉を一定の順序で並べて固定化する製本という行為にある。EPUBでは,spine情報がこの製本という行為に相当する。本稿では,製本という行為の果たした役割を “本”の歴史と読文行為(文書を読むこと一般)の中で相対化することにより,電子化ネットワーク化された文書一般と電子書籍の関係を考察し,将来の電子書籍の在り方についての1つの可能性を示す。

1. はじめに:Web文書と電子書籍を分けるもの

EPUBフォーマットに縦組みやルビなどの日本語関連機能を反映させる上で中心的な役割を果たした村田真氏の言を借りると,EPUBとは,「HTMLとCSS注1)をzipで固めただけのもの」ということになる。

では,EPUBとはWeb文書そのものなのであろうか。じつは,少し詳細に見ていくと,zipで圧縮されたHTMLやCSSのファイル群の中には,本文に相当するHTMLファイルとその視覚的表示スタイルを規定するCSSファイル以外に,下記のような情報が含まれる。

  • •   パッケージ文書のmanifestによるリソースの列挙
  • •   パッケージ文書のspineによるリソースの整列
  • •   パッケージ文書のメタデータ
  • •   表紙文書
  • •   目次文書

なかでも,spineと呼ばれる個々のHTMLファイルを表示する順序を指定するための要素は,Web文書一般と電子書籍の関係を考える上で非常に重要である。このspine情報(本稿では,spine要素で囲まれた情報を,やや抽象化してspine情報と呼ぶ)こそが,EPUBドキュメントと一般のWeb文書の差異を特徴づけているのではないかと,筆者は考えている。

本稿では,このspine情報を手がかりとして,電子書籍を電子書籍たらしめている機能要素とは何かを探っていく。その上で,電子書籍に特徴的な機能要素を核とする未来の電子書籍の可能性について論じる。

1.1 製本という行為

『本とコンピュータ』2004年秋号の「『本』のために『コンピュータ』はなにができたか」というアンケートに答えて,筆者は下記のような一文を寄せた。

ぼくには,「コンピュータは本のために何ができたか?」という肯定的な(したがって否定的な含意も持つ)問いかけに答えることは出来ない。そこで問いかけを「コンピュータは本に何をしたか?」と置き換えた上で。

コンピュータが「本」に与えたさまざまな影響について突き詰めていくと,結局は,「コンピュータは『本』という概念そのものの変質もしくは解体を推し進める機能を果たした」というのがぼくなりの結論。もちろん,「本」はコンピュータが出現しなくても変質もしくは解体の道を歩んだかも知れないし,コンピュータの出現がなければ「本」はまだまだ旧来の姿を保っていたかも知れないが。

では,変質もしくは解体の道を歩みつつある「本」を「本」たらしめる最後のよりどころは何かというと,それは,製本(bindingもしくはreliure)というきわめて物理的な手作業に係わるものではないか。

“本”注2)を“本”たらしめている最後のよりどころが,製本(bindingもしくはreliure注3))にある,という確信は,“本”とはそういうものである,と措定することにすれば,今でも何ら揺らぐところはない。しかし,この議論は,同語反復になっている。2004年時点で,筆者は,「複数の紙葉をある一定の順序に並べた上で,製本という物理的な作業によって,その内容と順序を固定化したもの」を“本”だと考えていた。『本とコンピュータ』のアンケートへの答えは,単に,筆者は,“本”とはそのようなものだと考えている,という立場を表明したものに過ぎない注4)

1.2 電子的な製本行為としてのspine情報

ひとまず,2004年時点の筆者の立場に立てば,EPUBにおけるspine情報は,電子的な手段で「特定複数のHTMLファイルをある一定の順序に並べることにより,その内容と順序を固定化した」ものであり,このspine情報こそが,EPUBドキュメントを一般のWeb文書と分けるものだ,と言うことができよう。ちなみに,spineとは,本の背表紙のことである注5)

2. 製本行為の歴史的相対化

前章では,“本”を“本”たらしめているのが製本という物理的行為であるという前提のもとに,EPUBにおける製本に対応するのがspine情報であるという仮説を提示した。

本章では,ひとまず,EPUBの議論は措いて,過去の(広い意味での)“本”の歴史における製本行為の位置づけの相対化を試みる。

2.1 巻子(かんす)形式と冊子形式

古代ギリシャ・ローマ時代,“本”は主として巻物の形態(巻子形式)を持っていた。紀元前後から,主として羊皮紙を折りたたんだ冊子形式(いわゆるコデックス)が増加してくる。巻子形式と冊子形式は,地域と時期に依存しつつ,しばらくは併存する。

西欧においては,冊子形式が“本”としての正統的な地位を獲得する過程は,製本技術の進展およびキリスト教界における正統的新約聖書に含まれる福音書や書簡類が固定化することと軌を一にする。この辺りの事情が,下記の文章に端的に示されている。

コデクス化(Codification)が,完全な,目に見える形で示された正典化(Kanonization)である。つまり,コデクス(特にその多帖本)が発達することによって,ようやく新約聖書の全体を一冊にまとめることができるようになった。そうなってはじめて,これが新約聖書正典だよ,と,本当に目に見える,完全な姿で人びとの前に提示されるようになった注6)

2.2 正統としての巻子本

日本においては,むしろ巻子本の方がより権威性と公的性格を持っていた。冊子本は当初私的書物に用いられることの方が多かったが,巻子本と冊子本は長期間にわたって併存してきた。

こうしたなかで,絵巻物とよばれる一群の書物群が日本独自の文化として発展する。絵巻物は,その閲覧形式に起因する視点の特徴(斜め上からの俯瞰視点)や絵画と文字との共存といった点でも,“本”の表現方法の可能性に関する示唆に富む注7)

2.3 Web文書の巻子本メタファー

洋の東西において,歴史的には冊子形式と巻子形式が併存したことを瞥見した。現在Web文書として主流となっているスクロール形式の閲覧方法は,まさに,巻子形式の電子的な嫡流ということができよう。巻子形式を“本”の1つの表現形式であると考えると,Web文書のスクロールモデルも,まさに“本”の一形態である。巻子形式を念頭に置くことにより,当初筆者が措定した“複数の紙葉をある一定の順序に並べた上で,製本という物理的な作業によって,その内容と順序を固定化したもの”という“本”のイメージが揺らぎ始めることとなる。

3. ハイパーテキストとしてのWeb文書

1990年代初頭,パーソナルコンピューター普及の初期段階において,ハイパーテキスト論が世上を賑わした時期があった。

ハイパーテキストの歴史をどのようにとらえるかについてもさまざまな考え方がある。1945年にバネバー・ブッシュによって発表されたメメックス(Memex:MEMory EXtender)注8)や,1960年にテッド・ネルソンによって創始されたザナドゥ計画注9)など,この時期,技術分野からも人文科学分野からも,ネットワーク化された電子テキストのさまざまな可能性が夢とともに議論された。

その後,ハイパーテキストの技術的要件は,ティム・バーナーズ・リーのHTMLにより,いとも簡単に実現する。しかし,その爆発的な普及とともに,ハイパーテキストについての根源的な議論は,潮が引くように消えていく。

本稿では,筆者が関わったハイパーテキストについての2つのプロジェクトを通して,将来の電子書籍としてのハイパーテキストの可能性について瞥見する。

3.1 ハイパーテキストと電子書籍

1991年に発行された『季刊哲学12号』(哲学書房刊)は,「電子聖書―テクストの新スペキエス」と題され,そのすべてが聖書学と電子化テキストの議論に割かれた。筆者は,ささやかながら哲学書房社主の故中野幹隆氏の企画編集のお手伝いをさせていただくとともに,この本のために,新約聖書のハイパーテキスト化と,本文一部のハイパーテキスト化を行った注10)

新約聖書のハイパーテキスト化にあたっては,新約聖書,なかでも,マタイ,マルコ,ルカのいわゆる共観福音書をハイパーテキストととらえ,共同訳新約聖書(日本聖書協会)に記載されている参照個所を機械的にハイパーテキストリンクに置き換える作業を行った。

また,同誌掲載の荒井献氏の東京大学における最終講義「プロローグとしてのエピローグ」については,本文に引用された文を引用文献の著者をキーとして再排列する試みを,若桑みどり氏のシスティナ礼拝堂のミケランジェロによる天井画修復の際の調査に基づく「預言者の図像とその肖像」については,本文から天井画に描かれた預言者像とそのモデルとなったミケランジェロ時代の人物の肖像画へのハイパーリンクを張ることにより,テキストと画像との立体的な関連づけを試みた。

これらの営為は,当時のMS-DOSベースのハイパーテキストシステム上に実装されたものであり,技術的にはさまざまな限界があったものの,ハイパーテキストとしての電子出版としては,時代をはるかに先駆けるものであったと自負している。

3.2 『藪の中』とParallel Narratology論

2007年7月26日,筆者は当時属していた企業の同僚であった山口琢氏(現公立はこだて未来大学)とともに,「Parallel Narratology試論―ハイパーテキストにおける相互参照の観点から―」と題する報告を行った注11)

この報告では,3.1で記したハイパーテキストとしての共観福音書を,時代に即した形でXHTMLを用いて再構築するとともに,芥川龍之介の『藪の中』のハイパーテキスト化も試みた。これらの試みには,xfyという統合的なXMLドキュメント開発管理システムを用いた。

この試論で,筆者等が目指したのは,通常のXHTML(とその周辺の規格)が,本質的には,バネバー・ブッシュのメメックスやテッド・ネルソンのザナドゥ計画などが目指したハイパーテキストの技術要件を充分に満たしており,それらの技術要素を活用することにより,電子化テキストを読むという行為について,多様な方法論を提供できる可能性があることを提示することにあった。

具体的には,ごく些細な例示にとどまったが,『藪の中』を,物語の語り手ごとに分割し,事象ごとに併置することによって,新たな読解の可能性を探った。

通常は,一本の時間軸として線形化された(すなわち製本され順を追って読むように構成された)流れに沿って読み進んでいく物語を,複線化し相互に参照しながらの読みを容易にすることにより,線形化された通常の読みでは意識化が困難な読みが可能となることを示した。文学研究についてはまったくの門外漢である筆者等でも,このような技術的手段を用いることにより,『藪の中』の3人の主人公たちの話が,当初は整合性のある一本の流れであったにもかかわらず,ある時点から,相互に矛盾する,まさに“藪の中”状態になることを容易に追認することが可能となった。さらに,その藪の中状態になるにあたっては,3人の主人公たちが交わす視線を相互に誤解したことが契機となったことも明らかとなった。

この報告については,事後に,芥川研究の第一人者であり当時フェリス女学院大学学長であった宮坂覺氏に批評を仰ぐ機会を得,文学研究の最近の流れから見てもある程度のレベルに達しているとの好意的な評価をいただくことができた。

4. “本”の解体と新たな構築を目指して

ここまで,EPUBにおける製本機能としてのspine情報,紙の“本”における製本の役割,および,ハイパーテキストとしてのWeb文書の可能性について述べてきた。

本章では,製本機能から解き放たれた“本”のさまざまな可能性と課題について考察する。

4.1 ページ概念からの解放と課題

2章で触れたように,“本”には,冊子形式のものだけではなく,巻子形式のものも存在する。冊子形式の巻子形式に対する大きなメリットの1つは,ページ概念が明確である点にある。なによりも,ページを単位とするランダムアクセスが可能であると同時に,ページ,行を指定することにより,特定個所を正確に明示することが可能である。この機能が,特に,引用を重視し,引用の多寡や軽重によって評価が定まる学術書の在り方に大いに寄与したことは疑いを得ない。

一方,スクロールを主体とするWeb文書は,巻子形式による書記閲覧形式の正統的な嫡流であると考えられる。しかし,画像とテキストの融合や,閲覧姿勢に対する配慮といった,日本の絵巻物が育んできた高度で洗練された技法,文化が,現在のWeb文書の制作方法に十全に生かされているとは言いがたい。縦組み横スクロールへの対応をはじめとして,Web文書に対する機能要件として検討すべき課題は多々残されている。

また,スクロール可能なドキュメントの特定個所を指定する技術的な方法は,特に紙の冊子形式におけるページ行指定方式と比して,はなはだ貧弱である点も否めない。social reading注12)のより一層の進展のためにも,画面サイズにより動的にレイアウトの変更が可能で編集も可能な電子書籍の特定個所を,事後的に特定する技術の開発が,今後の大きな課題となろう。

従来,EPUBをはじめとする,電子書籍フォーマットは,あたかも所与の条件として,ページ概念を前提とした設計がなされてきたが,電子書籍フォーマットにおいても,ページ概念を相対化し,巻子形式に対応する概念の導入も積極的に検討すべきであろう。この観点では,Appleが開発しているiOS用の電子書籍閲覧アプリケーションであるiBooksが,最新バージョン(3.0)において,縦スクロール(すなわち,Web文書インターフェース)を採用したことは注目に値する。

4.2 線形化過程としての読文行為注13)

3.1において,荒井献氏の「プロローグとしてのエピローグ」のハイパーテキスト化について記した。この作業においては,著者が引用した文章に対して,引用文献の著者とのハイパーリンクを張り,それら著者別のインデックスを設けて一覧できる機能を実装した。その結果,例えば,荒井氏が文脈の中で引用しているショットロフやシュスラー・フィロレンツァなどの文章から,引用文献の著者のフェミニスト的視点を鮮明に読み取ることが可能となった。

紙の本においても,索引の制作が本文の著述とは独立しうる優れて知的な創造行為であることは従来から論じられている。ハイパーテキスト構造によるリンク付けの作業が,多様な文脈による読文行為の可能性を拡げることは,将来の電子書籍の在り方を考える上で,さらに重視されてもいいように思われる。

かつてのハイパーテキスト論ブームの折に盛んに論じられ,筆者もさまざまに思考を巡らせたことではあるが,ハイパーテキストのまさに蜘蛛の巣のようなリンク構造を選択的にたどることは,読者の側から見ると,読文行為の時間軸に沿った線形化ととらえることができる。この線形化という行為は,情報エントロピーを減少させる行為ととらえることができよう。それを,読者が自分自身の物語を紡ぎ出す行為だと言い換えてもよい。

すなわち,ハイパーテキストをある意図の下に順を追って読むという行為は,読者の側が,自分自身の手で,新たなspine情報を構成し,一冊の新たな“本”を編む,という行為に他ならない。

最近Kobo社注14)に買収されたフランスのAquafadas社注15)は,電子書籍のコンテンツに対して,別レイヤーで閲覧順序やズームアップによる強調の機能などを付加するという優れて先進的な技術を持つ企業である。Aquafadas社は,従来は独自フォーマットでの電子書籍コンテンツの制作を行っていたが,近年は,IDPFに正式に加入するとともに,EPUBの将来のフォーマット拡張の議論にも,積極的に関与している。ある既存のコンテンツに対する,卓越した読み方が,独立したコンテンツとして流通する可能性を示唆する試みとして期待される。

5. 創造的営為としての読文行為

EPUBのspine情報をヒントとして,紙の本と電子書籍とWeb文書の相違について論じてきた。その結果明らかになったことは,下記のように要約できよう。

  • •   “本”を“本”たらしめている基本的な機能は,ある要素文書を特定の意図で選択し,一定の順序に排列することにより,ひとまとまりのメッセージを表明することにある。
  • •   紙の本は,この機能を物理的な製本という行為によって著者の側に固定化する。
  • •   EPUBにおけるspine情報は,紙の本における製本機能に相当する。
  • •   一方,電子化ドキュメント,なかでも,Web文書は,その多様なリンク付け機能により,多様な可能性の中から,ある特定の意図に基づく読みの順序を選び取る自由を読者の側に委ねている。
  • •   さまざまなリンク構造の中から,ある一定の意図で選び取られた読みの順序は,それ自体として,優れて創造的な成果物であり,思想の表明たり得る。
  • •   将来の電子書籍とは,多様でしばしば混沌としたWeb文書の連鎖の中から,ある意図で切り取られ選び取られたドキュメントの,線形化された読みの軌跡となるであろう。

しかし,振り返ってみるに,人類が言葉と文字を獲得して以来,人々は先人たちの言葉の連鎖の引用の上に,ささやかな注釈を付け加えることを,繰り返してきたのではなかったか。文明とは,そのような引用と注釈の連鎖の軌跡ではなかったか。電子書籍とは,グーテンベルクの革命を挟んで積み重ねられてきた紙による引用と注釈の連鎖に,電子化されネットワーク化された環境におけるとはいえ,さらなる引用と注釈の連鎖を未来につなげていくささやかな営為にほかならないのである。

6. 謝辞

本稿は,村田真氏,石井宏治氏をはじめとする,EPUB,CSSの標準化に関わる人たち,橋口侯之介氏,高野明彦氏,鎌田博樹氏,安斎利洋氏をはじめとする,私的研究会Project Beyond G^3のメンバーとの,刺激に満ちた議論に多くを負っている。記して,謝意を表する。

本稿の議論の中核は,慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにおける株式会社インプレスホールディングスによる寄付講座「電子出版」におけるゲストスピーカーも含む一連の講義から得た一次情報を契機としている。本講座の設立にご尽力いただいた村井純教授,加藤文俊教授,井芹昌信氏と,出講してくださったゲスト諸氏,受講生に深謝する。

本文の注

注1)  Cascading Style Sheetsのこと。W3Cが勧告するHTMLなどのマークアップ言語の視覚表現を指示する仕様(群)。論理構造を記述することを本来の目的とするHTMLに,視覚表現を指示するスタイルシートを適用することにより,文章の構造と表示の分離を可能とする。

注2)  本稿では,“書籍”でも“書物”でもなく“本”という用語を用いる。それぞれの語に対しては,立場や考え方の相違で,さまざまな定義やイメージがあろうが,本稿ではそれぞれの定義や具体的なイメージの議論には立ち入らない。一方,電子化された“本”のことは“電子書籍”と呼ぶ。筆者は,“電子本”という言葉にも,“電子書物”という言葉にも,違和感を持つが,この議論についても,本稿ではあえて立ち入らない。

注3)  英語のbindingと仏語のreliureは,若干異なるニュアンスを持つ。bindingは,物理的な製本を意味し,reliureは美的要素も含めた装幀を意味する。この相違も,電子書籍を前提とした紙の本の在り方を考える上で大きな示唆を含む。

注4)  筆者は,1998年から2000年にかけて行われた「ブックオンデマンド総合実証実験」というプロジェクトに技術責任者として参画した。このプロジェクトは,既存の本をスキャナーで読み取り,イメージデータとして配信するという,今では自炊として一般化している手法を採った。このプロジェクトの過程で,約5,000部の書籍が背の部分を裁断されて電子化された。大量の書籍が,背を裁断された状態で書棚に置かれている様子を見て,筆者は瞬間的に「これは,本の墓場だ」との感慨を抱いた。後に,筆者自身でも個人的に自炊行為を行うようになるが,その折も,背を裁断された瞬間に,本からある種のオーラが消滅するという感覚を抱き続けている。

自炊のもたらす心的影響については,ウォルター・ベンヤミンに依拠して,安斎利洋氏や草原真知子氏らとmixi上で交わした議論の記録が公開されている。

http://www.ebook2forum.com/2012/02/kobysh-blog-memoirs-in-digital-publishing-history-7-death-and-resurrection/

http://www.ebook2forum.com/2012/02/kobysh-blog-memoirs-in-digital-publishing-history-8-deconstructing-books-by-jisui/

注5)  日本の出版界では,spineに由来するスピンという語を,背表紙の上部に固定されたしおりひもの意味で用いている。

注6)  田川建三『書物としての新約聖書』. 勁草書房,1997年,p.120

注7)  和本の歴史については,橋口侯之介著『和本への招待』(角川学芸出版,2011年),『和本入門』『続和本入門』(共に平凡社ライブラリー)が参考になる。また,下記のWebサイトも参照のこと。

http://www.ebook2forum.com/2012/11/project-beyond-gutenberg-series-1-the-unique-horizon-of-japanese-wahon/

注8)  MEMory EXtenderすなわち「記憶拡張装置」。個人が所有する書物や記録などをすべて格納し有機的に関連づける装置。いわば,外在化され拡張された脳のイメージ。

注9)  元来は,コールリッジの詩に描かれた桃源郷。おそらく世界初のハイパーテキストプロジェクト。ハイパーテキスト概念を構成するほぼすべての要素を内包していたが,構想の壮大さに実装技術とプロジェクト管理,開発資金が追いつかず,紆余曲折を経て瓦解した。

注10)  「中野幹隆の死―またはグーテンベルク銀河系の黄昏」『新潮』2007年5月号所収および下記のWebサイト参照。

http://www.ebook2forum.com/2012/02/kobysh-blog-memoirs-in-digital-publishing-history-10-hypertext-bible/

注11)  http://ci.nii.ac.jp/els/110006381578.pdf?id=ART0008378869&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1354485782&cp=

注12)  social networking service(SNS)などのメディアを利用してコメントやマーキングなど個人の読書に関わる情報を共有すること。または,そうしたことを実現するサービスのこと。

注13)  読文行為とは,readingすなわち,「読むこと」に対する筆者の造語である。読書という言葉には,書籍や書物を読むという含意があるが,読むこと(reading)の対象は,必ずしも,従来の意味での書籍や書物だけではない。読文行為という言葉に違和感を覚えるようであれば,単に「読むこと」と読み替えても何ら支障はない。

注14)  http://www.kobobooks.com/

注15)  http://www.aquafadas.com/

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