2014 年 56 巻 11 号 p. 766-781
前報で,55か国・地域の国家研究公正システム(NRIS)をHALレポートの分類にしたがって3つに分類した。本報では各分類ごとに代表的な国を選び,NRISの特徴やその背景を調査・比較した。各国の研究公正当局の有無や法的権限は各分類で異なり,それによってNRISの強みや弱みが存在する。また,同じ分類に属する国でも,研究公正当局の設置形態や機能,システム導入の背景や国情は国ごとに特徴がある。各国のNRISの特徴は,その国のイノベーションシステムの特徴と関連がある。また,研究公正機能を研究公正当局に集約するのか,複数の組織に分散させるのかによっても,特徴が変わってくる。NRISの検討に際しては,自国の特徴や他国との国情の違いを認識する必要がある。
諸外国における国家研究公正システムについて,前報1)では国家研究公正システム(National Research Integrity System: NRIS)の国際的な分類の基礎となるHALレポート2)の分類にしたがって,調査対象国(55か国・地域)を3つのタイプに分類した。この分類は,研究公正当局の「法的な調査権限」に着目したものであるが,諸外国の国家研究公正システムの詳細な特徴を説明するには必ずしも十分とはいえない点がある。そこで本報では,各タイプごとに特徴的な国家研究公正システムを有する国々を取り上げ,研究公正当局の設置形態や機能,当該システム導入の背景などに着目しながら,各国の特徴を比較・分析する。
なお,本報における分析や考察は筆者の個人的なものであり,国や所属機関の意見を示したものではないことに留意願いたい。
国家研究公正システムの定義や基本構造モデルについては前報1)第2章を参照されたい。前報において55か国・地域について国家研究公正システムをHALレポートの分類にしたがって,以下の3タイプに分類した。
(1)タイプ1:「調査権限を有する,国として立法化された集権システム」(言い換えれば,法的な調査権限(強制力)を有する研究公正当局が国レベルで存在するシステム)
(2)タイプ2:「研究資金配分機関や個々の機関とは異なる,監督のための法律によらない組織」からなるシステム(言い換えれば法的権限(強制力)は有さないが,研究資金配分機関(Funding Agency: FA)などとは異なる独立性の高い研究公正当局やコンプライアンスシステムが国レベルで存在するシステム)
(3)タイプ3:「独立した研究公正監督組織やコンプライアンス機能がないシステム」(言い換えれば,国レベルで独立性の高い研究公正当局やコンプライアンスシステムが存在しないシステム)
調査対象国の各タイプの比率は,図1のとおりである。これらの各タイプから,特徴ある国家研究公正システムを有するいくつかの国々を抽出し,インターネット上で得られた文献情報をもとに,(1)研究公正当局の設置形態,(2)研究公正当局の機能および(3)当該システムの導入の背景に着目しつつ,各国の国家研究公正システムの特徴を比較・分析した。
今回の調査では,タイプ1のシステムを導入している国は,調査対象国(55か国・地域)のうち5か国(米国,デンマーク,ノルウェー,クロアチア,中国)注1)で,全体の約9%と少なかった。
HALレポートは,タイプ1の国家研究公正システムの特徴を,一般に以下の3点と説明している。
(1) (法的な)調査権限を有する研究公正当局注2)が存在する
(2) 「研究不正の定義」が「捏造・改ざん・盗用」(FFP)に限定される
(3) 一義的な調査権限は研究機関に与えられているが,研究機関の要請があった場合や非常に深刻な事案の場合,研究公正当局も調査を実施する
上記の(2)について,研究不正の定義は米国が「捏造・改ざん・盗用(FFP)に限定」しているのに対し,欧州ではFFPよりも広い定義が採用されているので,HALレポートのこの説明は,主として米国のシステムを想定したものではないかと考えられる。
タイプ1のシステムの強みは,研究不正に対抗する強い法的権限(強制力)が研究公正当局に与えられていることである。その反面,権限の厳格な適用を図るために研究不正の定義をFFPに限定して明確化するとともに,定義の変更には法的手続きを必要とするなど,柔軟性に欠ける点を指摘する先行研究もある2)。ただし,米国の場合,連邦政府は「研究不正の定義」をFFPに限定し,それ以外の「不適切な研究行為」(Questionable Research Practices: QRPs)は研究機関ごとの自主管理システムで対処することが推奨されているので,国家研究公正システム全体をみると,連邦政府と研究機関の関係は補完的である注3)。
3.1.1 タイプ1の研究公正当局の設置形態と機能タイプ1の国々の国家研究公正システムは,設置形態や機能に微妙な違いが存在する。はじめに,設置形態からみると,欧州諸国(デンマーク,ノルウェー,クロアチア)では,専門家による「独立委員会」として研究公正当局が設置されている。これに対して,米国では,例えば公衆衛生庁(Public Health Services: PHS)研究公正局(Office of Research Integrity: ORI)(前身組織は1989年設立で,1992年に統合して現在の組織となる),米国科学財団(National Science Foundation: NSF)総合監査局(Office of Inspector General: OIG)(1989年設立)など,研究資金配分機能を有する連邦省庁の内部部局として設置されている。本報では欧州諸国の形態を「独立委員会型」,米国の形態を「内部部局型」と呼ぶことにする(表1)。
分 類 | 主要国 | 特 徴 | 備 考 |
---|---|---|---|
独立委員会型 | デンマーク ノルウェー クロアチア |
・法的な調査権限のある独立委員会を設置 | 機能は各国で異なる |
内部部局型 | 米国 | ・研究資金配分機能を有する各連邦省庁内に所管分野ごとに法的な調査権限のある研究公正当局を設置(ORI,OIGなど) | |
中間型 | 中国 | ・科学技術部(MOST)に内部部局を設置 ・MOSTのもとに不正を調査する委員会設置など |
出典:「分類」は筆者の命名による。中国については参考文献3)をもとに筆者が作成。それ以外の国についてはCCA報告書5)をもとに筆者が作成
中国については,2006年から2007年にかけて国家自然科学基金委員会(NSFC)や各省庁(科学技術部,教育部など)で一連の体制整備が行われたことが報告されている3)。この中で,科学技術部(Ministry of Science and Technology: MOST)に研究不正を担当する内部部局(Office of Research Integrity Construction)が整備されたり3),告発された不正事案を調査し,制裁を課す中央科学倫理委員会(原文では「a central scientific ethics committee」)が設置されたとの報告がある4)ので,本報では「独立委員会型」と「内部部局型」の「中間型」とする注4)。
独立委員会型の研究公正当局は,一般にすべての研究領域を担当する。また,専門領域別に構成される下部組織を有する場合もある。例えばデンマーク科学不正委員会(Danish Committees on Science Dishonesty: DCSD)の場合,下部組織として健康科学研究科学不正委員会(The Committee on Science Dishonesty for Research in Health Science: USF),自然・技術・製造科学研究科学不正委員会(The Committee on Science Dishonesty for Research in Natural, Technological and Manufacturing Science: UNTPF),文化・社会科学研究科学不正委員会(The Committee on Science Dishonesty for Research in Cultural and Social Science: UKSF)の3つの専門分野別の委員会が存在する。
さらに,独立委員会型の研究公正当局の機能は各国で微妙に異なっているとの報告がある5)。CCA報告書5)の分類表では,デンマークのDCSDは主に研究不正調査機能に分類されているが注5),クロアチア科学高等教育委員会(CESHE)は研究公正促進機能と研究不正調査機能の両方を担う。一方,ノルウェーの場合は少し複雑で,もともと「ノルウェー国家研究倫理委員会(The National Committees for Research Ethics in Norway:略称はノルウェー語でETIKKOM)」(1990年設立)のもとに各分野ごとに研究公正促進機能を担う委員会注6)が存在し,2007年,これらと並列で研究不正調査機能を担う「ノルウェー国家研究不正調査委員会(The National Commission for the Investigation of Scientific Misconduct: 略称「NCISE」)」が設立された。
一方,内部部局型(米国)の場合,各省庁に設置された研究公正当局が監督(oversight)を担当する領域は,それぞれの担当行政領域ごとに分かれている。各研究公正当局は研究公正促進機能と研究不正調査機能の両方を担っているが,研究不正事案を取り扱う経験は各省庁により違いがあるといわれている4)。例えば,公衆衛生庁(PHS)や米国科学財団(NSF)に比べて他の省庁は経験に乏しく,また,近年では退役軍人省(US Veteran's Administration)が多くの事例を扱っているとの報告がある4)(図2)。
タイプ1の国家研究公正システム(調査権限を有する,国として立法化された集権システム)を導入した国は,深刻な研究不正事案の発生を契機として研究公正当局を設置した場合が多い。例えば,米国ではボルチモア・イマニシ=カリ事件(1986年)が契機となってORIの前身組織が設立された6)。また,ノルウェーでは1994年に研究評議会が「国家健康研究不正委員会(National Committee on Dishonesty in Health Research)」を設置し,タイプ2の国家研究公正システムは整備されていたが,サボー事件(2006年)の発生が契機となり,新たにNCISEが設置された2)。中国においても一連の盗用事件(2006年)が体制整備の契機であるとの報告がある注7)。これらの国々では,不正事案の発生を契機として研究不正に対する社会的関心が高まったことを背景に,法的権限を有する研究公正当局が設置された。これは国内外に対して,国が研究不正に取り組む毅然(きぜん)とした姿勢を示す意味もあったのではないかと考えられる。
一方,デンマークの場合は,米国の「規制的アプローチ」を欧州で最初に導入したが,それを可能にしたのは,同国の国家イノベーションシステム(National Innovation System: NIS)の特徴であったと考えられる。例えば,山崎の著書6)の中では,英国との対比で,デンマークは「学術機関における研究助成金の90%が政府から提供されているので規制がしやすい」とのコメントが報告されている。また,「OECD Science, Technology and Industry Scoreboard 2011」7),8)を見ると,デンマークには以下のような特徴がある。
(1)国の基礎研究に占める高等教育機関の比率が大きい(2009年統計で78.1%。日本は41.0%)7)
(2)高等教育機関に対する政府資金は,ほとんど研究機関単位で配分される資金で,研究プロジェクト単位で配分される競争的な資金が少ない(2008年統計で機関ベース96.6%,プロジェクトベース3.4%)注8)
これらの結果から,デンマークでは大学等の研究活動が基礎研究の中心で,そのほとんどが政府から機関単位で配分される研究資金によって賄われているのではないかと考えられる。このような研究資金配分構造上の特徴から,国が高等教育機関に対して関与しやすい面があるのではないかと考えられる。
3.2 タイプ2:「研究資金配分機関や個々の機関とは異なる,監督のための法律によらない組織」の特徴欧州諸国を中心に,調査対象国の25%はタイプ2の国家研究公正システムを導入している。表2は,文献情報をもとにタイプ2の特徴をまとめたものである。タイプ1の「規制的アプローチ(Regulation approach)」に対して,タイプ2の特徴は,「知識ベース・アプローチ(Knowledge-based approach)」注9)を採用していることであり,研究公正当局に法的強制力はないが,独立・中立な専門機関として作用するのが特徴である。
視 点 | 特 徴 | 内 容 |
---|---|---|
設立形態 | 独立性・自立性 | ・「独立しているか(中略)距離を置いた(arm's length)」研究公正当局2) |
権限 | 法的権限(強制力)はない | ・「規制」ではなく「専門性」 |
政策 | 研究公正に力点 | ・「研究不正よりも研究公正を強調する傾向2) |
その他 | 国情に応じた多様性 | ・「独立性,管轄権,権威の程度には違いがある」2) ・機能でも多様なモデルがある |
出典:HALレポート2)を参考に筆者が作成
先行研究によればタイプ2は,タイプ1のような法的権限(強制力)をともなわない反面,システムとしての多様性(diversity)や柔軟性(flexibility)がある2)。また,歴史的にも,1990年代初期に米国やデンマークでタイプ1のシステムが導入されて以来,欧州ではむしろ国情に応じた形でタイプ2のシステムが整備されてきた。これは,欧州では研究活動の長い歴史から,研究者コミュニティの自治が尊重され,国が研究不正を規制するのではなく,研究者(あるいは研究機関)自らが研究公正を促進していく立場が強調される傾向があるからである6)。
3.2.1 タイプ2の研究公正当局の設置形態と機能多様性と柔軟性を特徴とするタイプ2では,研究公正当局の設置形態も選択肢の幅が広い。実際,(1)省庁やアカデミーの諮問委員会(Advisory Body)(フィンランドのTENK,ポーランドの科学・高等研究省「科学倫理委員会」など),(2)研究公正のために設置された独立機関(オーストリアのOeAWI,オランダのLOWIなど),(3)研究資金配分機関のもとに設立された独立組織(ドイツの研究オンブズマンなど),(4)非営利法人(英国のUKRIO)など,多様なモデルが存在する。さらに,(5)独立した研究公正当局は設置されていないが国全体の統合的なコンプライアンス・メカニズムが機能している国(カナダの「トリ・カウンシル(Tri-Council)システム」)も,先行研究ではタイプ2に分類されている2)。
上述のタイプ1は,制度的にもっとも様式化(formalize)された「集権システム(centralized system)」である2),5)。これに対し,タイプ2の場合,「権限の水平分配」1)の観点からみると,(1)ドイツやオーストリアのように国レベルの研究公正監督機能が研究公正当局に「集約化されたシステム(centralized system)」と,(2)英国やカナダのように,複数の機関が研究公正に関する機能を部分的に担い,相互に分担・協力して,国家研究公正システムを構築している「分散化されたシステム(decentralized system)」が存在する。
また,研究公正当局の機能も一様ではなく,表3のようなさまざまな機能がある。1つの研究公正当局が複数の機能を併せもつ場合もある。また,図3は,これらの機能が研究不正の事案を確定していくプロセスにおいて作用するフェーズをモデル化したものである。いかなる研究公正促進機能を重視するかは,各国の国情によっても異なり,国家研究公正システムの特徴を形成する1つの要因と考えられる。以下,特徴的な国家研究公正システムを有する国々について言及したい。
調停機能とは,中立的な調停者が客観的事実をもとに,申立人・被申立人双方の主張を踏まえつつ現実的な解決策を探る機能である。研究不正に関してオンブズマン制度を採用している国はいくつかあるが,ドイツは代表国であり,その国家研究公正システムは欧州諸国における1つのモデルとされてきた注10)。
「ドイツ研究オンブズマン」9)は,1999年,研究資金配分機関である「ドイツ研究振興協会(DFG,英語ではGerman Research Councilと表記)」の理事会により設立された研究公正当局である10)。DFGのもとに設置されているが,独立性の高い組織で,DFGの研究に関連した研究不正の申し立てを扱う「研究不正告発予備調査委員会(Committee of Inquiry on Allegations of Scientific Misconduct)注11),11)との区別を明確にするために,2010年に従来の「DFGオンブズマン」から現在の名称に変更された10)。
「ドイツ研究オンブズマン」の役割は,「適正な科学活動(Good Science Practice)」や「研究不正」に対する疑問に,助言(advisory)や調停(mediatory)を行うことである2)。「ドイツ研究オンブズマン」は3名だが,すべての科学者/アカデミーを助言や支援に活用できる10)。また全国の研究機関には約280名(筆者がカウント)のオンブズマンが指名されており注12),調査にあたる。
DFGの研究に関係する研究不正の場合には,DFGの「研究不正告発予備調査委員会」で調査が行われる。その結果はDFGの合同委員会に説明され,不正の内容や深刻さにより,研究資金配分機関としての措置が決まる12)。
HALレポートによればドイツの国家研究公正システムの特色は,「研究公正」と「学問の自由」の調和を保つことが重視されている点にある2)。このようなドイツの研究風土について,HALレポートには「科学およびその教授は自由である」と宣言した1850年のプロシア憲法に起源があるとのコメントが記載されている2)。ドイツでも,研究公正当局の設置は,1997年に発生したヘルマン・ブラッハ事件注13)が契機となっており,その点ではタイプ1の国々と共通性がある。しかし,「研究者の自治」が尊重されるドイツでは,政府の干渉を嫌い,タイプ1の「規制的アプローチ」を採用しなかった6)。このため研究公正当局は,「ドイツの学界最大の自治組織」13)であるDFGのもとに設置された。
(2) 調査機能:オーストリア研究公正機構(OeAWI)調査機能とは,国の研究公正当局が,中立的で専門的な立場から研究不正事案について調査する機能である。通常,研究機関や研究公正当局が調査を実施する段階で作用する。
オーストリア研究公正機構(Austrian Agency for Research Integrity: OeAWI)注14)は,2008年,オーストリア組合法(Austrian Associations Act)に基づき設立された独立機関である。設立メンバー機関は(大学(12機関),オーストリア科学アカデミー,ウイーン科学技術基金(WWTF),オーストリア科学技術インスティテュート(IST Austria),オーストリア科学基金(FWF)であり,その規模に応じた年会費を払い,OeAWIの活動に協力する義務を負っている14)。
OeAWIの役割は,告発された研究不正の事案を中立かつ公平な立場で調査し,不正の重大性を評価することである。OeAWIの調査は,専門機関としての客観的な調査であり,タイプ1の研究公正当局が行う法的な権限(強制力)による調査とは異なる。OeAWIには卓越した学者で構成される「研究倫理委員会」が設置されており,告発を調査するか否かを決定する。なお,OeAWIは研究不正調査機能だけでなく,研究公正促進機能も担っており,研究公正/研究不正に関する講義やワークショップ,勧告の出版などを行っている14)。
(3) 上訴機能:オランダ国家科学公正委員会(LOWI)上訴機能とは,申立人または被申立人が,研究機関が行った調査結果に不服がある場合,国レベルでの再調査を求めることができる機能である。研究機関の調査結果が公表された段階で機能するのが特色で,レベルの違いはあるが,このような上訴の仕組みはいくつかの国で採用されている。
例えば,オランダの国家科学公正委員会(National Board for Research Integrity: LOWI)15)は,オランダ王立科学・芸術アカデミー(the Royal Netherlands Academy of Arts and Sciences:略称「KNAW」),オランダ科学研究組織(the Netherlands Organisation for Scientific Research:略称「NWO」),オランダ大学協会(the Association of Cooperating Universities in the Netherlands:略称「VSNU」)により設置された独立組織である。LOWIは,研究機関において一義的に行われた調査結果に対し,申立人あるいは被申立人が満足しない場合に事案を扱い,司法制度で言えば第二審のような役割を果たす16)。また,LOWIはオランダにおける研究公正のほぼすべてをカバーしている17)。
また,上訴とまではいえないが,研究公正当局が研究機関の調査結果に対して,要請があれば意見書(ステートメント)を発する機能(いわばコメント機能)を有している場合がある。「フィンランド研究公正諮問委員会(Finish Advisory Board on Research Integrity: 略称「TENK」)」18)は,1991年,フィンランドにおける研究倫理を推進するため(研究公正促進機能)に教育文化省に設立された諮問機関である。1994年に申し立ての取扱手順書を定め,研究不正調査機能も担っている注15)。研究不正事案について研究機関が調査報告書を公表したとき,不服のある者はTENKに対して意見書を求めることができる18)。意見書の概要は,研究不正の事案同様,年次報告書で公表される19)。
(4) レビュー機能:オーストラリア研究公正委員会(ARIC)研究機関が行った調査を研究公正当局がレビューする仕組みを導入することで,研究公正の質の保証や公衆の信頼に応えようとする国もある。「オーストラリア研究公正委員会(Australian Research Integrity Committee: ARIC)」20)は,2つの研究資金配分機関(「オーストラリア国家健康医学評議(the National Health and Medical Research Council: NHMRC)」21)と「オーストラリア研究評議会(the Australian Research Council: ARC)」)22)が共同事務局を務める独立委員会として2011年に設置された注16)。その特徴は,要請に応じて,研究不正の申し立てについて研究機関が行った調査が「責任ある研究行動のためのオーストラリア・コード(the Australian Code for the Responsible Conduct of Research,2007年導入)」や研究機関の独自の政策や手順書と整合性があるかをレビューすることにある23)。なお,必要な報告や勧告をNHMRCおよびARCの理事長に対して行う20)。
ARICは,先進国の中では比較的,最近整備された研究公正当局である。HALレポートによれば,オーストラリアにおける国家研究公正システムは,1990年に最初のガイドラインが導入されて以来,段階的に発展してきた。第1段階は1997年のNHMRCとオーストラリア副学長委員会(Australian Vice-Chancellor's Committee: AVCC)による1990年のガイドライン更新と「1997年合同宣言(Joint Statement)」の導入である。これにより研究機関レベルでのガイドライン等の整備が進んだ2)。第2段階としては,2001年のブルース・ホール事件の発生により,2003年,「1997年合同宣言」とガイドラインの見直しが行われ,2007年,「責任ある研究行動のためのオーストラリア・コード」が導入されたことである2)。なお,研究公正当局であるオーストラリア研究公正委員会(ARIC)の設置(2011年2月)は,NHMRC,ARCおよび「イノベーション・産業・科学技術省(DIISR)」による「オーストラリア研究公正委員会の設立提案」の議会提出(2009年)が契機となっている20)。
(5) 専門的助言機能:英国研究公正局(UKRIO)専門的助言機能とは,研究機関に対して必要な専門的な助言を行い,適切な調査の実施を支援する機能である。例えば,「英国研究公正局(UK Research Integrity Office: UKRIO)」24)は,もともと2006年に「英国大学協会」の主導のもとで,1つのプロジェクトとして設立された独立助言組織(Independent Advisory Body)であり,法的・行政的な権限をもたない。UKRIOは,元来,健康・バイオメディカル分野を対象としているが,その勧告やガイドラインは他分野においても広く受け入れられている注17)。具体的なサービスとしては,(1)「研究公正ヘルプライン(Research Integrity Helpline)」を開設し,研究機関等への助言や問い合わせに応じるほか,(2)研究機関の研究不正調査委員会に外部有識者として参加できる専門家の登録(Register of Advisor),(3)研究公正の教育・訓練,などを行っている2)。
英国の特徴は,「分散化された(decentralized)国家研究公正システム」を採用していることである。すなわち,特定の組織に研究公正機能が集中しているのではなく,UKRIOのほか,研究評議会(Research Council UK: RCUK)25)や出版倫理委員会(Committee on Publication Ethics: COPE)26)など,複数の組織が研究公正の役割を担うことで,国家研究公正システムが成り立っている注18)。例えば,医学研究評議会(Medical Research Council)は研究公正に関する政策を最初に出版した研究評議会であり2),1994年に発生したピアース事件を契機に,1995年に発表倫理のガイドライン,1997年に「不正行為の告発に関する処置方法と方針」(原文「MRC Policy and Procedure for Inquiring into Allegations of Scientific Misconduct」。訳文は山崎の記述6)より引用,原文はHALレポート2)より引用)をまとめている6)。また,1997年にはCOPEが設立され,不正事案の公表などが行われている6)。
このような研究公正を取り巻く多元的な環境の中で,UKRIOは国内的には各大学への専門的な支援,国際的には欧州レベルでの研究公正当局のネットワーク組織である欧州研究公正局ネットワーク(European Network for Research Integrity Offices: ENRIO)27)の設立(2008年)にイニシアティブを発揮するなど,存在感を高めつつある。
英国のもう1つの特徴は,研究資金の配分において,政府だけでなく,民間団体であるウエルカムトラストの役割が大きいことである。このため,デンマークとは対照的に,国家イノベーションシステム(NIS)の特徴が,タイプ1の規制的アプローチになじまない面があるといわれている注19)。
(6) 包括的なコンプライアンス機能:カナダの「トリ・カウンシル・システム(Tri-Council system)」カナダの国家研究公正システムは「トリ・カウンシル・システム(Tri-Council system)」注20)と呼ばれている。トリ・カウンシル(Tri-Council)とはカナダ健康研究学会(The Canadian Institutes of Health Research: CIHR),自然科学・工学研究評議会(the Natural Sciences and Engineering Research Council: NSERC),人文・社会科学研究評議会(the Social Sciences and Humanities Research Council: SSHRC)の3つの研究資金配分機関を指し,研究公正政策に影響力を有している。
カナダでは独立した研究公正当局は設置されていないが,HALの分類ではタイプ2に位置付けられている2)。その理由は,このシステムの中核となる「研究及び学問の公正に関するトリ・カウンシルの政策宣言(Tri-Council Policy Statement on Integrity in Research and Scholarship: TCPS-IRS)」の包括性にあるのではないかと考えられる。HALレポートによれば,(1)「TCPS-IRSは多くの科学ベースの部局や機構(Science-based department and agencies)を含む他の組織においても国の標準(national standard)として用いられてきた」こと,(2)「(トリ・)カウンシルが資金提供した研究だけでなく(資金を受け取る資格のある)研究機関で行われるすべての研究に研究公正政策が適用される」こと,(3)「研究資金配分機関は研究資金(fund)を受け取る資格のない研究機関にもTCPS-IRSの研究を拡大した」ことなどがタイプ2とした理由としてあげられている注21)。
カナダの特徴は,大学等の研究資金は,カナダ政府から受け取るもののほか,隣国である米国から受け取るものがかなりの割合を占めていることである注22)。米国の資金を受け取る研究機関は,米国公衆衛生庁(PHS)研究公正局(ORI)の監督を受け,米国の規制である米国連邦規則42 CFR 93,「公衆衛生庁研究不正に関する公衆衛生庁政策(Public Health Service Policies on Research Misconduct)」が適用される。いわば「トリ・カウンシル(カナダ)プラス・ワン(米国)」の研究資金配分構造のもとでは,国レベルで集約化された研究公正当局が監督を行うよりも,統合的なコンプライアンス・メカニズムのもとで各研究資金配分機関に権限が分散化されているほうが運用しやすい面もあるのではないかと考えられる。
(7) その他:国レベルの諮問機関省庁や研究資金配分機関などの諮問機関として研究公正当局が設置され,研究公正政策などについて,必要な助言・勧告を行うシステムは多くの国でみられる。ESFのサーベイ調査16)を見ると,国のコードやガイドラインの作成など研究公正を促進するための審議(研究公正促進機能)を行うほか,例えばポーランド科学・高等研究省の科学倫理委員会のように,大臣の諮問を受け,特定の研究不正の事案について審議(研究不正調査機能)するものや注23),上述のフィンランド研究公正諮問委員会(TENK)のようにコメント機能を有するものもある。
このほか,スウェーデンでは研究評議会が「研究不正疑惑調査専門グループ」(2003)を設置し,研究評議会や高等教育機関からの要請を受けて事案についての審議を行い注24),またスイスでは,スイス芸術・科学アカデミー(SA)に設立された研究倫理委員会が研究公正の助言を行う注25)など,複数の国での実例がみられる。
3.3 タイプ3:「独立した研究公正監督組織やコンプライアンス機能がないシステム」の特徴今回の調査では26か国(48%)がタイプ3に分類され,最も多い。HALレポートでは,タイプ3の特徴は,(1)政府および学術研究により強調される国のオリエンテーション(orientation),(2)独立した研究公正監督組織またはコンプライアンス機能の不在,と記載されている2)。しかし,これはいささか誤解を招きやすい表現である。タイプ3には(1)研究公正システムが未発達な(あるいは部分的な)国(例えば途上国)だけでなく,(2)研究機関や研究資金配分機関が研究公正システムの中核を担う国(例えばフランス,アイルランドなど)や,(3)国レベルの研究公正監督機能を民間機関や地方機関が代替している国(例えばインド,ベルギーなど),などが含まれていることに留意する必要がある。
(1) 研究機関を中核とするシステム:フランス国立健康医学研究所(INSERM)などフランスでは,国家研究公正システムの中心は各研究機関である。CCA報告書5)では,フランス国立健康医学研究所(INSERM)28)とフランス国立科学研究センター(CNRS)29)の「2つの研究機関が国の研究公正戦略を立案する役割を担ってきた」と記載されている注26)。
INSERMには,1999年,研究公正を担当する「科学公正グループ(Scientific Integrity Group: DIS)」30),31)が設置され,研究不正事案の処理(研究不正調査機能)を行っている。DISのWebサイト30)によると,DISは研究不正事案の申し立てに対し,関係者のインタビューの後,最初は調停者として機能し解決策を探す(調停機能)。また,必要に応じて,調停委員会による科学的な鑑定を実施する。法務部との議論を踏まえ,結論は委員長および機関の長に提出される。重大な違反の場合には国内外の専門家からなる委員会を立ち上げるが,最終的な決定は機関の長(Director General: DG)が行う。
一方,CNRSには「国立科学研究センター研究倫理委員会(the Scientific Ethics Committee of National Centre for Scientific Research: COMET)」が設置(2006年)されている。COMETは研究不正をどのように扱うべきかを勧告するが,個々の事案は扱わない16)。個々の事案は臨時に設けられた(ad hoc)委員会で審議され,機関の長の責任で処理される。
フランスの特徴は,第1に特定の研究機関が研究資金配分上,大きな比重を占めていることである。HALレポートによると,INSERMはバイオメディカル分野注27)の研究資金の約40%を占め,またCNRSは民生研究資金の約4分の1を占めている2)。その結果,研究機関の自主管理システムで,かなりの部分がカバーされるものと考えられる。第2に,研究活動において民間機関(パスツール研究所)の役割も大きく,研究公正においても歴史的に重要な役割を果たしている16)。第3に,フランスでは法律により,各組織・地域・組合などに従業員の紛争を調停する委員会(Commission Administrative Paritiaire: CAPs)が設置されており,公的資金を受け取る研究者のほとんどはCAPシステムによりカバーされている実態がある2)。研究不正の告発も,原則として,このCAPシステムを通じて特定され,処分は機関の長の責任で行われる2)。このような国情から,研究機関を中心とした独自の国家研究公正システムを構築しているものと考えられる。
(2) 民間組織による研究公正活動:インド「科学価値学会(SSV)」インドでは国の研究公正当局は存在しないが,1984年,民間組織である「科学価値学会(Society for Scientific Values: SSV)」32)が設立され,民間のボランタリーな活動(いわば「ボトムアップ」の活動)33)として,研究不正の調査と公表が行われてきた。SSVは法的権限は有しないが,米国でORIが設立される以前から,民間組織のレベルで研究公正活動が行われてきたことは,当時としては先駆的であったと考えられる。しかし,インドの場合,研究不正の発生率が高く34),また研究機関は透明性に欠け,研究不正の調査を喜ばないという批判もあり,SSVに代わり,法的権限を有する国レベルでの研究公正当局を設置する必要性を訴える意見も国内の専門家の間にはある35)。
(3) その他の国々欧州諸国の場合,研究公正当局としてENRIOに資金配分機関やアカデミー,またはその両方を登録する国が少なくない。例えば,アイルランドにおいては,健康研究委員会(Health Research Board: HRB)注28),36),王立アカデミー(Royal Irish Academy: RIA)が登録されている。欧州以外でも,例えばニュージーランドにおいては,健康研究評議会(Health Research Council: HRC)37)などが研究公正に取り組んでいる。
また,国によっては,地方レベルの研究公正活動が国レベルの活動を代替あるいは牽引(けんいん)する場合がある。例えばベルギーの場合,アカデミー(王立科学芸術アカデミー)とともに「フランダース研究基金(Research Foundation - Flanders: FWO)」38)(2010年設立)が登録されている。FWOはフランダース地方政府の「外部独立法人(略称「EVA」)」であり,地方の研究資金配分機関である注29)。また,ブラジルでは2010年に,「第1回研究公正・科学・出版倫理ブラジル会議(I BRISPE)」39)が開催され,研究公正の議論が始まりつつある。地方レベルでは先駆的な取り組みも報告されている注30),40)。
さらに,例えば,ペルーでは米国衛生研究所(NIH)の研究資金を受け取るために,国レベルの研究公正監督機能がなくても,大学レベルでの自主管理システムが整備されているとの報告がある41)。このように国際共同研究等による研究資金の越境移動は,相手国の研究機関にも研究資金配分国の水準での研究公正を要求することで,研究機関レベルの自主管理システムの構築を促進する効果があるものと考えられる。
本報では,HALの分類にしたがって,各分類ごとの特徴や,特徴的な国家研究公正システムについて,比較・分析を行った。HALの分類は,研究公正当局の法的権限に着目したもので,各タイプによって,研究公正当局の性格やアプローチに違いがある。しかし,HALの分類は,タイプ2やタイプ3の多様なシステムの違いを説明するには十分とはいえず,同じタイプに属する国でも,研究公正当局の設置形態や機能に多様性があり,国家研究公正システムが導入された背景も,各国ごとに特徴がある。また,研究公正当局の存在しないタイプ3の国でも,例えばフランスのように,国情を踏まえた独自の国家研究公正システムを発展させている。
国家研究公正システムの目的は,効率的かつ効果的に研究不正の発生を予防し,低減することにある。したがって,諸外国のいかなる国家研究公正システムを参考にするにせよ,現実的に機能する国情に適合した国家研究公正システムを構築する必要がある。このような国家研究公正システムの適合性を考えるうえで,今回の調査からいくつかのポイントを整理してみたい。
研究公正を取り巻く環境や研究風土は,国家研究公正システムの適合性を考えるうえで重要な要素である。加えて,国家研究公正システム(NRIS)と国家イノベーションシステム(NIS)は,いわば車の両輪に相当し,研究資金の配分構造や,研究開発における民間の役割など,国家イノベーションシステムの特徴は,国家研究公正システムの適合性に影響を与える要因である。また,研究公正促進機能が研究公正当局に集約されたシステムを考えるのか,複数の機関に分散されたシステムを考えるのかは,国家研究公正システムの適合性を検討するうえでの重要な要素である。さらに,研究公正政策としていかなる機能を重視するのか,例えば調査機能や助言機能のほか,上訴機能やレビュー機能など,各国のシステムにみられるような,研究機関の調査の公正性を保証する機能も視野に入れるのか否かによって,国家研究公正システムの特徴も変わってくる。
国家研究公正システムの検討に当たっては,まず自国の特徴(他国との違い)を明確に認識する必要がある。そのためには各国との比較研究や研究公正に関する実証的な調査研究を通じて,研究不正の実態や特徴を把握するとともに,国家研究公正システムに必要な機能や重点的に講じるべき対策を,実態に即して検討していくことが重要である。わが国の研究不正の特徴に関する俯瞰的な分析についてはすでに報告したところであるが42),43),続報においては各国の研究不正の特徴なども踏まえつつ,国家研究公正システムについて全体的な考察を行うこととしたい。