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人工知能研究半世紀の歩みと今後の課題
西田 豊明
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2012 年 55 巻 7 号 p. 461-471

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著者抄録

ネットワーク社会が急速に形成されつつある今日,人工知能研究は1950年代から今日までの五十余年にわたる1番目のステージを終え,2番目のステージに移りつつある。本稿では,第2ステージの人工知能研究のあり方を議論するため,まず,過去の人工知能研究の流れを回顧し,顕著な成果が大規模探索,知識ベースシステム,言語・音声・画像処理,プランニング,機械学習とデータマイニング,人工知能と芸術との融合であることを指摘する。次に,「すごい」と言わせるくらいの高い問題解決能力を持つ知的エージェントを作ることを目指した従来研究に対して,これからの研究では,ユーザーに「君がいてよかった」と言ってもらえるような高い共感力を持ち,計算知能と人間社会をつなぐコミュニケーション知能の実現にもっと重点を置くべきであることを論じる。

1. 人工知能研究の流れ

人工知能研究の本格的な開始は1956年のダートマス会議だとされている。1952~62年までの間に行われたとされるA. Samuelのチェッカープログラムの研究に見られるように,商用コンピューターが誕生した1950年前半から,コンピューターの可能性を信じ,コンピューターに人間のような知的な情報処理をさせようという取り組みを続けてきた研究者が,この会議で自分たちのコミュニティーを認知し,この研究分野を人工知能(artificial intelligence)と名づけた。チャレンジの心は受け継がれ,その後五十余年を経て今日に至っている。表1に人工知能研究の足跡を情報通信分野と対照して示す。

表1 人工知能分野と情報通信分野の発展の主な足跡

詳細および根拠情報については,http://www.ii.ist.i.kyoto-u.ac.jp/?p=3333&lang=ja,http://www.ii.ist.i.kyoto-u.ac.jp/?p=3351&lang=jaを参照されたい。

この間の歴史を俯瞰してみると,概ね1970年までは「冒険の時代」であり,生まれたばかりの分野でいろいろな考えが提案され,試されている。問題解決のためのアルゴリズムを明示的に記述することが困難なとき,候補の枚挙原理と探索のコツを与え,コンピューターに解を知的に探索させることを狙った,弱い方法(weak method)の研究が進んだ。

1970年代になると,より明示的に表現された知識を活用して,普通専門性の高い知識を要すると考えられている問題を解くことに焦点があてられた。1970年代後半になると,スタンフォード大学Edward Feigenbaumが率いるHeuristic Programming Project1)において,いろいろな専門分野で高い専門性を要すると考えられていたタスク(例えば,分子スペクトルの分析など)を解くことのできる知識ベースシステムの開発が進められた。また,人工知能技術を搭載した自律走行自動車の研究もこのころから始められている。それに並行して,いろいろな問題を解くことによって,自らの問題解決能力を高めることのできる機械学習システムの研究が着手された。

1979年には,AAAI(American Association for Artificial Intelligence)が設立され,国際会議主催,季刊誌注1)発行,春と秋のシンポジウム開催,図書の発行など,人工知能研究活動の支援を目的とした本格的な学会活動を始めた注2)

1980年代には知識ベースシステムはエキスパートシステムとも呼ばれるようになり,初の人工知能ビジネスが立ち上げられるとともに,機械学習の研究が本格化した。遺伝アルゴリズムなどの,進化を模倣した手法も導入された。日本の第5世代コンピュータープロジェクトが開始された1982年もこの時期にあたる。ところが,1980年代後半になると,エキスパートシステムビジネスが行き詰った。主たる原因は,知識獲得とメンテナンスのコスト高であった。それまで順調に拡張路線を歩んできた人工知能研究者が実世界問題の難しさを思い知らされ,初めて大きくつまずいた時期であった。機械学習の研究はこの隘路の解消を狙ったものであるともいえる。また,Cycなど電子的な百科事典を実現することによって,コンピューターに常識を与えようというアプローチにも期待が高まった。

1990年代になると,エキスパートシステムの成功は限定的であることがわかり,研究の焦点は,機械学習研究とそこから分岐したデータマイニングに移った。データの中から一定のパターンを見つけ出すための高性能アルゴリズムの開発が進み,さらには,インターネットの急速な広がりとも相まって,大量のデータを活用して困難な問題を解決することができるようになってきた。Web,ロボット,芸術など,人工知能をさまざまな領域に応用する試みも本格化した。

2000年までに一通りのアイデアが試みられた。この時期までの人工知能研究の成果は,(1)大規模探索,(2)知識ベースシステム,(3)言語・音声・画像処理,(4)プランニング,(5)機械学習とデータマイニング,(6)芸術への応用,の6点に集約できる。以下では,これらのそれぞれについてもう少し詳しく述べる。

(1) 大規模探索

人工知能の初の本格的な研究成果であり,1960年代に端を発する。問題の構造に基づいて探索空間を縮小するだけでなく,発見的知識(heuristics)と呼ばれる問題解決のコツを巧みに用いて探索空間をうまく探すことにより,探索空間の実効的探索能力を飛躍的に高めて,「知的能力=うまい探し方」という仮説を実装した。その成功例が1997年に当時のチェス世界チャンピオンに勝ったDeepBlueというシステムである。

(2) 知識ベースシステム

1980年代の最盛期には,非常に高い問題解決能力を持つシステムがいくつか作られた。その代表例は,当時のコンピューターメーカーDEC社のシステムエンジニアの知識獲得と再利用を意図した一連のシステム(XCON,XSEL,⋯)2)である。また,実務に使われた例もAmerican ExpressのThe Authorizer’s Assistant3)をはじめとして多数ある。直観的には,よく整理されたマニュアルと同程度の内容の知識をコンピューター可読な記号コードとして表現し,推論エンジンを用いて広い範囲の問題に適用可能にすること,および知識エンジニアという現場知識を知識表現に変換するスキルと経験を持つ人を育てることにより,一見高い専門知識を要すると考えられる問題の中の論理的/合理的な部分を切り出して実行可能にした。知識の明示化や継承の問題にも知識科学の視点から取り組み,多くの知見を与えている。

(3) 言語・音声・画像処理

これらの分野はそれ自体大きな研究分野であるが,人工知能の問題とも大きな重複がある。自然言語理解,音声言語対話システム,画像理解システム,会話エージェントは,従来から人工知能の大きな研究部門であり,IJCAI(International Joint Conference on Artificial Intelligence)注3)やAAAIでは多数の論文が投稿され,セッションが設けられてきた。Julius注4),Juman注5),knp注6),OpenCV注7)など,研究用の種々のツールが公開されたことがこの分野の技術のさらなる発展と普及に大きな貢献をした。

(4) プランニング

市内一般道のように複雑性のため状況の予測が困難であったり,惑星探索,惑星間航行,深海探索などのようにそもそも人類にとって未踏に近い領域や,人間にとって生存や健康を脅かされる危険が高い環境などにおいて行動する自律走行車や惑星探索ロボットは,自分で状況を判断し,与えられたミッションを達成するための行動計画を立て,それを状況に応じて修正しながら,自律的に行動できる能力が求められる。プランニングはその核心となる技術である。すでに,ALVINN(Autonomous Land Vehicle in a Neural Network)4)や無人火星探索車The Mars Exploration Rovers注8)など,実用的なレベルで使用され成果を挙げている。

(5) 機械学習とデータマイニング

アイデアは1952年からのSamuelのチェッカープログラム5)などにおいてすでに現れているが,研究が本格化したのは1980年代になってからである。研究成果は,コンピューターが問題解決を経験しながらいろいろな場面での自らの行動の評価に基づいて行動を改良していくという機械学習と,大量のデータの中から繰り返し生起するパターンあるいはその背後にあるモデルを推定するデータマイニングに分かれるが,統計的手法を駆使して,データ中のノイズから信号を分離し,その構造を推定するという点では共通している。機械学習とデータマイニングは,言語・音声・画像技術と並び近年最も成功し,多数の手法を集積し,定番として定着した人工知能のコア技術として位置づけられる。

(6) 人工知能と芸術との融合

工学や科学での人工知能研究の多くは知的な情報処理技術の実現や,知能の理解を目的とした「弱い人工知能」研究である。これに対して,例えば,情動面も含めて人間に限りなく近い振る舞いをするロボットを作る試み――「強い人工知能」を目指した研究――も行われてきた。このなかでは人間のように絵画を描いたり,作曲活動をするAARON(1985)注9)などのシステムの開発が行われた。

概ね2000年までの人工知能研究第1ラウンドの成果を集大成したのが,Russell and NorvigのArtificial Intelligence: A Modern Approach6)である。人工知能の現時点の中心となるアイデアと技術を記述したスタンダードな教科書として位置づけられている。この本では,人工知能のコアとなるコンセプトと技術が,

  1. (1)   探索
  2. (2)   ゲームプレーイング
  3. (3)   述語論理
  4. (4)   プランニング
  5. (5)   不確実な知識と推論
  6. (6)   機械学習

という順序で配列され,ついで,人工知能の隣接領域と重複する話題が,

  1. (7)   自然言語処理
  2. (8)   知覚情報処理
  3. (9)   ロボティクス

という順序で提示されている。

1980年代後半には「人工知能の冬の時代」と言われた時期もあったが,人工知能研究者は,教科書を作り,アルゴリズムをパッケージ化して配布し,自ら挑戦的課題を設定し,その解決に果敢に取り組むことで数々の輝かしい成果を打ち立ててきたと言える。

2. 日本における人工知能研究の歩み

わが国の研究者も早くから人工知能に貢献してきた。京都大学では1960年代から京都大学の坂井利之のグループが,画像,音声,言語を包括するメディア情報処理の研究を開始している。主なメンバーは堂下修司(音声認識),長尾真(自然言語処理,画像処理),金出武雄(画像処理)らであった。1970年の大阪万博では世界初の顔認識システムを展示した7)。1970年代になると日本の人工知能研究は広がりはじめた。九州大学では栗原俊彦のグループによるかな漢字変換をはじめとする日本語情報処理の本格的な研究が契機となり,1979年に東芝の日本語ワードプロセッサJW-10注10)が発売された。

1970年代には大阪大学・田中幸吉グループ,東京大学・大須賀節雄グループなど,知識情報処理の研究が広がり始めた。九州大学・有川節夫グループは機械学習のグループを形成し,電子技術総合研究所(当時)には推論機構研究室,NTT研究所では自然言語処理やLispマシンのグループが形成された。これに並行して東京大学では中島秀之,堀浩一,松原仁らが中心になってAIUEOという学生の勉強会コミュニティーが形成された。関西では,溝口理一郎(大阪大学),筆者(京都大学)らの若手(当時)が早くから人工知能の研究を始めている。

1985年には通産省(当時)主導で渕一博をリーダーとする新世代コンピューター技術開発機構(ICOT)注11)が作られ,推論マシンによる知識情報処理を目指した第5世代コンピュータープロジェクトが本格的に行われ,世界の注目を浴びた。第5世代コンピュータープロジェクトでは,並列推論マシンPIM,ロジックプログラミング言語KLIC,法的推論システムHELIC-IIなどの開発が行われた。その後継プロジェクトとして,EDR電子辞書プロジェクトと実世界コンピューティングプロジェクトが立ち上げられ,知識処理と知覚情報処理の基盤が強化された。

1986年には国際電気通信基礎技術研究所(ATR)注12)が設立され,脳科学,ロボティクス,音声言語翻訳など人工知能に関わりの深いプロジェクトが立ち上げられた。

1986年は人工知能学会注13)設立の年でもある。人工知能学会は,環太平洋地区の人工知能国際会議PRICAI(Pacific Rim International Conferences on Artificial Intelligence)注14)の設立に関わり,1997年に名古屋で開催された人工知能国際会議IJCAI-97をIJCAIと共催した。また,IJCAI-97に併催して北野宏明,浅田稔らがロボカップ世界大会を立ち上げた。ロボカップ世界大会は現在も盛況を呈し,日本発の人工知能関係の世界的イベントとして人工知能研究の発展に貢献している。2012年現在で約3,000名弱の会員を擁し,学会誌および論文誌をそれぞれ年6回発行,18研究会の活動を行っている。2010年度の学会誌ページ数は818ページ,論文誌は82論文(うち14はショートペーパー)806ページである。全国大会の参加者は年々増え続け,2011年6月に東日本大震災後初めて盛岡市で開催された第25回大会では641名,2012年に山口市で開催された第26回大会では800名を超す参加者があり,大変な盛況を呈している。毎年isAIと題する国際ワークショップを開催し,ほぼ毎回selected papersをNew Frontiers in Artificial Intelligenceと題する書籍としてSpringerから刊行してきた。これに加えて2012年から全国大会に国際セッションも設けられた。

以上のように,伝統的にはわが国の人工知能研究は,パターン認識,日本語処理,ヒト型ロボティクスのあたりが強く,近年では,発見科学,マルチエージェントシステム,感性情報処理などで強みを発揮していると言える8)

日本における人工知能研究者たちの1990年ころのマインドは文献9)に見いだすことができる。アメリカの人工知能研究ではしばしば惑星探索ロボット,自律走行自動車,ハイパフォーマンスコンピューティングのようにNASA(National Aeronautics and Space Administration,アメリカ航空宇宙局)やDARPA(Defense Advanced Research Projects Agency,国防高等研究計画局)などが設定したグランドチャレンジと称する大きな目標に対して,研究者が競い合ってソリューションを提出するというスタイルのトップダウン型のプロジェクトが行われ,成果を挙げている。これに対して,日本は達成すべき目標をあまり明確に規定せず,研究者の興味のおもむくままに自由に研究を進めるボトムアップ型の研究が主流であり,オントロジー,機械学習,マルチエージェントシステム,ヒューマン・エージェント・インタラクションなど研究テーマごとに研究コミュニティーを形成し,知見を深めていっている。

3. 最近の動向

人工知能の話題は,2000年になってやや減少したきらいがあるが,2010年前後から世間で話題にのぼる機会が急速に増えてきたように思われる。

最近の人工知能に関わる話題の筆頭は,米国の人気クイズ番組「Jeopardy!」において人間のクイズ王に勝ったクイズ解答システムIBM Watson注15)であろう。IBM WatsonはWall Street JournalのTechnology Innovation Awardを受賞している。IBM Watsonの力の源として次の要因が指摘されている。(1) スーパーコンピューターの利用。単純計算の高速な繰り返しが可能になった。(2) 大量のデータ資源の活用。インターネットから得られる大量のデータからデータマイニング技術によって質問・応答のパターンを抽出し,クイズに解答するための知識源として利用できるようになった。(3) オープンイノベーション方式の採用。インターネットを利用して,プログラムコードを共有し,複雑なシステムを共同開発できるようになった。さらに,解答案の確信度を計算し,クイズにおける自分の行動の意思決定を行っていることも重要である。人気クイズ番組でクイズ王に勝つこと自体は,技術力の評価指標の1つとして位置づけられており,医療診断支援,膨大な文書からの専門的知識の検索と選別など,こうした大量のデータを活用した知的情報処理技術の応用先は広い。

もう1つの例が,AppleのiPhone 4Sに搭載された音声アシスタント機能Siri注16)である。Siriはユーザーが音声によって日常の情報検索やスケジュール管理をできるようにしたソフトウェアである。IBM Watsonが自然言語を用いた問題解決に重点を置いているのに対して,Siriは高い情報処理能力を持つコンピューターに対して人間にとって負担の少ないインターフェースを提供することを目指している。このほかに,NTTドコモのしゃべってコンシェル注17)や,Google音声検索注18)など,最近急速に進歩した音声認識技術を利用したソフトが一般利用されるに至っている。

2010年にマイクロソフトから発売されたゲーム機Xbox 360向けのセンサーパッケージKinect注19)が研究者に与えたインパクトは大きい。これまでは,画像認識は専門家だけのものであったが,いまや広く画像認識ツールが使えるようになった。画像認識ができれば,インターフェースが向上し,アプリの間口が格段に広がることが期待される。

これまでの半世紀の研究で,初期の人工知能研究で顕著であった特異な研究スタイルが薄れてきた。

第1に,人工知能研究において思想と技能が中心だった時代は終わり,科学の時代になった。人工知能教科書の定番とされるWinstonのArtificial Intelligence10),NilssonのPrinciples of Artificial Intelligence11)とRussell and NorvigのArtificial Intelligence ― A Modern Approach6),さらに最近統計的パターン認識・機械学習関係で定番になりつつあるBishopのPattern Recognition and Machine Learning12)を比較してみると,この傾向は明確に読み取れる。

第2に,当初は知能の本質を理解するために一定の役割を果たしてきた“toy problems”(本質がわかるように,現実の問題を単純化した問題)が色あせて,現実の困難な問題に適用できて初めて意味があると考えられるようになってきた。

第3に,研究ツールが広がり,多くのニューカマーが教科書を読み,ツールを組み合わせて,短期間で人工知能のフレーバーを持つシステムを実装できるようになった。

第4に,ロボカップなどのコンペやベンチマーキングテストが普及し,また,参加のためのツールキットも普及して,競い合いながら人工知能の知識を深めていくための間口が広がった。

現在,さまざまなビッグデータがアクセス可能になるとともに,インフラとしてのネットワークが普及し,市民の多くがスマートフォンもしくはパソコンを持ち,情報技術利用者としてのレベルが高くなっている。日本国内では,2011年末で6歳以上人口の79.1%の国民がインターネットを利用している。一方で,世代や所得層間の利用状況の違いが生じ,国民の受けるメリット,およびそれに伴い生じるリスクの格差(デジタルデバイド)も深刻な問題になりつつある。このような状況で生じた東日本大震災では,東北・関東地方を中心に回線の途絶や停電等により情報通信基盤が被害を受け,日常生活だけでなく,産業経済にも甚大な被害が生じた(『情報通信白書平成24年版』注20))。

人工知能技術は,社会基盤の上に新たな付加価値を与える基本技術としても,情報社会の抱えるさまざまな困難を解決するための技術としても期待が高まっている。それを象徴するものは,高度なパーソナルアシスタンス機能である。高度なサービスを提供するため,およびデジタルデバイドを解決して誰でも情報ネットワーク社会の利便を享受できるようにするための,情報世界と人間社会の間の広義のインターフェースとして期待が高い。

4. これからの人工知能研究の方向

これからは,数学に端を発し,計算基盤を経て人工知能に至る流れと,自然知能(人間個人,人間社会)研究に端を発して,人工知能に至る学術発展の流れがこれまで以上に深いレベルで本質的に交わり,さらに発展していくことが期待される。

これまでの人工知能研究の発展は,人工知能マインド――すなわち,多くの人に「すごい!」注21)と言わせるような人工システムを実現しようという気概――に支えられて,数々のインパクトをもたらしてきたと言える。

図1 従来の人工知能研究:すごいと言わせるエージェントを作ることを目指してきた

しかし,これからの人工知能研究がさらに大きく発展するためには,単に「すごい」と言われたいという素朴な動機だけでは不十分であると考えられる。そのような研究は,社会に受け入れられなくなるばかりか,学術的にも不十分なものになりかねない。

第1に,Mark Stefikが指摘しているように,人工知能技術が人間社会の創造活動に貢献するためには,単一の側面で優れているだけでは不十分であり,人間の創造活動において多様な形態で表れる人間の知性と緻密に結びつき,相互に触発しあって発展することができなければならない13)。社会への実装なしでは,インパクトは限定される。第2に,人々が「すごい」というのは結果の一部に対してであり,目標に対するものではない。現在加速しつつあるネットワーク社会では,結果だけを社会と共有してもすぐに色あせてしまう。目標設定から検証評価までの開発過程全体を,共同研究者さらには社会と共有していく必要がある。このようななかで,単に社会を驚かせたいというだけの皮相的な「目標」を長期にわたって維持することは難しい。提案するアプローチをコストをかけて実施することによって得られる学術コミュニティーへの貢献,あるいは,社会への貢献の本質が明示されて初めて,協力者や建設的な批判者が現れて研究が進展する。

人間の知能と人工知能が扱う対象の重複が増え,人間がこれまで得意としていたタスク領域でも人工知能が高いパフォーマンスを発揮するようになってきているように見える。しかしそれは高度に専門化された領域で設定された問題を大量データと高速計算によって解決するという計算知能にとどまっている点に注意しなければならない。計算知能を用いて人間社会の抱える種々の問題を解いたり,新たな価値を創出するためには,計算知能と人間社会の継続的で高度な協創を作り出して,人間社会の意向を計算知能に反映させたり,計算知能のパワーを人間社会がいかんなく利用できるようにして,全体として継続的に成長していく知的共同体を構成する必要がある。例えば,翻訳という作業が抱える困難さは,数学や自然科学の難問とは異種のものであり,人間のさまざまな営み,その背後にある状況や登場人物の心の動き,さらには変化していく社会的背景を熟知することが求められていることに起因する。そのため,本質的な部分は人間に頼らざるを得ず,計算知能の側は言語表現の置き換えを提案したり,集合知を支援したりするクラウドソーシングの段階から出発して,時間をかけて翻訳に必要な常識的知識を少しずつ獲得していくという継続的発展の道を取らざるを得ない。

知的共同体を構成するための知能は,オープンで社会的でなければならず,計算知能とはかなり異なる性格を持つことが予想されるので,それを以下では仮にコミュニケーション知能と名付けて,計算知能とは区別する。従来は,計算知能の持つ力を熟知し,人間社会のこともよく理解できる人がコミュニケーション知能を求められるタスクを遂行する主体であった。

次の人工知能研究の新たなターゲットは,コミュニケーション知能を内包した人工知能であろう。このターゲットを象徴するキーワードとして「君がいてよかった!とユーザーが言いたくなる人工知能」をあげたい。人工知能技術を搭載したエージェントがユーザーから「君がいてよかった!」と心から言ってもらえるためには,単にユーザーに何らかのメリットのあるサービスを提供するだけでは十分ではない。第1に,これまで述べてきたようにユーザーの抱える問題やソリューションの持つ制約など,エンドユーザーの意向をきめ細かく読み取らなければならない。第2に,意向の解釈においても,ソリューションの探索においても,社会のオープンさや予測しない出来事に起因する失敗をゼロにすることはできない。そのようななかで相互信頼を形成し,維持しなければならない。失敗してもユーザーが「君がいてよかった!」と言ってくれたら1つのレベルをクリアできたと言えるだろう。第3は,ユーザーが意識的に「君」と呼んでくれるかどうかである。メディアの等価性14)のために,ユーザーがメディア化された実体を実体と意識下で混同して「君」と呼ぶかもしれないが,自分の道具としてではなくパートナーとして明示的にエージェントを位置づけるようにならないと,コミュニケーション知能が人間と計算知能の深いレベルでの協創をもたらしたとは言えない。

図2 これからの人工知能研究:「君がいてよかった」と言ってもらえるエージェントを目指そう

計算知能とコミュニケーション知能の指標の違いを「能力の高さ」,「共感力の強さ」として対比したものを表2に示す。

表2 従来の人工知能と今後の人工知能研究の目標の違い

ゲームを例にとると,これまでの人工知能研究では,さまざまなテクニックを駆使してゲームに勝つ能力を持つプログラムの実現が目標とされてきた。これからは,ユーザーにゲームの面白さを教えたり,ゲームの醍醐味を味わわせてくれるような対戦をすることによって,ユーザーに「君がいてよかった」と言ってもらえるようになる道を探らなければならない。人工システムの特性を利用することも考えられる。例えば囲碁において,相手が人間の場合は,「待った」をすることは大変失礼であり,してはいけないこととされてきた。たとえ,先生に指導碁を打ってもらっているときでも,同じ局面で自分が納得するまで試行錯誤をすることはできない。一方,ゲームに強くなるためには,いろいろな局面を徹底研究することは有効である。人工知能技術を使った囲碁の先生が忍耐強く,しかも,楽しく試行錯誤に付き合ってくれたら,ユーザーは囲碁の醍醐味を知り,棋力はめきめき上達するに違いない。

2012年3月17日は,囲碁ソフトZenが武宮宇宙流に挑戦し,5子一番手直りに連勝した注22)とき,プロ棋士の一人が,「これで人間とコンピューターがコラボして最善譜作りができるようになった」といった趣旨のことを語ったことが非常に印象深い。囲碁が面白いのは,各局面の作り出す探索空間の構造であり,勝敗が二の次になることもある。

IBM Watsonの場合についても同様のロジックが成立する。クイズを解くためにあれやこれや考えるところも面白いが,出題の段階まで遡るともっと面白い。事実の持つさまざまな側面,人間が陥りやすい誤解,見逃しがちな属性など,人間の認知の奥深さを知る良い機会となる。Siriや,まだチャレンジが宣言されたばかりの東大に合格する人工知能についても同様である。人工知能に代わりに受験をさせるわけにはいかないから,人工知能の能力が優れているだけでは「君がいてよかった」ということにはならない。

ユーザーに「君がいてよかった」と言ってもらえるような人工知能を模索するとき,いくつか注意すべき点がある。第1に,ユーザーが人工知能を悪用しようとするとき,たとえユーザーが人工知能に感謝してもそれに加担してはならないだろう。第2に,ユーザーが人工知能に過度に依存し,長期的に自分で行動したり善悪の判断ができなくなるという事態に陥ることのないようにしなければならない。これらの点については,機会を改めて検討したい。

5. まとめ

人工知能研究は,コンピューターの商用利用が開始されて間もなく1950年代から今日までの五十余年にわたって展開されてきており,2000年までに一通りのアイデアが出そろった。顕著な成果は,大規模探索,知識ベースシステム,言語・音声・画像処理,プランニング,機械学習とデータマイニング,人工知能と芸術との融合に集約することができる。日本でも1960年代から研究者が現れ始め,1970年代に広まり,現在では多数の研究コミュニティーが立ち上がって活況を呈している。最近は,ツールも出揃い,情報ネットワークを中心とする社会基盤に取り入れられて,注目を集めるようになり始めた。これまでの人工知能研究では,計算知能を提案して問題解決能力の高さを競ってきたが,これからの人工知能研究はユーザーに「君がいてよかった!」と言ってもらえるような高い共感力を持ち,計算知能と人間社会をつなぐコミュニケーション知能の実現にもっと重点を置くべきであろう。

本文の注
注1)  AI Magazine. http://www.aaai.org/Magazine/magazine.php

注2)  AAAIはその後アメリカ国内から世界全体に視野を広げ,2007年3月にその名称をAssociation for the Advancement of Artificial Intelligenceに変えた。http://www.aaai.org/Organization/name-change.php

注3)   http://ijcai.org/

注4)   http://julius.sourceforge.jp/index.php?q=documents.html#beginner

注5)   http://nlp.ist.i.kyoto-u.ac.jp/index.php?cmd=read&page=JUMAN&alias%5B%5D=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E5%BD%A2%E6%85%8B%E7%B4%A0%E8%A7%A3%E6%9E%90%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0JUMAN

注6)   http://nlp.ist.i.kyoto-u.ac.jp/index.php?KNP

注7)   http://opencv.willowgarage.com/wiki/Welcome

注8)   http://marsrovers.jpl.nasa.gov/home/index.html

注9)   http://www.kurzweilcyberart.com/

注10)   http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/0049.html

注11)   http://www.jipdec.or.jp/archives/icot/ARCHIVE/HomePage-J.html

注12)   http://www.atr.jp/

注13)   http://www.ai-gakkai.or.jp/jsai/

注14)   http://www.pricai.org/

注15)   http://www-03.ibm.com/innovation/us/watson/index.shtml

注16)   http://www.apple.com/jp/iphone/features/siri.html?cid=MAR-JP-GOOG-IPHONE

注17)   http://www.nttdocomo.co.jp/service/information/shabette_concier/

注18)   http://www.google.co.jp/intl/ja/mobile/google-mobile-app/index.html

注19)   http://www.xbox.com/ja-JP/kinect/

注20)   http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h24/pdf/index.html

注21)  より正確には,「すごく賢い!」というべきかもしれない。

注22)   http://entcog.c.ooco.jp/entcog/event/20120317/humvscom.html

参考文献
 
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