20世紀末から始まった急速なグローバリゼーションと,デジタル技術の飛躍的発達,気候変動などグローバルな課題の急増によって,近代が築いてきた政治経済社会システム,人々の価値観,ライフスタイルが大きく変容している。ニューヨーク世界貿易センタービルのテロによる崩壊,リーマンショックによる世界経済恐慌,エボラ出血熱などの感染症,東日本大震災と福島原発事故は,いずれも,近代科学技術と近代文明の光と影,限界を私たちに明らかにした。科学技術への市民の信頼は大きく損なわれ,科学技術の目指す価値,制度体制は,今大きな見直しを迫られている。人々は,地球の有限性を強く感じ始めている。この時機,科学技術関係者は日常に流されることなく転換期を自覚して,自らの社会的役割と責任について,歴史的,社会的,哲学的な思考を深める必要がある。本稿は,科学技術と政治の関係について,歴史の中で政治リーダー,科学者,その共同体が考え発言し行動してきた事例をまとめたもので,今後の政策形成とグローバルネットワーク構築に向けて示唆を得ることができると考える。
「歴史は現在と過去との絶えざる対話である」。E.H.カーの名言である1)。現在から過去をみて,過去から現在へそして未来へと思考と行動の射程を広げていく。今日のような地球規模での転換期には,こうしたダイナミックな歴史観が欠かせない。
ルネッサンスから今日まで5世紀。合理主義の精神と近代科学,そして国民国家,資本主義,民主主義の制度体制が,相互に作用し発展しながら近代社会をつくり上げてきた。しかし,西洋に始まり日本まできた近代化の波は,20世紀末に東西冷戦が終わり情報通信技術の発達を背景に,中国,インドなど発展途上国が急速に近代化を始めてから,様相が大きく変わりつつある2)。わが国の電気通信技術の開発に大きな貢献をされた文化勲章受章の猪瀬博氏が,二十数年前わが国がインターネットを導入する際の検討会で,筆者たちに「インターネットは,近代社会と近代科学の“authenticity”を毀(こわ)す可能性がある」と予言的に語られたことを思い出す。
近代化を支えてきた科学技術は,誕生以来20世紀までつづいてきた,知識の細分化,要素還元的方法,機械論的自然観が今大きな転換を迫られている。政策レベルでは,知識の生産に重点を置いた従来の研究開発政策から,研究成果の社会経済・市民生活への活用も重視したイノベーション政策へと地平を大きく広げている。1999年に発表された21世紀の「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」(いわゆるブダペスト宣言)は,「知識のための科学」にくわえて「社会における,社会のための科学」へ,科学技術の価値の変化を示す道標として,21世紀に入って各国の科学技術政策に大きな影響を与えている。また,2004年の「イノベート・アメリカ」(パルミサーノ・レポート)をきっかけに,科学技術の成果の社会実装や課題解決をめざすイノベーション政策が,国際的に大きな流れとなっている。
2001年9月に起こったテロによるニューヨーク世界貿易センタービルの崩壊,2008年9月のリーマンショックによる世界経済恐慌,エボラ出血熱などの感染症,2011年3月の東日本大震災と福島原発事故は,いずれも,近代科学技術とそれを基盤とする近代文明の光と影と限界を私たちに明らかにした。科学技術への市民の信頼は大きく損なわれた。さらにこの20年間のグローバリゼーションと,デジタル技術の飛躍的発達,気候変動などグローバルな課題の急増が相まって,既存の政治秩序,経済システム,社会システムと人々の価値観,ライフスタイルが大きく変容しようとしている。人々は,地球の有限性を強く感じ始めている。この時機,科学技術関係者は日常に流されることなく転換期を自覚して,自らの歴史的,社会的,哲学的なビジョンと思考を深める必要があるだろう。
1.2 科学と政治の架け橋:科学的助言制度のデザイン欧州のBSE(牛海綿状脳症)や遺伝子組み換え問題,イタリアのラクイラ地震問題,そして福島原発事故。これらはいずれも政策決定者に対する科学技術の助言制度の不備を露呈し,政治と市民から厳しい批判を浴びた3)~5)。ほかにも,地球規模の気候変動,エネルギー環境,大規模災害,情報セキュリティー,食品安全,人工知能,ロボット,小型無人機など人類の前に難問は山積している。こうした難問に対応するための政策形成には,十分な科学的知識と的確な政治的判断が必要であるが,各国・世界ともにいまだに,社会や市民と科学技術者の間で対話がなされ,政治・行政が専門的知識や経験を的確に使用する成熟した仕組みをもっていない。従来の政治行政の組織と手法,科学技術の専門分野では今や対応できなくなっている。
先進34か国から構成される経済協力開発機構(Organisation for Economic Cooperation and Development: OECD)は,こうした問題に対処するため,3年前から科学的助言に関する国際的な指針づくりに取り組んできた。筆者はその共同議長を務め,2015年4月に報告書をまとめた3)~5)。その中で,助言の体制,手続きを明確にして信頼性や透明性を確保すること,政治・行政・専門家のそれぞれの役割と責任を定めること,緊急時対応や国際連携などを提言した。これをもとに,現在は閣僚レベルによる具体化が検討されている。
筆者らは,この国際プロジェクトの作業過程で,各国の科学的助言制度の比較分析や多くの有識者へのインタビューの機会を得た。2年余りの内外の文献収集分析と国際的な対話の中から,科学的助言を含む政治と科学の関係は,各国それぞれの政治や社会の体制,歴史と文化,科学コミュニティーの立場などが反映していること,したがって関連する政治決定が必ずしも科学的合理性だけでは行われないこと,多様性の尊重が重要であることなどが理解できた6)。
21世紀の社会経済を平和で持続的に発展させるには,国レベルでも世界レベルでも,科学的根拠に基づいて政策が適切に立案され,実施されることが欠かせない。その方法と思考の枠組み,行動規範について,各国協働で多様性に配慮しながら共通の基盤を築き上げていく必要がある。そのためには,政治と科学の関係について歴史的な視座と思考力を養い,世界を見渡してグローバルな議論と国際プロジェクトの形成と運用に主体的に参加することが必須である。
本稿は,そうした筆者の問題意識の下に,科学技術と政治の関係について,歴史の中で政治リーダー,科学者,科学者共同体が考え発言し行動してきた事例を覚書風(ふう)にまとめたものである。これらを俯瞰(ふかん)すれば,各国の政治経済情勢と時代精神,科学技術の発展の状況がみえ,未来の政策形成とグローバルネットワーク構築に向けた示唆を得ることができると考える。
日本版NIH,日本版DARPA,日本版フラウンホーファーなど,近年,わが国の科学技術政策において,海外で成功したとみなされる政策やファンディング制度などを,十分な吟味をしないまま直接日本に導入する議論が頻発している。科学に国境はないが,科学者と科学の制度体制には国境がある。制度の設計と運営には,それぞれの国の歴史,文化,社会体制を反映した科学技術システムの形成が不可欠である。
日本学士院会員で法制史家の石井紫郎氏は,「歴史的素養とは,歴史的な知識を詰め込むことではなくて,ほうっておくと,過去のガラクタが現在を支配する,それを防ぐために構成する(中略)クリティックの素養だ」と語っている6)。また,最近の高等学校の歴史の学習指導要領は,世界史の大きな枠組みと展開,文化の多様性と現代世界の特質を広い視野から考察する能力,歴史的思考力の必要性を強調している。
いずれも,21世紀前半の近代科学技術の転換期に,科学技術の政策や制度を検討するに当たって,基本となる思考の枠組みを示唆していると考える。
2.1 クリティックとしての歴史的素養6)石井氏は,さらに次のように述べている。
「国際的なデファクト・スタンダードにしていく,(中略)科学技術の世界(生命倫理,知的財産権など)でも,これから一般化していくだろう。(中略)こういった非法律的な手段,方法によるコントロールが増えてくる現象を,私は『ソフト・ロー化』ないしはソフト・ロー的手法の一般化という概念を使って表現してはどうかと思っている。(中略)さまざまなケースをきちんと分析して,プリンシプルを抽出し,それを体系化してケース・ローの体系にしていく」「ソフト・ロー化が進んでいるということは,極めて危険をはらんでいる。密室でのデシジョンの積み重ねが,デファクト・スタンダードになっていく危険。(中略)それをどんどんオープンにさせていかなくてはいけない」「サステイナビリティが問題になっている社会で,法典をがっちりつくって,それに従ってさまざまな法的な問題を処理いたしましょうというやり方が,もう通用しない。(中略)科学技術の成果をどう社会が評価し,取り入れるのか,リジェクトするのか,コントロールするのか,不透明なことばかり。(中略)いわば後追い的なパッチワークでしか行きえないところがある」。
2.2 歴史的思考力の必要性:高校学習指導要領政治と科学の間の相互作用を考えるときに,「グローバルヒストリー」という歴史学の新しい流れを踏まえて2009年に改定された,高等学校学習指導要領(世界史B,日本史B)に注目したい7)。その目標は,「世界の歴史の大きな枠組みと展開を諸資料に基づき地理的条件や歴史と関連付けながら理解させ,文化の多様性・複合性と現代世界の特質を広い視野から考察させることによって,歴史的思考力を培い,国際社会に主体的に生きる日本国民としての自覚と資質を養う」とされている。さらに,「知識基盤社会と言われる今日の社会の構造的変化に対応していくための思考力・判断力・表現力等の育成を図る」「他国や他地域の歴史を理解し,自国と世界とのかかわりを学び,日本の歴史や文化をより客観的に見る目を養う。そして,世界の形成の歴史的過程,文化の多様性・複合性や現代世界の特質などを学習することによって,歴史的思考力を培う。これらを通じ,国際社会に主体的に生き平和で民主的な国家・社会を形成する日本国民としての自覚と資質を養う」。
次に,近代から現代にかけて歴史に名を残す政治リーダー7人が語った,政治と科学に関するメッセージを取り上げる。いずれも,内外の政治経済の激変の時代に,強い政治的リーダーシップと知性と経験を踏まえて政治的決断を行った人物である。21世紀前半の複雑で不確実な時代に政治と科学の関係を考え行動する際に,われわれに大きな示唆を与えてくれると思う。
3.1 マキャベリ:近代の幕開き・自由意思・リーダー・助言「この世の事柄は運命と神によって支配されているので,人間が自分たちの思慮によって治められようはずもなく,(中略)成り行きに任せておいたほうが,判断としては良い。(中略)だがしかし,私たちの自由意思が消滅してしまわないように,私たちの諸行為の半ばまでを運命の女神が勝手に支配しているのは真実だとしても,残る半ばの支配は,(中略)彼女が私たちに任せているのも真実である」「君主たる者は,つねに助言を求めなければならない。(中略)自らが賢明でない君主は,良き助言など受け容れられない。(中略)思慮深い君主は,(中略)自分の政体のなかから賢者たちを選び出し,選ばれた者たちにだけ,真実を告げる自由の機会を与えればよい。(中略)それから後は,自分独りで,自分なりの方法で,決断を下さねばならない。そしてそういう助言を受けながら」8)。
3.2 ビスマルク:国家リーダーの才能・サイエンス・アート・助言「政治は科学(サイエンス)というより技術(アート)である。それは,教えることができるような対象ではない。人はそれについての才能をもっていなければならない。それについての最良の助言も,適切に実行されなければ意味を持たない。政治はそれ自体として,論理的な緻密な科学ではなく,流動的な情勢のなかで,最も害の少ない選択肢,あるいは最も時宜を得た選択肢を選ぶ能力を意味するのだ」9)。
3.3 伊藤博文:後発近代国家の形成・政論・政談・科学・人材・智識「(中略)政論に熱中する者が政治の空論に走って実業の上に眼を注がぬのは甚だ残念至極なことである。此政論に傾く者をして,日本社会の経済上の状況及日本国民の衛生教育等の実際に着目し,又其統計等に依て進歩の遅速に注意して,成るたけ事実に近い議論を為さしむるやうにありたいと云ふ考を持って居る」「立法上の事と云うものは成るべく衆議を尽して遺算なきを期するようにならなければならぬが,行政の仕事に至っては,政府は衆論の府にあらざるが故は,所謂人の材能智識に俟たざることを得ぬ(中略)」「高等生徒を訓導するは,宜しく之を科学に進むへくして,之を政談に誘ふへからす。政談の徒過多なるは,国民の幸福に非す。(中略)今其弊を矯正するには,宜しく工芸技術百科の学を広め,子弟たる者をして,高等の学に就かんと欲する者は,専ら実用を期し,精微密察,歳月を積久し,志饗を専一にし,而して浮薄激昂の習を暗消せしむへし」10)。
3.4 リンカーン大統領/ウィルソン大統領と米国科学アカデミー:国家の危機・科学・政府への助言米国科学アカデミー(National Academy of Science: NAS)は,国家分裂という南北戦争の危機の最中の1863年3月に,リンカーン大統領の署名による法律に基づいて設置された。NASは,国家の問題について,独立で客観的な科学的助言を行うことが任務とされており,現在も,アメリカの科学技術政策の形成に大きな影響力をもっている。特に,科学技術が総動員された世界で最初の「科学戦」となった第1次世界大戦の最中に,ウィルソン大統領の行政命令によって,NASに国家研究会議(National Research Council: NRC)が設置され,科学的助言機能が強化された。この組織は,次第に強化されて現在では数百人の専門家を擁し,世界最大の科学アカデミーであるNASの活動の源泉となっている。ちなみに第1次世界大戦という世界のパワーバランスの転換に合わせて,NRC設立の推進役であったミリカンらアメリカ科学界がリードして,1919年に現在の国際科学会議(ICSU)の前身である国際学術研究会議(International Research Council)を創設したことは注目すべきであろう。
3.5 ルーズベルト大統領:第2期就任演説(1937年1月)―経済大恐慌・科学不信・科学の光と影・シビリアンコントロール―「(経済恐慌と絶望の日々を終わらせるために,第1期就任以来努力して来た),我々は,複雑な文明が引き起こす問題を解決するために,政府が行う役割を理解する必要がある。(中略)政府の援助のない解決の試みは,人々を困難な状態に放置してきた。(中略)科学を人類の残酷な支配者でなく有益な奉仕者にする必要があり,そのためには,政府の援助なくして科学を道義的にコントロールすることはできない」「我々は経済恐慌から脱しつつある。(中略)アメリカの道義的な雰囲気が変わって来た。(中略)科学と民主主義は協同すれば,人々に豊かな人生と満足を与えてくれる。道義的な雰囲気の変化と,経済秩序を改善する能力の再発見によって,我々は持続的な発展の道に入ったといえる」11)。(翻訳:著者)
3.6 アイゼンハワー大統領:大統領離任演説(1961年1月)―公共政策・科学エリート支配・軍産学複合体の危険―「軍産複合体の影響が,われわれの自由や民主主義のプロセスを危険にさらすことがないようにせねばならない。(中略)ここ数十年,軍産関係の大きな変化が,技術革新によって引き起こされて来た。この革新は,研究が中心を占めており,計画的で複雑化し経費も高くなってきた。政府による雇用,プロジェクトと予算の配分によって,専門家たちへの支配が高まっており深刻に受け止められるべきである。一方で我々は,公共政策が科学技術エリートたちの虜になる危険にも警戒する必要がある」12)。(翻訳:著者)
3.7 中曽根康弘元首相―政治家の役割・責任・先見性・場所・関係性の統合―「政治の役割は先見性。どういう時代になって行くかを予測し,その為の政治の手立てをどう打ってゆくかということだ。こうした分野における政治の役割は大きい。常に科学技術の可能性を確認しながら,その萌芽を促し国を支える大きな幹となるよう育てることだ」「当時(1980年代),日本は世界から依然軍事主義の強い国,あるいは経済第一主義という印象が非常に強かった。そこへ新しい政治勢力や科学技術力が生まれつつあるという印象に変えたい。そうした思いもあって,“ヒューマン・フロンティア・サイエンス”と名づけた」「政治が責任を持ち日本の科学技術が発展していく場所を様々に広げていかなければならない。各省,与党と野党,そして政治と学者・技術者といったそれぞれの関係性を,うまく統合しながら力にしていくのが,政治家の責任であり,今後も変わることのない課題だ」13)。
今年2015年は戦後70年。人類が原子爆弾を初めて社会に使用して70年目に当たる。
原子爆弾開発に深く関与したオッペンハイマーは,1945年7月米国ニューメキシコ州のアラモゴードでの最初の原爆実験の後,「物理学者は罪を知ってしまった。これは忘れ去ることができない知識である」と述べている14)。オッペンハイマーの同僚のJ.フランクはもっと率直に語っている。「過去において,科学者たちは,公正無私の科学的発見が人類によって利用されたことに対して直接の責任はないと主張することができた。私たちは今や同じ態度をとることはできない。なぜなら,核エネルギー開発において私たちが成し遂げてきた成功は,過去のすべての発明とは比べものにならない大きな危険を伴うからである」。
その15年前の1930年,NASの再建や国際学術研究会議の創設に大きな役割を果たしたノーベル物理学賞のミリカンは,「造物主たる神は,神のつくった世界に何か絶対に安全な要素を組み込んでおり,人間はそれにたいして,巨大な損害を与えるだけの力はないと意識して,安らかに眠ることができる」と記している15)。この3者の言葉の落差に注目したい。核エネルギーの開発実用化は,科学技術と政治・社会の関係を,20世紀前半のわずか15年間でまったく異次元のものにしてしまったのである。
わが国の科学者の発言の例をあげておこう。朝永振一郎は,科学と社会について,1979年死の直前に,「科学が自然を解釈するとか,認識するとか,そういう段階で止まっていられない,(中略)。知ったものは必ずつくらずにはいられない」「科学はそれ自身の中に毒を含んだもので,それが薬にもなると考えてはどうか。そして,人間は毒のある科学を薬にして生き続けねばならないとすれば,科学をやたらには使い過ぎることなく,副作用を最小限に止めるように警戒していくことが必要なのではあるまいか」14)と書き残している。また,福井謙一は,1981年ノーベル賞晩餐会のスピーチで,「科学の研究の応用において,何が善で,そして―もしも,あるとすれば―何が悪であるかを,最も良く見分けるのは,科学の先端的な領域に働く最も優れた科学者たちです」と述べている。
4.2 科学助言者たちの発言と行動の規範,国際的学術研究の必要英国首相科学顧問と王立協会会長を務めたロバート・メイ卿は,1990年に,次のように述べている。「科学者の役割は,どのリスクを取るか取らないかを決めることではない。科学者は可能な選択肢やその条件,可能性を示すことに参加すべき。(中略)科学者の責任は可能性のどれかを決めることではなく,どんな可能性があるかを示すことにある」16)。現在科学助言者のグローバル・ネットワークづくりに奔走している,ニュージーランド首相科学顧問グルックマン氏は,「自分は科学者だがアーティストでもある」と筆者に語ったことがある。科学者と科学助言者の役割,能力,資質の違いを率直に表したものと理解できる。
ある国の科学顧問は,「自分は,二つの役割,すなわち,“政策のための科学(Science for Policy)”と,“科学のための政策(Policy for Science)”に責任を負っている。自分は,政策決定者・トップリーダーが適切な判断を行えるように,さまざまな政策に対して科学的な助言を提供するし,研究開発投資や,理数教育,科学者の倫理問題などを含めて,科学のための政策を立案する。政策判断がどのように影響するのかを,政策決定者・トップリーダーがきちんと理解していることが重要で,政策決定者に対してバイアスのない報告を直接行うことが重要である」と語った。
ドイツ科学アカデミーが,科学的助言について次の行動規範をもっていることは注目すべきである。「科学的政策助言における知識と,学術的な知識とは同じものではない。科学的政策助言における知識は学術的知識を越えるものである。なぜなら,科学的政策助言の知識は,科学的な基準を満たした上に,さらに政治的に効果のあるものでなければならないからである」17),18)。
政治と科学,その間の橋渡しをする科学的助言。各国でそれぞれ異なるこの三者の関係について,筆者はOECD科学的助言プロジェクトの共同議長としての経験から,先に紹介した石井氏の提唱する「さまざまなケースをきちんと分析して,プリンシプルを抽出し,それを体系化してケース・ローの体系にしていく」という方法で,今後国際的な学術研究を発展する必要があると考えている。
英国の知識社会学の泰斗(たいと)マートンは20世紀初めに,近代科学者たちのエートスを次の4つで表現した(CUDOS)。(1)共有性(2)普遍性(3)無私性(4)組織的懐疑主義19)。同じ英国の物理学者ザイマンは,20世紀末の科学者のエートスを,マートンのCUDOSとは対照的に次の5つで示した(PLACE)。(1)所有的(2)局所的(3)権威主義的(4)請負的(5)専門家的20)。21世紀,世界の社会政治システムと科学技術の在り方が大きく変わろうとする時代に,科学者のエートスはどう変容していくのだろうか?
人文社会科学の視点から,自然科学専門家は厳しい批判に晒(さら)されてきた。例として著名な3人の言説をあげておく。M. ウェーバーは,専門家を,「精神のない専門人」「鉄の檻のなかに住むもの」「異常な尊大さで粉飾された機械的化石」と描写し21),オルテガは,「専門主義の野蛮,科学者は近代の未開人,野蛮人」「慢心しきったお坊ちゃん」「他の分野の専門家を受け入れようとしない。専門に属さないことを知らないことを美徳と公言する」と厳しく断じている22)。
ハーバーマスは,技術的専門家と知識人を区別して次のように述べている。「知識人とは,普遍的な利害を先取りするかたちで公的な事柄に言葉と文章によって介入する知識層の人々。その際に自分の職業上の知識を職業以外のところで,しかも“いかなる政治的党派の委託もなしに”使用することで介入。(中略)如何なる機関をも代弁せず,社会全体にかかわるテーマについて筋の通った意見を言うために,自らの職業的能力を用いる。その意味で彼らの役割は専門家の役割とは異なる。専門家は,程度の差はあっても“技術的”問いに答えを出す存在,答えを利用する人々からの問いに答える存在にすぎない」23)。
日常に流されている科学技術関係者は,自らのよって立つ,歴史的・社会的・哲学的な背景を考える余裕がないのであろう。しかし過渡期の現実を自覚し未来に向けて考え行動を起こすためには,無思想ではいられないはずだ。
5.2 政治の介入と科学の自律性―世界トップ科学誌の警告―サイエンス誌とネイチャー誌は,数年前にほとんど同時に社説で,“Rethinking the Science System”24),“Tough choices”25)という厳しい表現を使って,先進国における今後の科学と政治の関係について警告を発した。世界的な経済危機と財政悪化の下,先進国の公的研究開発投資が停滞また削減される中で,科学の側が主体的に,研究体制,予算の使用,評価の方法,研究倫理などについて,新しい時代に即した変革をしないと,政治が介入して科学の健全な発展を損なうという警告であった。
日本の場合にもこれは当てはまる。厳しい財政事情の下,前政権で行われた「事業仕分け」の一環で,科学技術関連で記憶に残るのは,スーパーコンピューターの開発をめぐる論争であった。政治の側は予算削減優先で世界一を目指す必要はないとし,科学の側はトップを目指すことが科学の本質だと主張し議論は平行線のままで終わった。当時多くの若手研究者から,政治と科学の日頃からの相互信頼と落ち着いた対話の積み重ねが必要との意見が出たが,この経験はいまだに生かされていない。
以下,科学技術政策に関連する大きな国際会議と各年の主テーマを示す。
⇒WSF 2013:“Science for Global Sustainable Development”
⇒WSF 2015:“The Enabling Power of Science”
⇒AAAS 2013:“The Beauty and Benefits of Science”
⇒AAAS 2014:“Meeting Global Challenges-Discovery and Innovation”
⇒AAAS 2015:“Innovations, Information, and Imaging-transformations across all disciplines-”
⇒AAAS 2016:“Global Science Engagement”
⇒Davos 2013:“Resilient Dynamism”
⇒Davos 2014:“The Reshaping of the World:Consequences for Society, Politics and Business”
⇒Davos 2015:“New Global Context”
6.2 科学技術システムの変容と助言体制の強化さまざまな国際的な組織が,次に示すように,科学技術の変容に合わせて活動を展開し始めている。
ここ数年,国際機関,政府組織,ファンディング機関,大学,シンクタンク,非政府組織,大学などが,科学技術関係の政策形成,ファンディング,助言,政策分析などで,グローバルにつながり有機的でダイナミックなネットワークを形成し始めていることは注目すべきである(図1)。わが国がこうした地球規模での政策プラットフォームの形成活動に受け身でなく,先見性をもって参画し貢献していくことが極めて重要となっている。
OECDは,2015年10月の閣僚会議で,“New Innovation Strategy”をとりまとめる。そのキーワードは,Inclusive,Social innovation,Sustainability,Resilience,Diversity,Convergence,Connectednessなどである。ここで注目したいのは,イノベーション戦略の作成に当たってそのプロセスを重視していることである。
2014年11月,日本のOECD加盟50周年を記念して,東京で科学技術イノベーション政策に関する国際シンポジウムが開催された。その際,OECD科学技術政策局次長は,戦略作成過程とプロジェクトの作り込みの重要性とその効用について次のように述べた。「(1)優先順位について関与者の間で活発な議論をすることによってプロジェクトが始まる前に合意形成が容易になる。(2)イノベーションに関係する他の政策との調整が容易になる。(3)プロジェクトの準備過程で問題点や障害を事前に発見し共有できる」。
6.4.2 転換期の科学―Science2.0,Open science:EU2014年10月と2015年5月,EUの科学技術政策担当の幹部が来日した際に,EU側の強い希望で「Science 2.0“Open Science(オープンサイエンス)”転換期の科学」という新しい概念をテーマに講演と意見交換の機会がもたれた。ここで2015年5月のEU次長の講演に沿ってポイントを示す。
(1)オープンサイエンス(science 2.0)とは,研究とその組織化の方法において現在起きている変化を表す言葉。これはデジタル技術に支えられるとともに,研究者コミュニティーのグローバル化と成長,データの指数関数的な増大と重要課題を解決するというニーズにより牽引されている。(2)変化は不可逆的で,私たちは変化への対応を迫られている。(3)コンセプトをより精緻にするとともに政策的な方向性を探る目的で,EUは2014年7月~9月に「Science 2.0:転換期の科学」と題して意見募集を行うとともに,複数のワークショップを開催した。この過程で,名称をscience 2.0からopen scienceに変更する意見が多かったので現在はそれを採用している。(4)オープンサイエンスを牽引する要素は,デジタル技術の進展,研究成果の新たな周知方法や共同研究の新たな手法への研究者のニーズ,世界的な研究者数の増加などがあげられる。(5)すべてのレベルにおけるオープンサイエンスのための教育の推進。また,欧州レベルでの研究管理システムの創出。大学教育のシステムを変えなくてはオープンサイエンスは実現できない。“Publish or perish”という文化を変える必要がある。
一方で,この議論に参加した欧州研究会議(European Research Council: ERC)議長は,オープンデータは非常に重要だが,出版にあたって強制的な取り決めになること,ある研究分野はオープンデータの文化をもつが,そうでない分野もある。多様な現状を踏まえ,慎重にオープンサイエンスに取り組む必要があるとコメントした。EUの行政側と科学側のこの問題に対する温度差を示していたが,この概念の今後の発展に目が離せない。
上述したように,近代科学を生み育んできたヨーロッパが自ら,野心的な概念を提案し,さまざまなセクターの間で議論を積み上げ,近代科学の価値観,規範と運営の方法,研究の課題設定から成果の公表,社会への実装まで,科学技術活動の全過程で変革を進めている。
EUはまた,2014年から野心的な科学技術基本計画であるHorizon 2020を開始している。欧州共通の課題として,Smart growth,Sustainable growth,Inclusive growthを最優先事項として掲げ,人文社会科学の参画を強く打ち出している26)。2013年9月にリトアニアの首都ビルニュスで採択された「ビルニュス宣言」では,成果の社会実装,イノベーション実現のために,人文社会科学の“インテグレーション”,研究プログラムへの組み込み(embed)が不可欠であり,これによって,民主主義や貴重な文化的遺産を維持することができるとしている。
国際社会科学協議会(International Social Science Council: ISSC)は,2013年,地球環境や持続性といった課題に対し,社会科学が果たすべき役割を提言し27),社会科学に対し,bolder, better, bigger, differentという4つの変革を求めている。(1)bolder:地球環境問題を社会の問題としてとらえ直す。(2)better:現実社会の問題解決に社会科学の洞察を取り入れる。(3)bigger:より多くの社会科学者の地球環境問題への関心を高める。(4)different:これまでとは違った考え方や研究の方法をとる。
このほかにも,ドイツの「Industry 4.0」,ICSU/Future Earthの「Co-design,Co-creation,Co-production,Co-delivery」,IAPやEUの「Responsible Research and Innovation」など,研究の方法や体制,産業の構造が変わりつつある中で,先見的に,欧州を中心に,新しい概念が次々と提唱され実践に移されていることは注目に値する。
わが国の科学技術コミュニティーは,残念ながら,こうした21世紀の大きなビジョンを描き世界と時代を主導する思想と文化,人材に欠けているのではないか。無思想のまま時代に流され,科学技術の発達が単純に人間と社会の進歩につながるというナイーブな姿勢で科学技術に携わる時代は過ぎ去った。地球の有限性の下で,成熟社会を迎えているわが国は,世界をリードして科学技術のあり方を根本から考え直す時機に直面している28)。状況を打破するために,わが国の科学技術コミュニティーに対して,次の3項目を提案してこの稿を終えたい。
政策研究大学院大学 教授。科学技術振興機構 研究開発戦略センター 上席フェロー。
京都大学大学院理学研究科修了(物理化学),科学技術庁入庁。内閣府大臣官房審議官(科学技術政策担当)などを経て,2004年文部科学省科学技術・学術政策局長。2006年から科学技術振興機構 社会技術研究開発センター長,2012年から現職。科学技術基本計画の策定に参画。現在は科学技術政策のための科学の推進,科学的助言・研究助成制度の改革などに従事。