消費者運動の先覚者ラルフ・ネーダーは,いまなお,健在である。最近の活動の一つにOTAの復活運動がある。OTAを失ったことによって,合衆国政府は科学と技術に対する投資に膨大な無駄使いをしている,だからOTAを再生せよ――これがネーダーの主張である。
そのOTAとはなにか。検索してみると「OTA レガシー」というホームページが現れ,そこに「1995年9月29日,技術評価局(Office of Technology Assessment: OTA)は閉鎖された」と示されている。
まず,その設立の経緯をたどっておこう。それは1972年に合衆国議会に設けられた組織であり,その設置法――OTA法――は冒頭に,OTAの必要性に関する議会の認識を次のように示している。
この認識を具体化するために,OTAはどんな機能をもつべきか。この法律はその機能を次のように列挙している。
OTAは1995年に,共和党によって,予算削減という名目のもとに廃止された。
OTAは23年間の活動期間中に,独立的な組織として,10万ページにのぼる報告書を作成していた。その予算は年間2,200万ドル,そのスタッフは200人であった。
当時の『ニューヨーク・タイムズ』は,その廃止について,「われわれは科学と技術に関する偏らない知識を切り離すことによって,議会から,もっとも重要な武器の一つを切り離そうとしている」とコメントしていた。
私が初めて知ったOTAの報告書は『Computer-Based National Information Systems』(1981年)であった。私はその記述に多様な視点が取り込まれていることにびっくりした。それは権力的でもなくさりとて反体制的でもなかった。それは政府の公共的な役割と民間の自由な活動との両立を求めていた。それは技術者のブレークスルー指向と法律家の秩序安定的な発想に理解を示していた。
私はこの報告書を当時の行政管理庁に持ち込み,これをテキストとして研究会を設けてもらった。その成果はその翻訳の出版につながった。たぶん,最初に日本語になったOTA報告書であった。ついでながら,米国政府の出版物はパブリック・ドメインにあるということを,私はこのときに初めて知った。
後年,私は教師になったが,このとき演習用のテキストとしてOTAの報告をしばしば利用した。あるときは技術標準のそれを,あるときは動物特許のそれを,と。いずれも平明な文章と説明で,しかも安価で,当の課題を示していた。これらの報告類は,現在でも,「OTAレガシー」からダウンロードできる。
ネーダーに戻る。彼はOTAの閉鎖後にも多くの課題が生じ,それらについて議会は適切な対応をとることができず,むしろ無駄な出費を大きくした,と批判している。そして,その課題として,核物質の密輸の検知,原子炉の事故対策と廃棄物処理,ミサイル防衛計画,ナノ技術・バイオ技術・医療機器のリスク,太陽エネルギー開発の無視,洋上油田からの重油流出などを列挙している。
OTA復活運動はネーダー以外の人々によっても続けられている。憂慮する科学者連盟(Union of Concerned Scientists: UCS)は,2010年になっても,挫けることなく,下院の歳出小委員会にスタッフを送り,証言させている。
UCSは言う。OTAの役割は独自のものだ。類似組織として,National Academy of Science(NAS),Congressional Research Service(CRS),Government Accountability Office(GAO)があるが,そのいずれとも重ならない機能をもっている。NASは専門家集団ではあるが,その主要な機能は議会の要求に応ずることではない。CRSは議会を支援する任務をもつが,その報告を公表することを主務とせず,くわえて,その報告の作成に利害関係者や外部専門家が参加することはない。GAOは予算管理の規則と文化とに縛られている。
なぜ,OTAが必要か,それはすでにOTA法に示されていたことであるが,それから40年たった現在の視点で,これを改めて整理しておこう。
第1に,科学と技術に関する知識(以下,専門的知識)が普通人にとって難解になった。
第2に,専門的知識が当の専門家集団に専有されるようになった。
第3に,専門的知識の当否について,当の専門家集団のなかで一致した判断を求めることが難しくなった。
第4に,専門的知識が社会の運用に不可欠なものとなった。それは電力供給や医療サービスのように,社会にとっての重要インフラとなった。
第5に,にもかかわらず,その専門的知識に対する専門家の自己制御力が低くなった。機微にわたる知識――暗号解読,鳥インフルエンザ・ウイルスに関する知識など――が,誰にもアクセスできるようになった。
第6に,くわえて専門的知識の社会的な実装を,小資本,小組織でも,つまりテロリストでも実現できるようになった。
といったあれやこれやで,普通人――政治家を含む――は,専門的知識を理解できないにもかかわらず,その社会への実装の在り方によって大きな影響を受けるようになった。
3.11以降,日本では専門家の信用が問われている。それは,破損原子炉の制御,放射線被曝の安全性,放射性廃棄物の管理,農業・水産業の再生,電力需給の予測,新エネルギーの実現可能性,地震・津波の予知,巨大都市の防災,危機管理方式の頑健性などにわたる。つまり,それは,理学,工学,農学,医学,経済学,法学など,既存学術分野の全域に及んでいる。
これまで,専門家の言説が,現在ほどの頻度で,現在ほど広くかつ深く,普通人の前に露出したことは,しかもそれらが普通人の不信を買ったことはなかった。
普通人と専門家との間の対話のあり方については,20世紀末から日本でも,多様な社会実験――例,コンセンサス会議――が試行されている。問題はその多くが行政府とともに実施されたことにある。OTAの特長はこれを議会主導で行ったことにある。ここに普通人が専門家とかかわる原型があったのかもしれない。