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脳を読む
佐藤 正恵
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2012 年 55 巻 6 号 p. 451-454

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電子ジャーナルや電子書籍の利用は,図書館の仕事だけでなくすでに日常の一部になっている。本誌が刊行される頃には,日本でもアマゾンのキンドルが発売されているだろう。先日も神保町にあるe読書ラボ注1)に行き,さまざまな最新の電子書籍リーダーやコンテンツを試用してみたが,機器の性能の高さやコンテンツが充実してきていることに驚いた。

一方で,やはり紙で読みたい,本を手放せない,自宅の本棚をどう整理するか悩むといった声はよく聞く。私自身,スマートフォンやタブレットを使ってはみたものの,自分がアナログ人間だからなのか,結局のところ読みかけの本やプリントアウトした資料などでバッグはいつもいっぱいだ。そもそも紙の本で文章を読むという行為は脳にどう関わっているのだろうかと不思議に思い,脳の働きに関するさまざまな本を読んでみた。特に印象に残った数冊をご紹介する。

『脳を創る読書―なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか』酒井邦嘉 実業之日本社,2011年,1,260円(税込)
http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-10907-7

2011年12月の刊行から半年ですでに4刷を数えており,話題になっているのでお読みになった方も多いと思う。

著者は東京大学大学院総合文化研究科教授で,言語脳科学の専門家であり,序文で書かれているように「それでも「紙の本」は必要である」という意見である。電子書籍と紙の本からの情報の受け取り方の違いを論じ,特に電子教科書の普及が教育にもたらす変化に対して慎重な議論の呼び水になることを期待して執筆したという。

前半では脳の働きや発達心理学の実験などから,さまざまな媒体の情報についてインプットとアウトプットの量の違い,情報量が少ない場合に補う脳の働き等について具体的に例を挙げて解説している。

後半では,紙の本と電子書籍との使い分けの重要性が述べられている。特に編集の経験のある方は,「なぜ画面上で見落とした誤字が紙の上では見つかるのか」に興味を惹かれるだろう。紙上の固定された文字と紙の位置関係と異なり,位置が一定していない画面上では,手掛かりが少なく人間の脳の注意メカニズムが働きにくいそうだ。

音楽や文学など豊富な事例や研究成果について,巻末に参考文献や索引がないのは残念だが,200ページ弱でソフトカバーの縦書きの本で余白も多い。全体を通して語り口も平易で,講義というよりは食事や宴席でくつろいで教養豊かな科学者と会話をしているような,気軽に読める体裁となっている。身近な人との話題作りには格好の1冊だろう。

『奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー 著;竹内薫訳 新潮社(新潮文庫),2012年,662円(税込)
http://www.shinchosha.co.jp/book/218021/

著者はハーバード大学医学部で神経細胞学者として活躍していた37歳のある朝,左脳の脳卒中に襲われた。発作時,治療,そして8年に及ぶリハビリと復活の克明な記録であり,希望のメッセージでもある。

前半は,統合失調症の兄を持つことで医師を志し,患者団体の支援者として啓蒙のため「歌う研究者」として活躍した発作前の生活が描かれる。後半は闘病とリハビリの過程が克明に記録されている。巻末に「回復のためのオススメ」として病状評価のための質問表,回復に最も必要だった40項目,さらに30ページ余の脳の解説がある。発作により,次第に左脳の分析的な判断力機能が失われて右脳が優位になるにつれ,解放感と変容する感じに包まれて,仏教徒なら涅槃(ねはん)の境地に入ったというようだ,という描写がある。よく臨死体験談で「お花畑のようだった」と聞くが,このような状況をいうのだろう。発作のさなかに,病院に運ばれるまでの過程を脳科学者として自ら体験できるチャンスとしてとらえる前向きな姿にも驚かされる。

YouTubeでテイラー博士の講演動画を見ることができる1)。長いブロンドでアクティブに動きながら熱く語る姿からは,もはや闘病時の「胎児のように丸くなって」まどろむ姿は想像できない。発作当初は単語とイメージが結び付かず,ものの輪郭も曖昧に見える状況だったという。単語を聞くたび脳内のデータベースの検索を繰り返し,ヒットしなければ新たに「登録」する。リハビリのためのジグソーパズルで「色を手掛かりにしては?」という母の助言に色をイメージした瞬間,「色が見える」ようになるなど,回復過程の多くのエピソードは感動的だ。原書名(『My Stroke of Insight』)のStrokeは「脳卒中」と「一撃」の意を掛けており,Insight(ひらめき)を与えたものとして描かれ,後半では右脳マインドについて多くページを割いている。

サイエンスライターとして活躍する竹内薫氏の翻訳も大変読みやすく,文庫本に収載されている養老孟司氏,茂木健一郎氏の解説も興味深い。本書は一般の読者向けではあるが,脳外傷から回復中の方や看護をしている方にもお薦めするし,もし自分や家族に起きた時にも役に立つだろう。失った機能に代わり,残された部分が総動員して新たな機能を育てていく脳の可塑性の素晴らしさと,著者の諦めない心の強さが印象に残る好著である。

『100歳の美しい脳―アルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女たち』デヴィッド・スノウドン著;藤井留美訳 DHC,2004年(絶版)

アルツハイマー病を発病しても,症状の現れない脳があるのはなぜか?

その答えを探る旅がこの本の物語である。アメリカの疫学研究者であるスノウドン博士がミネソタ大学で着手し,1990年からはケンタッキー大学メディカルセンター内サンダーズ=ブラウン・エイジングセンターで取り組む「ナン・スタディ」2)(ナンは修道女の意味)の,研究者自らによるドキュメンタリーだ。原書のソフトカバーもシンプルな英文で書かれており,興味のある方はぜひ読んでいただきたい。原書(『Aging with Grace:What the Nun Study Teaches Us About Leading Longer, Healthier, and More Meaningful Lives』)は2002年にChristopher Awardを受賞した。残念ながら本書の出版社在庫は無いとのことだが,CiNii Booksでは100件以上の大学図書館,カーリルでも公共図書館の所蔵が確認できた。(余談だが,日本語版の出版社「DHC」は今や化粧品のCMで有名だが,「大学翻訳センター」の略で,さまざまな翻訳・出版事業を行っている。)

ノートルダム教育修道女会の協力,75歳から実に106歳までの678名の修道女本人の承諾を得て始まったナン・スタディは,加齢と健康,特にアルツハイマー病に関する壮大な疫学研究である。規則正しい生活,残された記録と定期的な身体・精神能力検査,そして神に召された後の献脳。修道院は過去と未来がつながる大いなるアーカイブズであり,まさに科学者にとって「輝く黄金」であった。

登場する修道女らが戦争や歴史に翻弄されながらたどってきた人生,紡がれる言葉は,まるで何本もの良質な映画を見ているかのようだ。ナン・スタディの研究成果は多くの論文として発表されている注2)。若い頃の語彙力や前向きな人生観と老年期の認知能力,栄養学との関連を探る過程,マスコミやテレビへの登場などが臨場感たっぷりに描かれており,研究のバックステージ物語としても読み応えがある。何より本書は修道女らの揺れ動く感情,機能検査や献脳への戸惑いや恐れに,愛情と敬意をもって丁寧に向き合う中で,若き研究者が研究テーマを見つけ成長する物語でもある。

私が通っていた学校はカトリックのミッションスクールで,校舎は修道院とつながっていた。多くの修道女(シスター)が教鞭をとり,ミッションを持つ精神力の強さ,優れた記憶力に子ども心にも感嘆したものだ。薄暗く静謐な空気の流れるお御堂で,ロザリオを繰りながら祈りを捧げる姿,遠い異国で過ごす生涯に思いを馳せることもあった。それだけに本書に添えられた多くの写真のシスターの方々――人生を祈りと奉仕に捧げつつも,茶目っ気や人間味もある――には一層親しみと愛情を感じた。

原書名の“Aging with Grace”は,“Amaging Grace”に掛けた言葉であろう。Grace(神様の恵み,優雅さ)とともに歳を重ねるとは,何と素晴らしいことか。ナン・スタディのモットーは「最後まで人生を生きられますように」である。

執筆者略歴

佐藤 正恵(さとう まさえ)

司書,司書教諭。ライフサイエンス情報専門員。学校・大学図書館,ソフトウェア企業,専門図書館勤務を経て,2010年から千葉県済生会習志野病院図書室および患者図書室あおぞら司書。専門図書館協議会機関誌編集委員。

上記写真右は病院の屋上庭園,左は患者図書室あおぞら。

本文の注
注1)  e読書ラボ:国立情報学研究所が企画運営する,電子書籍の読書体験の提供および未来の読書環境の提案を行う実験室。神保町の「本と街の案内所」内にある。http://edokusho.info/, (accessed 2012-07-20).

注2)  Snowdon D.A. Linguistic ability in early life and cognitive function and Alzheimer's disease in late life. Findings from the Nun Study. JAMA. 1996, vol. 275, no. 7, p. 528-32. ほか多くの文献がある。

参考文献
 
© 2012, Japan Science and Technology Agency
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