2016 年 58 巻 10 号 p. 782-786
「でたらめ」な書棚の図書館が注目と批判を浴びている1)。カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)を指定管理者とする海老名市立図書館(神奈川県,2015年10月リニューアルオープン)は,図書の選書や配置がでたらめだと,議会やソーシャルメディアなどで盛んに批判を受けた。
CCCは,音楽・映像・文具などを書籍・雑誌とともに扱う蔦屋書店や,CD・DVDなどのレンタルチェーンのTSUTAYAを経営する。同社が指定管理者となり,2013年に全面改装オープンとなった佐賀県の武雄市図書館も,さまざまな批判にさらされてきた注1)。これらの図書館は,揶揄(やゆ)を込めて「TSUTAYA図書館」と呼ばれることもある。
2つの図書館にはどのような問題があるのか。
まず,図書の選書・廃棄基準が不明である。海老名市立図書館の開館前,購入図書に若者向けのタトゥーファッションのシリーズがあることがわかった。議会で指摘された同市の教育長は見直しを約したものの,開館後,Twitterユーザーが同図書館を訪ねると,書棚にタイの買春ガイドが並んでいたという1)。
武雄市図書館では,市場で売れ残ったとしか思えない古いラーメン店のガイド(それも埼玉県の)などが大量に購入されていた。一度に乱暴に大量に書籍購入が行われ,蔵書の増加が図られたようにもみえる2)。一方で,全面改装に伴って,郷土資料やその展示施設が失われた。江戸時代,武雄を治めた武雄鍋島家は,蘭学・洋学に力を入れ,西洋砲術や種痘,写真術,蒸気船建造などの西洋の科学技術の輸入・定着に力を入れていた。同図書館には,武雄鍋島家に関連する資料を収蔵・展示する「蘭学館」が併設されていたが,リニューアルに伴って閉鎖された注2)。また,郷土文化誌や佐賀県立図書館に所蔵されていない雑誌も廃棄された注3),3)。
次に,海老名市立図書館は,一般的に図書館で利用されているNDC(日本十進分類法)に従わず,図書の配架がでたらめで,本の分類そのものがちぐはぐである1)。
旧約聖書の『出エジプト記』や『伊勢物語』,『奥の細道』が旅行ガイド,有川浩氏の小説『阪急電車』が「趣味実用/鉄道」と分類された。中国の漢詩やイザベラ・バードの『中国奥地紀行』は,国内旅行の中国・四国の棚に,『カラマーゾフの兄弟』はロシアの旅行書の棚に並ぶ。暗号関連の書籍も語学やホームページ制作に分類され,どの書籍が語学で,どの書籍がホームページ制作なのか,その基準も外部者にはよくわからないものだった1)。
武雄市図書館にしても,海老名市立図書館にしても,CCCの図書館デザイン4)の全体的意図は比較的わかりやすいように思う。以下の分析は報道やソーシャルメディアでの各図書館の描写などから筆者が解釈したものだ。
何よりも,図書館を街づくりの中核に据え,図書館を多くの人々が集まる場所へと変えていくことを意図しているのだろう。そのため,まずは図書館をもともと利用しない人々にアピールすることを目的とする改革が行われたように思われる。図書館をもともと利用しない人々にとっては,書籍や雑誌などは,知的かつ文化的な雰囲気を演出するインテリアのようなもので,モデルハウスの書斎に並ぶ書籍・雑誌と同じなのかもしれない。図書館も知的かつ文化的な雰囲気を醸し出す快適な場所として設計し直される。武雄市図書館では,巨大な背の高い書棚の上の段には,重厚な金の背表紙だけの「ダミー本」が並ぶ。いずれの図書館にもコーヒーショップが併設され,コーヒーの香りが漂う上品な空間が演出される。おしゃれで文化的な雰囲気がある居心地のよい空間をつくり,普段本を読まない人々を集めることを目的としていると,解釈ができる。
ところが,その一方で,図書の保存や検索,閲覧機能には大いに不満が残る結果となり,従来から学習や研究に図書館を利用する人々の強い反感を買ってしまったのが,この一連の騒動の要因の1つであろう。ただ,ことは一部ユーザーの反感だけでは済まされないように思われる。資格を問わず利用できる公共図書館は,地域社会の万人に対して,学習と研究の機会を提供する役割と機能も有してきた。公共図書館がTSUTAYA図書館化することで,この役割と機能が失われるのではないかということが,批判者たちの懸念の中心にあるのだろう。
歴史的にみて,武雄市図書館と海老名市立図書館に対する批判の論点は,どのような意義を有するのだろうか。資料収集と廃棄の問題,分類の問題,図書館の機能について考えよう。
初期近代を専門とする文化史家Peter Burkeによれば,図書館の資料収集と廃棄は,時に大胆かつ乱暴に行われたようである。たとえば,軍事作戦の中で強奪され,蔵書が増やされた例がある。1794年,約40万巻の書物がロシア軍によってワルシャワから持ち出され,サンクトペテルブルクに新設された帝国図書館に持ち去られた。また,規模の大きい公共図書館は規模の小さな図書館を併合することで,図書を大量に増加させてきた。修道院の解散に伴って閉鎖された図書館の書籍・文書が民間に移管された例もある5)。
図書館の破壊は,アレクサンドリア図書館の炎上が有名ではあるが,近代になっても戦争に伴う空爆や火災などが原因で多数起きている5)。しかし,これは廃棄本の問題とは別であろう。
図書館の資料収蔵のための空間は有限であるから,書籍の廃棄や移管は図書館が気を配らなければならない問題である。新刊書の洪水に対応して資料収蔵スペースを空けなければならないとなれば,すでに内容が古くなり役に立たなくなった,もしくは歴史的価値もないと判断された資料は廃棄される。前出のBurkeは,「何世紀ものあいだ一流の図書館が廃棄してきた図書についての研究は,変わりゆく優先事項(プライオリティ)について多くのことを教えてくれるだろう。思想の寿命はその思想を内容としてもつ書籍の『書棚寿命』(shelf-life)を通して研究した方がよいのかもしれない」という5)。
思想の寿命は,百科事典から捨てられる知識からも推測できる。18,19世紀にかけて,自然科学の項目では,科学者がもはや正しくないと考えるようになった項目は脱落していった。たとえば,「錬金術的残留物」という項目は,ブリタニカ百科事典9版(1875~1889年刊行注4))まで残っていた。この時期以降,捨てられる記事は版を重ねるごとに増えていったと,Burkeはいう。この傾向は,最新の思想は常に最良のものであると断定してしまう進歩思想が背景にあるという。1911年版と1974年版のブリタニカ百科事典を比較すると,ラファエロやキケロ,ゲーテ,ルター,プラトンなどの記述が極端に減少しており,キリスト教や古典文化への関心が急速に低下したことがうかがえるという5)。
このように,図書館に乱暴に追加される書籍も,図書館から廃棄される資料も歴史的にみて,なかったわけではない。ただ,Burkeが指摘するように,人文学的知識に関しては,古い版の百科事典を参照した方が役に立つ例があり,必ずしもどんな分野でも新しい知識が常に最良というわけではない。また,Burkeが説明する大量移管によって蔵書が増えた例も,すでに図書館のコレクションとして選書された資料を追加した例である。
選書も廃棄も,専門家・有識者と住民が参加する委員会を設置して,慎重に行うべきというごく当たり前のプロセスが必要ということだろう1)。
次に,図書の分類に関しては,必ずしもNDCに従わなければならないわけではない。図書分類法に関する書籍をみれば,主要な分類法として,デューイ十進分類法(DDC),米国議会図書館分類法(LCC),コロン分類法(CC),国際十進分類法(UDC),NDCが並記されている6)。各図書館が定めた使いやすい分類法に従って,図書・雑誌等を分類し,検索・閲覧の用に供すればよい。
Burkeによれば,1870年代まで図書館はそれぞれの独自の分類体系を用いていた。1876年には,DDCが考案され,1897年にLCCが始まった。このようにして,書物分類の規格化が試みられた5)。
ところが,海老名市立図書館の場合,すでにみたように,分類を行う「箱」が整備されていても,その箱に図書・雑誌などを分けて入れるところで問題が生じている。図書の内容を把握し分類する専門家が参加していないことが重要な問題のように思われる。
もちろん分類を自動化することもできる。たとえば,文献分類では,計量文献学的手法を使って,着目する文献の性質(区分原理)を数量化し,この数量化した性質に従って,文献同士の近さを推測するという方法がある。この方法を図書に応用することも可能かもしれない6)。ただし,完全に自動化できるわけではない。「何を区分原理(変数)とするか,距離をどのように定義するか」6)は,人間が判断しなければならない。ここで,「距離」とは,「文献同士の近さ」を判断するうえで,どのような変数の性質を文献の類似と見なすかということである。ここで,やはり書籍と分類などの専門的知識を持った人間の介在が必要となるだろう。
最後に,公共図書館の機能について考えてみよう。公共図書館は,public libraryの訳語である。public libraryは,公共図書館とも公立図書館とも訳されるが,「公開性」「公費負担」「無料制」の3つを満たすものは公立図書館とされ,有料で公開されるものを含む場合には,公共図書館と訳されるようである7)。
手元の図書館史の教科書をひもとくと,近代的なpublic libraryの創設にあたって重要な意義を有したのは,ボストン公立図書館の設置(1854年)だったとされる注5),7)。
19世紀,米国の多くの住民は読書による教養を身に付けていて,この知的背景によって,公共図書館・公立図書館創設へと向かう社会的基盤が醸成されていたと,図書館史を著した作家のMurrayはいう。19世紀には,文芸雑誌を発行するクラブや,商業団体,企業などが図書館を創設していた。これら会員向けの「協会図書館」は,地域の文化・知的生活を支えるほか,企業・商業団体の労働者の教育と技術向上に寄与した。一方で,この時代,公教育への期待が高まり,外国からの移民や地方住民の教育を高め,国民の識字能力習得と義務教育を願う声が高まっていったとされる8)。
市民向けの会員制図書館としては,言うまでもなく,Benjamin Franklinによるフィラデルフィアの会員制図書館が著名である7)。
ボストン公立図書館の設立にあたって寄与したEdward EverettとGeorge Ticknorは,「公立図書館は公教育制度を完成させるものである」という思想を有していたとされる7)。
このように,現在の常識的な図書館史理解では,公教育を補完し,地域の教育・研究機能を果たすものとして期待され,公立図書館は生まれてきたことがわかる。
現代の公共図書館・公立図書館はどのような役割・機能を期待されているのだろうか。武雄市図書館に好意的な記事は,文化的な雰囲気に溢れた居心地のよい場所という,その魅力的な面を伝える。紙に固定された知識・情報や電子で伝えられる知識・情報だけでなく,人々の交流から知識・情報が生まれる場所として新しい意義を獲得しているという評価がみられる注6),9)。
将来的にインターネット経由で電子書籍を安価に利用できるようになるならば,図書・雑誌などの資料の保存と提供という図書館の役割は重要性が下がるだろう。その結果,図書館の機能の転換が図られなければならないかもしれない。図書館も歴史的に生成してきたものであるから,その時代・社会に適した形へと変容していくことが求められるだろう。
確かに「TSUTAYA図書館」と呼ばれる図書館の在り方はそのまま首肯(しゅこう)できないものの,図書館の今後の在り方と可能性の模索は今後も続けざるをえないのではないか。