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産業日本語の取り組み 特許ライティングマニュアルを中心に
松田 成正
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2014 年 57 巻 6 号 p. 387-394

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著者抄録

企業活動の急速なグローバル化や環境変化により,正確かつ円滑な情報発信力が強く求められる時代背景のもとで,一般財団法人日本特許情報機構は関係機関や各界専門家の協力を得ながら「産業日本語」の研究と普及を進めてきた。「産業日本語」は,「産業・技術情報を人に理解しやすく,かつ,コンピュータ(機械)にも処理しやすく表現するための日本語」と定義されている。本稿では,特許明細書作成の実務をガイドし,コンピューターによる特許ライティング支援機能を実現するための基礎情報となる「特許ライティングマニュアル」を中心に,「産業日本語」の取り組みを紹介する。

1. はじめに:産業日本語とは

近年の企業活動の急速なグローバル化や環境変化によって,正確かつ円滑な情報発信力が強く求められている。この時代背景のもとで「産業日本語」の研究と普及が進められてきた。

「産業日本語」とは,一般財団法人日本特許情報機構(以下,Japio)がそのコンセプトを作りあげた造語である。「産業・技術情報を人に理解しやすく,かつ,コンピュータ(機械)にも処理しやすく表現するための日本語」と定義している。

今回,産業日本語の取り組みについて,Japioでの経験に基づき,私見を交えながら紹介する。なお,本稿での見解は,Japioの産業日本語活動の今後の方針や,著者の所属機関の見解を示したものではないことに留意願いたい。

2. 特許分野における産業日本語の取り組み

日本から海外への特許出願は,2012年は約20万件と,この10年間で約2倍に増えており,過去最高の水準となっている。特に,国際条約の枠組みを活用したPCT(Patent Cooperation Treaty,特許協力条約)に基づく2013年の国際特許出願の日本からの出願件数は,米国についで世界第2位となっている1)。このように特許分野においても急速なグローバル化が進んでおり,特許文書の日本語原文に対して,翻訳やグローバルな活用場面を想定した高い品質が求められている。

一方で,特許文書は,権利範囲を示すものであることから,専門用語に加え,長い文,特有の言い回し,一般化された抽象表現等が含まれ,人にわかりにくいだけではなく,機械翻訳などのコンピューターにとっても処理し難いものとなっている場合がある。結果として,第三者による発明の理解を妨げ,翻訳コストの増加や審査等における中間手続きの増加につながったり,権利行使の際にも権利範囲の解釈が変わるなど,その弊害は大きい。

これらのニーズや課題に対し,コンピューターによる高度な文書処理技術だけで応えるには限界がある。そこで,特許明細書そのものの改善,すなわち,明細書を記述する日本語の改善からのアプローチが必要との考えに立ち,2007年度からJapioは,知的財産,特許翻訳,情報工学,言語処理等の専門家の協力を得て,「産業日本語」のうち,特許情報への応用をターゲットにしたものを「特許版・産業日本語」と呼び,その活動を進めている。その中で,明瞭な日本語文の作成と高品質な翻訳文の低コスト作成を目標として,ライティングマニュアル作成など,さまざまな取り組みを行っている2)6)

3. 特許ライティングマニュアル

(1) 特許ライティングマニュアル

「特許ライティングマニュアル」とは,明晰(めいせき)な特許文章を書き,論理的に明確な特許文書を作成するためのマニュアルである。特許ライティングを支援するシステムを開発する際の基礎情報にもなるもので,特許版・産業日本語の代表的な取り組みテーマの1つである。

特許版・産業日本語活動では,文章と文書を区別して扱っており,マニュアルは「特許文章ライティング」の用途と「特許文書ライティング」の用途の2種に大別されている。前者は,情報・思想・感情の要素的断片を表現する言語表現としてのまとまりであり,後者は,体系立った情報・思想・感情を表現するコンテンツとしてのまとまりである。

2013年6月に,特許版・産業日本語の活動成果として,「特許文章ライティング」に関するマニュアルの初版を発行したので以下に紹介する。

(2) マニュアル作成の試み

特許版・産業日本語委員会の活動において,「特許文章ライティング」のマニュアル作成は早い段階から試みられてきた。

マニュアル作成には,特許文献をサンプルとした数百の特許文章を用いた。具体的には,「文章としての明晰性」と「翻訳の容易性」の2つの観点から分析・言い換え作業を行って,特許文章の「言い換え」結果を,特許翻訳専門家が英訳して,自然な英文となるかどうか,その妥当性を検証し,採用すべき「言い換え」事例を抽出した。

次に,特許文章の「言い換え」結果を入力源として機械翻訳処理を実施し,その結果を翻訳者の手による英文と対比することで,翻訳原稿和文が機械翻訳にどの程度適合しているかの確認も行った。

最後に,人がより理解しやすく,翻訳の際にも訳質が向上すると特許版・産業日本語委員会の専門家が判断したものを汎用化し,「言い換え」規則として抽出した。

規則の抽出の際には,技術的な内容に立ち入らない表層的な範囲を対象としたので,ここでの規則は,文法や形態からの視点で対象文を改善するものが中心である。

(3) 「特許ライティングマニュアル(初版)」

これまでの特許版・産業日本語委員会の活動において抽出された「言い換え」規則をルールとして取りまとめ,「特許ライティングマニュアル(初版)」(2013(平成25)年6月)として,Japio特許情報研究所から発行した(12)。

このマニュアルは,人による特許明細書作成の実務をガイドし,コンピューターによる特許ライティング支援機能の基礎情報とすることを目的とするもので,特許版・産業日本語活動やマニュアルの重要性を一般に広く知っていただくために,できるかぎり親しみやすく平易な内容としている。

また,2013年8月からは,一般の方に広く利用していただけるように,「特許版・産業日本語」のWebサイトから電子(PDF)版を無料でダウンロードできるサービスを開始している7)。特許明細書作成や翻訳に携わる方だけでなく各方面から多くの関心が寄せられ,すでに400件以上のダウンロード申請があり,小冊子も合わせると「特許ライティングマニュアル(初版)」は1,000部以上が一般に普及している。特許版・産業日本語活動の次の展開に向けたきっかけとなり,マニュアル改善等へ向けた検討が進んでいくものと期待している。

図1 「特許ライティングマニュアル(初版)」 Japio特許情報研究所(2013年6月) 表紙
図2 「特許ライティングマニュアル(初版)」 内容

4. 「特許ライティングマニュアル(初版)」の内容

ここで,本マニュアルの内容の一部をご紹介する。

特許明細書作成の際に人がより理解しやすく,翻訳の際にも訳質が向上するものとして,前述のプロセスにより抽出された「言い換え」規則は,カテゴリー分けされ,31のルールが定められている。

マニュアルは手元に置いて使われることを念頭に,31のルールをさらにA~Hの8つのカテゴリーに大別し,親しみやすい見出しを付けている。

(1) 8つのカテゴリー

(2) 31のルール

1に,抽出した「言い換え」規則に基づいた31のルールを示す。

表1 31のルール
A.長文「分かりにくい」を避ける。~文は短く!~
ルール第A条の1:長文の複文を連文(複数の短文)にし,各文の因果関係が明確になるよう言い換える。
ルール第A条の2:長文で列挙される要素について,その説明を後続の文で行うよう言い換える。
ルール第A条の3:独立した複数事象の複文を連文(複数の短文)に言い換える。
ルール第A条の4:複雑な条件設定表現を分割し,連文(複数の短文)に言い換える。
B.不整列「雑然とした並び」を避ける。~適切な順番に!~
ルール第B条の1:主題成分を先頭に配置し明示する構文に言い換える。
ルール第B条の2:修飾要素を被修飾要素の近くに置く表現に言い換える。
ルール第B条の3:例示成分の配置を調整し,目的語と述語とが近くになるように言い換える。
ルール第B条の4:主格(主語)成分を簡潔にするため,連体修飾節を連用節に言い換える。
C.省略「落とし穴」を避ける。~省略せず明示!~
ルール第C条の1:省略された主語を明示する表現に言い換える。
ルール第C条の2:省略された目的語を明示するように言い換える。
ルール第C条の3:省略しすぎた表現を適正表現に言い換える。
ルール第C条の4:一般的過ぎる用語を具体的な用語に言い換える。
ルール第C条の5:指示語をそれが具体的に指すものに言い換える。
D.多義「どの意味なの?」を避ける。~一意にとれる表現に!~
ルール第D条の1:格助詞「の」の多義性を解消するために,その意味を明示する表現に言い換える。
ルール第D条の2:格助詞「で」の多義性を解消するために,その意味を明示する表現に言い換える。
ルール第D条の3:格助詞「の」「で」の多義性を解消するために,その意味を明示する表現に言い換える。
E.非論理的「信号がない」を避ける。~読点による成分の明示!~
ルール第E条の1:主題成分を明示するために,読点で区切る表現に言い換える。
ルール第E条の2:条件節(連用節)を明示するために,読点で区切る表現に言い換える。
ルール第E条の3:長い修飾成分を明示するために,読点で区切る表現に言い換える。
ルール第E条の4:修飾成分が隣接する名詞と異なる名詞を修飾する場合は,読点で区切る表現に言い換える。
ルール第E条の5:文修飾の副詞を明示するために,読点で区切る表現に言い換える。
ルール第E条の6:複文表現において各要素の因果関係が明確になるよう言い換える。
ルール第E条の7:一般的過ぎる動詞の使用を避ける表現に言い換える。
F.非均質並立表現「ばらつき」を避ける。~表現揃え!~
ルール第F条の1:並立表現の並立要素が同じ表現になるように整える。[~語レベルの表現揃え!~]
ルール第F条の2:並立表現の並立要素が同じ表現になるように整える。[~文レベルの表現揃え!~]
G.冗長「蛇行しすぎ」を避ける。~簡潔な表現で!~
ルール第G条の1:冗長な表現を簡潔な表現に言い換える。
ルール第G条の2:語調を整える表現を削除し,冗長表現を適正な表現に言い換える。
ルール第G条の3:過剰な補助動詞を削除するよう言い換える。
ルール第G条の4:重複する表現要素を整理し適正な表現に言い換える。
H.難解「??」を避ける。~平易な表現で!~
ルール第H条の1:難解表現を平易表現に言い換える。
ルール第H条の2:通常表現に言い換える。

(3) 改善例と構造比較

各ルールにおける言い換え事例を「改善例」として掲載し,その文の「構造比較」を補足している。以下のサンプル1~4は,その中から4例を示したものである。

(サンプル1) 長文「分かりにくい」を避ける。~文は短く!~

(サンプル2) 不整列「雑然とした並び」を避ける。~適切な順番に!~

(サンプル3) 冗長「蛇行しすぎ」を避ける。~簡潔な表現で!~

(サンプル4) 難解「??」を避ける。~平易な表現で!~

以上,特許明細書作成の実務にかかわる利用者にとって適用例がわかりやすいように工夫したものである。

5. 特許版・産業日本語の取り組み

ここで,前述のマニュアル作成とは別の特許版・産業日本語委員会の新しい取り組みテーマを2つ紹介する。

(1) 特許ライティング支援システム

1つ目は,特許版・産業日本語委員会で2012年度から2013年度にかけて実施した「特許ライティング支援システム」への取り組みである。

この取り組みでは,特許明細書作成や解析を支援するシステムについて,3社(有限会社アイ・アール・ディー,東芝ソリューション株式会社,株式会社インテック)の協力を得て,特許明細書の作成,閲覧,評価を支援する3つの代表的なシステムを実際に利用した。特許ライティングの実務現場における活用例や有効性等を検証し,支援システム全体の普及を目指す試みである。

2012年度の委員会活動は,弁理士と特許技術者の専門家を評価者とし,上記3つのシステムの活用シナリオや有効性等を評価,検討した。結果は,評価者の取り扱う技術分野の違い,クライアントの特異性,評価者の経験年数レベル等によって,有用と評価するシステム,機能に違いがみられたものの,評価者全員が,このような情報技術による特許ライティング支援を必要としており,総論としては「有効」であるとの評価であった。

2年目となる2013年度の活動は,検証用の仮想特許明細書を用意して,2012年度に評価した各支援システムの活用プロセスの可視化に取り組んだ。

具体的には,3に示したように,ユースケース中で具体的な入出力を示すことにより,活用プロセスの可視化を図った。

この取り組みは,支援システムの活用例や有効性を具体的に発信することで,実務者に特許ライティング支援システムを身近に感じていただくことを期待したものである。

詳細は,特許版・産業日本語委員会報告書を参照されたい8)9)

図3 活用プロセスイメージ

(2) 法的観点でのルール化検討

2つ目は,特許版・産業日本語委員会で2013年度から開始した法的観点でのルール化検討の取り組みである。

特許明細書が明晰であるためには,「言語的観点」,特許法の記載要件などの「法的観点」,発明の技術分野に応じた「技術的観点」の3つの観点において明晰であることが必要と考えられる。

一方で,これまでの特許版・産業日本語委員会においては,言語的観点からのルール化を中心とした検討が進められてきた。そこで,2013年度から,これまでの言語的観点の検討に加え,法的観点での検討に着手した。具体的には,特許庁の「特許・実用新案審査基準」等を用いて,特許法第36条(明細書及び特許請求の範囲の記載要件等)違反のルール化の可能性についての検討から始めている。2014年度は,具体的事例を用いた分析を開始する予定である。

以上,特許版・産業日本語委員会の新しい取り組みを簡単に紹介した。

6. 産業日本語の取り組み:産業日本語研究会・シンポジウム

最後に,特許版・産業日本語を中心とする産業日本語の取り組みや成果発表の場を紹介する。

産業日本語の研究・活動成果を一般向けに発表し,情報交換する場としての「産業日本語研究会・シンポジウム」が,高度言語情報融合フォーラム(ALAGIN),言語処理学会,Japioの共催により開催されている。

同シンポジウムは,わが国における産業界全体の国際競争力の強化に資するような,新しい日本語の枠組みのあり方について総合的な議論を行うことを目的として,2009年度から一般向けに無料で毎年開催しているものである。

以下に,これまでの開催実績を紹介する。

  • 第1回(2009年度)
  • ~「産業日本語研究会」の発足~

日本語テクニカルライティングや日本語テクニカルコミュニケーション,日本語処理技術など,さまざまな分野における理解しやすい日本語の使用に関する取り組みの紹介,そして「産業日本語」のあり方についての議論がなされた。その研究・開発・普及活動を先導する場としての「産業日本語研究会」の発足が提案された。

  • 第2回(2010年度)
  • ~プラットフォームの確立と普及の重要性~

インフラ技術輸出,国際標準獲得,知的財産活用について,産業界や行政府,日本語や言語処理関係,プラットフォーム技術開発のキーとなるメーカーなど各界の最前線で活躍されている方に,「強い経済」実現と「元気な日本」復活に対する障壁となっている言語の問題に関して,経験,課題,そして解決の方策について講演していただいた。産業日本語とプラットフォームの確立と普及が,知的財産の積極的な取得・保護といった国策や企業の海外展開を支える基盤として,重要であることが浮き彫りになった。

  • 第3回(2011年度)
  • ~活動の具体化,関連技術デモ展示~

時代背景に基づく産業日本語への要請も意識し,産業日本語活動の報告とともに,活動の具体化に向けて,プラットフォーム等の関連技術デモ展示を行い,活動の広がりと次のステップへ向けた可能性を参加者が感じとることができる場を提供した。

  • 第4回(2012年度)
  • ~日本語文書にかかわりをもつ他分野の取り組み~

文書を客観的にわかりやすくするための他分野での取り組み,たとえば,テクニカルコミュニケーションやシステム・ソフトウェア開発文書ライティング等の各種取り組みの紹介が行われた。執筆・利用・翻訳など,各界で日本語文書にかかわりをもつ方々が一堂に会し,産業日本語活動の新しい展開のきっかけとなる場を提供した。

  • 第5回(2013年度)
  • ~多様な視点の共有~

5回目という節目の開催を迎えた本シンポジウム(4)では,日本語文書を客観的にわかりやすくするためのライティング等にかかる取り組みの紹介の場として,特許,法令工学,翻訳,テクニカルコミュニケーション,システム開発などの分野における主要機関・団体の活動をご紹介いただき,多様な視点を共有することができた。そして,産業日本語活動においても,次のステップにつながる場を提供した10)

以上のとおり,産業日本語研究会・シンポジウムは,時代背景や環境変化を踏まえたテーマ設定を行うとともに,このシンポジウムを通じて,産業日本語の取り組みを発信することにより,その普及を進めてきた。今後も,産業日本語の取り組みの進展と本シンポジウムでの発信を期待したい。

図4 第5回産業日本語研究会・シンポジウム(2014年2月)

7. おわりに

産業技術の高度化,融合化や,欧米のみならず新興国を含む企業活動のグローバル化が急速に進む中で,知的生産性の向上,翻訳における品質と効率の向上の観点からみても,「産業日本語」の役割は,今後,ますます重要になるものと考えている。関係の皆さまのご支援・ご協力を賜りながら,この産業日本語の取り組みが,今後,さらに深化,発展し,わが国における産業界全体の国際競争力強化に資するものとなることを祈念している。

参考資料

  1. a)   松田成正. 特許版・産業日本語. Japio YEAR BOOK 2013, p. 326-329.

参考文献
 
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