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健康ビッグデータ解析による健康寿命延伸と幸福度向上を目指して:疾患予兆発見と予防法開発に向けた弘前大学COI拠点の挑戦
村下 公一
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2016 年 58 巻 10 号 p. 728-736

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著者抄録

弘前大学は,政府COI(センター・オブ・イノベーション)拠点の一角を担っている。日本が超高齢社会を迎え,医療費増大が社会的問題となる中,「寿命革命」を旗印に,「リスクコンサーン型医療」へと転換して健康長寿社会の実現に取り組んでいる。弘前大学COI拠点の最大の特徴は,地域住民との厚い信頼関係に基づき,10年以上に及ぶコホート研究(岩木健康増進プロジェクト)によって集積された膨大な超多項目健康ビッグデータ(約600項目)の存在である。現在,この健康ビッグデータを基盤に,GEヘルスケア・ジャパンをコアに,イオンや花王,ライオンなど30以上に及ぶ強力な産学官連携チームによって,認知症などの疾患予兆発見と予防法開発にチャレンジしている。また,本ビッグデータは住民の健診情報が基盤となることから,個人情報保護法改正やマイナンバー導入を見据えた慎重な対応を進めている。

1. 弘前大学COI拠点の概要

弘前大学は,政府COI(革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM))拠点の一角を担い,真の社会イノベーションを実現する「革新的『健やか力』創造拠点」と銘打ち,健康ビッグデータを用いた疾患予兆法の開発,予兆因子に基づいた予防法の開発,および認知症サポートシステムの開発に取り組んでいる。

COI注1)とは,文部科学省が平成25(2013)年度に開始したバックキャスティング型の研究開発支援プロジェクトであり,現在潜在している将来社会のニーズから導き出される10年後のあるべき社会の姿,暮らしの在り方(ビジョン)の実現に向けた革新的な研究開発課題を,既存分野・組織の壁を取り払い,産学官連携で基礎研究段階から社会実用化を目指す事業である。企業や大学単独では実現できない革新的なイノベーションを産学連携で実現するとともに,革新的なイノベーションを創出するイノベーションプラットフォームを整備することを目的とする。

日本は,超高齢社会を迎え「医療費の削減」「高齢者の健康増進」「QOLの向上」「高齢者の健康寿命延伸」が目下の社会的課題である。中でも青森県は,平均寿命都道府県ランキングによれば,男性は昭和60(1985)年調査から,女性は平成12(2000)年調査から最下位を独走しており,最新(平成22(2010)年)のランキング注2)では男女とも全国最下位(平均寿命が最短)である。ランキングトップは長野県で,長野県と青森県の平均寿命の差は男性で3.60歳,女性で1.84歳と大きな格差がある。青森県は日本一の短命県からの脱出を図るため,県下の産官学民が強く連携して短命対策・健康づくり活動を行う必要があった。それが産学官連携で基礎研究段階から社会実用化を目指すというCOIの目的と合致し,弘前大学COIは「寿命革命」を旗印に掲げ,短命対策・健康づくり活動の拠点となったのである(1)。

体制面では,弘前大学COIプロジェクト全体の責任者をマルマンコンピュータサービス常務の工藤寿彦氏,研究統括(リサーチリーダー)を弘前大学大学院医学研究科長・医学部長の中路重之が担い,産業界からは,健康ビッグデータ解析の中心を担うGEヘルスケア・ジャパンや,花王,ライオン,イオン,NTT東日本など,有力企業が軒並み参画し,その数は全体で30以上にも及ぶ。現在は,認知症発症後の意思決定サポートを目指す京都府立医科大学や,世界的コホートの久山町研究を率いる九州大学医学部もサテライト拠点として加わり,より多様で充実した推進体制を構築している(2)。

図1 弘前大学COI拠点の目指す将来ビジョン
図2 弘前大学COI拠点戦略の全体概要

2. 岩木健康増進プロジェクトの展開

青森県が都道府県別の平均寿命ランキングでワースト1位という汚名を返上すべく,弘前大学では,青森県(弘前市岩木地区,人口約1万人)の住民の方々の協力を得て,毎年健康調査(大規模住民合同健診)を実施している。この「岩木健康増進プロジェクト」は,岩木地区住民に対する健康啓発活動を目的に平成17(2005)年に開始し,住民の方々の信頼を得て,本年度で11年目になるコホート研究(特定の地域や集団の人々を対象に,生活習慣や生活環境などの条件と,疾病や健康状態との関係を長期間にわたって調査する研究)である。毎年の参加者は約1,000名。このほかに,同地区の小中学生(小学校5年生以上の各学年)の調査も行っており,その参加者は約500名である(3)。これまでに延べ約1.1万人(小中学校調査を含むと約2万人)分の,頭のてっぺんから足の先までを網羅的にカバーする多種多様な検査項目のデータが収集されている。

現代病はきわめて多因子によることから,健康度に関連因子が及ぼす影響の研究が急ぎ必要とされている。弘前大学COIは,当初のタイトル「脳科学研究とビッグデータ解析との融合による画期的な疾患予兆発見の仕組み構築と予防法の開発」を,2年目からは「認知症・生活習慣病とビッグデータ解析の融合による画期的な疾患予兆発見の仕組み構築と予防法の開発」へと変更した。「短命県返上」のためには,青森県の全死因の3/4を占める生活習慣病を対象とするのが妥当であると考えたためである。

岩木健康増進プロジェクトでは,最終目標を青森県の短命県返上としているため,全疾病,全死因,全般的健康度が研究のアウトプットになっている。中でも,認知症と生活習慣病がその中心となっているため網羅的な調査を行っており,今注目の認知症に関連したさまざまなデータ,歯科口腔関係,体力・運動能力,メタボ・ロコモ関連の項目も含まれている。また,一般的血液生化学項目から,その対象者の生き様や存在価値(presence, identity)まで視野に入れた社会学的項目も測定している(4)。さらに,手間と費用的な側面から測定が難しく,他のコホート研究では測定項目としていない項目もある。具体的には,ゲノム解析,腸内細菌叢(そう),口腔内環境(細菌叢も含む),好中球活性酸素種産生能,アミノ酸分析,脂肪酸分析,呼気ガス成分測定(一酸化窒素,一酸化炭素,メタン,水素),12種類の血清微量元素濃度,各種血清サイトカイン・ビタミン・ホルモン濃度などである。すべてを合わせると約600項目にも及ぶ(5)。

こうして長年にわたり「岩木健康増進プロジェクト」で収集した住民の膨大な健康情報は,弘前大学社会医学講座に集積され,貴重な健康ビッグデータとして厳重に保管・活用されている。

図3 岩木健康増進プロジェクト・大規模健診の様子
図4 健康ビッグデータの全体像1(1人から得る網羅的データ)
図5 健康ビッグデータの全体像2(600にわたる項目)

3. 健康ビッグデータの解析

この健康ビッグデータを多因子的解析で網羅的に解析することで,認知症・生活習慣病など加齢性疾患の早期発見を可能にする予兆式(例:認知症予兆アルゴリズム)を確立し,それを基に予防方法の開発を行っているのが,COIの社会実装(短命県返上活動)である。COIは研究の成果を社会実装(事業化)することで,短命県返上のための社会変容とヒトの行動変容につなげる社会イノベーションの取り組みである。社会変容には企業を巻き込んだ経済活動の活性化が不可欠となる(2)。

COI採択以来,弘前大学ではイノベーションプラットフォームを整備し,企業の経済活動の活性化(イノベーション)を促進してきた。現在,弘前大学COIにはGEヘルスケア・ジャパンをはじめとするグローバル企業から,地元のローカル企業までさまざまな業種の多くの企業が本研究に参画し,共同研究を進めているが,そのほとんどが岩木健康増進プロジェクトの健康ビッグデータの活用を意図する。

弘前大学の保有する健康ビッグデータの最大の特徴は,数,質,種類において世界に類例のないピュアで多因子なビッグデータということである。弘前大学の健康ビッグデータのように多岐にわたるデータは,病気の予兆式や新たな診断法の開発,他のコホート研究との連携などで高いポテンシャルを秘めた素材であるといえる。すなわち,横断的ではあるが,結果が迅速に得られることと,他の研究フィールドにはない測定項目が多くあるという魅力が弘前大学の健康ビッグデータにはある。研究者の視点で考えれば,ただ単に1,000名分の腸内細菌の状態を把握することと,この腸内細菌データを他の600項目との関連性をも比較検討できることとの違い・価値は明白なのである。

4. 健康ビッグデータ解析から見えてきた,MCI(軽度認知障害)リスク因子の相関

健康ビッグデータを解析してみると,「baPWV(動脈硬化指数)」と「MCI(軽度認知障害)」に特徴を見いだせた。

baPWVは,心臓から身体各部への脈波の伝達速度であり,動脈の硬化度を評価できる。このため,健常者の各年齢の平均値と比較することで,baPWVから血管年齢を算出できる。年齢との関係をみると60歳あたりから関連が変わり,ライフスタイルの影響が60歳前後から表れると推定できる。

MCIとは,認知症の前段階といわれる軽度認知障害をいう。認知機能に問題が生じてはいるが,日常生活には支障がない状態であり,この段階で認知機能の低下にいち早く気づき,認知症の予防対策を行うことが症状の進行阻止に有効である。MCIはMMSE(認知機能検査)やWMS-R(記憶検査)でスクリーニングする。年齢とMMSEスコアの相関を調べたところ,60歳あたりからMMSEスコアの急激な低下がみられることがわかった。MMSEのリスク因子については,乳製品や酸化ストレス,腸内細菌などの多因子が要因となっていることを示唆するデータが解析により得られた。

認知症予兆アルゴリズムの解析では,収縮期血圧や睡眠の質,食生活(BDHQ:簡易型自記式食事歴法質問票)などとの相関も明らかになっており,興味深く,さらなる解析を進めている最中である。

5. データ利用に関する住民の同意

参画企業が,COIプロジェクトにおいて弘前大学というアンダーワンルーフ(ひとつ屋根の下)で連携し,この健康ビッグデータを活用するにあたっては,データ利用に関して住民の理解(同意)を得るという大きな課題があった。岩木健康増進プロジェクトは,対象者である地域住民の方々との長年にわたる厚い信頼関係があってこそ成り立つ。そのため,住民の同意の取得には細心の注意を払い,信頼に応えられるような適正な研究利用が行われるよう,個人情報保護法や人を対象とする医学系研究に関する倫理指針を満たすデータ取り扱い体制を厳重に整備し,対応している。大学は個人情報保護法の適用除外(個人情報保護法50条1項3号)であるが,法の基本理念を尊重して個人情報の保護に自主的に取り組むことが望ましいとされているため,これを満たすことは当然と考えている。

そこで,岩木健康増進プロジェクトでは,調査開始当初の平成17(2005)年から研究対象者への説明と同意(インフォームド・コンセント)を同意書により取得している。2005年から2013年は研究対象者へ事前に説明文書を郵送し,健診日当日に書面での同意取得を行っている。そして,弘前大学COIプロジェクトを正式に開始した2014年からは事前に説明文書を郵送し,当日に,医学的な専門知識を有する本学スタッフ(教員中心)が,わかりやすい絵なども用いながら,口頭で丁寧な説明をしたうえで,同意取得(書面)を行い,より研究対象者の理解の促進に努めてきた。

6. 個人情報保護法改正への対応

このたびの個人情報保護法改正(2015年)にも注意を払っている。法改正により,本人の同意を得ない個人データの第三者への提供は厳格化され,あらかじめ個人情報保護委員会に届け出たうえで,本人に変更の可能性を通知するか,もしくは誰もが確認できる状態で公開しなければならなくなる。COI参画企業へのデータ提供を含めた円滑な研究利用のためには,今後,研究対象者への説明と同意(インフォームド・コンセント)の重要性が一層増すものと予想される。適正な研究利用を可能とする同意取得のために,事前に住民への説明を十分に行い,また,事後のケアにもこれまで以上に配慮する必要があると認識している。

また,同改正によって,個人情報に匿名化の加工処理をしたもの(「匿名加工情報」)を,本人の同意なしに第三者へ提供することが認められるようにもなる。しかしながら,依然としてセンシティブ情報(「要配慮個人情報」)については,匿名加工したとしても第三者提供はできないとされている(改正法23条2項)。「要配慮個人情報」とは,本人の人種,信条,社会的身分,病歴,犯罪被害を受けた事実および前科・前歴などを指すため,岩木健康増進プロジェクトにおいて自己申告で収集している個人の既往歴がこの「病歴」に該当する可能性もあり,取得情報のより慎重な扱いが求められるものと考えている。

7. マイナンバー導入の弘前大学COIへの影響と対応

一方で,2016年からの特定個人情報(マイナンバーを含む個人情報)の利用開始に伴い,医療等分野における利用範囲が拡充され,健康保険組合等が行う被保険者の特定健康診査情報の管理等にマイナンバーを利用することが可能になる。これにより過去の健診情報等の管理を効率的に行うことが可能となり,保健関連事業者にとってだけでなく,個人の健康増進にも効果的な影響があるものと期待している。

たとえば,弘前大学COIでは,地元企業であるマルマンコンピュータサービス株式会社が手掛ける健康増進のためのアプリケーションソフト「健康物語」における健診情報の利用が想定できる。「健康物語」は,企業や団体,地域の健康管理業務の効率化と健康増進による生産性向上,個人の健康づくりを実現するために開発されたツールである。特に「健康教育」を主眼としている点が従来の一般的なソフトと大きく異なるポイントでもあり,食事や運動の指導,「体によい(=健康度向上)生活習慣」を無理なく実行できるような画期的なプログラムを搭載している。将来的には,健康ビッグデータを解析して得られた生活習慣病や認知症の予兆発見のアルゴリズムや,予兆に基づいた科学的な予防法を組み込む予定である。その予防法を導出する際に必要となる利用者の健康状態を把握する指標としても,健診情報は基礎的な情報になる。

8. 今後の展望:目指すべき姿

弘前大学COI拠点では,このような画期的なツールを開発・利用することによって,個々人が「健康増進」し,「QOLの向上」をさせることで社会変容を促し,また行動変容の促進を図ることで予兆法および予防法と一体化したビジネスモデルの確立を目指している。この青森県発健康増進モデルをベースに,将来は国内,さらには広くアジアをはじめとする海外展開を視野に入れた,高齢社会における新しい社会基盤のパッケージ(サービスモデル)を創造することが最終目標(ゴール)である(6)。

すなわち,弘前大学COIでは,医療を予防の視点でとらえ直し,罹患してからの治療中心であったこれまでの手法から一歩を踏み出した,罹患を予防することに焦点を当てたリスクコンサーン型の予防医療を,医療関係者を含む産学官が一体となって推進することにより,「医療費の削減」を実現し,健康ビッグデータを活用した健康管理と健康増進によって,日本一短命な青森の地から「寿命革命」を起こそうとしている。「寿命革命」により,高齢者がいきいきと健やかに暮らせるような健康長寿社会の実現,それこそが弘前大学COIの目指す10年後の豊かな未来社会像なのである。

図6 イノベーション達成へのロードマップ

執筆者略歴

  • 村下 公一(むらした こういち)

弘前大学 副理事(研究担当)・教授/同研究・イノベーション推進機構・副機構長/同COI研究推進機構・機構長補佐(戦略統括)。青森県庁,SONY(マーケティング部門),東京大学フェロー等を経て2014年2月より現職。GEヘルスケア・ジャパンとコラボする青森県のライフイノベーション戦略を主導。現在,弘前大学COI拠点の戦略統括として,産学官のコラボによる青森県の「短命県返上」と,「健やかに老いる」健康長寿社会の実現に向けてまい進中。

本文の注
注1)  COIプログラム。3つのビジョン「ビジョン1:少子高齢化先進国としての持続性確保」,「ビジョン2:豊かな生活環境の構築(繁栄し,尊敬される国へ)」,「ビジョン3:活気ある持続可能な社会の構築」を考慮し,18の研究開発拠点を採択した。弘前大学はビジョン1に該当する。http://www.jst.go.jp/coi/outline/outline.html

注2)  厚生労働省. 平成22年都道府県別生命表の概況: http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk10/index.html

 
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