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情報論議 根掘り葉掘り
情報論議 根掘り葉掘り ゴミのなかのプライバシー,雲のなかのプライバシー
名和 小太郎
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2017 年 59 巻 11 号 p. 780-783

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‘Garbage in,Garbage out’という言葉があった。略して‘GIGO’。「ゴミを呑み込み,ゴミを吐き出す」とでも解したらよいか。この言葉を覚えている人はもう少ないだろう。1960~1970年代に,草創期の大型汎用(はんよう)コンピューターをからかう台詞(せりふ)であった。

その‘garbage’について,2015年3月にミネソタ州最高裁が少数意見ではあるが,デジタル機器はゴミにはならない,という判断を示した。一方,論点が揺れるが,2014年6月に合衆国最高裁は携帯電話を自宅そのものである,つまり路上のゴミとは違う,という意見を示していた。

話をすすめる前に,ここで合衆国憲法修正第4条について紹介しておく。修正第4条は,政府が家庭にどこまで侵入できるのか,その原則を犯罪調査について定義したものである。それは「家庭」への捜査には「令状」が必要,というものである。

令状なしの捜査をめぐって,これまでに多くの判例が示されている1)。まず,押収できるものは何か,という論点があった。ここに身体,住居,書類,所有物など有体物(ハードウェア)が含まれることは自明であった。だが,それを無体物(ソフトウェア,サービスなど)にも拡張できるのか――これについては電話の通話をめぐって,さらに赤外線監視装置による外壁の熱の測定に関して,訴訟が続いた。

つぎに,保護の対象は家庭外に及ぶのか,という論点があった。公衆電話ボックスは公共空間にあるとみなせるのか,公道を走る自動車に積載されたGPS装置は公共空間にあるとみなせるのか,こちらも訴訟が続いた。

現在では,その条件は,第1にそこに当人がプライバシーを期待している,第2にそれを社会が合理的とみなしている,ということになっている2)

1. ゴミのなかのプライバシー

2011年1月,ハッチンソン警察はD. F. マクマレーが自宅前路上のゴミ収集用コンテナに置いたゴミ袋を令状なしに押収し,その中身を分析して違法な麻薬を見つけた。ゴミ袋は本来ゴミ処理業者が収集することになっていた。マクマレーはこれをミネソタ州憲法の侵害であると訴えたのであった3)4)

令状なしの捜査は合衆国憲法修正第4条が禁止していた。だから,マクマレーはその主張を連邦最高裁に申し立てるべきであった。だが,それを避けたのは,すでに1988年に連邦最高裁が路上に置かれたゴミに対する捜査を令状なしでもできるとしていたことにある5)

ことの発端は,1984年,ビリー・グリーンウッドが路上に麻薬の成分を含むゴミを廃棄し,それを令状なしで警官が入手したことにある。

連邦最高裁が令状なしのゴミ押収をよしとした理由は,自宅前のゴミ置き場は公衆の目にさらされる公共的な空間であり,動物,子ども,ゴミ収集人,探偵,そして警官でもアクセスできる,だれもここにプライバシー保護を期待していないはずだ,というものであった。ゴミを吐き出すのは大型汎用コンピューターのみではない,家庭もそうだ,ということか。

マクマレーがミネソタ州最高裁の判断を求めたのは,ミネソタ州憲法の保護水準は合衆国憲法修正第4条のそれを超えると期待したからであった。だが,2015年に示されたミネソタ州最高裁の多数意見は,それはない,という素気ないものであった。

2. デジタル・デバイスのなかのプライバシー

だがマクマレー判決の少数意見はこれに異論を示した。それはP.リリーハング判事が示したものであり,ゴミは公共空間に廃棄される無価値のものではない,そこにはプライバシーがあり,修正第4条の保護対象になる,という指摘であった。

リリーハングはいう。この30年間,技術の発展にともないゴミの意味は大きく変化した。第1に,それは分別収集され,リサイクルの対象になった。第2に,そこからたくさんの個人情報を抽出できるようになった。‘GIGO’の時代は過ぎ去った。

まず第1の論点について。社会生活のデジタル化にともない,サーバー,ルーター,タブレット,携帯電話,さらにはディスク,チップなどが廃棄されるようになった。連邦最高裁はすでに2014年に,デジタル機器には「米国人の日常的なプライバシー」が含まれると示していた(リリー判決,後述)。この動向は‘Internet of Things’の到来とともに加速されるだろう。

このような傾向のなかで,多くの自治体はデジタル機器の廃棄について,その分別収集,リサイクルを制度化している。とすれば,それは在来型のゴミの概念では把握できないだろう。

つぎに第2の論点について。家庭ゴミの分析技術は格段に進歩した。われわれの生物学的な痕跡は最終的には家庭ゴミとして廃棄される。そこには使用済みの衣服や衛生用品,食べ残した食物,不要になったコンタクト・レンズなどが含まれるが,捜査当局は今やここからDNAを採取することができる。そのDNAには当人のプライバシーが記録されている。ここでも在来型のゴミの概念は通用しないだろう。以上がリリーハングの言い分であった。

すでに,リリーハングの判断を支持する技術が現れている。たとえば,Googleは製薬大手のノバルティスと共同で子会社を設立し,ここで血糖値モニタリング用のコンタクト・レンズの開発を試みている6)。体内に埋め込んで神経細胞をモニタリングするハードウェアをバイオ電子薬というらしい。

リリーハングは合衆国の裁判官のなかで,判決文に‘Internet of Things’という用語を最初に使った人であった。にもかかわらず,その‘Things’の理解には狭さが残っていた。かれはデジタル機器のハードウェアにのみ注目し,コンテンツを見逃した。

3. デジタル・コンテンツのなかのプライバシー

実は,2014年,連邦最高裁がリリー事件において画期的な判断を示していた7)。それは上記Thingsの解釈についてであった。(リリーハングはリリー判決を引用してはいるが,自説に都合のよい部分のみであった。惜しい。)

2009年8月,サンディエゴの警官は失効した免許証を持ったダビット・リリーを捕らえ,かれの運転していたレクサスのなかに2丁の銃器を見つけた。警官はさらにリリーのポケットからスマートフォンを発見し,そのコンテンツを調べた。そこにはギャング集団との関係を示唆する電子メールや写真があった。このときに警官は捜査令状を持っていなかった。リリーはこれを修正第4条侵害であると訴えた。連邦最高裁はこの訴えを認めた8)

リリー判決は示した。携帯電話はハードウェアとコンテンツとから構成されている。ハードウェアは令状なしでも捜査できる。それは携帯電話の外観をもつ火器かもしれないから。だが,コンテンツは違う。コンテンツは令状なしでは捜査できない。もし,それをよしというならば,その主張は,「月ロケットへの搭乗と乗馬とは等しい」というたぐいの強弁である。

どこが違うのか。第1に,携帯電話は単なる財布や煙草入れではない。大容量の情報を格納できる。20ドルの値段であるにもかかわらず,数十ギガバイトの情報を格納できる。そこには,アドレス,メモ,預金通帳,検索履歴,処方箋が含まれているかもしれない。第2に,そこには撮影場所,撮影日時を付けた多くの写真を格納できる。しかも第3に,それを,日時をさかのぼって購入時点まで,いやその前であっても,保管できる。

このような環境のなかでは,携帯電話のコンテンツをそのハードウェアと同一視することはできない。ポケットのなかの携帯電話はポケットのなかの手帳とは違う。つまり,携帯電話の押収は家庭への立ち入り捜査よりもプライバシー侵害について徹底的である。

ハードウェアとコンテンツとの峻別(しゅんべつ)論は,思いがけなくも,新しい展開を示している。それは生物学的証拠の収集にかかわるものである8)。くりかえせば,今日,唾液や毛髪や皮膚の付着したゴミからDNAを採取し,その所有者の医学データを検出できるようになった。リリー判決によれば,これは令状なしにできる。

くわえて,デジタル技術の発展は社会のなかに新しいデジタル・デバイドを作りつつある9)。低所得者や高齢者は廃棄されたデジタル機器のなかにプライバシー情報が記録されているなどとは理解できないだろう。そのような人びとに対しては,公共的な場所に捨てられさらされたプライバシーを保護しなければならない。ここで一言。極東の某国では家庭内にあっても成人男性を「粗大ゴミ」と呼ぶ慣行がある。

4. 雲のなかのプライバシー

リリー判決はさらに続ける。携帯電話は単なるコンテナにすぎない。そのコンテンツはあらゆる場所にある。それは,分散化と仮想化という技術を駆使するクラウド・コンピューティングという仕掛けによって,どこかのだれかのサーバーに格納されている。

それらのサーバーは1か所に置かれているのか,数か所に分散されているのかわからない。さらに,それらをどんな事業者が管理しているのか,それが国内にあるのか国外にあるのか,これもわからない。それは「雲」のなかにある。

とすれば,携帯電話のコンテンツは,手元のハードウェアのなかにあるか,この雲のどこかにあるだろう。だが,それをここにあると特定し押収することはできない。

リリー判決はまとめる。だからといって,伝統的なプライバシー保護のルールを廃止すべきではない。携帯電話の捜査にたいしても令状を取るべきである。捜査官がeメールを使えば,そして判事がiPadを持てば,15分以内で令状は発行されるはずである。この論旨,ちょっと苦しい。

今日,米国人の90%が携帯電話あるいはスマートフォンを所有し,そのほとんどがそれを常時5フィート以内に置き,その12%がシャワー室にそれを持ち込んでいる。

ここで文化人類学者エドワード・ホールが提案した「プロクセミックス」という概念を想起する人もいることだろう10)。かれは「個体距離」という尺度を定義し,それを1.5~4フィートであると示している。

その個体距離の意味であるが,かれは米国の詩人W. H. オーデンの作品を引用することによって,それを説明している。

鼻の前30インチのところ,私自身のさきがけが行く。そこにある人の触れない空間は,私のパグス,私の領地だ。見知らぬ人よ,寝室の眼差しで,親しむために招く以外には,心せよ,粗野にも踏み込まぬように。

「パグス」(pagus)の意味であるが,ここでは領地の同意語と理解しておきたい。あるいは,この小論の文脈に沿えば「雲」と呼んだ方がよいかもしれない。とすれば,今や‘Cloud in, Cloud out’になった,というべきかもしれない。

この発想によれば,公共的空間のなかには,本人を含む雲の塊のようなものがあり,そこには当人のプライバシーが存在する。オーデンは,そしてホールも,20世紀半ばにおいてすでに21世紀のサイバー空間を予言していたかにみえる。

参考文献
  • 1)  名和小太郎. 個人データ保護:イノベーションによるプライバシー像の変容. みすず書房, 2008, 297p.
  • 2)  石井夏生利. 個人情報保護法の現在と未来:世界的潮流と日本の将来像. 勁草書房, 2014, 490p.
  • 3)  State v. McMurray, 860 N.W.2d 686 (Minn. 2015)
  • 4)  Campbell, Brittany. The big stink about garbage: State v. McMurray and a reasonable expectation of privacy. Boston College Journal of Law & Social Justice. 2016, vol. 36, p. 13-26.
  • 5)  California v. Greenwood, 486 U.S. 35 (1988)
  • 6)  Temperton, James. "GSK and Google just created a £540m bioelectronic health firm". WIRED. http://www.wired.co.uk/article/galvani-bioelectronics-gsk-google-alphabet-verily, (accessed 2016-12-16).
  • 7)  Riley v. California, 134 S. Ct. 2473 (2014)
  • 8)  Leonetti, Carrie. Digital data as a fourth-amendment analogue for "Abandoned" DNA. Columbia Science and Technology Law Review. 2015, vol. 17, p.1-28.
  • 9)  Dery III, George M.; Meehan, Kevin. A new digital divide? Considering the implications of Riley v. California's warrant mandate for cell phone searches. University of Pennsylvania Journal of Law and Social Change. 2015, vol. 18, p.311-339.
  • 10)  ホール, エドワード著;日高敏隆, 佐藤信行訳. かくれた次元. みすず書房, 1970, 284p.
 
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