近年,OverleafやAuthoreaといったオンラインLaTeXエディターの登場が相次いでいる。これらは単なる論文執筆のためのツールではなく,研究者のライフサイクルにおいて現在大学図書館がカバーしきれていない論文執筆から投稿・出版のプロセスをサポートし,研究ワークフローのミッシングリンクを埋める可能性をもっている。従来のライティングツールの枠組みを超え,論文投稿プロセスを変革する可能性を秘めたこの「共同ライティングツール」は,学術情報流通にかかわる出版社・研究機関などにどのような影響を与えるのか。本稿では,共同ライティングツールにおける代表的なサービスOverleafに着目し,その概要,特徴的な機能そして導入事例の紹介を通じて,論文投稿プロセス変革の可能性や大学図書館における研究支援のあり方を展望する。
2015~2016年にユトレヒト大学図書館が実施した「学術コミュニケーション・ツールの利用に関するアンケート」1)の調査結果によると,研究者が論文を執筆する際に利用するライティングツールといえばMicrosoft Word(以下,Word)が圧倒的に多く(57.4%),次いで挙げられたGoogle Docs(20.5%)とLaTeX注1)(11.6%)を合わせれば上位3ツールで約9割(89.5%)を占めることが明らかになった(図1)。一方,近年新たなライティングツールが相次いで登場している。Authorea,ShareLaTeXそしてOverleafなどのオンラインLaTeXエディターである。同アンケート結果では,Overleaf(1.2%)とAuthorea(0.9%)が上位に挙げられた。
これらはGoogle Docsのようにオンライン上で共同執筆できる論文執筆に特化したツールであり,さらに,出版社とも共同編集できることから,本稿ではこれらを総称して「共同ライティングツール」と呼ぶ。共同ライティングツール登場の背景には,「共著者層の変化」と「ライティング環境の変化」がある。近年,論文の共著者数は年々増える傾向にあるといわれる。国際化が進展する社会とインターネットの普及も後押しし,これまで地理的な問題により実現が困難であった共著者の多国籍化も広がりをみせている。このため,国・地域や時差を超えて共同執筆する環境が求められている。また情報技術の発展に伴い,ワードプロセッサーで執筆する時代からパソコンにエディターソフトをインストールして利用する時代を経て,現在ではクラウド型Webサービスを利用して共同執筆を進めることが主流になりつつある。このような背景から共同ライティングツールは登場したと考えられる。
海外の大学図書館では,研究支援の一環としてOverleafやAuthoreaといった共同ライティングツールの導入が始まりつつある。これらは単なる論文執筆のためのツールではなく,研究者のライフサイクルにおいて現在大学図書館がカバーしきれていない論文執筆から投稿・出版のプロセスをサポートし,研究ワークフローのミッシングリンクを埋める可能性をもっている。
本稿では,共同ライティングツールの一つであるOverleafに着目し,その概要,特徴的な機能そして導入事例を紹介する。Overleafは他の共同ライティングツールに比べて利用者数が多く,また出版社との連携も進んでおり,共同ライティングツールにおける代表的なサービスといえる。
従来のライティングツールの枠組みを超え,論文投稿プロセスを変革する可能性を秘めたこの共同ライティングツールが,学術情報流通にかかわる出版社・研究機関などにどのような影響を与えるのか。Overleafの紹介を通じて,論文投稿プロセス変革の可能性や大学図書館における研究支援のあり方を展望する。
Overleaf(旧称 WriteLaTeX,https://www.overleaf.com/)は,オンラインでLaTeXを編集・コンパイルできる共同ライティングツールとして,共同創始者でありCEOのJohn Hammersley氏らにより2012年に英国で立ち上げられた。数理物理学の博士号を取得しているHammersley氏は,同僚の数学者と論文を書くために満足できるコラボレーション方法がないことに不満を抱き,自らの手によりその問題を解決しようと,共同執筆のできるWriteLaTeXを立ち上げた。
2014年,WriteLaTeXはそのサービス価値と将来性が評価され,英国の出版社Macmillanの一部門であるDigital Science社注2)から投資を受け,2015年にはサービス名をOverleafに改名した。
現在では,約180か国・地域から60万人を超える研究者によって利用され,800万件以上の論文などがOverleaf上で執筆されている2)。
Overleafでは,基本的な機能と1GBのストレージ容量が無料で利用できる。有料プラン「Pro」にアップグレードすればほとんどの機能が利用でき,ストレージ容量は10GBとなるフリーミアムモデルを採用している3)。所属機関がOverleaf機関版を契約していれば,利用者は無料で「Pro」を利用できる。
利用者はWYSIWYG注3)エディターで原稿を執筆することができ,LaTeXの特徴である複雑な数式もきれいに出力するなど思い通りの組み版をすることが可能である。文献管理ツールと連携できるため,参考文献リストの作成も容易に行える。Springer Natureなど多数の出版社に対応した投稿用フォーマットが用意されているので,利用者は投稿規定に沿った原稿書式設定を気にする必要がない。また,Overleafで書き上げた原稿を,直接出版社に投稿することも可能である。
以上のように,Overleafには従来のライティングツールと比べて優れている点が多々ある。本章では,これらOverleafの特徴的な機能3点を詳述する。
3.1 LaTeX環境構築不要なWYSIWYGエディター通常LaTeXで執筆する場合,利用の前にLaTeX環境を構築せねばならない。利用環境が複数ある場合(たとえば,研究室と自宅など),それぞれのPCに環境構築作業が必要となり,論文執筆の準備段階で非常に手間がかかる。Overleafであれば,利用環境構築は不要である。OverleafのWebサイトにアクセスし,アカウントを取得すればすぐにLaTeX環境が利用可能となる。Overleafはソフトウェアのインストールが不要なWebサービスで,その点が「Google Docs for researchers」注4)と称されるゆえんである。
Overleafの編集画面は左右に分割されており,左側画面で入力した結果が右側画面にプレビュー表示される(図2)。メニュー表示はすべて英語だが,日本語を編集・プレビュー表示することも可能である。また,編集可能なURLを共著者とシェアするだけでリアルタイムに共同執筆が可能となる。
Wordがライティングツールとして多くの研究者に利用されている理由の一つに,文献管理ツールとの連携により参考文献リストを効率的に作成できることが挙げられる4)。ところがLaTeX環境では,文献管理ツールとの連携ができず,一手間必要となる。このような,WordにできてLaTeXにできない文献管理ツール連携を,Overleafは可能とした。Overleafが公式に対応している文献管理ツールはCiteULike,ZoteroそしてMendeleyの3つである。Overleafはコラボレーションの利用を促進・強調しており,中でもMendeley対応でその姿勢が顕著である。Mendeleyでは,利用者同士でグループをつくり,そのグループ内で文献情報を共有することができる5)。Overleafは,このMendeleyのグループ機能にも対応し,個人だけで管理している文献情報はもちろんのこと,グループで共有する文献情報についても参考文献リスト作成をサポートしている。これは,OverleafとMendeleyのオープンでコラボレーティブな特徴が組み合わさった良連携といえよう。
3.3 出版社の論文投稿システムとの連携Overleafには,Springer Nature,F1000ResearchそしてeLifeなどさまざまな出版社の論文投稿用フォーマットなどが登録されている「Overleafギャラリー」注5)がある。Overleafギャラリーから出版社が提供する公式フォーマットをダウンロードできれば,煩わしい原稿フォーマットの設定を省くことができ,執筆に専念できる。
特筆すべきは,公式フォーマットで書き終えた原稿を,Overleafから直接出版社へ投稿できる点にある(図3)。Overleafと連携している出版社・論文投稿システムの事例として,生物化学分野のオープンアクセス誌F1000ResearchとWellcome Open Researchが挙げられる。Wellcome Open Researchとは,2016年に英国ウェルカム財団が開設した,同財団から助成を受けた論文・データセットなどを公開するための出版プラットフォームである。このプラットフォームは,Overleafにいち早く対応したF1000 Researchが開発しており,F1000Researchのプラットフォーム同様Overleaf対応(公式フォーマット・投稿プロセス統合)が実装されている。Overleaf上で書き終えた原稿は,画面最上位にあるメニューバーから「Submit to Wellcome Open Research」ボタンをクリックすることで,Wellcome Open Researchの論文投稿システムに原稿と書誌情報が転送される。出版社はOverleafの画面でコメントを付けるなどの校正作業が可能となり,「return to author」ボタンをクリックすれば著者に査読結果の通知が届く。
こうした出版社との論文投稿システム連携はOverleafだけに限らない。生物医学分野のオープンアクセス誌eLifeは,同社が利用する論文投稿システムeJournalPressに対応する共同ライティングツールを発表した。そこにはOverleafに加えAuthoreaなど他の共同ライティングツールも挙げられている6)。Editorial ManagerやScholarOneなどの論文投稿システムもOverleaf連携に対応しており,論文投稿システムと共同ライティングツールの連携は,研究者・出版社にとって投稿プロセスの煩雑さを解消するワークフローとして,今後ますます普及・発展することが期待される。
OverleafはGoogle,Twitterそして研究者識別子ORCIDなどの外部アカウントを利用してサインアップできる。Overleafを単なる論文執筆のためのツールとして利用するなら,どの外部アカウントで利用登録しても差異はない。しかし論文執筆後の投稿・出版プロセスを前提にした場合,ORCIDで認証することは今後大きな意味をもつであろう。ORCIDは,300万人以上の研究者がiDを取得し,600以上もの機関や出版社のシステムが対応している学術情報流通に欠かせない存在である7)。Royal Societyをはじめとするいくつかの学会・出版社は,2016年1月に開設されたORCID Open Letterを通じて,いち早く論文投稿時のORCID入力を義務化している。その後も20以上の出版社が相次いでORCID義務化を表明している。これらの学会・出版社では,論文投稿システムにおけるORCID対応が進んでいる。
Editorial Managerを採用しているSpringerのジャーナル20誌では,Overleafに設定してある利用者のORCIDを自動的に受け取るよう論文投稿プロセスを改良した注6)。今後このような対応を進める出版社が増えていくことを前提にすると,研究者が論文執筆の段階からORCIDを設定しておくことで,投稿・出版プロセスがシームレス化し,学術情報流通がよりスムーズになることが期待できる。
Overleafは,国別でみれば,米国,英国,ブラジルの順で利用者が多く,上位3か国で全体の約40%を占めており,日本の利用者数は全体の約1%に過ぎない注7)。しかし前述したとおり,多くの出版社が論文投稿システムとOverleafとの連携を進めており,Overleafは,今後ますます国内外の出版社と研究者へ広まっていくであろう。
共同ライティングツールの導入が始まりつつある大学図書館の動向も見逃せない。パデュー大学(米国)は1年間のパイロットテストの結果,利用者がより簡単かつ合理的に論文の執筆ができ,またレビューにかかる時間を節約できると判断し,今後5年間Overleaf機関版を契約すると発表した8)。パデュー大学のようにOverleaf機関版を導入している大学は15機関ある(2017年2月22日現在)9)。機関の図書館や研究支援部門は今後,Overleafのような共同ライティングツール導入を通じて,研究者のライフサイクルをサポートすることが求められるであろう。
Wordなど従来のライティングツールから,学術情報流通の既成概念を破壊しうる可能性を秘めた共同ライティングツールへ。冒頭に記したアンケートが5年後に実施されたとしたら,研究者からどのような回答が示されるであろうか。興味深い結果を想像しつつ,Overleafや他の共同ライティングツールと学術情報流通を取り巻く今後の動向に注視していきたい。
新時代のデジタルテクノロジーを基にした学術コミュニケーションを研究者および図書館に啓蒙する活動に尽力しており,オープンアクセスおよびデジタル研究支援ツールに関するカンファレンス等で国内外を問わず幅広く活動を行っている。Mendeley,AltmetricそしてORCIDなど多数の学術コミュニケーション・ツールの公式認定されたアドバイザーやアンバサダーを務める。