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視点
論文誌による知識の普及
赤松 幹之
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2013 年 55 巻 11 号 p. 844-847

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1. 科学的研究と論文誌

学術論文誌に論文を投稿することが研究者として行うべきことと,多くの研究者は何の疑いも持っていないであろう。そうやって研究をしてきて,今までの研究成果をまとめようとしたときに,業績リストを見て満足することもあろうが,なかには,これらの研究成果が何一つとして世の中を変えていないことに気づく人もいるであろう。

本誌の前号で『Synthesiology』という学術雑誌について,早稲田大学の小林先生の記事が掲載されている1)。筆者も同誌の立ち上げメンバーの1人であるが,この立ち上げの話があったときに,まず思ったのは,すでにこれだけのたくさんの論文誌があるのに,果たして新しい論文誌を出す意味があるのであろうか,ということであった。国立国会図書館の科学技術論文誌・会議録データベースには約1万タイトルが登録されている。研究活動の活発さを表しているのかもしれないが,空恐ろしいまでの数である。よく考えると,筆者自身も国内の7つの学会に所属しており,その学会誌が定期的に送られてきている。その学会誌をどの程度丁寧に読んでいるかというと,はなはだ自信がないという状態である。それゆえ,その時点では新しい学術誌の発刊に懐疑的であった。とはいうものの,書籍や雑誌などの活字媒体を作ること自体は嫌いではないので,もし新しい学術誌を立ち上げるとするならば,単に1万タイトルを1万プラス1にするのではなく,発刊すること自体に意義がある学術誌にしたいと前向きに考えることにした。

最初の学会と呼べるものはガリレオも所属していたイタリアの山猫学会(アカデミア・リンチィ),実験科学会(アカデミア・デル・チメント)などである。それぞれ機関誌を発行していたが,現在までも続く最古の学会誌はロンドン王立協会哲学紀要である。ロンドン王立協会はニュートンやレーベンフックなどの科学の創始者たちが属していた組織である。当時はまだ学会という概念は存在せず,大学や他の組織から独立して自由に自然科学を営める場所として設立された。今の感覚からすると大学に研究室があるのが当然と思うが,当時の大学は神学,哲学,数学などが中心であり,大学での研究とは古典を読んで研究することであった。古典を多く読み込むことが研究であり,何かを自分で発見することは研究ではなかった。

自然を観察したり実験をして自然現象を発見するというのは,それまでの学者の行為ではなかった。それらは趣味の世界であり,仕事の合間に行われていた。われわれが休日に自然観察の森に行ったり,日食や流れ星を観察するようなものであった。しかし,発見や発明のために色々な工夫をしていると,互いに情報交換をして他で得られた知見を取り込みたいと思う。その場として生まれてきたのが王立協会をはじめとする科学アカデミーである。ロンドン王立協会は王の勅諭を受けて作られたが,イギリスでこういった組織ができたのには,自然科学についての理論的な支持があったからである。それはフランシス・ベーコンの経験主義である。ベーコンは,人は思い込みや限られた視野でしかものを見ていないために誤った認識に至りやすい。そのため,思い込みを排除して虚心坦懐に淡々と事実を見ていく必要があり,その事実を積み重ねることで真の知識が得られるとした。ベーコンは『ノヴム・オルガヌム』の中で,こういった事実的知識を得るための活動の場としてソロモンの館を構想した。そのソロモンの館を具現化したものとして王立協会が生まれた。そして,自然科学的方法によって得られた知識を蓄積する場として作られたのが,王立協会哲学紀要である2)。ベーコンの考え方は帰納法であり,まず事実の蓄積をすることで,そこから法則が導きだせるとしたが,学術誌はその事実の蓄積の場となったのである。

2. 科学の細分化

こうやって学術誌が社会に生まれたのであるが,この王立協会哲学紀要の初期の号を見ると,さまざまな内容が記事になっている。眼鏡レンズの話であったり,土星の輪の話であったり,珍しい動物の話などであった。最初の自然科学の学術誌であるから驚くことはないが,今の眼で見るとさまざまな分野のものが含まれている。その研究分野という考え方は,18世紀のディドロとダランベールによる百科全書(エンサイクロペディア)編纂のときに確立されたもので,百科事典に知識を体系立てて記載するために分野に分類された。自然科学が生まれて100年が経つうちに,研究分野が別れていき,それぞれを専門とする研究者が出てきた。19世紀初めにこれに異を唱えたのがヒューエルであった。ヒューエルは科学者が専門分化し,専門のことは詳しいが,他のことは知らないことを嘆いていた。このころまで自然科学は自然哲学と呼ばれていたが,ヒューエルは専門のことしか知らないようなものを哲学者と呼ぶのに抵抗があった。そこで自然科学を行っている人たちのことを呼ぶ名称としてサイエンティストという言葉を作り出した。元々サイエンスとは自然科学に限定することなく広い意味での知識のことであり,これに何々な人という意味のイストをつけたのである。~イストは何々屋,何々業という意味であることから,直訳すれば知識屋ということになり,専門化してしまった科学者たちを揶揄する言葉であった。

ものごとを知るためには,それにまつわるさまざまなことを知っている必要があり,そこに専門性が生まれてくる。そういった専門性を高めた研究者たちがその知識についての情報交換をするために,その専門に特化した学会が生まれてくる。さらに,知識を深めていくと,深める先の違いによって,その専門分野がさらに細分化される。知識を深める行為は,ひたすら細分化を進めざるを得ない構造を持っている。それが1万を超す学会誌の存在となる。この動きを加速させているのが,研究に対するオリジナリティの考え方である。研究とは新しい発見や発明をすることである。まだ誰もやっていないことを初めてやることが研究者がやることである。新しい発見があれば,それはその事実に対する起源となり,オリジナリティが認められる。また,今までなかった考えや発明ができれば,それはオリジナリティを持つ。今までなかったことであるから,それは自ずと新規性をも持ち,新しい研究分野を作り出すことになる。学者として新しい研究分野を構築することが大きな成果であると信じて,新しい学会を立ち上げることが,学者人生で到達すべきことの1つであると考えている人もいるだろう。しかし,こういった態度が生み出すのは研究分野の細分化である。

3. 研究成果と有用性

自然物は細かく細分化して突き詰めると,さまざまなことがわかってくる。要素還元論が有効に働くのがモノの世界である。したがって,学会や学術誌の細分化は当然であり,そうであるべきである,という考え方もあろう。ただ,細かくなればなるほど,そこで得られた知識はその分野では役立つとしても,他の分野の人にはすぐには役立たない。ましてや,研究者ではない人たちにとってはまったく無関係としか感じられないものとなる。学術分野が細分化することで,その分野の有益性が見えにくくなる。

もっとも,学術的研究に有益性を求める必要は必ずしもないという考えもあろう。役立つ役立たない,などということを考えずに学究をしろ,ということである。しかし,自然科学の成り立ちから,有益性を排除することはできない。ベーコンは,自然を理解することは人類の福利のためになると主張し,それが社会的に価値あるものであると位置付けたのである。その結果として,為政者側からも認められるようになったのである。自然科学という営みが400年近く続いてきているのも,社会への有益性が信じられているからである。

科学的知見を社会に役立たせることと,研究を究めて細分化を推し進めることは,矛盾しているということはないだろうか。論文が書かれるということは,また1つ新しい知識が生まれたことであるとわれわれは考える。それゆえに研究業績を論文数で評価することが行われている。もちろん,論文は数が問題なのではなく質である,という議論はなされ,それを受けて引用数で評価をすることも行われている。しかしながら,それは研究者社会のなかでの営みの結果である。研究者社会にも流行がある。流行すれば互いに引用し合うことになり,引用数は増大する。もっとも,研究者自身としては,見たこともない他人の論文に自分の論文が引用されているのは,悪い気がしないというのも正直なところである。ただ,自分の研究が役立っていると感じても,それは研究者社会に役立っているのであって,その外側にある社会に役立つということとは別のことであると認識しなければならない。

4. 有用性のための研究の当為的知識の普及

論文誌という形態は,発見された知識,発明された知識を蓄積する方法として,有効であった。しかし,それを役立たせるための方法は確立することはできていない。科学が進んで事実的知識が増え,細分化が進むほど,個別の研究とそれを役立たせることの距離が遠くなる。それゆえに,役立たせることを考えずに研究することになりがちである。役立たせることは誰かがやってくれるだろうと思ってしまうと,役立たせることに対する思考が停止してしまいかねない。そうなると,何に役立つ研究なのかが,自分にも他者にもわからなくなる。

研究成果を役立たせるための活動を他者に任せるのではなく,研究者自身がそれを志向することが,科学技術が細分化されてしまった現在においてこそ必要なことであると考える。そのためには,研究成果を役立たせるための方法を確立していく必要がある。役立たせるためには,具体的に使える形にしていくという行為が必要であり,それは構成である。しかし,ゴールは曖昧であり,個別の研究成果もそれに使えるものであるかは不明である。そのために構成は仮説的に進めなければならない。仮説とは存在している事実ではなく,仮説形成という行為によって生まれるものである。これをやったらうまくいくかもしれない,本質はここにあるのではないだろうか,と考えるに至る行為である。これが適切であれば研究は成功するし,外れていれば失敗する。これまでの論文は,この成功した場合の結果のみが書かれており,その成功に至った理由は書かれていない。どのように研究を進めたか,それこそが知恵であり,賢さであるはずである。それを共有していくことができれば,研究成果を社会に役立たせることを促進できると期待できる。

それに対する試みが前述した『Synthesiology』なのである。ゴールを意識して研究を進めるためのシナリオやプロセスを記述する論文を掲載しており,これによって研究開発の進め方という行為における当為的知識を論文誌として蓄積しようというものである。これまで当為的知識の獲得には,(スキルの)伝承という形態が主であった。そばで見て覚えて,教えてもらい,あるいは盗んで獲得した。研究においても同様であり,教授あるいは先輩研究者と一緒に仕事をすることで獲得されてきた。もちろんこれを否定するものではないが,細分化された研究分野で個人的に伝承される当為的知識は,その適用範囲が限定的になりがちであろう。

事実的知識は論文誌に蓄積され,その蓄積された知識は検索等の行為によって時間と空間の制約を超えて欲しい人の元に届けることができるようになった。それにならって,当為的知識についても,論文誌に知識を蓄積するという形態をとることにした。果たして,論文という言語による記述によって,行為の知識を他者がどこまで獲得できるのであろうか。そもそも,論文誌による知識の蓄積は帰納のための手段であり,仮説が重要な当為的知識の蓄積のために帰納のための手段を導入することに矛盾があるともいえる。したがって,事実的知識のための知識の管理と流通の仕方を,そのまま当為的知識に適用することの限界も意識しておかなければならない。当為的知識の管理と流通には新たな工夫が必要なのかもしれない。ぜひ本誌の読者のお知恵をいただきたい。

執筆者略歴

赤松 幹之(あかまつ もとゆき)

通商産業省工業技術院製品科学研究所に入所。2001年の改組に伴い,(独)産業技術総合研究所となる。この間,人間工学一般,生体計測,ヒューマンインターフェースの研究,行動計測技術の研究,人間行動の解析とモデル化の研究等に従事。2008年よりサービス工学研究センターに兼務。学術誌『Synthesiology』編集幹事。主な著書に『人間計測ハンドブック』(編著,朝倉書店),『サービス産業進化論』(共著,生産性出版)がある。

参考文献
 
© 2013 Japan Science and Technology Agency
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