2015 年 58 巻 6 号 p. 462-470
前回,「日本の科学と産業が縮みゆく理由(わけ)」と題して,1990年代の「中央研究所の時代の終焉(しゅうえん)」以後,日本がいかに「沈みゆく船」となったか,それに対して米国がいかに新しいイノベーション・モデルを手に入れたか,その仮説メカニズムを述べた1)。
すなわち日本は1990年代後期に「大企業中央研究所モデル」という20世紀型イノベーション・モデルから脱却した後,新しいイノベーション・モデルを見つけられずに漂流して現在に至っている。一方,米国は1990年代初頭に「大企業中央研究所モデル」から脱却した後,「アメリカ合衆国中央研究所モデル」ともいうべき開かれたイノベーション・モデルを見つけだした。それは1982年に端を発する米国版SBIR(Small Business Innovation Research)制度を契機にしている。
米国版SBIR制度とは何か。それは,大学院生やポスドクなど若き無名の研究者をベンチャー起業家に転ずることを企図した国家政策であった。3つの特徴を有しており,第1は,米国連邦政府の外部委託研究費(extramural research budget)の一定割合(2015年度2.9%,2016年度3.0%)をSBIR制度に拠出するように法律で義務付けている点。第2は,3段階の選抜方式で「賞金」(SBIR award)の授与者を決定するという点。第3は,解くべき課題(topic)が各省庁の科学行政官によって極めて具体的に与えられる点。
この制度によって,米国は毎年2,000人に及ぶ無名の科学者をベンチャー起業家に仕立ててきた。こうして米国版SBIR制度から,過去30年間で4万6,000社を超えるハイテク・ベンチャーが生まれ,ついに国家全体に開かれたイノベーション・エコシステムができあがった。
米国版SBIRとは似て非なる日本版SBIR一方,日本は日本版SBIR制度を1999年2月から施行した。しかし結局のところ次の3点において,米国版SBIR制度とは似て非なるものとなった。
第1に政府の外部委託研究予算の一定割合をスモール・ビジネスのために拠出することを義務付けなかった。しかもその実態は,すでに存在する補助金制度に後から「日本版SBIR」のレッテルを貼るにすぎないので,米国のように「賞金」と呼ぶには程遠いものとなった。
第2に,多段階選抜制度を採り入れなかった。もとより大学で生まれた科学知をもって新産業を創り出すという高邁(こうまい)な思想がないので,科学者をイノベーターにするための育成プロセスは存在しなかった。こうして日本版SBIRの被採択者は,ほとんどが既存の中小企業になってしまった。
第3に,解決すべき具体的課題(topic)が与えられなかった。日本には科学行政官制度が存在せず,次世代の産業につながるtopicを構想できないからである。
かくて,この3つの制度設計の違いが,結果として大きな差異を社会にもたらした。どのような差異が社会にもたらされたのか。本稿では,「SBIR制度の日米比較」と題して,それをエビデンス・ベースで分析したい。
分析に先だって,「分野知図」を紹介しておこう。これは,藤田裕二,川口盛之助と山口栄一2)~4)によって開発されたもので,人口に膾炙(かいしゃ)する39学問について,各学問間の距離を測定しプロットしたacademic landscapeである。グーグル・スカラーを母集団として,学問Aと学問Bの相互作用を,学問Aと学問Bを同時に含むような論文数#(A and B)で定義する。
(1)は,もし学問Aと学問Bを同時に含むような論文が存在しなければ1,一方そのような論文数が#(A or B)=#(A)+#(B)-#(A and B)に等しければ0となるから,数学的に,学問Aと学問Bの間の規格化された距離を意味する(Jaccard distance)。このように39学問間の距離を定義して,39次元空間に対する固有値解析を行うと,第1主成分と第2主成分で,説明力が約80%となることがわかった。
このようにして求めたacademic landscapeを「分野知図」と呼び,それを図示したものが,図1である。
ここで,横軸(第1主成分)は左から右に,理系学問→文系学問と並んでいて,ある値を境に,理系学問,文系学問が見事に分解される。その閾(いき)値に縦軸を引いた。この縦軸(第2主成分)もまた明確な意味をもっていて,下から上に,非生物系学問から生物系学問へと並んでいる。そこで,横軸を,意識-非意識軸,縦軸を,生物-非生物軸と呼ぶことにする。
この分野知図に,相互作用の強い学問間を点線で結んでみると,図1の破線のようになる。これから,重心に近い学問(たとえば,情報学)は,文系の学問とも強く相互作用していてすべての学問群のハブになっていることがわかる。そこで,これら相互作用が強い学問を結ぶと,星座を描くように数学,物理学,情報学,化学,生命科学,心理学,哲学,経済学,法学の9学問が選ばれる。なお環境学は,どこの学問とも強い相互作用をもたないものの,中心付近にあるので,環境学だけ「+1」という表現の仕方をして,9+1の学問のことをコア学問と呼ぶことにする。
このコア学問の周りに,反時計回りに医学系,工学系,地学系,経営学系,人文・社会科学系の5つのクラスターが形成される。つまり,学問は,円環をなす9+1のコア学問の周囲に,5つのクラスターをなす構造をしているということがわかった。
以下,この分野知図をプラットフォームにして議論を進めていこう。
では,本論にほかならぬSBIR制度分析に入りたい。
SBIR制度の日米比較において,その根本思想の相違を明確に見極めるために,SBIRに採択された企業の代表者の出自,とりわけ博士号(PhD)の取得状況を調べてみた4)~6)。
日本版SBIR被採択者の出自分析まず,日本版SBIR制度の被採択者の出自を調べてみた。日本版SBIRに採択された企業は,1998年度より2010年度に至る13年間で2万3,339社存在する。ただ中小企業庁は,その代表者の氏名を一部しか公開していない。公開されている代表者名は,当庁が実施したアンケートに回答した会社のみであって,その数は3,559社と全体の約15%である。
公開情報を用いるほかはないので,この3,559社について代表者の出自を,可能なかぎりのデータベースを用いて調査した。すると出自がどうしても見いだせなかった1,683人を除く1,876人全員の最終学歴を見いだすことができた。さらに大学院修了者については,その博士号取得の有無と学問分野を,博士論文書誌データベース・リポジトリ(博士論文書誌データベースWebサイト)で調べた。その結果を図2に示す。分野知図上の円の位置は代表者の博士学位の学問分野,また円の大きさは,代表者の数である。
図2から,以下のことがわかる。なお以下のパーセンテージにおいて分母は,略歴が見いだせたSBIR被採択者の数1,876である。
以上の事実から,日本においては大学で生まれた最先進の科学をイノベーションに転換する戦略的意識がなかったことが示唆される。
では,米国はどうか。ここでは2011年に採択された1,034社の代表者(principal investigator)の全員について,1人ひとりの略歴を,Web上で探し出していった。すると,略歴を探し当てられなかった人は1,034人中389人。略歴をWeb上で見いだすことができた人は,645人だった。図3に,米国版SBIRに採択された企業の代表者のPhD出自を,分野知図上にプロットした結果を示す。分野知図上の円の位置は代表者の博士学位の学問分野,また円の大きさは,代表者の数である。
この図3から以下のことがわかる。なお,以下のパーセンテージにおいて分母は,略歴が見いだせたSBIR被採択者の数645である。
すなわち米国は,SBIR政策を通じて大学で生まれた最先進の知識を体系的にイノベーションに転換してきたことがわかった。さらに米国政府は,戦略的にコア学問および医学クラスターを将来のイノベーションにとってもっとも重要だと考えていたこともわかる。
米国版SBIRに採択された企業の代表者の出自について,さらに次のような分析をした。1983年から2011年まで米国版SBIR被採択企業は,10万3,910社存在する。ここで,複数採択を1カウントとして数えると,4万6,354社が存在することがわかる。この代表者4万6,354人の中から採択回数の多い順に5,639人を抽出すると,10万3,910社のうちカバー率が39.75%に達する。
この5,639人の各人について,39学問のそれぞれとの相互作用を求め,分野知図にプロットしていくのである。結果を,図4に示す。
この図から,SBIR被採択企業の代表者は,主として生命科学に軸足を置きながら,いずれかのコア学問に2本目,3本目の足を置いているということが理解できる。米国は,SBIR制度によって大学や最先端研究機関の知を活用し,その知を体系化した若き科学者をイノベーターに仕立て,戦略的にバイオメディカル産業を育成してきたことが証明された。
次に,SBIR制度がサイエンス型産業の興隆に果たしたインパクトを分析した結果を紹介する。以下の成果は,山本晋也と山口栄一4),7),8)による。
サイエンス型産業の典型は,医薬品産業であるから,まず日米おのおのについて,「保険薬を製造する企業の売上高の変遷」を調べた。
すると米国においては1990年代になると,SBIR被採択企業の売上高が生まれ,その売上高が急激に増えて2012年には全体の2割を占めるに至ったことがわかった。SBIR被採択企業の売上高合計は,3,170億ドルに及んだ。
一方,日本の場合,SBIR被採択企業の売上高は無視しうる程度で,その売上高合計は,1.07億ドルにすぎなかった。こうして,米国はSBIR制度によって生命科学者をイノベーターに仕立て,戦略的に医薬品産業を育成してきたということがわかった4)。
米国におけるSBIR増倍率ともあれ言うまでもなく米国においても,SBIRのInputは国民の血税であって,その血税が効果的に増倍されたかを分析する必要がある。そこで,米国の医薬品産業におけるSBIR被採択企業の売上高とM&Aで取り引きされた額とを足し合わせたものをOutputとして,そのOutputの積算値(付加価値額累計)を,暦年ごとにプロットしてみた。結果を図5に示す。この図5には,米国保健福祉省(U.S. Department of Health and Human Services: HHS)によるSBIR award金額累計もInputとして,合わせて示した。このOutputをInputで割れば,初期投資がどれだけ増倍したかが得られる。これをSBIR増倍率と呼ぼう。このSBIR増倍率を図5に折れ線グラフで示した。この図からわかるように,2011年においてそのSBIR増倍率は45倍以上にも達することがわかった。SBIR政策によって,国民の血税は,45倍以上になって戻ってきたということになる。
では,SBIR被採択企業の成功確率はどれくらいであろうか。図6に,米国SBIR被採択企業のうちSBIRフェーズI企業およびSBIRフェーズII企業注1)の成功確率を示した。ここで「成功」とは,年間売上100万ドルを1度でも計上すること,あるいはM&Aに成功することを指す。この図からわかるように,SBIRフェーズII企業においては,2008年以後一貫してその成功確率は,1.2%を超えている。現在,HHSのSBIR awardは,毎年約1,000社のバイオベンチャーに与えられているので,そのうち約12社以上が成功し,その成功企業がSBIR増倍率45倍以上をもたらしている,ということである。
では,果たして日本のSBIR政策は,日本の国富を増やしたのだろうか。この問いに定量的に答えるべく経済学的に調べてみた。以下の研究成果は,井上寛康と山口栄一4),9),10)によるものである。
米国におけるSBIR企業のパフォーマンス米国のSBIR政策については,すでにハーバード大学のジョシュ・ラーナー(Josh Lerner)が分析している11)。彼は,1985年から1995年にかけて,SBIR被採択企業の売上高が平均してどれだけ伸びたかを測定し,SBIRに採択されなかった同等の企業の売上高の伸びと比較した。ラーナーによる結果を,図7の左から1つ目の棒グラフと左から2つ目の棒グラフで示した。それぞれSBIR被採択企業における売上高の伸び,SBIRに採択されなかった同等の企業における売上高の伸びである。この図から明らかなように,SBIR被採択企業では,1社当たり平均して約4.03億円の売上増があった。一方,SBIRに採択されていない同等の企業では,1社当たり平均して約1.14億円の売上増があった。したがって,SBIR被採択企業の方が,2.89億円程度パフォーマンスが高かった,という結論である。
このラーナーと同じ分析を,日本のSBIRについて行った。ただし,2006年から2011年までの6年間の売上高の変化を,SBIR被採択企業とそうでない企業について調べた。結果を,図7の左から3番目と4番目の棒グラフに示す。それぞれSBIR被採択企業における売上高の伸び,SBIRに採択されなかった同等の企業における売上高の伸びである。この図から明らかなように,SBIR被採択企業では,1社当たり平均して約1.97億円の売上減であった。一方,SBIRに採択されていない同等の企業では,1社当たり平均して約0.65億円の売上減であった。したがって,SBIR被採択企業の方が,1.32億円パフォーマンスが低かった,ということである。
ただし日本においては,対象企業の売上は正規分布でなく,べき分布を呈していた。このような場合は,平均値による検定よりも中央値による検定の方が信頼できる。中央値でみると,SBIR被採択企業では,1社当たり約0.28億円の売上減,SBIRに採択されていない同等の企業では,1社当たり約0.27億円の売上減であった。やはり,日本においてはSBIRに採択されても売上の増加に寄与しなかったと結論しうる。
日本と米国それぞれについて,SBIR被採択企業の代表者の出自を調べた結果,日本では1998年度のSBIR制度施行以来,代表者の7.7%しか博士号取得者はいなかった。一方,米国では,2011年度における代表者の74%が博士だった。
SBIR被採択企業についてさまざまな分析を行った結果,米国においては,若き無名の研究者をイノベーターにするために,国家が多額のSBIR予算をつぎ込み,科学者起業家のネットワークによるイノベーション・エコシステムを戦略的に構築することに成功したことがわかった。一方日本は,科学者を起業家にするメカニズムがなかったため,サイエンス型ベンチャー企業の体系的な育成に失敗した。
日本版SBIR制度が完全な失敗であることが証明されたので,今後日本も,米国版SBIR制度を実行することにより,イノベーション・エコシステムを可及的速やかに再構築すべきであることが疑義なく論証された。
(次回[2016年1月号]に続く)
京都大学大学院 総合生存学館(思修館)教授。1955年,福岡市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。同大学院理学系研究科物理学専攻修士課程修了,理学博士(東京大学)。米国ノートルダム大学客員研究員,NTT基礎研究所主幹研究員,仏国IMRA Europe招聘研究員,経団連21世紀政策研究所研究主幹,同志社大学大学院教授,英国ケンブリッジ大学クレアホール客員フェローなどを経て,2014年より現職。