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過去からのメディア論
匿名文学と匿名言論
大谷 卓史
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2012 年 55 巻 8 号 p. 603-605

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2000年代初め,日本における匿名電子掲示板の隆盛を説明するため,今から見ると奇妙な理屈が使われていたように思う。

匿名の五七調による落書(らくしょ)による権威・権力への批判が,2ちゃんねるの匿名言論の源流だと説明したり,ハンドル名を使ってアイデンティティを偽装して発言する行為も,女性のふりをして書いた紀貫之(866頃?または872頃?-945頃)の「土佐日記」(935年頃)に言及して,日本の伝統的な文化の表れだとする識者もいた。

しかしながら,匿名や偽名による作品発表が日本の伝統であると考えることには無理がある。匿名や偽名による作品発表は,欧米の文化においても盛んに行われてきた。匿名・偽名の作品に関する歴史的研究も散発的ながら行われていて,近年,匿名・偽名の英文学作品に関する研究書が2冊発行された1),2)。これらの本を手がかりに,「匿名の英文学史」を概観しよう。

英文学者のロバート・J. グリフィン3)や,ジョン・マラン2)の指摘によれば,著名な作品が当初匿名で発表され,版を重ねてから作者名が明らかにされるケースは,かなり多い。

ジェームズ・レイブンの定量的研究によれば,1750年代から1790年代にかけて,匿名で発表された小説は,新しい小説の80~90パーセントを占めている。その後,1800年代末には匿名の作品の割合が50パーセントを割り込むまで低下するが,1830年にはまた80パーセントほどに回復する4)。18世紀後半から19世紀はじめにかけて,おそらく現代のわれわれが予想するよりもはるかに多くの小説が匿名で出版されていたことがわかる。

著者たちが匿名を選んだ理由はさまざまである。19世紀初頭のイギリスでは,小説に著者名を掲げることが一種の虚栄心の表れだと考えられていた。また,前出のグリフィンによれば,貴族・女性にふさわしいと考えられていた遠慮深さを装った場合もあるし,宗教的な韜晦(とうかい)が理由であったり,世間の目にさらされる不安,処罰への恐怖,曇りない評価を得たいという期待などがあったとしている3)。いくつかの例を見ていこう。

アイルランド聖パトリック教会の首席司祭ジョナサン・スウィフト(1667-1745)は,『ガリヴァー旅行記』(1726年)を最初匿名で発表した。彼の書物やパンフレットの初版はすべて匿名か偽名で出版された。『ガリヴァー旅行記』を出版するにあたっては,出版者に対しても自分の正体を隠し,どこから届いたかさえわからぬよう,友人といっしょに駅馬車から出版者の家に原稿の複写を投げこんだ。スウィフトの伝記作家や匿名文学の歴史を書いた英文学者は,匿名・偽名での作品発表は一種ひねくれた自己演出だったと考えている5)

オックスフォード大学の論理学教師だったC. L. ドジソン(1832-1898)は,「ルイス・キャロル」の筆名で2冊のベストセラーを著し,大学を辞めてその印税で生活できるまでになった。しかし,自分が『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の作者であると友人や親族には打ち明けていたが,決して自分の正体を公の場では明かさなかった。大部の『英国匿名・偽名文学事典』が編纂された際,ドジソンはこの編者に手紙を出して,自分がルイス・キャロルだとは決して明かさないでほしいと懇願した。そのため,正体が判明した匿名・偽名の作家のみ掲載するという方針の同事典の初版が1882年に公刊されたとき,当時最も有名だった匿名著者の名前は載らなかった6)

19世紀イギリスでは,女性が男性名の偽名を使って作品を発表することもあった。当時のヴィクトリア朝の保守的な道徳観から,女性が書いた作品だということから偏見を持たれることがないよう男性名を名乗ったのだと,まことしやかに説明されることが多いが,いくつかの例を見ると,必ずしもそうとは言えないようだ。そもそも女性名の作品発表はためらわれることがなかった。前出のレイブンの研究によれば,19世紀最初にイギリス・アイルランドで発表された作品のうち,44パーセントの作者名が女性の名前だという。

英文学者のマーガレット・J. M. エゼルによれば,18世紀初めにはただ「ある婦人の手による(by a Lady)」と書かれた作品が数多く出版されている。このような匿名が選ばれたのは,確かに女性作家が自分の身を世間の好奇の目から守るためだったと思しき例もあるものの,「ある婦人の手による」と書かれた作品が男性の手になるものだった場合もある。むしろこのような匿名は一種の偽装であって,女性読者に読んでもらうために作品の女性性を強調したのではないかと,エゼルは推測する7)

シャーロット・ブロンテ(1816-1855)は,「カラー・ベル」という男性名で『ジェーン・エア』(1847年)を発表した。カラー・ベルという男性名は処女作『教授』で採用したものだが,この作品は没となった。編集者の助言を受けいれて,彼女は2作目を書き上げ,同じ筆名で出版社に送った。出版社の編集者はこの作品に強く惹かれたが,作品自体だけでなく,作者の性別も興味の対象だった。作者の性別に対する好奇心をあおり,真実味のある物語と受け取ってもらえるよう,編集者はタイトルに「自伝」と書き加え,「カラー・ベル編」として,同書を出版した。批評家たちもこの作品の作者が男性か女性かで論争を戦わせ,さらにこの作品への世間の関心が高められた8)

第3作『シャーリー』(1849年)出版後,ある偶然から作者の正体が明らかになる。注目されるのは,正体が公になってからも,若い未婚の男性編集者への手紙には,ブロンテが「カラー・ベル」と署名を続けた事実である。ブロンテ姉妹の伝記作家は,シャーロットは未婚の男女の間で生じがちな気づまりな関係を逃れようとして,男性名を使い続けたのだと説明する9)

一方,メアリ・アン・エヴァンス(1819-1880)が処女作「エイモス・バートン師の悲しき運命」(1857年)を「ジョージ・エリオット」の筆名で発表したとき,彼女は世間から身を隠さねばならぬ理由があった。当時彼女はJ. W. クロスと同棲を始めていたが,正式に結婚はしていなかった。クロスの妻アグネスは彼のもとを出奔し,彼の友人のもとに走っていた。アグネスはこの友人との間にすでに子をもうけていた。このような事情から,メアリは兄のアイザックから絶縁されていた。とはいえ,彼女が男性名の筆名を選んだのは,日陰の身だったからだけではない。「ジョージ・エリオット」の名で作家として失敗しても,名前を捨てるだけで彼女自身には影響がないという計算もあった。『フロッス湖畔の水車小屋』(1860年)を出版した頃には,ジョージ・エリオットが誰か広く知れ渡っていたが,その後も彼女はこの筆名を使い続けることとなる9)

作品が公正に評価されるよう女性名を避けたという理由は,明らかにシャーロット・ブロンテやジョージ・エリオットの偽名を説明するのには十分ではない。

自分の作品が優れているから売れているのか,それとも自分の名前が一種ブランドとして機能して売れているのかという疑いをもった作家が,別の名前でまったくの新人作家として作品を出すというケースもあった。ヴィクトリア朝で最も成功した作家であるアンソニー・トロロープ(1815-1882)も別名での小説の出版を試した。しかし,本名ほどは売れず,結局は出版社が偽名を使うのをやめるよう懇願せねばならなくなった。現代では,『時計じかけのオレンジ』で有名なアンソニー・バージェス(1917-1993)が「ジョセフ・ケル」の筆名を使い,(アメリカの作家であるが)モダン・ホラー小説家スティーブン・キング(1947-)が「リチャード・バックマン」の別名で小説を発表するなどの例がある。2人とも多作な作家だが,同じ筆名であまりにも作品を量産すると,批評家の評判が悪くなるという理由から,2つの筆名を使い分けたとも言われている。トロロープとは違い,バージェスもキングも別名作品でかなりの商業的成功を収めている10)

匿名や偽名が日本の伝統的文化であるという主張にはおそらく根拠がない。匿名を使うべき合理的理由があれば,人は匿名を使うのである。2ちゃんねるのような匿名電子掲示板が盛んであるように見えるとしたら,その理由は想像された伝統や過去の文化に求めるべきではなく,現代の日本社会やその慣習にこそ理由を求めるべきなのである。

参考文献
  • 1)    Griffin,  Robert J. ed. The Faces of Anonymity: Anonymous and Pseudonymous Publication from the Sixteenth to Twentieth Century. Palgrave Macmillan, 2003.
  • 2)    Mullan,  John. Anonymity: A Secret History of English Literature . Faber and Faber, 2007.
  • 3)    Griffin,  Robert J. “Introduction”. Griffin, Robert J. ed. The Faces of Anonymity: Anonymous and Pseudonymous Publication from the Sixteenth to Twentieth Century. Palgrave Macmillan, 2003, p. 1-17.
  • 4)    Raven,  James. “The Anonymous Novel in Britain and Ireland 1750-1830”. Griffin, Robert J. ed. The Faces of Anonymity: Anonymous and Pseudonymous Publication from the Sixteenth to Twentieth Century. Palgrave Macmillan, 2003, p. 141-166.
  • 5)    Mullan,  John. Anonymity: A Secret History of English Literature. Faber and Faber, 2007, p. 9-10.
  • 6)    Mullan,  John. Anonymity: A Secret History of English Literature. Princeton University Press, 2007, p. 41-46.
  • 7)    Ezell,  Margaret J. M. “‘By a Lady’: Mask of the Feminine in Restoration, Early Eighteenth-Century Print Culture”. Griffin, Robert J. ed. The Faces of Anonymity: Anonymous and Pseudonymous Publication from the Sixteenth to Twentieth Century. Palgrave Macmillan, 2003, p. 63-80.
  • 8)    Mullan,  John. Anonymity: A Secret History of English Literature. Princeton University Press, 2007, p. 76-103.
  • 9)    Mullan,  John. Anonymity: A Secret History of English Literature. Princeton University Press, 2007, p. 101-108.
  • 10)    Mullan,  John. Anonymity: A Secret History of English Literature. Princeton University Press, 2007, p. 294-295.
 
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